第二話 高鳴る心臓、乱れる呼吸
「わっ!ビックリした。急に大声出さないでよー」
ころころ笑う女子高生、篠宮舞。というか、いや、だから、え?
「高木さん、説明を求めます!!」
笑えるくらい思考が追い付かない。これは……初めての経験だ。
高木さんはやんわりと笑っている。なんでそんなに余裕なんだ。
「四条さん、さっき言ってましたよね?『二人の違う人と接してる方が飽きないし楽しい』って」
ええっと、さっきの僕の発言は、っと……?
――高木さんは高木さんでいいじゃないですか。神原さんとずっといるより、高木さんと神原さん、二人の違う人と接してる方が飽きないし楽しいですよ。
そう、こんな感じ。……うん、確かに言ってる。言ったけど、僕が高木さんに気にして欲しかったのは『高木さんは高木さんでいい』の部分で、もうちょっと手前だ。
「……あー、神原さんが抜けて、二週間は高木さん一人になってしまったので、その人数差を埋めるために、別の患者さんをここに引っ張ってきた……ということで?」
「理解が早くて助かります」
「いや、ちょっと待ってください!」
とりあえず、高木さんの考えは理解できた。でも、わざわざ僕のためだけに、大怪我してる患者に病室を移動してもらうっていうのはどうなんだ。僕が良くても、篠宮さんにはいい迷惑だろう。
「流石に、ちょっと勝手すぎませんか。篠宮さんも、勝手に病室を変えられたら不便じゃないですか?」
「ありゃ?もしかして気を遣ってくれてる?にゃはは、だいじょぶだいじょぶ。あたし、細かいこと気にしないからさー」
なんというか、軽い。めちゃくちゃ軽い。本当に怪我人ですかと尋ねたくなるほど軽い。今まで出会ったどの人よりも軽い。
高木さんはやんわりと大事なことを言ってるけど、篠宮さんは話の中身がすっからかんだ。あと、初対面なのにだいぶ距離が近い。
「患者の病室を勝手に移動する権限なんて、持ってないですよ。元々、篠宮さんは自分の病室に不満があったそうです。なので、お互いウィンウィンかなと思い、提案させてもらいました。ご覧のとおり、篠宮さんは前向きですよ」
……あれ、おかしいな。ちゃんと話を聞いてみると、思いつきにしては意外と筋が通ってるような気がする。
「それとも、一人で読書する方が良かったですか?私では、話し相手にはなれませんが」
――せっかく本を読んだのに、誰とも話せないと言うのは、辛くはないですか?
「……そっちも、気にしてたんですね」
正直な所、感想戦は大好きだ。
神原さんに読んだ本の感想を話して、それを踏まえた言葉のキャッチボールをするのは、とても楽しい。神原さんは本に書いてある以上の事を知っているし、話してくれる。その役割は、高木さんだけじゃなく、きっと誰にも代わりは務まらない。当然、この篠宮舞という女の子にも。
「篠宮さんに本の感想を話せばいいじゃないか、って言いたいんですか?」
「あたしはあんまり本読まないよ?たまに友達からマンガ借りるくらいかなー」
うん。たぶんそうだろうとは思った。篠宮さんは椅子に座って本を開くとたちまち眠くなるタイプだ。発言で、大方の予想はつけられる。
「……こう言ってますけど?」
「分かってますよ。四条さん、逆転の発想です。本の感想を話す相手がいないなら、最初から、本を読む代わりに別の事をすればいいでしょう?」
「おー、なるほど! さくらちゃんあったまいいー!」
篠宮さんはパチパチと手を叩いている。というか、さくらちゃん呼びは馴れ馴れしすぎると思う。誰とでも距離が近いんだな、この子。
そんなことより、ちょっと待って。確かに感想戦は楽しいし大好きだけど、僕は本を読むこと自体もかなり好きなんだ。勝手にその時間を奪わないで欲しい。
「別の事っていうのは、具体的にどんな事を?」
「それはお二人で決めたらいいと思いますよ」
前言撤回。最後まで筋が通ってない。
初対面の人を連れてきて、あとはそっちで何とかしろっていうのはちょっと無責任すぎないか。そこをやんわりとぼかさないでほしい。
これはもう少し問い詰める必要がありそうだ。
「んー、ちょっといいかな?」
「あ、はい。なんですか?」
おっと、篠原さんか。高木さんへの尋問は一時中断。
篠宮さんに罪はない。篠宮さんは高木さんに勝手に連れてこられただけなんだから。むしろ被害者と言ってもいい。
なので、篠宮さんの言いたい事はひとまず聞くことにする。
「キミはさ、あたしのこと嫌い?」
「え? ええ、っと……?」
聞いた結果、なんだかよく分からないことになった。
なんだ、このシチュエーション。告白……ではないな、うん。
どう答えればいいんだ?さっきちょっと高木さんに慣れなれしい発言はあったかもしれないけど、別に嫌いになるほどじゃない。顔は好みですって言えばいいのか?もしくは笑顔が素敵ですね、とか?
だって、さっき会ったばっかりだ。嫌いかどうかなんて聞かれても……
あ、そうか。そう答えればいいんだ。
「いや、初対面で嫌いもなにもないですよ」
「でしょ? ぶっちゃけあたしもキミのことよく分かんないしー。ってことでさ、こうしない?君があたしのこと嫌いになったら、あたしは元の部屋に戻る。どう? 分かりやすいでしょ? あたしみたいなバカでも分かるでしょ?」
篠宮さんがバカかどうかも僕は知らないんだけどな。ここまでの会話を聞いてみた感じ、頭が良さそうには思えないけど。
さて、それより、提示された条件だ。僕が篠宮さんのことを嫌いになったら、篠宮さんは部屋に戻る。要約すると、『仲良くやっていける間は続けていきましょう』ってところか。別れる前提で付き合い始めるカップルみたいで、あんまりいい響きではない。
正直気乗りはしない。僕は独りでいることに慣れてるから。6年間ずっと、病院の中で過ごしてきたんだ。きっと、これからも。
まあ、でも、長い病院生活の中の2週間くらいなら、今までと違う事をしてもいいかもしれない。懸念だった篠宮さんもいいって言ってるわけだし。
「そうですね。断る理由もないです」
「よし、決まりっ!それじゃ、これからよろしくね」
篠宮さんははにかむ。笑顔って不思議だ。基本的に孤独な僕でさえ、たまには他人と会話するのもいいかもしれない、とつい思ってしまう魅力がある。これは別に、篠宮さんに限った話じゃない。神原さんも、高木さんも。やっぱり人は笑顔でいてくれた方がいい。
にしても、篠原さんは元気だな。あと、たぶん悪い人でもなさそうだ。他人との距離がやけに近いのはちょっと気になるけど。初対面だし、まだこれからわかることもあるんだろうけどさ。
せっかく用意してくれた神原さんには悪いけど、本棚はしばらく封印だな。また後で読もう。
後から思えば、この時の僕は、とても呑気なことを考えていた。
僕の病室にはベッドが4つある。入口から見て左右に2つずつ。僕のは左奥だ。篠宮さんは、向かい合った方が話しやすいだろうということで、右奥のベッド、即ち僕から見て正面のベッドを使うことになった。
高木さんはまず篠宮さんに簡単に部屋の説明をし、昼食のワゴンを運び出し、篠原さんの荷物を運び入れた。その後、私は業務があるからあとは二人で、とそそくさと出ていった。その間、僕はずっとベッドにいる。上体だけ起こして背中を預けている。寝ているより座っていると言う方がしっくりくる体勢。この体勢が一番楽だ。本当は何か手伝いたかったけど、この身体じゃ無理だから。
いろいろ済ませた後、篠宮さんは僕のベッドの前で立って、去っていく高木さんに手を振っている。
ガラガラ、と扉を閉める音がする。
そして、ドアが閉じられると、篠宮さんは間髪入れずに僕に話しかけた。
ちなみに、最初に何を言われるかは予想がついている。
「ねえ、キミのプレート見せてよ!」
ビンゴ。
この世界では、プレートが名詞代わりのようなものだ。特に、名刺を持たない学生たちにとって、プレートを見せることは何よりも手っ取り早く自分が何者かを伝える手段。
学校に行っていない僕がなぜ最近の学生事情を知ってるかと言えば、本で読み、神原さんと話したからだ。漫画、童話、ライトノベル、純文学、自己啓発本、参考書、聖書、辞書――僕はあらゆるジャンルの本を読む。面白ければ何でも。
「まあ、いいですけど……その、あんまり他の人に言わないでくださいね?」
「ん? はーい。あ、タメでいいよ」
このリアクションを見るに、僕の言いたいことはあんまり伝わっていないみたいだけど、まあ、見てもらえれば分かるさ。
僕は左手を伸ばし、机の引き出しから僕のプレートを取り出した。
「ありがとー。じゃ、これがあたしのプレートね」
篠宮さんから差し出されたプレートと、僕のプレートを交換。
ええと、どれどれ。
STR 503
DEX 584
VIT 361
INT 252
十の位から百の位への繰り上がりが2回、5+3+2で10、5+2で7。
なるほど、篠宮さんは17歳か。やっぱり高校生で間違いないみたいだ。
特徴としては、DEXが高めで、INTが……252。これは、年齢からするとかなり低い。17歳なら、1700÷4の425が平均値だから、それを大きく下回る。
その分DEXが高いんだから、良いとか悪いという問題ではない。バカを自称したのはあながち間違いではなかったというだけのこと。
あくまで一つの目安だが、INT550で上位の高校受験に受かり、750で一流大学受験に受かり、900あれば医師免許が取れると言われている。プレートによって賢さがすこぶる分かりやすくなったので、今はどの学校でも大抵は飛び級を認めている。
で、僕のINTは1005。既に医師免許を取れるだけのINTは有している。978の高木さんが看護師でやっていけるのだから、当たり前と言えば当たり前だけども。同時に、神原さんの1593がいかにバケモノかというのもよく分かる。
「うわ、なにこれ! 1005ってやっばいね! あたし5人分じゃん!」
ん?5人分?僕の見間違いじゃなければ、篠宮さんのINTは252だったはず……うん。間違いなく252だ。手元のプレートに書いてある。
「えーっと、4人分じゃない?」
タメでいいと言われたので遠慮なくタメ口で喋る。僕は物分かりのいい方だ。
「ん? まあどっちでもいいや。ねえねえ、写メ撮っていい?」
別に4人でも5人でも、言いたいことは伝わるからいい。それより、プレートを手渡す直前に言ったことが抜けているのはいただけない。流石はINT252の記憶力と言ったところ……いや、今のはちょっと失礼すぎたかな。
「さっきも言ったけど、あんまり他の人には言わないで欲しいな」
「むう。それは残念。いやいや、1005は凄いよー。学校の先生でも1000越えはなかなかいないもん」
そりゃ珍しいだろう。30歳で合計3000。÷4で750が平均値だ。もっと若かったり、あるいは50歳を超えていれば、そもそもの平均値がもっと下がる。
あと、教師になりたいなら、INTは500あればあとは努力でなんとかなるらしい。なんでも、教師になるには学力以外にも必要なものがあるとか。
「む? むむ? ちょいとお待ち。君って今何歳?」
「え? 12だけど」
「ええ!? 5つも下なの!? 5つも下の子にあたし5人で勝てないの!?」
いや、単純に5人分の数値を足し合わせたら勝ってるよ。4人でもギリギリ足りるし。ということはとりあえず置いておいて。
「まあ、その分他が散々だけど」
僕はいくらINTの高さを褒められても嬉しくもなんともない。それだけ突出してるということは、他が同じだけ低いということでもあるんだから。
「やー、いいもの見せてもらったよ。ありがとねー」
篠宮さんは見終わったプレートを差し出している。相変わらず笑顔が似合う。じゃなくて、僕の話聞いてた?
まあいいか。プレートを再び交換して、戻ってきた僕のを机の中に戻す。
「そんじゃ、やることないしテレビでも見る?」
「あ、この病室テレビないよ」
「なんですとっ!?」
驚愕の事実におののく篠宮さん。ちょっと大袈裟じゃないかな?
この反応から察するに、篠宮さんは暇さえあればテレビを見るタイプの人か。それなら、2週間もテレビが見られないのは確かに一大事なのか。毎週やってるドラマとか、一気に2話も飛んだらさっぱり分からなくなるだろうし。
「テレビがないって……キミさ、暇な時何してるの?」
「さっきチラッと話に出たけど、読書かな」
「あー、なんか言ってた気がする。他には?」
「他? いや、特に何も」
篠原さんは目を丸くした。恋愛モードの高木さん以上に表情豊かだな、この子。
「へ? ずーっと本読んでるの?」
「ええ、まあ」
「…………」
篠宮さんは顎に手を当て、考えるポーズを取った。
5秒ほど経って、何かに思い至ったのか、にんまりと笑う。え、どうしたの?
「ほらほら、隠さなくていいよ。お姉さんに全部話してみなさい?」
「はい?」
いや、そんなにやけ顔で隠さなくていいと言われても、そもそも隠すようなことが何もない。強いて言えばさっき見せたステータスが一番隠したかった。隠すのは不自然すぎるから、あえて何もしなかったけど。
「照れなくていいからっ! 思春期の男子が一人でやることといったら、アレしかないでしょ?」
「……読書?」
「…………ん、んむう?」
再び、考えるポーズ。何だろう、想像がつかない。INTは4倍近く差があるはずなのに、思考が読めないというのはなかなか面白い。これも初めての経験だ。最初に思ってたより楽しい。うん。これなら2週間続けても悪くないかも。
8秒ほどうんうん唸って、篠宮さんは結論を出した。
「キミってさ、精通してないの?」
「…………は?」
精通、ってなんだっけな。
確か僕が読んだ辞書によれば、精通と言う言葉の意味は、①あることについてくわしく知っていること。②男子が初めて――
ああ、なるほど! って何言ってるんだ篠宮さんは!?
「ちょ、ちょっと! いきなりどうしたんですか!」
「おお! その反応を待ってたんだよ!」
分かったけどわけが分からない。どういう思考回路を辿ればその結論に至るんだよ。あと本来そっち系のピンクな話は気心の知れた仲のいい友人なんかとやるもので、僕はそこには入らない。
「どう考えても初対面の相手にする質問じゃないでしょ!」
「いーからいーから。で、実際どうなの? アレしてるの?」
「アレってそういう……してないです!」
「えー、ほんとにー? 読書っていうのも他の人には見せられないようなアダルトなやつだったりして?」
「僕はまだ12歳ですから!!」
なんなんだこの子は。INT252ってここまで本格的に意味不明なのか?正直に言えば、話が合うかちょっと不安はあったけど、そういう次元を軽く超越してるよこれ!
「ふーん。じゃあ女の子にも興味ないの?」
「ありません!」
「ほんとに?」
「本当です!」
「へー、そっかぁ」
そう言いながら、篠宮さんはにやけ顔を継続したまま、僕のベッドの右サイドへ移動してきた。要するに、近づいてきた。物理的に。
本棚をひょいと避け、ほとんど僕の真横に立ち、斜め上から僕の顔を見下ろす。右腕のギブスの動きづらさをまるで感じさせないのは、DEXが高いからだろうか。
「な、なんですか……?」
「いやなに。ほんとに女の子に興味ないのか、確かめてあげようと思って」
篠宮さんが前のめりに体を倒し、緩んだ顔をぐいっと近づけてきた。
同時、甘い香りが僕の鼻をくすぐる――
なんだ。
なんだこれ。
石鹸?洗剤?トリートメント?
分からない。
僕の嗅いだ事のない、女の子の匂いとでも形容すべき、甘い香り。
脳を直接痺れさせるような、甘い香り。
少女漫画も恋愛小説も読んだし、神原さんと話したこともある。けど、絵や文字や言葉で匂いは伝わらない。
こんなの、僕は知らない。
僕が嗅覚の情報を処理しきれないでパニックに陥っているとき。
篠宮さんの左手が、3本の指が、僕の顎にそっと添えられる。
指に少しだけ力を入れて、僕に上を向かせる。
篠宮さんと視線がぶつかる。
美しく微笑む篠宮さんの瞳に意識が吸い寄せられる。
「嫌なら抵抗していいんだよ?」
囁くような透き通った言葉は、僕の知らない不思議な魔力を持っているようで。
その一言で、僕は完全に自由を奪われた。
体が動かない。
金縛りにでもあったかのように、指先の一本すら動かせない。
両眼はずっと、篠宮さんの魅惑的な笑顔から目が離せないでいる。
ゆっくりと、篠宮さんの顔が近づいてくる。
そうだ、何かの少女漫画で見た。確か、あごクイってやつだ。でもあれは男性が女性にするシチュエーションだったような、あれ?
唯一動く脳で何を考えればいいか分からずにいる間に、篠宮さんは目を瞑って、すぐそこにまで迫っていて。
唇が頬に触れた。
どくん。
心臓が跳ねる。
どくん。どくん。
呼吸は止まっている。篠宮さんの言葉に止められている。
どくん、どくん、どくんどくんどくんどくん!!
「ぶはっ!!」
「わっ!」
どくんどくんどくん!
「げほっ、ごほっ、うっぐぁ、はあ、はあ、っ!」
どくんどくんどくん、どくん、どくん!!
左手をベッドの淵に、右手は早鐘を打つ心臓に
「はあっ、はあ、はあ、はあ、あ、うっ、く!」
「……え? え? なに? ど、どうして?」
どくん、どくん、どっくん!!
焦るな。落ち着け。
ゆっくり、浅く。
「はっ、はあーっ、はあー……う、っ」
「だ、だいじょぶ、じゃないよね、あのその、えーっと」
どくん。どくん。
そう。そのまま続けて。
「はあ、はあ、はーっ……すうー……はー…………」
どくん。
…………
……治まった。
「…………」
「…………」
「……………………ごめん、なさい」
これが僕の、不整脈と過呼吸の、最低最悪の初めてだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます