第一話 1005、1593、978、252

「……またダメだったか」


 神原さんはがっかりしている。僕の方は予想はしていたから、ショックは感じない。喉元過ぎれば熱さを忘れる。あれほど怖がっていたのが嘘のように、一度見てしまえば、まあそんなもんだよな、ってすんなり受け入れられる。


「仕方ないですよ。今までずっとダメだったんですから。神原さんが気に病むことありません」

「ははっ、そうかい。君は強いな」


 力なく笑う神原さん。このテンションで、明日(正確には、今日の午後の飛行機で出発して)から2週間の出張に行って大丈夫だろうか?


「悪いな。こんな時に、君を置いて行ってしまって」

「神原さんが謝ることないです。むしろ、いつも僕のところに来てくれて、ありがとうございます。神原さん、結構忙しいですよね?」

「そうでもないよ。それに毎日来てるわけじゃないだろう?しっかり週休2日貰ってるしさ」


 毎日来ていたら労働基準法に違反してしまう。なので、土日は高木さくらさんという別の担当医師さんが来ることになっている。さくらという名前で分かるように女性で、年齢は不明。神原さんを先輩と呼ぶので、たぶん20代。

 余談だが、高木さんは妙に神原さんのプライベートに詳しい。深く首を突っ込むのは迷惑だと思って避けてきたので、そのあたりの人間関係はそんなに知らない。


「高木さんが、先輩はああ見えて意外と偉い人なんだって言ってましたよ」

「ほう、そうかい。ああ見えて意外と、ねぇ。これはあとで指導が必要かな?」

「僕は適切な表現だと思いますよ」

「ははっ、君もなかなか言うねぇ。君に免じてげんこつ一発で済ましてあげよう。帰ってくるまで覚えてたらね」


 神原さんはちらりと腕時計を見た。僕は腕時計にはそんなに詳しくないけど、銀色に鈍く輝くそれは、有名な超一流ブランドの物だと高木さんが言っていた。そんなお高い腕時計を日常使いできるってことは、やっぱりかなり偉い人なんだろう。


「それじゃ、行ってくるよ。心配してくれてありがとな」

「はい。お気をつけて」


 神原さんはトランクを残し、病室から出ていく。

 ドアのところで一度止まり、こちらに軽く手を振った。


 油断していた。顔、見られたかもしれないな。




 数時間後。


「失礼します」


 ガラガラとドアを開ける音と共に、聞き馴染みのあるふんわりとした女性の声がした。確認はいらないと言うと、最初の一回では聞き入れてもらえなかったが、もう一度言ってからは今のように簡略化した挨拶で入ってくれるようになった。基本的には物腰が柔らかい人だ。基本的には。

 女性――高木さくらさんは、僕の担当看護師だ。身長は少し低めで、黒縁眼鏡をかけたお姉さん。所用で神原さんがいない日に代わりに来てくれる。

 そして、特筆すべきこととして、僕とINTの値が近い。

 他のステータスは知らないが、高木さんの今のINTは978。記憶が正しければ。僕はINTだけが取り柄なので、恐らく記憶に間違いはない。ちなみに神原さんは1593だ。


「今日のお昼はシチューですよー」


 のんびりとした、相手に安心感を与える声。ベテランの保母さんのようだ、と言うと、そんなに歳は取っていないですよ、とやんわり怒られた。一応褒めているつもりだったんだけど。

 高木さんはカラカラと食器の乗ったワゴンを運ぶ。野菜と魚介が見え隠れしているクリームシチューを、僕の目の前、つまりベッドに備え付けられたテーブルの上に置く。高木さん曰く、正式名称は『ベッドテーブル』らしい。物の名前はシンプルなほどいい。


「急がなくていいですからね。ご飯は逃げませんよ」

「はい。……頑張ります」

「ほら、そんな真面目な顔しないでください。楽しく美味しく食べましょう?」


 高木さんからスプーンを手渡される。

 僕は右手でしっかりとスプーンを握りしめる。


「ふう……」 


 さて。

 いよいよ僕と昼食との、長く苦しい闘いが始まるのだ。

 水面に斜め45度でスプーンを差し込み、目についた人参をひとかけら掬う。持ち上げたら、その状態で水滴が落ちなくなるまでキープ。そのままスプーンの淵が水平になるように保ち、慎重に口元に運ぶ。

 ぱくり。


「あっつうっ!?」


 僕の口から人参が飛び出て、白い布団の上に転がった。

 そうだ、シチューのように熱々の状態で運ばれる食べ物は、口に入れる前に吹いて冷まさなければならないのだ。零さないことばかりに気を取られていた。


「ほら、ゆっくりでいいですよ。冷ましてから食べましょうね」

「は、はい……」


 お分かりいただけただろうか。

 これが、DEXが95しかない人間の限界だ。



 神は人の上に人を作らず――先人達の残した言葉を、次かその次の世代の人々は一度否定した。だから神様が怒って、プレートという仕組みが作られた。幼い頃に読んだ歴史の教科書にはそう記載されていた。

 プレートに記されている数値は、言うなれば、伸びしろみたいなもの。

 例えばSTRが500の人と1000の人なら、ほぼ確実に1000の人の方が運動神経が良いだろう。でも、STRが1000の人を二人連れてきて100メートル走をさせたら、ピッタリ同じ記録にはならない。同じ1000でも、毎日ぐうたらに過ごしている人と、毎日ジョギングに励む人だったら、その差は大きく現れる。そういう意味で、あくまで『伸びしろ』というのが適確な表現だと思う。

 割り振られるポイントは年齢で決まっている。30歳までは、1つ歳をとる度に100ポイント。30から50歳まではそのままで。それ以降は毎年25ずつ減っていく。振り方は選べない。神様が勝手に決める。ちなみに高木さんがINT以外のステータスを教えてくれないのは、合計値で実年齢が分かってしまうからだ。

 けど、誕生日が来てSTRにポイントが振られたからって、その瞬間に力が強くなったり足が速くなったりするわけじゃない。STRが500の人でも鍛えればそれなりに筋力はつく。多少は融通が利くので、あくまで参考程度だ。

 つまるところ、人間の身体的特徴は、プレートが発見される以前と何も変わっていない。変わったのは、その人の個性が目に見えて分かりやすくなったこと。そして、全員に同じだけポイントが振られることで、神様は不公平だという不満が出なく……いや、出にくくなったことだ。


 これらを踏まえて、もう一度、僕のプレートを見てみよう。



 STR 70  (+0)

 DEX 95  (+0)

 VIT 30  (+0)

 INT 1005 (+100)



 STRは筋力の強さ、DEXは器用さや反射神経、VITは生命力、INTは知力。昔からゲームなんかで扱われている表記らしい。僕はゲームというものに触れたことがないのでよく分からないけど、神様が採用するくらいだから、よっぽど一般的だったんだろう。

 括弧内の数値はレベルアップ時から24時間表示される。変化を見逃さないように、という神様の配慮だと考えられている。

 僕は12歳になったから、合計1200ポイントが割り振られている。それはいいんだけど、内訳がおかしい。あまりにも極端すぎる。

 致命的なのは、VITの30だ。こいつのせいで、僕は6歳の時からずっとこの病院にいる。一言で言えば、虚弱体質。激しい運動はもちろんダメ。ちょっと走るだけでもすぐ息が上がり、過呼吸になってしまう。歩くだけなら一応問題はないんだけど、それも最長で連続20分まで、その後最低1時間の休息を取るように、と神原さんからきつく言われている。そんなわけで、僕はトイレと風呂以外でこの病室を出ることはほぼない。

 何とかリハビリしようと、軽く病院内を歩き回ってみたり、スクワットに励んだりしていた時期もあった。でも駄目だった。当たり前だ。僕の伸びしろはたった30止まりなんだから。

 そんなわけで、僕は人生というものをいろいろ諦めて、毎日を読書と長めの食事に費やしている。

 6歳の誕生日から、ずっと。




「大丈夫ですか?お手伝いしましょうか?」

「自分で食べます。大丈夫です」

「そうですか。慌てないでいいですよ」


 高木さんはまったりと僕の様子を眺めている。以前に他の仕事は良いのかと質問したら、ちゃんと済ませてあると言っていた。失礼ながら、てきぱき仕事をこなす高木さんの姿は全くイメージできないけども。


「そういえば、どうでした?」

「ああ、今回もダメでした。おっと!」


 僕はスプーンからブロッコリーを落とした。シチューの海に帰った拍子にシチューが跳ねる。くそ、もう一回だ。


「そっか。残念ですね……って、あれ?」


 高木さんは首を傾げた。


「…………四条さん。確か昨日までの数値は、905でしたね?」

「ええ。なので、今日で1005に――」

「なんですって!!」


 バァン!といきなり高木さんの両手がテーブルに叩きつけられる。食器とスプーンのぶつかる音が遅れて聞こえる。ブロッコリーはまだ乗っていなかったのでセーフ。


「私、ついに四条さんに抜かれっ?いや、それより、私より先に4桁の域に達したってことですかっ!?」

「ま、まあ、そういうことになりますかね」

「そんな……」


 やんわりとした笑顔が一転して焦り、あるいは怒りのような衝動を見せ、そして消沈。

 えっと、感情が豊かなのはいいことだと思う。うん。

 放っておくわけにもいかないので、シチューから一旦離れよう。ちょうど冷めるまでの時間潰しにもなるし。


「抜いたと言っても、たった27の差ですよ?それに、四捨五入すればお互い1000じゃないですか」

「違うんです!3桁と4桁は文字通り桁が違うんですよっ!!」

「いや、別にそこまでこだわらなくても」

「良くないです!ああ……」


 高木さんは、紅色の本棚の上にどっかりと座り込んだ。そこまで気にすることだろうか?僕からすれば微々たる差としか思えないんだけど。


「はぁ……四条さんは私より先に、神原さんと同じステージに上がってしまったんですね……」

「ああ、そういうことですか」


 納得した。高木さんが豹変する時は、決まって神原さん絡みなのだ。高木さん曰く、恋は人の生き方を変えるんだとか。僕にはいまいちピンと来ない。


「神原さんは人を数字で判断するような人じゃないですよ」

「分かってます。分かってますけど、私が納得できないんです!」


 こうなると、高木さんは人の話を全く聞かない。基本的には物腰の柔らかい人なんだけどなぁ。


「神原さんにとって相応しい女になるために、私は頑張らないといけないんです!……いくら頑張ったところで、レベルアップはどうにもなりませんが……」


 返す言葉がない。高木さん、レベルアップがもっとどうにもならない人がここにいるんだけど?

 やっぱりこの辺りの配慮やその他諸々は神原さんの方が上手い。なので、高木さんにはちょくちょく神原さんの『指導』が入っている。本人は二人きりで会えることに喜んでいるみたいだけども。


「……ねえ、四条さん」

「はい」

「寂しくないですか?」

「急にどうしたんですか?」


 あまりにも話の流れが飛びすぎて、わけがわからない。高木さんの悪い癖だ。こういう時は、必ずどこかで神原さんの話が出てくる。


「私は寂しいです。2週間も神原さんと会えないなんて」

「……心中お察しします」

「でも、四条さんもそうですよね?」

「僕にそういう趣味はないです」

「ふふ、誤解を招く言い方でしたね、すみません」


 高木さんはどこかぎこちなくて、不自然な笑顔を作った。


「私、神原さんと違って、本の話なんてできないでしょう?」

「感想戦のことですか?」


 僕は夕食の時間になると、食べながら神原さんと読んだ本の感想を話している。神原さんは多忙なので、僕の読む本に目を通してはいない。が、それを補って余りある知識の深さと頭の回転の良さで、有意義な時間を作ってくれる。INT1593は伊達じゃない。ついでに、夕食にかかる時間も気にならない。少し行儀は悪いけどね。


「せっかく本を読んだのに、誰とも話せないと言うのは、辛くはないですか?」


 高木さんは高木さんなりに、僕の事を心配してくれている。少し暴走癖があるだけで、基本的にはいい人だ。


「確かに話すのは楽しいですけど、僕は本を読むこと自体が好きですから」

「ごめんなさい。神原さんの代わりになれなくて」

「ですから、気にしないでください」


 高木さんは神原さんに好意を抱いているのと同時に、負い目を感じている。あくまで自分は神原さんの代役だから、代役として神原さんと同じだけの仕事をこなさなければ、と。でも、そもそも二人はINTにかなりの差があるし、年齢の差もたぶんある。だから、高木さんが神原さんと同じになれるはずがないのだ。


「高木さんは高木さんでいいじゃないですか。神原さんとずっといるより、高木さんと神原さん、二人の違う人と接してる方が飽きないし楽しいですよ」


 高木さんは返事をしてくれなかった。あんまりいいフォローじゃなかっただろうか?お世辞じゃなく、本音で話したつもりだったけど、伝わらなかったかな。


「すみません、一つ用事を思い出したので、席を開けてもいいですか?」


 高木さんはすっと立ち上がった。のんびり、と言うよりは、本当に急用でもできたかのような、切羽詰まった様子で。


「突然ですね。どうしたんですか?」

「ちょっとしたことです。また後で来ます」


 高木さんは慌ただしく駆け足で病室を出て行った。

 僕が走れないことは、たぶん忘れてるんだろうな。




 僕が6歳の頃から上達しない手つきで、それでもなんとかシチューをあらかた食べ終わった頃。


「失礼します」


 ガラガラとドアを開ける音と共に、聞き馴染みのあるふんわりとした女性の声がした。


「どーもー。こんちわー」


 遅れて、元気そうな女の子の声が……え?


「四条さん。今日から2週間、102号室に入院することになった、篠宮舞さんです」

「舞でーす」


 ……?

 よし。一旦情報を整理しよう。

 まず、視覚の情報から。僕の目の前に、ナース服の高木さん。その右隣に、僕から見て左、つまり右腕にギブスをはめた女の子。恐らく骨折。紺色の制服を着ているのと、黒髪を一部紫で染めていることから、たぶん高校生くらい。顔は個人的には結構好み。いや、これはどうでもいい。

 次に、聴覚の情報と照らし合わせてみよう。この女子高校生の名前は篠宮舞。今日から2週間、即ち神原さんが帰ってくるまで、102号室、即ち僕と同じ病室に入院する。


「四条君、だよね?よろしくねっ!」


 笑顔は特にかわいい、というか好み。じゃなくて、え?


「……えええええええええええっ!?」



 こうして、僕は出会ってしまったのだ。

 6年に及ぶ長い入院生活の中で初めて、INTがたった252しかない女の子と。

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