INT1005の僕とINT252のお姉さんの入院生活
井戸
プロローグ ーレベルアップー
神は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず。
こんな馬鹿げた言葉はない。
例えばお前が迷子の子に声をかけたとする。そのとき、最も重要なのは何か?
顔だ。
顔が良ければ、周りからはいい人扱いされる。
じゃあ、顔が悪かったら?言うまでもなく、警察に通報される。
ほらみろ。平等なんて言葉は所詮まやかしにしか過ぎず――
僕は本を閉じた。本は毎日沢山読むけど、ここまで低俗なのは三カ月ぶりだ。
著者名と、ついでにタイトルを確認。森川タイシ、死ぬまで続く不平等論。うん、覚えた。もう二度とこの著者の本は読まない。
右手を伸ばし、手を放した。
手の届く範囲にゴミ箱があるのは便利だ。僕の生活区域は、病室のベッドの上から僕の手の届く範囲までで、8割以上を占めているから。
「失礼するよ」
僕のいる病室、102号室のドアをノックする音と共に、聞き馴染みのある高めの男声がした。確認はいらないと何回も言ったのだけど、未だに毎回数秒の無駄を重ねている。真面目な人だ。もちろん褒めているつもり。
「どうぞ」
僕はいつもと同じ返事をする。直してもらうのはもう諦めた。何回も繰り返すうちに、指摘する方が無駄が多いとよく分かった。基本的に人当たりのいい人なんだけど、意外と頑固なところがある。
男性――
デジタル時計によれば、今の時刻は9時13分49秒。神原さんは、今朝も死ぬまで続く不平等論を含む8冊の本を持ってきてくれている。僕は今日既に、死ぬまで以下略とは別の本を読み終えている。そっちは普通の恋愛小説で、普通に面白かった。小説でも評論でも漫画でも、僕はジャンルを問わず、本が好きだ。内容さえ面白ければ。
しかし、神原さんが午前中に2回来るのは珍しい。昼食や夕食のとき以外だと、持ってきた本を全て読み終えたら、追加を持ってきてくれることはあるけど。
「忘れ物ですか?」
「いいや。そろそろ2冊目を読み終えた頃かなーって思ってね」
「内容がつまらなくて途中で読むのを放棄するのは、読み終えたとは言いませんよ。というか、つまらないと分かっているなら最初から渡さないでください」
「ははは、そりゃそうだ。俺も全部読んだわけじゃないから、本の内容までは知らないさ。まあそれはたまたま運が悪かったとして、ほんとの理由はこっちだ」
神原さんは大きな紅色のトランクケースを引いていた。トランクケースというのは、旅行の際に服などの持ち物を運ぶために使う物らしい。実物を見るのは初めてだ。
神原さんは僕のベッドの右手に立つと、ごとん、と音を立て、トランクケースを固定?する。仕組みはよく分からないが、トランクケースは神原さんの、僕から見て左隣で、行儀よく止まっている。
「今日を迎えたら、俺は2週間ほどこの病院から離れることになってる。それは知ってるな?」
「もちろんです。あ、じゃあその中身はもしかして」
「いぐざくとりぃ!」
神原さんは楽しそうに指をビシッと突きつけた。
「まだ答えてませんよ」
「ははは、まあいいじゃないか。君の想像通り、全部本だ。文庫サイズの本が140冊入ってる。1日10冊読んでもちょうど14日持つぞ」
つまり、この紅色のトランクケースは本棚だということか。なかなか大仰だ。
と、そうだ。一つ確認しなければいけないことがある。
「この中に、森川タイシって著者の本は?」
少しアバウトな問いかけになったけど、神原さんは僕の考えを汲み取ってくれる。
「この140冊の著者は被らないように選んだから、あったとしても1冊だけだ。1冊あった場合、1日10冊読むと、14日目に1冊読む分の時間が余るな」
「当たり前でしょう」
「ははは、これは失礼」
……待った。流しそうになったが、140冊を著者が被らないように1冊ずつ選ぶっていうのは、かなりの重労働じゃないか?
小学校低学年レベルの計算問題に惑わされて、それを指摘するタイミングを失った。しまった、これが狙いか。本当に、頭がいいのにそう見えないから困る。バトル物の小説で、序盤から主人公と何度か接してサポートしていたが、終盤になって実はめちゃくちゃ凄い人だと判明するポジションにちょうど当てはまりそうだ。
僕は素直に敗北を認め、感謝の言葉は心の中に留めておくことにした。
「さて……」
神原さんは左腕につけた時計をチェックする。僕もそれに合わせて、左を向いた。机の上に載っている、銀色のシンプルなデザインのデジタル時計を見た。
9時17分14秒。
「あと37秒で、君は12歳の誕生日を迎える」
そう。僕はまだ11歳だ。
神原さんは31歳だから、一応今はちょうど20歳差と言える。秒まで入れれば当然ずれるけど。
僕は大きく息を吸って、吐いた。
「心の準備は?」
「大丈夫です」
僕はベッドの左に手を伸ばし、机の引き出しを開ける。
そしてその中から、手のひらサイズの長方形のプレートを一枚取り出した。
紺色のつややかなプレートは、触れても温度を感じない。この世の物ではない、人間には想像もつかないような未知の物質でできているに違いない。何故なら、このプレートは、神様が僕ら人間に直接与えたものだからだ。原理なんて分かっていない。誰もが『気づいたら持っていた』という代物だ。
僕は自分のプレートをじっと見つめる。
STR 70
DEX 95
VIT 30
INT 905
このゴミのようなステータス振りが、僕の全てを物語っている。
「5、4、3」
神原さんの秒読みが始まる。腕時計もデジタル時計も、電波時計だから時間は正確だと以前に話していた。
心の準備は出来ていたはずだった。
なのに、僕は目を瞑っていた。
「2、1、0」
ゼロと共に、僕はプレートを腕の中に隠した。
見たくない。
見せたくない。
まるで子供のような我が儘だ。
隠しても無意味だって、頭では分かっているんだ。INTだけが僕の取り柄だから。
でも、わざわざ自分から現実を直視する勇気は、どうやらまだ僕には無いらしい。心は11歳、いや、ちょうど12歳のレベルだということだろうか。
「すまないね。こればっかりは、俺の力だけではどうすることもできんのだ。考えうるあらゆる施術や投薬をした。だが、どれも君のステータスに影響を及ぼすことはできなかった。もし何か変化があるとすれば、この『レベルアップ』の瞬間しかないんだ……だから、確認させてくれないか?今後君が、いや、俺たちがどうするかを決めるためにも」
神原さんの言い分は正しい。全面的に正しい。理解はできるんだ。でも、僕は、見たくない。
「四条くん。四条賢者くん」
「や、やめて!」
賢者。それが僕の名前だ。
誰よりも賢い子に育ってほしいという、親の願いが込められた名前。変な名前だが、理由もなくおかしな名前を付けられるよりはよっぽど良い。と、6歳の誕生日を迎えるまでは思っていた。
「名前、名前で呼ばないで。お願いだから!」
「ああ、悪い、気づかなかった。四条くん。頼む。ずっと隠し続けるなんて不可能だろう。今だってそうだ。やろうと思えば、それを君から無理やり奪い取ることもできる。でも、それじゃ意味がないんだ。君自身の意思で、それを見るから意味があるんだよ」
「…………」
神原さんは悲しそうな目をしている。
思えば、神原さんのさっきまでの会話は全部、僕の緊張をほぐすためのものだったのかもしれない。忘れ物ですか、なんて、馬鹿なことを聞いた。また一つ歳を取り、レベルアップするという現実から、一瞬でも目を逸らそうとした。たぶん、神原さんは僕の気持ちが分かってたんだ。ずっと別の話をしたり、いつも以上にふざけた会話をしてたのは、このためだったんだ。
恐怖より、神原さんに迷惑をかけたくないという気持ちが勝った。
僕は恐る恐る、腕をどかし、プレートを見た。
STR 70 (+0)
DEX 95 (+0)
VIT 30 (+0)
INT 1005 (+100)
僕の想像通りの、最悪の結果がそこに記されていた。
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