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 間もなくして評議会を終えると、タルヴォは誰よりも早く席を立って家を出ていった。リンとジンは物言いたげながらもその後を追い、残ったモウラはセラトラの隣に座ったままでいるタイを見下ろしている。


「一緒に帰らないのかい? タルヴォは勘当なんて言ったけど、あの人にそんな度胸ありゃしないさ。どうするんだい?」

「今日は頼まれたって帰らないよ」


 タイは言いながらふいと視線を逸らしたが、タルヴォが自分に抱いていた感情を吐露したことに対しての照れもあるのだろう。その様子を眺めていたクロエは、まだ少し痛む肩を庇いながら立ち上がった。


「今日は家に泊めて、明日には帰すから」

「そうかい? まあ、お互いに頭を冷やす必要はあるのかもしれないが」


 モウラはそう言うと申し訳なさそうに眉尻を下げるが、無言のまま立ち上がったセラトラが自分の部屋に去っていく姿を見ると、その目の奥に言い知れぬ怒りの炎を宿した。そしてその姿がすっかり戸の向こう側に消えてしまうと、憤懣やる方ないという態度を隠そうともせずに大きく鼻で息を吐いた。


「まったく、あれはとんだ腑抜けだよ! タルヴォよりはいくらかましだと思ってたが、目くそ鼻くそじゃないか」

「モウラ、そんな大声で言ったらセラトラに聞こえちゃうから」

「聞こえるように言ってやってるんだ」


 音もなく閉ざされた背後の戸を気にしているタイのことなど何処吹く風だ。むしろ、モウラはセラトラを庇い立てするタイを非難するような目で見た。


「あんたもセラトラの尻ばかり追っかけてないで、惚れた女のひとりやふたり守れるような男気を身につけてほしいものだね!」


 モウラはそれを捨て台詞とするとその場で踵を返し、肩を怒らせながらタルヴォたちに続いてこの家を出て行ってしまった。


「わけが分からないよ、モウラ……」


 タイは後ろ頭を掻きながらそう漏らし、再びセラトラが入っていった部屋の戸を振り返った。


「僕が話を聞いていた限りでは、セラトラにはひとつも悪いところなんてなかったと思うんだけど」

「私もそう思うよ」


 苦笑混じりにクロエがそう応じると、タイは今度同意を求めるようにロランを見やった。


「君もそう思うでしょ?」


 しかし、たった今まで蚊帳の外だったロランは突然話を振られたことで面食らったのか、すぐには返答することができないようだった。


「あの、僕には何とも……」

「あ、王子様を相手に君なんて言っちゃ駄目だったかな」

「構いません、何と呼んでくださっても」

「ええと、ロラン殿下っていったっけ。今はいくつなの? 僕とあまり変わらないみたいだけど」

「僕は今年で十八です」

「――へっ?」


 タイが思わずすっとんきょうな声をあげた。


「僕より三つも上なの? だったらクロエとの方が近いよね?」

「……クロエさんはおいくつなのですか?」

「私か?」


 向かい合うようにして座っているふたりの傍に腰を下ろし、クロエは天井の梁を見上げて少しだけ考える素振りを見せた。


「二十三くらいかな」

「何言ってるの、この冬で二十一になるんだよ」


 何を適当なことを言っているのだと、タイは馬鹿にしたような目でクロエを見た。


「この通り、クロエは自分の年もまともに数えられないお馬鹿さんなんだ。前に聞いたときなんて二十六だって言ったんだよ。絶対におかしいと思ってセラトラに確認したから、今は二十歳で間違いないよ」

「年齢なんてそんなに重要なことか? ただの数字だろう?」

「少なくともクロエ以外の人たちにとっては重要なことなの」


 ほとほと呆れると言いたげに肩を竦めたタイは、その表情を改めると再びロランに向き直った。


「僕はタイ。この冬で十五になって、成人するんだ」

「十五……」


 それを聞いて一瞬焦るような表情を浮かべたものの、ロランはすぐさま背筋を正してその場に座り直した。居心地が悪そうに尻をもぞもぞと動かしながらも、何とか威厳を保とうとしている様子が窺えた。


「サルジ族には童顔が多いって聞くけど、そうなの?」

「僕は特に感じませんが、あなた方の民族に比べるとそうなのかもしれません。タイくんはとても大人びていますね」

「そ、そうかな」


 普段言われ慣れない言葉で誉められ、タイはへらへらと照れ笑いを浮かべて嬉しそうだ。そういうところがまだ子どもなのだと思いはするものの、クロエは何も言わずにロランに目を向けた。


「評議会では勝手なことを言ってすまなかった」

「いいえ。あなたが言ってくださらなければ、僕が提案していただけのことです。むしろ、あなたの口から言って頂けて良かったと思っています」


 私は行くと宣言したクロエに、どこへだ、と分かりきったことを尋ねたのはタルヴォだった。



×××   ×××



「まだ肩の怪我も完治してねぇ状態で何処へ行こうってんだよ」

「この王子と一緒にサルザ王国に行ってくる。それで確かめてくれば良い。父の生死も、そのイトゥカという人のことも」

「だけど、あの国は今王位争いで酷い内紛だって――」

「戦争なんてこれまでの旅で何度も経験してる。問題はないよ」


 僅かに心配そうな表情を見せているタイに、クロエはなんでもないことのように戦争を語った。もちろん、何度経験したところで問題がないなどということはあり得ない。常に死と隣り合わせであることを感じる。

 あれは命を故意に刈り取る場所だ。戦争を楽しんでいるきらいのある者も存在する。他者の命を奪うことに何の罪悪感もなく、快感を抱く者さえいた。


「僕では無理でも、叔父ならば間違いなく力になってくれるはずです。ルウ殿の行方も、叔母の事情もはっきりするでしょう」


 ますます魅力的なその申し出に、クロエは内心でとても満足していた。しかし、他の者たちは揃って渋い顔をしている。


「クロエ、本気なのかい?」


 多少の苛立ちを引きずりながらも、冷静さ取り戻しつつあるモウラが言った。気を静めようとしているのか、細く長い息を吐き出している。


「あたしはね、あんたが今度旅から戻ったら、そろそろ放浪することは止めて誰かいい人と一緒になりなって薦めるつもりでいたんだよ。幸いというか、生憎というか、この里にも溢れている男はそれなりにいるからね」


 まさかモウラにそのようなことを言われるとは思わず、クロエは目を丸くしてしまった。

 何の冗談だと考えながら苦笑を漏らすと、モウラは至って真面目な顔をして続けた。


「セラトラは体を病んでいるし、考えたくはないだろうけど、もしもっていうことはいつでも起こり得るんだ。今はまだ普通の生活をしているが、それもいつまで続けられるか分からないんだよ」

「やめてくれないか、モウラ」


 ひくり、とセラトラの眉がひきつるように動いた。


「私はクロエに面倒をかけて生きていくつもりはない。自分の面倒くらい自分で見られる」


 妙なことを言い出すなと言いたげに、セラトラは不快そうな声を出した。


「そう言っていられるうちは良いさ。でもね、あんたの心臓が最期の悲鳴をあげてからでは、もう何もかもが遅いんだよ」

「君たちが心配する必要は一切ない。そのときは誰にも迷惑をかけないで済むようぽっくりと死ぬよ。苦しむのはごめんだからね」


 セラトラは煩わしそうにそう吐き捨て、次いでクロエを見た。


「私としては君の考えには何の異論もない。が、代表としてはより詳しい話を聞く必要はあるだろうと理解している。他の皆もそうだろう」


 そうして話を先に進めようとするものの、モウラがそれを許そうとしない。


「あんたはクロエの養い親だろう? クロエがもし旅先でのたれ死んだって何の知らせもないんだよ。生きてるか死んでるかも分からないまま、あんたはその一生を終えても良いっていうのかい?」

「君もしつこいな。私はクロエのやりたいようにやらせてやると昔から決めている。もし旅先で命を落とすようなことがあったとしても、それはクロエ自身の問題だ。この世界の何処にいようと、人はいずれ死ぬ。目の前にいない者の生死など私たちには分かるはずがない。当人の考え方次第なんだ」

「死んだ人間を生きていると思い込むことが当人の自由なんて、あたしはとてもではないが健全だとは思えないね」


 その言葉がモウラの口から紡がれたとき、クロエの心臓がどくんと大きく震えた。頭から冷や水を浴びせかけられたような心地がし、これまでの人生を否定されたような気がしてしまう。

 反論しようと一度は口を開きかけるものの、クロエはその気をなくして俯いた。この感情を健全、不健全で語られることが嫌だった。

 これまで、クロエが旅をする本当の理由を知っていたのはセラトラだけだった。まさか、死んだとされている父親を探して世界を旅していたとは、誰も思っていなかったに違いない。


「では、私もクロエも健全からはほど遠い存在なのだろう」


 吐息のような失笑を漏らしながら、セラトラは少しおかしそうに言った。

 クロエ以外の者たちはわけが分からずに顔を見合わせ、一様に困惑しているのが見て取れる。


「私たちは、ルウが生きているという大前提の元で今日まで生きてきた。最初はクロエの一言だったよ、彼女が父さまは死んでなんかいないと言ったんだ。何の迷いもない目でね、信じてやまないという顔をしていた。だから私も信じることにしたんだ。ルウは今もまだ、どこかで生きているのだと」

「まさか、そんなことを本気で?」


 リンが嘲笑するように言った。クロエが思わず睨み付けると、びくりと肩を震わせた。


「だ、だって、あの状況でサルジに連れていかれて、無事でいると思うほうがどうかしてるだろ」

「まあ、そうなのだろうね」


 セラトラは肯定するものの、そうすることに意味を見出だしてはいないようだった。


「そう否定されると分かっていたから、私たちは口を閉ざした。父は生きていると信じている子どもに、そんなわけがあるかと残酷な言葉を聞かせたくはなかったからね。それに、彼女の言葉は今になって現実になろうとしている」

「それはそいつが本当のことを言っていればの話だ」

「だからこそ、クロエはそこへ行って確かめてこようと言っている」

「それにさ、この人に嘘を吐く理由なんてないよね?」

「無事に生きて帰りたいがための嘘かもしれないぞ。そいつが言うところによると、都は相当な荒れようらしいからな。命を狙われているのが事実だったとして、クロエが一緒なら万が一にも死ぬ心配をする必要もない」

「あのね」


 はあ、とタイが大人びた様子でため息を吐いて見せる。すると、リンはかちんときた様子で鼻の頭にしわを寄せた。


「そんな風に疑ってばかりじゃ、話が先に進まないよ。それにこの人が嘘を吐いていたところで、僕たちには何の不都合もないじゃないか。これまで通りの生活がこの先もずっと続いていくだけだよ」

「そもそも、その考え方が甘いって言うんだよ。いいか? お前は十五年前の件を何も知らないからそんなことが言えるんだ。こいつが現れたことで、俺らがここに暮らしていることは露見したも同然、ようやく手に入れた人並みの生活でさえ奪われかねないってことなんだぞ」

「だったらどうするの? セラトラが言っていたみたいに、ここでこの人を殺すの? そうすれば何もかもが解決するって、本気でそう思ってる?」

「知ったような口を利くなよ!」

「なんだよ、自分だって当時はまだ子供だったくせに偉そうだな」

「生まれてもいなかったやつがでかい口叩くなって言ってんだ!」

「十五年前のこととなるとみんな冷静じゃいられなくなるんだから、僕みたいなのがいないと話にならないでしょ? ちょっとは頭を冷やしてよね」


 屈強な戦士に怒鳴り付けられたところで動じる素振りも見せず、タイのあしらい方は慣れたものだ。常日頃からタルヴォにああでもない、こうでもないと大声で叫ばれていれば耐性もできるだろう。


「大体ね、みんなは人を信用しようとし過ぎなんだよ」


 やれやれ、と肩を竦めながらタイが続けた。


「裏切られることを前提に考えてるっていうことは、本当のところ心のどこかではその相手に期待して、信じたいと思ってる証拠だよ。でも裏切られたくないから、先に保身のための言い訳がほしいんだ。もし裏切られたときに、ほら見たことかって誰かに責任を押し付けるためのね」

「タイ、それはいくらなんでも口が過ぎるよ」


 ぴしゃりと飛んだモウラの静かな叱咤に、タイは渋々ながら口を結んだ。

 だが、タイの辛辣な指摘に反論できる者もまた、誰もいなかった。静寂の帳が下りて、隣に座る者の息遣いさえ大きく聞こえてくる。


「……誰かに裏切られてぇと思って生きてるやつなんか、いるわけねぇだろ」


 ここまで静まり返っていなければ、聞き逃してしまっていたかもしれない。

 それは、そう思うほど微かな声だった。

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