第10話 それぞれの思い

 外に出ると風が冷たかった。

 その風にのって、時々小さな金色の花が舞う。金木犀の季節が終わった。

 シアンの天球儀の足元にも散って乾いた金の花が降り積もっていた。

 風に花が舞い上がるたびにふわりと上る香りは、淡い乾いたものだ。もう、金色の花の香りは僕のことを捕らえない。

 ピノが、僕を受け入れてくれた。

 シアンを継ぐことに同意した。

 とても嬉しいはずなのに、本当にこれでいいのかという迷いも湧くのは不思議だった。

 ピノはシアンになる。

 シアンの名前と記憶と外見を受け継ぐ。

 シアンの生命が受け継がれる。

 これではまるで僕のためにピノを犠牲にしているみたいじゃないか。

 いや、それを言うなら。

 僕はすでにカエルムを犠牲にしているのだ。

 遠に心を決めて、そうしてピノに申し出たはずだったのに、それでもやっぱり心が揺れる。だからって申し出を引っ込めたりはするはずもない。

 だって、僕は生きたい。

 生命をつなぎたい。

 誰も見たことのないものを見たい。

 それがどんなに後ろめたい、身勝手な望みなのかわかっていても、それでも諦めることは絶対にできない。

 それができるぐらいなら、きっと僕は半世紀もの間、子供で居続けるなんてできなかったはずだ。

 

 俺はシアンになろうと思う。

 もう、シアンにもティユールにもそう申し出た。

 シアンになる。

 シアンを取り込む。

 どっちだろう。

 シアンを手に入れることで、俺は後ろ盾と自由を手に入れる。

 俺を手に入れることで、シアンは望みを叶えるための身体を手に入れる。

 きっと悪くない取引なのだと思う。

 何より、俺はシアンが好きだ。

 シアンだけでなく、シアンを生かそうとするティユールも、シアンを支えるカエルムも。

 シアンはただの個人ではなくて、もうそういう名前の現象なのではないかとさえ思える。

 シアンの

 ティユールの

 カエルムの

 そしておそらくはシアンの両親やそこまで生命を繋いだ沢山の思いの焦点で、シアンという現象が結ばれている。

 俺も、その現象の一部でありたい。

 そう思った。

 あるいはそれは消える虹を留めるような愚かな行いなのかもしれない。

 俺という異物の加わることで、現象は変質するだろう。その変質が致命的なものである可能性もあるだろうと思う。

 何より、

 俺という無生物の「思い」はシアンという現象を結ぶだけの強さを持っていないかもしれない。

 カエルムはすごいな。

 そんな事も思う。

 俺と同じ無生物であるカエルムは、あの美しい現象の欠くべからぬ一要素だ。

 俺は、そうなれるだろうか。

 

 ピノがシアンを受け入れる。

 僕はピノにシアンを受け継ぐ。

 長かったな、と思う。

 そうでもなかったかな、とも思う。

 首にかけた二重螺旋の指輪。

 シアンのお父さんがお母さんに贈った指輪。

 シアンは指輪を「僕のDNA」と呼ぶ。

 僕のDNAはシアンだ。

 僕が受け継いだ生命。

 僕が受け継ぐべき生命。

 途切れさせたくない、先へと届けたい。

 ここで終わりにしたくはない。

 僕はシアンのために作られた。

 シアンは僕を犠牲にしていると思い込んでいるけれど、そんな事はありえない。

 だってシアンがいなければ、僕はなんのためにあるのだろう。

 シアンがいるから、シアンの為に。

 僕は、僕達は人の為にあるのだもの。

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