第8話 忘れられない事実と望み

 夕陽が部屋を仄かに染める。

 もともと赤を基調とした部屋を、それはただ赤いというよりは金色がかった色に染めた。

 窓辺に飾った始祖鳥が、誇らしげに開いた翼に光を受ける。

 翼は見るからに不格好で、不器用そうだ。

 小さすぎて、強張ったような鉤爪までついていて、力強く優雅に羽ばたくなんてことは到底できそうもない。

 まるで俺みたいだと思う。

 精一杯頑張って、不器用で、不格好で。

 人が人であるということの定義は、一体どこに求めればいいのだろう。

 その同じ問いかけの前で、ひたすらに堂々巡りをしている。本当は、そんな問いにはなんの意味もありはしないとわかっているはずなのに。

 今、俺が考えるべきはシアンをどうやって救うかだ。

 シアンをどうやって大人にするか。

 それでも答えを求めようのない問いを手放すことができないのが、もしかしたら本当の俺の不器用さなのかもしれない。

 その問いは常に俺の片隅で存在を主張する。

 翼に残る鉤爪のように。


 金木犀が散り始めている。

 散った花は生け垣迷路の足元を金色に染める。金木犀が散り始めると湖から冷たい風が吹き込む。

 風は散った花を巻き込んで、生け垣迷路の中で金色の渦を巻く。

 ぼんやりと窓から湖を眺めていて、ふと違和感を感じた。

 違和感の源を探して目をこらす。

 いた。

 水面に広がる黒いふわふわしたもの。あれは多分、髪。

 とっさにピノを思った。

 ピノも湖から現れた。

 僕はそれを見なかったけれど、浅瀬を歩いて来るときはきっとあんなふうに見えたのじゃないかと思う。

 「ピノっっ!」

 僕は部屋を飛び出してピノを呼んだ。


 「どうした。」

 シアンの呼ぶ声に返事を返してシアンの部屋に向かう。

 シアンの部屋はいつも海を連想させられる。それも明るい波打ち際ではなくて、ぼんやりと揺れる水面を、遠く見上げる深海のようだ。

 シアンお気に入りのシーラカンスのオブジェが、そこに太古の気配を漂わせている。

 「ピノっ、早く!」

 シアンは外を見ていた。

 「あれ。」

 何かを指さしている。

 水面にゆらりと広がる黒。俺たち兄弟の髪の色。

 その色はしばらくそこで揺れて、やがて消えた。おそらくは水中に潜ったのだろう。

 あれは、俺が歩いてきた道筋をたどってきたのだと思う。十七なら、俺の痕跡を追うことが出来る。

 でも、なぜ?

 十七は俺を追って来た。

 それは不思議でもなんでもない。

 ただ、その理由が知りたい。

 十七も逃亡中で、あるいはある程度逃げ切って、俺の痕跡にたどり着いたのか。

 それとも、すでに追跡者に捕まって、十七が俺に対する追跡者として、放たれたということなのか。

 そしてそのどちらであれ、これはティユールに知らせないわけにはいかない話だった。

 「これが君の姉妹かな。」

 知らせを受けたティユールはたちまちに何枚かの画像を引き出し、そこから湖にいた人物の三次元モンタージュを作り上げた。

 ふわりとした黒髪、暗い色の目。全体にくすんだ印象なのは、水中で撮られた映像をもとにしているからだ。

 「君を参考に色補正をかけると、こんな感じか。」

 肩にかかる黒髪、紫の瞳。

 それは俺のよく知る十七の姿だった。

 やっぱり十七だったのだ。

 「カメラを増やしておいて正解だったな。」

 ティユールは炉辺荘のセキュリティを上げていたらしい。それは考えるまでもなく、俺が加わったせいなのに違いなかった。

 「君の姉君は君を心配して探しているのかもしれない。でも、可能性が高いのはそうではない方だと思う。」

 言われるまでもなく、十七が独自に俺を探しているよりは捕まった結果、追跡者として現れた可能性が高いのはわかっていた。もしも追跡者でないのなら、黙って引き返す理由がない。単に俺と合流したいなら素直にそうすればいいのだから。

 「この炉辺荘にいる限り、何者にも手は出させない。君は私の研究の大事な協力者でシアンの友人だからね。」

 その言葉に嘘はないのだと思う。

 しかしいつまでも、ここに居続けることだってできないだろう。もし居続けられるのだとしても、いつかは十七に向かい合うときが来るはずだ。

 それに「見つかってしまった」のだとしたら、十七だけにまかせるはずもない。何らかの形で背後の連中が動き出す事になるだろう。

 ガリマールが無力だとは思わない。

 それでも圧力はかかってくるはずで、背後の連中がなんであるかはっきりわかっていない以上、用心は必要なはずだ。


 僕の心に望みが生まれた。

 大きくなりたいという望み。

 誰も見た事がないものを見たいという望み。

 そして、ピノがいなくなるのは嫌だという望み。

 ピノは追われている。

 ピノは多分見つかってしまった。

 叔父さんは平気なようにいっているけど、ガリマールの力だって無限じゃない。

 だから

 望みを抱いてしまった。

 シアンがカエルムであるように、ピノが僕であってはいけないだろうか。

 ピノがシアンになってしまえば、ガリマールの一族だ。本当に誰にも手を出すことは出来ない。

 もしかしたらこんな望みは間違っているのかもしれない。

 でも、僕の心に生まれた望みは消えようとはしなかった。

 

 

 

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