第3話 邂逅

 雨はまる二日降り続いて、三日目の午後にやんだ。雨上がりの夕焼けはすごいような赤色で、灰色がかった雲が切れた向こうから見えるのが、火山の溶岩を連想させた。

 翌朝、朝食を食べてから、僕は庭の探検に出た。強すぎる雨に晒されて、咲きかけていた生け垣迷路の金木犀が、パラパラと散っている。甘い香りはそれでも微かに漂っていて、まるで金木犀の幽霊みたいだ。

 花の季節の生け垣迷路はちょっと怖い。

 甘い香りがまとわりついて、絡め取られてしまいそうに思えるから。樹液に囚われた昆虫のように、囚われてしまえば琥珀になって掘り出されるまで、目覚められないような気がする。

 生け垣迷路のそばの天球儀は、強化ガラスの表面が雨に洗われて透き通って見えた。僕はその一抱えもある覆いに張り付いて、中をのぞく。

 強化ガラスに金や金のビーズの星々を散りばめた覆いの中央には、金の透かし細工の太陽。その太陽を取り巻くのは石で作った惑星たちだ。

 アクアマリンの水星。

 トパーズの金星。

 柘榴石の火星。

 虎目石の木製。

 孔雀石の土星。

 なぜか、地球は琥珀でできている。

 金星のトパーズよりもずっと濃い色の、とろりとした蜜を思わせる琥珀。 

 かさり、と音がした。

 あまり軽くはない感じの、かさり。

 顔を上げると、紫の瞳と視線があった。




 湖底から這い上がった岸辺にはよく手入れされた庭園があった。ボタボタ落ちる水滴が鬱陶しくて髪をかきあげてみたが、もちろんなんの意味もなかった。

 さて、どうするかな。

 ここはどう見ても私有地だから彼らも簡単には追って来られまい。かなり広いようだし潜伏して、本格的な逃亡に備えたいところだが、とりあえずこの濡れネズミな状況をなんとかしないとどうにもならない。

 服を脱いで乾かすとして、今は真夏ではないから、実質一日かかるだろう。その間、俺本体はどうしたものか。ずぶ濡れの不法侵入者なら迷子でごまかせるかもしれないが、裸の不法侵入者はどう考えても変質者だ。

 考えながらとりあえず岸にはいあがる。立木の細かな葉をいっぱいにつけた枝がズボンに擦れて音を立てた。

ふと、青い瞳と目があう。

 「だれ?」

 丸いガラスのドームに貼り付いているものは小さな少年の姿をしていた。淡い色の髪と鮮やかに深い青の瞳。どこかピスクドールめいた印象の、アンドロイド。

 「俺は…」

 なんと答えたものだろう。研究所では十八と呼ばれていた。個体を特定するための記号という意味では、それが俺の名前だと思う。

 「俺は十八ディチョット。ピノ-ディチョット·コッローディー。君は?」

 尋ね返すと「少年」は笑った。

 「僕はシアン。シアン·ガリマールだよ。ねえ、ディチョットよりピノの方が呼びやすいな。ピノって呼んでいい?」

 笑うと硬い人形じみた印象が薄れる。

 「ピノ、びしょびしょだね。おいでよ。服を乾かさないと風邪ひくよ。」

 俺はアンドロイドだから、風邪はひかない。同じアンドロイドのシアンにはわかっているはずなのに、シアンは俺の手を引っ張った。引かれるままに庭に踏み込み、歩き出す。

 ほのかな甘酸っぱい香りがする。

 この香りなら知っている。金木犀だ。見ると小さな花が散って、吹き溜まりにオレンジの渦を描いていた。

 面白い庭だった。

 俺が湖から上がったそばに広がっていたのは、金木犀の生け垣迷路だったらしい。そこから離れるとバラを植えた一角があって、にんにくだのタイムだのがゴタゴタ植えられた花壇もある。野いちごやミントは花壇から逃げ出して、カモミールの下生えの隅を乗っ取って、コロニーを作っていた。

 決して荒廃しているわけではなく、手入れはよく行き届いているのだが、生き生きとするあまりの逸脱や無秩序とでも呼びたいものがあちこちにあって、それが微笑ましいような雰囲気を庭に与えている。

 「あそこが僕の家だよ。」

 しばらく歩いたところでシアンが指差した煉瓦造りの屋敷は、そんな庭と相まってどこお伽噺めいて見えた。

 どっしりとした四角い建物の、俺が見ているのは裏側のようだった。湖のあるのと反対側の北に向かって建てられている建物の、こちら側にはよく育った蔦が絡んでいる。その緑の葉の重なりを破るように、黒い鉄骨も瀟洒な温室が、湖側におおきく突き出していた。

 「あ、おじさんだ。おじさあん。」

 温室の傍らで何か作業をしていた男が、シアンの声に顔を上げ、訝しそうに俺を見る。それはとても訝しいだろう。いきなり自邸に入り込んでいて、しかもずぶ濡れの男は。

 「シアン、どなただい。」

 その訝しさから考えるとちょっと考えられないぐらい、男は穏やかに尋ねた。

 「ピノ。ピノ…なんだっけ。」

 「ピノ−ディチョット·コッローディーです。あの、はじめまして。」

 何を言えばいいのかさっぱりわからない。

 「コッローディーか。なるほど。ジェベットのところの子だね。」

 ジェベット·コッローディーは父の名だ。

 「父をご存知ですか。」

 少し、警戒しながら尋ねた。

 兄姉達を捕えていた連中も父のことを知っていたには違いなかった。

 「昔ね。同じ研究室の同期だったんだ。入りなさい、着替えを貸すよ。いつまでもその格好ではいられないだろう。」

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る