崖の攻防戦前夜

崖の傍で野営の準備をリリスはしていた。


「ジークフリート様が言っておられた崖とはここの事ですか。けれど一体何があると言うのでしょうか」


こちらの地理に疎いリリスは一人呟いていた。


───と、そこに魔族の兵士達が話しかけてくる。


「リリスちゃん、元気がないねどうしたんだい」


「そうだよ、俺達が話を聞くよん」


そう言われ、素直に聞いてみることにした。


「この崖がとても危険らしいのです。ジークフリート様が入るな、と。入ることになっても遅れて入れ、と。最悪の場合兵を纏めて欲しいとまで言われました」


すると兵士の一人がふむ、と言い、


「まあ、見え見えの伏兵だからな。崖の上にあからさまに怪しい岩があるだろう。あれがおそらく通過後落下してくるんじゃないかな」


「ではそれを報告して撤兵を」


リリスがそう言おうとしたが、兵士は首を振り、


「輸送隊のしかも一兵士の言葉なんて通らないよ。魔術師部隊が勝手に決めるだろうさ。それにもう一つ、あいつらには進まないといけない理由がある」


「理由?」


リリスは首を傾げた。理由なんてあるのだろうか。


「まあ、座りなよ。土で汚れるかもしれないがさ。長くなるから話」


兵士達とこれからについて話し合うため皆でその場に座った。


「隊長殿が言ってるのは崖を封鎖された場合の事を言ってるんだろ?で、あいつらは撤退出来ないし、こちらもそこまで義理立てすることもない、と」


「そう、ですね」


「で、今持ってきている食料はきっちり往復分だ。余分はない。これが進まなければならない理由。小さな反乱だと思いこんで最小限の備えでしか来てないのが仇になったなあ」


嬉しそうに兵士は言う。するともうひとりの兵士が、


「リリスちゃん、悪いことは言わないからここで撤退しな。エドワードとそれについてく奴らはほっとけ。あいつらは大戦を経験してないから相手を甘く見ているだけで、用意周到だぞ相手は」


「と、言うと」


「別に相手からすればここで撤兵してくれてもいいんだ。撤兵した、という事実があればいい。反乱が成功した、という事に意味がある」


「難しいですね」


リリスが首を傾げる。一体何が言いたいのだろうか。


「おそらく、相手はこの後交渉の座につく準備があるだろう。降伏してくるに違いない」


「何故、そう言い切れるのですか」


すると兵士は微笑みながらこう続けた。


「いやさ、よく考えてもごらんよ。相手は援軍なんて来ないんだよ。籠城、すなわち引きこもって時間を稼ぐ意味って考えたことがあるかい。あれはあくまで援軍が来るまでの時間稼ぎが基本だ。だが孤立無援の彼らにそんなことをする意味があるのか」


「確かに、意味はありませんね」


「まあ、相手の食料が尽きるまで粘る意味もあるだろうが今回の場合逆効果だろう。流石に200人以上の魔術師相手に籠城はないよ。それだけの人数がいれば一瞬で村は灰と化すだろうしね。食料が尽きれば相手から奪えばいいと魔術師部隊はそれこそ力押しでの攻めを急ぐだろう。それが相手にとっては一番嫌なことなのさ。案外正攻法かもしれんがね」


「あの、名前を聞いてませんでしたが凄いですね」


「ああ、リリスちゃん名前なんて気にしてくれるんだ。嬉しいね。ま、名前なんて気にするない」


「そんなことは」


「悲しい顔をしなさんな。全員と言うわけではないけどきっと輸送隊のほとんどの兵士はリリスちゃんについていくよ。なんせ可愛いからね。しかし戦場でもドレスなんだね」


「あ、はい。これ戦闘用のドレスなんです」


「へえ、そういうのもあるんだねえ。ま、戦場じゃ凄く目立つから旗印には持って来いだ。ああ、そうそう・・・」


「どうかされましたか」


「あーうん。ファフニル様と戦ってた頃の事思い出したんだよね。こういう場合食料寸断されたら終わるじゃない」


「ええ、まあそうですね」


「うん、森の動物達を使って奇襲なんて事もあったんだけど、流石に相手にはいないよねえ。ファフニル様じゃあるまいし」


「えっ・・・、あ、はい。そう、ですね」


どうにも嫌な予感がした。


「ファフニル戦術、なんて皆言ってたもんだけど。まあ、大戦経験してる兵士にしか対応出来ないよあんなの。ってリリスちゃん、顔色が悪いね」


「あ。いや、もし森の動物達が攻めて来るというならわたくしはどうすれば良いのでしょうか」


すると兵士は腕を組み考え、こう答えてきた。


「その時は、食料全部かなぐり捨てて撤退のみに専念するんだ。もう全て切り離す。食料を持って帰ろうなんて考えないことだ。混乱して撤退できず全滅する事になるからね。リリスちゃん、もしかして心当たりでもあるの」


「いえ、けれどひょっとしたらありうる話かも、と思いまして」


ヴェル様、彼もまたファフニル様の息子。同じ戦い方をしてもおかしくはない。


「ひょっとして相手はファフニル様だったりして。案外ありうるから怖い怖い。今の魔王軍は酷いからねえ」


兵士が地面の石を掴み放り投げながらそう言った。


「どういう意味でしょうか」


「ほとんどの村は魔術師部隊の人間による管轄だ。ま、人間を管理するなら人間がいいだろう、という判断からだった。下手に魔族を領主にして反乱を起こされても鎮圧が大変だろう。そういう背景もあって無能に任せた結果が今だ。各地で無茶苦茶に税を搾り取り贅沢の限りを尽くす。しかし背後には魔王軍が控えているから手も出せない村人達。はてさて、怒りの矛先はどこに向ければいいのか」


「それは」


「魔王軍全体の評判はがた落ちだ。それでもここまで持ってきたのは勝利を重ねてきたからでそれ以上でもそれ以下でもない」


兵士が言葉を続ける。リリスは震えていた。


「もし、ここで魔王軍が敗北を喫することがあればどうなるか、容易に想像はつかないか」


「ええ、それはないと思いますけれど」


「けれど・・・?」


「あ、いえ。何でもありません。明日のために今日はもう休みます。皆さん、撤退の準備お願いしますね」


「ああ、うん。それはいいけれど。本当に顔色が悪いよ大丈夫かい?」


兵士にそう言われ立ち止まる。


「さて、分かりませんが嫌な予感しかしません。とにかく明日の移動、わたくしは撤退致しますのでご協力お願いします」


そう言って今度こそリリスは兵士達から去った。


そして考える。


「わたくしは、どうすれば良いのでしょうか」


思わず呟いていた。


───と


「ここに居たのかい」


エドワードだった。向こうから走り寄ってくるなりそう話しかけてきた。


「はい、エドワード様どうかされましたか」


「どうも何もない。撤退の準備をしているそうだね。困るんだよな、勝手なことをされると」


エドワードは怒りを隠さずそう言ってきた。


「ジークフリート様の命令でも、でございますか」


「それでも、だ。今輸送隊を預かってるのは僕なんでね」


「そうですか、ならばここで別れませんか。わたくしは明朝ここから撤退させて頂きます」


「勿論いいとも。ただ、軍規違反で帰ったら厳しい罰を受けてもらうけどいいのかい」


「構いません、撤退が隊長命令である以上撤退しかありえません」


「君も頑固だな。撤退はない。いいね」


「ジークフリート様から貴方は置いてきても良いと言われております。構いませんね」


リリスも意地になっていた。そして思わず口にしてしまった。


「別に、君に守られるほど弱いわけでもないからね。とにかく混乱させるようなことはしないでくれ。僕が進むと言えば進むんだ」


「そこまで仰られるならばお好きに。ただ、わたくしは兵を一人でも多く逃がす事が出来ればそれでいい」


「あくまで負けると言いたいんだね君は。負ける要素がどこにあるんだい、僕にはさっぱりわからないよ。これはただの軍の移動に過ぎない。戦でもなんでもありはしないんだよ」


その言葉にリリスは怒りを覚える。


「そう捉えていらっしゃるならそれで構いません。けれど、あまり相手を甘く見ない方がいいですよ。おそらく痛い目をみます」


「まあいい。明日になれば分かることだ。君も僕も冷静じゃない、とにかく今日は早く休んで明日に備えようじゃないか。それとくれぐれも僕の言うことだけ聞いてればいいこと、忘れないように」


そう言い、エドワードは去っていった。


と、そこに先程の兵士達がこちらに来ていた。


「いや、悪い。盗み聞きするわけじゃなかったんだがね。撤退準備してた所をみられちゃったんで謝りにきたんだが」


「いえ、わたくしこそ勝手なことを言って申し訳ありません」


リリスは頭を下げた。


「いやいや、それでどうするんだい?軍規違反と言われても撤退する気かい」


「わたくしは、あくまで撤退です」


「まあ、俺達は最後尾について様子を伺って逃げるよ。大丈夫、大戦を経験してるから逃げに徹すれば逃げれるさ。リリスちゃんも最後尾についておいで。大丈夫大丈夫、俺達が守るって」


「え、あ、はい・・・」


思わず返事をしていた。


「ま、伊達に年食ってない所見せてやるから任せておきなさい」


兵士が胸を叩きながらそう言ってきた。


「分かりました、わたくしは戦いの経験がありません。ご指導のほどお願い致します」


「ああ、任せておきなって」


今のリリスには兵士達がとても頼もしく見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る