水浴び

リリスに言われるままに水浴び場まで来ていた。


なるほど、確かに誰もいない。


とりあえず中の様子を伺う。


「あ、人間と魔族で別れて入るようになっているようだぞ。へえ、更には男と女で別れるように出来ているようだ」


「あら、そうなのですか」


「そう、らしい」


そうしてしばらくの沈黙。


沈黙を破ったのはリリスであった。


「ばれなければ問題ないのでは」


「いや待て。その発想はおかしい。別れているのだからおそらく意味があるに違いない。知らなかったが、男と女で区別するのだな」


「そう、ですね」


少し小さな声でリリスが答えてきた。


「これは、何故区別しているのだろうか」


「恥ずかしいから、ではないでしょうか」


恥ずかしい、そういうものか。


自分は当たり前に父や母と水浴びを共にしてきていた。森の湖で泳いだり。


それが当たり前だと思っていたが、これはどうしたことか。


「そうですね、愛し合う者同士ではない場合、普通は別れて入るものだと思います。わたくしも父とはいつしか一緒に入っておりませんし」


「え、そうなのか。というか、それを先に言ってくれ」


どうやら世の中の常識らしかった。完全に常識から置いて行かれているのに逆に驚きだ。


「すまない、どうやら非常識なのは自分の方だったらしい。女の裸は見てはいけなかったのだな」


「え、ええ。ヴェル様、お母様とは?」


「いやあ、それがずっと一緒に水浴びしてたんだよなあ。気にしたこともなかった。母さんも気にしてなかったし」


「あ、そうですか」


「ああ・・・」


そうしてしばしの無言。


無言を破ったのはリリスだった。


「では構わずわたくしともご一緒しませんか?」


「いや、けどなあ。こうやって区別してるのだから止めておこう。別々に入ろう。また機会があるさ」


「そう、ですか」


どこか寂しそうにリリスが言うので、何となくこちらも申し訳ない気持ちになってきた。


「そうだ、さっきの森の中に湖もあるかもしれない。そういう時一緒に入ればいいじゃないか」


おそらくあるだろう、と思っていた。あの手付かずの森の奥深くに、おそらく。


「そうですか、分かりました」


そう言って別れて水浴びすることになった。


とりあえず人間側の方に行き、男の方に入る。衣服が置く場所があり、中には小さい滝のようなものが流れている所がいくつかあった。どうやら水を引いているらしかった。


衣服をそそくさと置き、小さい滝の方に行く。


「おお、凄いなこれは。水道技術がここまで発展しているとは。水を引くのも大変だったろうなあ」


思わず一人呟いていた。だが、雨の時などは大変そうだな。水量が増して調整出来ないのではなかろうか。


───と


人の気配がする。とりあえず鍵は持っているから盗まれる心配はないが。


にしても大きな魔力だな、こんな強大な魔力の持ち主はそうはいまい。


そう思っていると、


「失礼いたします」


リリスだった。裸で入ってくる。


「ってなんで入ってくるんだ。別れて入ろうって話だったじゃないか!」


「やはり愛する者同士別れて入るのは。別の殿方に見られるのは嫌ですが、ヴェル様には見てほしかった。どうしても我慢できず」


話し合いの意味はあったのだろうか。


「お体お流ししますね」


そう言って傍に近寄ってくる。完全に無防備である。


強いて言うなら、母より小ぶりな胸であるが形は美しいとじい、っと眺めていると、


「もう、どこをずっと見ているのですか」


恥ずかしがりながら胸を隠されてしまった。


「あ、すまない。美しいと。母より小さいけれど形が美しいし、張りもありそうだった」


素直に感想を述べる。


「何でしたら、触ってみられますか?」


そう言って隠した胸を再びさらけ出すリリス。


「うーん、いやいい。隣の滝が空いてるからそっちで体を流すといい。この水なあ、思ったんだが薬草を浸らせて薬草湯を作った方がいいかもな」


「薬草湯?」


そう言いながら隣にリリスがやってくる。


「西国ではこうした滝ではなく風呂と言って、浸かって体を癒やすらしい。かくいう俺もそっちの方が好きでな。森でよく風呂を作っていたんだよな。水は火の魔術で温める」


「そうなのですか、今度是非とも入りたいと思いますね」


「水だけではどうしても汗の匂いが完全には取れないからな。肌もさらさらになる。美容にもいいぞ、母さんのお墨付きだ」


「それはいいですね」


そう静かに言いながらリリスは体を洗っていく。


自分もそそくさと体を洗い流すと、


「さ、出るか」


「え、もう?わたくしはまだなのですが。髪が長いと。それと背中の羽も洗わないと」


「じゃあ待つとしよう」


リリスが髪を洗い流している所をまじまじと眺めながら待つ。


その仕草一つ一つが美しかった。


「背中の羽、洗ってやろうか」


「え、ちょっと、まっ」


リリスが言い終える前に羽に触ると、きゃん、と可愛い声が聞こえてきた。


「───え?」


「羽は敏感なので出来れば自分で」


「あ、そ、そうか。すまない」


「いえ、またいずれ洗って下さい。今はまだ心の準備が」


「そ、そうか」


「はい」


一瞬リリスの可愛らしい声を聞いて胸が高鳴った気がしたが、気のせいにすることにした。


「けど魔族と人間が別れるのも無理ないな。羽を洗う分だけ時間がかかる。洗い場もひょっとしたら違うかもしれないな。どれちょっと見てくるか」


どうにも向こう側の洗い場が気になった。


だが、


「一人に、しないでください」


リリスがそう言うので仕方なく待つ。ひたすらに待った。


「すいません、おまたせしました」


全てが洗い終わる頃にはだいぶ時間が経っていたように思う。


「いや。しかし、より美しくなったな」


リリスの体から滴り落ちる水を目で追いかけながら見る。


「もう、ヴェル様ったら。そんな、全身見ないで下さい」


「あ、すまない。では上がろう」


そう言って外に出る。


「乾かすにも時間がいりますね」


「いや、それは一瞬だ」


左手に火の魔力を込め、右手に風の魔力を込め魔力を合成する。


生暖かい風が掌の集まってくる。


「どうだ、しばらく当たっていればすぐに乾く」


「温かい、有難うございますヴェル様」


それをゆっくりとリリスの羽の方に近づける。羽が風で靡いている。


「あ、それ気持ちいい」


「そうか、じゃあ羽全体を乾かすように風量を調整」


風をもう少し強くする。より広範囲を乾かせるようにする。


しばらくすると、完全に羽が乾いた。


「よし、体も乾いたし服を着よう」


「はい」


魔術の展開をすぐにやめ、そそくさと服を着るが、リリスのドレスは着込むのに時間がかかるようだった。


しばらく黙って待つ。もう待つのには慣れていた。


「ヴェル様、お時間がかかって申し訳ありません」


「いや、気にしないでいい。気になるとすれば、誰かが来るかどうかだけで。まあ、最悪どうにかするけど」


「と、申しますと」


羽を折り曲げながらドレスを上手に着込んで行くリリス。手早い、と思った。そういえばあの羽根どうなってるんだろう。伸縮自在か?


ばさり、と羽を広げ、髪を上に上げ広げおろした所で、


「すいません、終わりました」


リリスに言われ、


「ああ、では行こうか」


「はい」


そう言って水浴び場から出る。周囲に人の気配もなければ魔力の気配も魔術の気配もなかった。


二人無言で寮に向かい、自分の部屋に向かう。


そして扉を開け部屋に二人して入る。


───あれ?


「では、おやすみなさいませヴェル様。・・・いかがされました?」


首を傾げながらリリスが尋ねてくる。


何かおかしいな?


扉を締め、鍵を締め、


「あれ、これって俺の部屋・・・」


「ですからお気になさらずベッドもご自由にお使い下さい」


「あ、うん。そうだな、じゃあおやすみ」


横に空いている場所にベッドの中に入り、


「いや、そうじゃなくて。自分の部屋で寝るんじゃないのか!」


と、言った所でリリスはもう寝息を立てて寝ていた。


「───え、もう寝たのか」


きっと疲れていたに違いない。起こすのも悪いか。


そう思い、横になるのであった。


しばらく横になっているが、どうにも寝づらい。


静かにそっと起き上がって机の方に向かう。


そして窓の方をふと見ると、外に一人の女性がいた。


夜目が効くから姿もはっきりと見える。見たこともないような物を腰にぶら下げ、やたら薄着で出歩いている。長い黒髪が靡いている。


───異国の人間か。


「こんな時間に、森の方にか」


───と


その人間の足が止まり、こちらをはっきりと見上げて来ていた。


紅い目と目が合ってしまう。心臓がどきりとする。


そう、まるで心臓そのものを掴まれた感覚。


これは殺気か!


「しまった」


気配を殺し下がる。そしてもう一度外を見ると、今度は誰もいなくなっていた。


「───気のせい、か?」


一人呟く。


しかし全身から汗が噴き出ている事が、先程の殺気が嘘でないことを物語っていた。









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