氷の魔術 基礎編

次の日。父が帰宅してきていた。


朝食を終え、訓練室に向かっている最中、父は珍しく深い溜め息をつきながらこんなことを漏らしていた。


「今度の反乱は、大きな物らしい。人間たちの反乱は留まる所を知らぬな」


「そうなのですか?」


思わず尋ねていると、


「あ、いや。なんでもない。それで今日は氷の魔術だったな。風の魔術はどうだった?」


「風の世界を教わりました」


それがよっぽど嬉しかったのか、父は笑いながら、そうか、と答えるのであった。


そうして対峙し、構える。


「氷の世界は、全ての動きを止める事。活動停止の世界だ。風が高速で動く世界ならば氷は鈍足の世界。真逆の世界に、さて耐えられるかな?」


そう言うなり、父は周囲に氷の針のようなものを三つ展開する。


「これはつらら、と呼ばれるものだ。これをお前に向けて飛ばす。これを魔術耐性で防ぎきって見せろ、まずはそこからだ。氷の世界に関しては少し触れているから想像は出来ような」


「はい、おそらくは」


「では、いくぞ」


そう言うなり、父は掌をこちらに向けてきた。


それと同時。つららがこちらに高速で飛んできた。


氷の魔力を展開し、魔術耐性をとる。


───が


上手くいかず、頬をかすめてしまった。


「やはり、か」


父がぽつりと呟く。


「何故」


何故出来なかったのか、と言おうとしたら、


「火の魔術は容易く出来た所を見ると、おそらく氷の魔術は苦戦するのだろうな、とは思っていた。想像するより氷の魔術は難易度が高い。なんせ真逆の世界だからな。火は生命活動の動く世界、かたや氷は生命活動停止の世界。世界が完全に違うんだ。まずはこの世界から理解せねばなあ」


母も言っていた、魔術の世界とは何なのだろうか。


「人間が魔術に詠唱が必要なのは、要は魔術世界をこの現実世界に展開する想像の事を言う。想像したものを具現化する必要があるのだ。そして基本的に火と氷は逆の世界。想像するのが難しいのだ。そうだな、まずは展開したつららを触って確かめる所から試してみるか」


そういって父は再びつららを展開する。そして地面にこつん、と落とすとこちらに来い、と呼ばれた。


言われるまま移動し、促されるままつららを触る。


───冷たい。


こんなにも冷たいものだったか。想像するのは確かに難しかった。


「書物にも冷たい物質とは書いてあっただろうが、ここまでとは思うまい。火はまだいい、いくらでも高温を想像すればいいのだから。魔力に比例して巨大な魔術が展開出来る。だが、氷はそうはいかない。氷は相手が生命活動停止するほどの低温を想像しなければならない。このつららが全部溶けた頃、もう一度訓練を開始する。それまでつららから手を離さぬようにな」


言われるままつららを握りしめる。あまりの冷たさに手が痛くなる。思わず手を離したくなるが、掌が焼けただれているのか掌から剥がれない。


あまりの激痛に我慢しながらも触るが、よく考えればこれは魔力で出来た氷だ。氷の魔術耐性を身につければ痛くなることもないはずだ、ということを思いつき掌に氷の魔力を込める。


そうすることでなんとか掌がつららから剥がれた。それと同時に、つららが溶ける。


「うむ、ようやく溶けたか。氷の魔術耐性はより低温を想像した物が勝る。常に低い温度を想像するのだ。冷静に判断する必要がある。熱くなるな」


「わかりました」


そう言って再び対峙する。


父が再びつららを展開し、こちらに飛ばしてくる。


大体の温度は把握している、氷の魔力を力に込め魔術耐性を目の前に張るとつららが音もなく消えた。


「ふむ、ではこれはどうかな」


そう言って再びつららを展開する。そしてこちらに飛ばしてくる。


それを構えて魔術耐性を張ろうとした瞬間足に違和感を感じる。


「う、うわ・・・」


足が突然凍結しだした。それと同時につららが飛んでくる。慌てて防御の耐性を取り、寸でのところで魔術耐性を張る。つららは消えるが、足元の氷はびくともしない。


「まだだ、もっと魔術耐性を上げろ!」


「は、はい!」


言われる間にも氷はどんどん上まで上がってくる。気づけば全身が氷漬けになって、氷の世界に閉じ込められた。息も出来なければ、身動きも出来ない。


───これが氷の世界。生命活動停止の世界。


「うっ・・・・」


意識が遠のいていく。このままでは死んでしまう、そう思い全ての魔力を一気に全身に込め弾いた。


ぱりん、と大きな音を立てて氷がわれ、氷の中から飛び出ることに成功した。


ぜいぜい、と息が上がる。


───一歩間違えば死んでいた。


氷の魔術は、確かに火の魔術とは違う。


いわば静かな世界。音もなく死が這い寄る世界であった。


「どうやら体感出来たようだな。母さんから少し話を聞いたが、こんな小細工もみたそうだな」


そう言うなり、掌を父がこちらに向けてくる。


と、同時。


強い風を感じたと思った瞬間、冷たい風がこちらを貫いてくる。全身がずたずたに引き裂かれる。


思わず膝をつく。何が起きたのか、と思っていると、


「風と氷の魔術の応用、だったな。まあ、俺は風の魔術が少し苦手だからこんなものだが。逆に氷の魔術は得意中の得意とする所。お前は運がいいぞ、対極する魔術を味わえることはほぼないと言っていい。何故なら体感する前にその生は終わっているからだ」


そう言うなり、父は掌をこちらに出すなりぐっと握りしめてきた。


なんだかまずい。嫌な予感がする。


そう思い、とっさに風の魔術を足に展開し後ろに飛び下がった。


───と


先程立っていた場所に氷の壁が展開し、ごんと挟む音がした。


「ほう、避けたか。だが、言わなかったか。全て受けきれ、と」


冗談じゃない、そう思うしかなかった。


こんなもの受けていたら即死だ。


ごくりと息を飲んでいた。


どうする、こんなもの攻略出来るのか?


「攻略は、不可能だ。氷の世界に於いて全ての行動は意味を為さぬ。ほれ、もう動けまい」


気づけば身動きが取れずにいた。そうして全身が凍結する。


「く、またか!」


思わず声を出していた。全身に氷の魔力を込め魔術耐性を展開する。ぱりんと音を立て氷が割れる。


「どうした、防御一辺倒では勝てんぞ。氷の魔術師と戦うにはそれ相応の覚悟が必要となる。相手を上回る想像力、それと同時に展開するだけの魔力を必要とするのだから。風の魔術も莫大な魔力を必要とするが、氷の魔術もまた持久戦になれば莫大な魔力を必要とする。が、こちらはちょっと違う利点がある」


「利点・・・?」


息を荒げながらも尋ねる。


「そうだ、攻撃側に回れば圧倒的優位に立てる。全てを操れるのだから。相手を常に防御一辺倒にすることも痛ぶることも可能だ」


「まさに、今の状況というわけですか」


「そういうことになるな。さて、どうする?」


そうだ、回避も出来ない。かといって気を緩めれば即凍結するこの世界。


───攻撃か?


思い切って攻撃に踏み切って見ることにした。


左手に魔力を込め、火の玉を形成し、右手に風の魔力を込め火の玉を切り裂くように飛ばす。火の玉は火の波となり、相手に襲いかかる。


隙をついて、ここから加速して攻撃してやる。そう思い、足に風の魔力を込めるが、


「甘いな」


火の波がいきなり氷漬けになる。あまりの展開に頭の理解が追いつかない。


「何もかもが凍結する世界、と言ったはずだ。火もまた例外ではない。まして魔力で作り上げたものであれば尚更だ。魔力の運動そのものを凍結させるのだから」


微動だにせず淡々と言う父。これが魔術師、氷の世界の本質・・・!


強い、強すぎる。


あまりの力量の差に流石に心が折れる。膝を屈して


「参りました」


あまりの惨めさに悔し涙が出てきていた。


「いや、お前はよくやっている。この世界の中、喋れるのだから。まだ思考出来るのだからな。二度も破られるとは正直思わなかった」


そう言うなり訓練所の温度が普通に戻る。


一気に肩の力が抜け、膝の力が抜けがくんと地面に跪いた。


あまりに自分は惨めすぎた。


「そう悲観することもあるまい。一度体験すれば二度目は少しは上手くいくかもしれぬ。それに今は俺の魔力が上回っているだけだから一方的になっているが、拮抗すればまた違った結果となるだろう。頑張れ」


珍しく、父が「頑張れ」という単語を口にした。


研鑽が必要なのだと痛感させられた。


「はい、いずれ必ず乗り越えてみせます」


「それでこそ、だ。氷の魔術は一度終える。雷は、すまない。実は教えられるほどの魔術を持っていないのだ。耐性はあるんだがなあ、形成となると。これは特別講師が必要となりそうだが、さてどうしたものか。母さんに相談してみるか。しばらく自己鍛錬していろ。魔術耐性はしっかり張っておくように」


そう言うなり、訓練所から静かに出ていく父。


なんだか歯切れが悪かったが、どうしたのだろうか。


しばらくすると父が戻ってきた。


「やはり駄目だったか。雷はお前、書物で読んで独学でなんとかしなさい。正直あの魔術は出来ることが多すぎる。が、当然ながら同じだけの危険もな。扱いには注意すること、いいな」


「分かりました」


その日の訓練は、それからしばらく一方的に氷の世界を堪能し終えた。


正直、氷の世界はもう堪能したくはないと思うのであった。

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