第12話
ぼくは少しくたびれていた。今日の相手はおじさんが一人だけだったけど、前と後ろを一回ずつ使われ、特に後ろは仕方が乱暴だったうえなかなか終わらず、やっと出したと思ったらすぐに舌と唇で長い間後始末をさせられた。深く根元まで咥えると、ゆうべの頬の傷跡が引き攣れてちょっと痛かった。だけどもちろんそんなことぐらいでやめるわけにはいかない。もういいと言ってもらえるまで、頑張って奉仕を続けた。
「──何だお前、まだいたのか」
バスルームから出て来たおじさんは、ぼくを見て嫌そうな顔をした。どうせ石鹸で洗うんならぼくが舐め取る必要なんかない。そう思ったけど、ぼくは「ごめんなさい」と謝って、怠い体を引きずるようにしてベッドを下りた。
鞄から替えの下着を出してはき、床に脱ぎ散らかされていたひらひらの服を着る。その間ずっとおじさんは粘り付くような視線を向けていた。ぼくは別に気にしなかった。もっとしたいならすればいい。逆らったりなんてしないから。
だけどおじさんは自分も服を着始めた。大人には大人の決まりがあるらしくて、予定を超えて作業させられることは多くない。
「今日はどうもありがとうございました。わたしはこれで失礼します。もしよかったらまた次もご指導よろしくお願いします」
ぼくは作法通りに頭を下げた。この人にまた奉仕する機会があるかなんて分らないし、したいとも思わないけど、大人には礼儀正しく振る舞わないといけない。緩衝域の子達、特に奉仕部に所属していればみんな身に刷り込まれていることだ。
だから意味のないただの挨拶だったのに、おじさんは自分に話し掛けられたって勘違いしたみたいだった。
「まあ次もお前でもいいんだが……何ヶ月かに一回の貴重な機会だからな、どうせなら郷守の娘に相手をさせたいもんだ。噂を聞いた時はまさかと思ったが、本当にこっちに落とされていたとはな。見掛けた時は驚いたぞ」
「ごうしゅの娘、ですか?」
「
ぼくは少し考えてから、
「しかし一覧には載ってなかったんだよな。どうやったら注文できるんだ。お前何か知らないか」
「知りません」
ぼくはすぐに答えた。嘘じゃない。姫花の事情なんてぼくは知らないし、知りたくもない。
おじさんは嫌な目付をした。ぼくのことを生意気だって思ったみたいだった。殴られるかもしれない。口の中を切らないように、ぼくは歯を噛み締める。
緩い旋律が奉仕室に流れ出した。大人用扉の脇のランプが赤く光っていた。終わりの時間だ。おじさんは舌打ちをして、ぼくから顔を背けると残りの服を手に取った。
「失礼します」
ぼくはぺこりと頭を下げ、子供用扉から外に出た。
家に帰ると、なんだかひっそりとしていた。別に普段からすごく賑やかってわけじゃない。
それでもこの場所はいつも心地良かった。ぼくは自分が余計だと感じることなく、低いさざめきの間に溶けていられた――姫花がやって来るまでは。
「おかえり、
暗い居間には九留がいた。てっきり誰もいないと思っていたから、ぼくは驚いて返事をするのが少し遅れた。
「た……ただいま」
「お疲れ様」
九留はいつもと同じに見えた。ぼくは頭からつまらない心配を振り払う。九留がどこかにいなくなってしまうなんてあるわけない。
「火見はいないの?」
「
火見は九留の前の地区長で、そのもっと前は挺身部隊長だったから、奈津とのつき合いは濃い。二人が一緒にいるのは普通のことだし、火見が泊まってくることもこれまでに何度かあった。だからやっぱりどこもおかしくない。
「九留も出掛けるの? 今晩はうちにいない?」
「僕はいるよ」
「そっか。そうだよね」
「うん。朝まではね」
お腹の下の方が痛くなった気がした。
「ふ、ふうん。でもさ、すぐ帰って来るんだよね。お昼は一緒に食べられる?」
「昼までに戻るのはたぶん無理かな。遠出になるし、やることも厄介だから」
「じゃあ夕方ぐらい? 晩ご飯までには大丈夫だよね?」
「分らないよ、依紗。僕にもどうなるか分らない。だけどとりあえずもう帰って来ないと思ってていい。きっと待つだけ無駄になる」
九留は真っ直ぐにぼくを見た。もう決まったことなんだってぼくには分った。ぼくがいくらやめてって頼んでも、九留は自分の思う通りにするだろう。
だからやっぱりいつもと同じだ。九留は優しい。ぼくを大切にしてくれる。でもぼくは九留の特別な子じゃない。たった一人の相手にはなれない。これまでも、これからも。
「姫花と行くの?」
「姫花と? どうして」
九留は不思議そうな顔をした。ぼくは意地悪く聞こえないように気をつけて言った。
「だって九留はぼく達とは違うから。ここを出て〈中〉に行って、大人になったあともずっと生きてていいと思う。姫花はもともと〈中〉の子だし、それに偉い人の家族なんでしょ? きっと九留の役にも立つよね」
「ちょっと待って依紗、どこからそんな話が出て来たの。僕が姫花と〈中〉に行くなんて、誰かが言った?」
「別に誰も。でもきっとそうなのかなって」
「だからそう思った理由を教えて。今日の奉仕相手が姫花のことを何か喋ったの?」
「えと……」
九留はやけに真剣だった。ぼくは口ごもりそうになったけど、頑張って答えた。
「次の奉仕は姫花にさせたいって。でも一覧には載ってないとか。それでぼくに何か知らないかって」
「依紗、できるだけはっきりとその人の言ったことを思い出して。一字一句正確に繰り返すんだ」
「う、うん」
記憶をさらってその通りに伝える。間違えずにやれたと思う。
「……そういうことか。迂闊だったな」
九留はため息をついた。何か思い当たったみたいだけど、そのわりにあんまり嬉しそうじゃない。
「やっぱり依紗は頭がいいね。僕のあとは依紗にしよう」
ぼくが返事に困っている間に、九留は立ち上がった。
「ごめん、ちょっとやることができた。遅くなるから先に食べて寝てて」
九留のすることはいつだって正しい。だから邪魔をしたら駄目だ。もし足手まといになって嫌われたら、きっともう傍にいられなくなる。
なのにぼくは九留の服の袖を掴んでいた。早く離さないとって頭では思うのに、指に勝手に力がこもる。
「依紗?」
「九留、これは違うの! ぼくはひとりでちゃんと待ってるから、だから行っちゃやだ! 傍にいてよ、九留、お願い!」
「依紗」
めちゃくちゃなことを口走りながら九留の腕を振り回していたぼくは、ただ名前を呼ばれただけでぺしゃんこになった。かろうじて袖口に引っ掛かっていた指先が外れ、冷たい床にお尻を落とす。
「……ごめんなさい」
膝を揃えて座り、九留が怒っているところを見るのが怖くて下を向く。だけど本当はそんなの必要ない。九留は誰にも怒ったりなんかしない。そっとぼくの頭に手を置いた。
「朝までには一度戻るから。ちゃんと大人しく待ってて。いいね」
「はい、九留」
九留が出掛けてしまったあと、ぼくは音のしない家の中で一人でごはんを済ませて、湿った布団にくるまった。骨の芯が凍り付いてしまったみたいに寒くて、いつまでも眠れずにいた。小刻みに身を震わせ続けるぼくを、いつしか夜の向こうから帰ってきた九留が抱き締めてくれた。ぼくは色んなことを全部忘れて闇に沈んだ。
次に目を開けるともう朝で、九留はいなくなっていた。
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