旅立ちと絶望の城

 深夜半ばでタオと見張り役を交換し、朝になると、早足気味に城へ向かう一行。

 罠かもしれないが、城下町の途中までヴィランはおらず、城の付近まではスムーズに進む事ができた。しかし城に近づくにつれて増えた大量のヴィランを退ける事となる。

 それでも、何とか霧の中に浮かぶ城に入り込んだエクス達。

 城の中にも大量にはびこっているヴィランを倒し、時に隠れながら、カオステラーを探す一行。

 丘の上からこの敵の城に着くまで、5人の表情は暗いままだった。

 大量のヴィランがはびこっている。カオステラーそれはカオステラーが近い証拠だった。幸いにも、カオステラーは本性を露にしているのか、カオステラーの気配を追っているレイナ曰く、いる場所はハッキリ分かっていた。

「此処よ!」

「あ、うん。本当に? また空っぽの部屋とか、ヴィランだらけの部屋とかじゃないよね、レイナ」

 散々お人好しやらお節介やらと言われてきたエクスだが、さすがに真顔でレイナに尋ねていた。

「な、何よ! 大丈夫よ! 今までよりずっと感じる力が強いもの。今度こそ大丈夫よ!」

 エクスがそう訊ねるのも無理は無い。カオステラーのいる場所へ辿り着くまでの道のりはかなり迷ってしまったのだ。

 カオステラーのいる方向だけは分かったが、肝心の城の構造をレイナ自身は知らず、道のりが複雑だったために迷子になってしまったのである。だからといって、城の構造は把握しているようだが、カオステラーの気配が掴めないエディに案内を頼むのも、またおかしな話なのだった。

 だが、城の中にある扉の中でも一際大きなものの前に立った時、カオステラーを感じる力の無いエクス達でも、背後からナイフで刺されるかのような衝撃を感じた。

 この扉の先にカオステラーが。大量のヴィランがいるに間違いない。少なくとも『意志』のある者がこの先にいる。

 ヴィランに『意志』は無い。本能による殺気は持つだろうが、それは獣じみたものなのだ。理性で持つのではなく、意思とは呼べない感情なのだ。

 そして、倒れそうになる衝撃を受ける。それほどまでに強く濃厚な『殺意』。エクス達は今まで味わった事の無い危機感を覚える。こちらに対する明確な殺意。強すぎる執着。

 ・・・・カオステラーの物だとしても、まだ出会ってもいない者に抱く感情としては強すぎる。エクス達がこれまでに会ったカオステラーの、誰よりも強いような。

 エクスは、そんな気がしてならない。

「・・・・ふぅ」

「?」

 隣から、小さくため息が零れた。

「あ、ごめんなさい。こんな時に不謹慎だけど、貴方と会った時の事を思い出すわ、エクス」

 クスクスと笑みを零すレイナは、大きな扉に手をかけると、少し遠い目をしながらエクスに話しかける。

「奇遇だね、レイナ。僕もさ。形こそ違うけど、この扉を開けた先にもしヴィランがたくさんいたら・・・・というか、いるだろうね、確実に。きっとあの時と同じだ」

「あぁ、新入りさんの『あるお方』への片想いが破れた時ですか」

「ちょっ、シェイン! シンデレラはそもそも王子様と結ばれる運命が――」

「シェインはシンデレラさんとは言っていないのです」

「え・・・・あっ?! ちょっとシェイン?!」

 エクス以外の4人は、クスクスと笑った。不謹慎である事は認めるが、それ以上に、妙な懐かしさがあるのだ。少しずつ、変な緊張が溶けて行くのを感じる。

「行くわよ」

 しかし緩みすぎは厳禁だ。笑みから一転、気を引き締める。

 そして、バン、と、大きな音を立てるほどに勢い良く扉を押し開ける。

 そして――

「おぉ、本当にヴィランの舞踏か・・・・いや、あの時以上の武闘大会になってらぁ」

 扉を開けた先には、懐かしいとも思える光景が広がっていた。エクスとレイナ達が出会ったシンデレラの《想区》でも、似たような光景があったのだ。

「カオステラーは分かりやすい見た目のはずですが、ヴィランも大きいのやら小さいのやら、飛んでいるのも合わさって、とにかくやけに大量で、見通しが悪いですね。タオ兄の言ったとおり、これは筋肉痛必至の武闘大会になるかと」

「当然の如く俺達への敵意が剥き出しだな・・・・」

「よし、ヴィランを倒しながら、カオステラーを――」

 栞を取り出し、大量のヴィランを睨みつけるエクス。

 ヴィランばかりの舞踏会。・・・・エクスの故郷である、シンデレラの《想区》と似た状況。ヴィランで視界を埋められた状況という点が同じである。それでもあの時、エクスはシンデレラを見つける事が出来た。

 想い人だったという事もあるが、あの時は特定の人物を見つけられたのだ。カオステラーならばヴィランの軍勢の中でも、特に目立つ格好で構えているはずである。何せ、そこらのヴィランとは違って、カオステラーがとり憑いた人物の特徴が容姿に反映されるのだ。

 だから。

 すぐに見つかるはずだ。

「とはいえ多いな! おい、はぐれないようにしろよ、特に少年!」

「・・・・ええ、そうですね。努力します、タオ兄さん」

「あれ、そんな呼び方だっけ・・・・じゃなくて! 行くよ、みんな!」

 導きの栞が輝く。

 そしてジャックが宿る――

「クルルアァ!」

「えっ、わっ?!」

 事はなかった。

(邪魔、された? やっぱり此処のヴィラン、ちょっとおかしいような・・・・)

 ちょうど栞が輝きだしたタイミングでヴィランが襲ってきた。思えば、城下町でレイナが攫われた時も、同じように栞を使わせないよう邪魔してきた。

 栞を出す事、戦闘に参加する事のことごとくが邪魔されていた。

 このヴィラン達は、栞によって自分達が危険にさらされることを、理解している。

 意志が、存在する?

(いえ、そんなはずは無いです。ヴィラン達を操っているカオステラーが、いつもより賢いんですかね)

(まさか、ロキやカーリーが介入しているのか? でも、彼等はレイナを狙っている・・・・。いつもはカオステラーを調律するよりも先に、というか、こんなカオステラーが目前に迫っているのに現れない)

(ロキやカーリーが生み出したカオステラーじゃないの? なら、一体、誰が――)

 そう、思考を巡らせる一行。各々が自分で持っている武器での応戦となったが、隙を見ては栞での戦闘を試みるという器用な真似がすぐに出来るわけでもなかった。

「くっ・・・・」

 どうにかエクスだけが、ヴィランが奇跡的にいない半径3mほどの空間に辿り着く。見事なまでに開いた空間で、それは。

「っ、罠か?!」

 そう思い至り、エクスが見回した時だった。


『―― 来なくても良かったのに』


「・・・・えっ?」

 聞き覚えのある声に、エクスは思わず振り返り、身構える。このダンスホールの入口とは逆方向、部屋のかなり奥の方へ。

『分かるよ。本当は来たくなかった、でしょ? 此処まで来ても、カオステラーという存在を、ごく少人数の強すぎる願いから生まれた存在を倒す事を、何と無くでもまだ躊躇っている。違う?』

 見覚えのある容姿に思わず口が開くが、声はのどの部分でつかえてしまう。

『君達は常に、誰かの運命を無意識に変えてしまう。勝手に変えて良い運命なんて無い。それが怖かった。だから、誰かの運命を変えてしまっても、誰からも責められない場所に逃げようとした。そうだよね』

 何故そこにいるのかと。

 どうやってそこまで行ったのかと。

 何故、ヴィランのいない空間に1人立っているのか、と。

 次々に沸き起こる疑問を、問いかけようと手を伸ばす。

 しかし何よりも明確な回答がすぐ近くにあるから、そんな疑問を噛み砕き、剣を握る手に力を込める。

『でも、こうも考えている。変えても誰も責めない運命なんて、まやかしだ。そんなものは無い。カオステラーという存在を生み出し、人々の運命を《本当の意味で》変えてしまっているのは自分達で、ロキやカーリーのような存在の方が、実は世界にとって必要な人物ではないのか・・・・と』

 エクスは困惑した。

 エクスが自分でも言葉に出来なかった疑問を正確に把握しているどころか、それに対する回答を提示しているのだ。

 しかし、その回答に対して自分自身が納得できるかどうかは、全く別の問題である。

『君は《それ》に対する完全な回答を求めている。自分が正しいのかどうかが知りたい。そうでなくとも、自分達が出来うる限り傷付かない方向に進みたい。その方法を知りたい。そうでしょ。分かるよ♪』

「・・・・っ(何だ、この、頭に直接、響くよう、な、こ・・・・ぇ・・・・)」

 かつて、カーリーがレイナに対し放った言葉で受けたダメージは、レイナの方が大きかっただろう。カオステラーの正体。カオステラーが存在する意味。オズの想区で、カオステラーを生み出す存在である『混沌の巫女』カーリーによって突きつけられた、真実という名の衝撃。

 カオステラーを生み出しているのは、他でもない、その《想区》の住人なのだ。

 たしかに《想区》の人々は、ストーリーテラーが書く『運命の書』に従って生を全うする。しかし、人の心はいつも変化する。自分の『運命の書』に疑問を抱き、その想いが強ければ強いほどに、ストーリーテラーを狂わせ、カオステラーへと変えてしまうのだ。

 カーリー達は、その減少を具現化させているに過ぎないのである。

 カオステラーを調律し、元の正常なストーリーテラーへ戻すという事は、ストーリーテラーをカオステラーへと変えるほどの想いを踏みにじるに等しい。そう考えると、もしかするとエクス達のやっている事は、人々を救うという本来の目的から逸れた行動なのかもしれない。

 しかしそれでも、ただ1人の、もしくは数人の想いだけで、その他大勢の『運命の書』が狂わされ、世界が崩壊するのを、黙って見ているわけには行かない。

 レイナは《想区》が崩壊するなどという恐ろしい光景を知っているからこそ行動し、エクス達もその考え

に賛同したから、その調律を手伝うために付いてきているのだ。

 少々空回ったようだが、人々を救いたいという想いは、結局のところ変わらないのである。それは今回も同じ。何も、変わる事は無いのだ。

 しかし・・・・。

『1つ忠告しよう。少なくとも、この想区での君達の行動は全く必要の無い事だ。言い方を変えれば、余計なお世話、だよ。君達があえて干渉する必要性はほんの、欠片ほども、無い。何故なら』

 少年が、自身の手を胸に当てる。

『―― 他でも無い《僕》が、望んだ事なのだから』

 『エディ』と全く同じ顔で、無邪気な満面の微笑みを浮かべながら。

「う、ぐ・・・・ぅ・・・・」

 ガクン、と、エクスの身体が膝から崩れる。

 同時に、それまでギリギリ保っていた連携が崩れてお互いを注視していたレイナ、タオ、シェインが振り向むいた。大量のヴィランに邪魔されるために見えにくいが、その隙間からようやく視認出来た、エクスが床に伏しているなどという光景に、3人は思わず絶叫する。

「っ! エクス?!」

「新入り、さん?」

「おいっ、坊主?! こんなところで・・・・っ!」

 エクス同様、栞の力を引き出す前にヴィランから攻撃され、妨害されていたレイナ達は、これまでのヴィランと違い、嫌なタイミングで攻撃してくるヴィランに、相当な苦戦を強いられていた。

「ちょっと、嘘でしょ? エクス! エクスゥーーーッ!!!」

 と、叫ぶレイナのすぐ後ろで、金属同士がぶつかり合う音が響く。

 咄嗟に振り返ると、そこには大きな体躯のヴィランがおり、そいつが降り降ろした手を受け止めるタオの姿があった。見ると、タオは見慣れない短剣を使っている。咄嗟の事で鞘からは刀身が抜かれておらず、ギチギチと不穏な音が件から聞こえてくるも、タオは何とか耐えているようである。

 洞窟で、エディが鞄から出そうとしたいつかの短剣だった。

「姉御! 今はヴィランとの戦闘に集中を! 新入りさんも『空白の書』の持ち主です、ヴィランへの書き換えはありません!」

「でも、エクスが、エクスがぁ・・・・っ」

 レイナは顔を真っ赤にしながら涙ぐんだ。タオも見かねたのか、力任せに

「だぁーっ! お嬢! エクスは俺達が何とかする! お嬢は『調律』の仕事が待ってンだろ!」

「う、うぅ・・・・っ」

 レイナは服の裾で乱暴に涙を拭うと、未だ潤む瞳でヴィランを睨みつけた。

「どき、なさいよ。そこをどけぇ、ヴィラン!!!」

 必至に叫ぶレイナ達だったが、ヴィランが一匹、また一匹と、エクスを取り囲むかのように集まり、いつの間にか不気味な黒い塊になっていた。


 ・・・・。

 そこは、レイナ達が必至に戦っているその瞬間、更に一点へ集中的に集まってきたヴィラン達の中心。

 押し潰されては、いなかった。

 偶然か必然か、ヴィランはエクスに触れる事無くスッポリと包み込むような、ドーム状の空間を作り出していた。揺らめく光に照らされ、視界は不良だが、決して暗くは無かった。

(なん、だ、これ・・・・からだに、ちから、はいら、ない・・・・)

 何が起こったのかは分からない。事実として、エクスが何らかの攻撃によって床に崩れて倒れ、倒してもキリが無いように思えるほど大量のヴィランに囲まれている。

 絶体絶命の大ピンチである事に変わりは無いだろう。

 倒れた拍子に頭を打ったか、それともあの少年の言葉に何らかの影響を受けたのか、思考能力もまともではない。視界もぼやけ、反射的に瞬きをする目以外で動くのは、片手の指の先くらいだ。

 おぼろげに見える視界には、いくつもの揺らめく光が。

 エクス達にとっては見慣れた光である。

(ヴィランの・・・・ひか、り・・・・うご、か、なきゃ。にげ、な・・・・)

 必至に抵抗を試みるが、状態は更に悪化する。ぼやける視界に光が届かなくなり、身体は加速度的に重くなる。気付いた時には、指一本動かせなくなっていた。

 硬直した身体は凍るような寒さを感じ始め、急速に失われていく生命の光は恐怖を呼び起こす。

 しかしその恐怖すら遠退いていくような、妙に浮ついた感覚がエクスを支配した。

 ふと、シンデレラの顔が浮かぶ。レイナやタオやシェインとの出会いを思い出す。これまでに出会ってきた数々の《想区》の住人が頭にちらつく。

 そして、消えて行く。

 フラッシュバック。走馬灯と呼ばれるやつだろうか。

 ならば、もしかすると、これが。

 これが『死』かもしれない。


 ―― そんな事を、失いつつある意識の中で思い浮かべた時だった。


「―― エクス君」


(・・・・?!)

 不意に聞こえてきた声に、エクスの意識は引き戻される。先程よりも明らかに身体の熱を感じ、明るくなる視界を両の眼が捉えた。

(え、でぃ? なんで、ここ、に・・・・?)

 ヴィランに囲まれる真っ黒な視界の中、ぽつりとエディの姿がぼやけて見える。

 何よりも特徴的な、身の丈に合わない大きな鞄が、目線の低いエクスの目に映ったのだ。

 エクスの瞳に、はっきりと映り始める光景。エクスのすぐ隣には、間違い無くエディが座り込み、エクスを見下ろしていた。

 その眼差しは柔らかく、憂いに満ちている。潤んでいるようにも見える。その表情はとても複雑で、微笑んでいるようで、悔しそうで、悲しそうで、楽しそうで。

 一瞬エディは目を細め、エクスから一度、目を逸らし、虚空を眺めた。それから数秒も経たず強い眼差しを再びエクスへと戻すと、呼吸を整え、口を開く。

「エクス君。今の内に謝らせて。・・・・ごめん」

(?!)

「僕だって、こんな事になる、なんて、思いもしなかった。実際『記憶を取り戻しても』そう思うよ。あの時から、もう、どうしようもなかった、の、かもしれない」

 潤んでいた瞳がキラリと光り、エディの頬を伝い、エクスの服へと落ちて染み込んだ。

 次から次へと溢れる涙。エディはそれを、必至に拭っている。

「ごめん。ごめんね。エクス君、僕は君達に、ずっと隠していた事がある」

 エディは誰にも聞こえないように呟く。この場にいる『空白の書』を持つ5人の中で1人、何もしていないにもかかわらず、ヴィランに一度も「攻撃されず」にいたエディ。

 彼は、5人の中で唯一『栞』を持っていない。普通なら、真っ先に狙われる者だ。何故なら彼は、見るからに武器となりそうな物を持っていないのだから。

 まして、こんな敵で埋め尽くされた部屋で、無傷でこの場にいるという事は、どうにも信じがたい事実だった。無傷である事は喜ぶべき事なのだろうが・・・・。

「僕の『本当の』名前はエディ。嘘は言っていない。ずっとそう呼ばれていたし。多分、愛称の意味合いもあっただろうけど、本塔にエディって言う名前だから、僕自身違和感は無かった」

 微笑みながら、エディが手を振りかざす。すると驚いた事に、ドームを形成していたヴィランが、エディに呼応するかのように剥がれていく。

「でも、僕がエディと呼ばれるようになったのは、この世界が狂い始めてからだ。だってこの世界では『僕の名前は意味を持たない』から」

「・・・・っ! ま、さか、君は!」

 ムリヤリ両手に力を込め、エクスは上体を起こす。それと同時に、エディはすっくと立ち上がる。


「僕の名は」


「エディ=エトワール・・・・それが、この想区での、僕の・・・・『主人公』の呼び名だよ」


 ヴィランがいなくなり、露になったエクスへと冷たい目線を浴びせ続ける、エディと瓜二つの容姿を持つ少年。その薄い翠色の瞳で、エクスの隣に立っている『エディ』を睨みつけた。

 赤ずきんの時と同じだ。

 彼女は自身の名よりも、与えられた運命により『赤ずきん』と呼ばれるようになった。

 エディもまた、この想区の《主人公》として、自身の名を呼ばれずに育ったのだ。

「・・・・僕は、とんでもない過ちを犯した。君達に出会わなければ、それを思い出す事も出来なかった」

 そう言って、エディは会場の奥にいる人物を見つめる。エクスの『目の前』にいる少年を。

「何度でも言うよ。ごめんね、エクス君。そして、記憶を取り戻すキッカケになってくれてありがとう」

 ―― エディが、僅かに微笑んでいるような気がした。

    けどそれ以上に、大きな粒となって零れ落ちる涙が、印象的だった。

「そのカオステラーは、僕が『願いの宝珠』によって生み出した存在。僕が『空白の書』を手に入れるために切り離した、僕自身の運命、そのもの」

    涙ぐみ、鼻声になりながら、エディはその強い眼差しを『僕』の目の前にいる少年へ向けていた。

    真っ白な温かい手の、人差し指のその先を、『エトワール』に向けながら。


「 ―― 『それ』 は 『僕自身』 なんだ 」


「――・・・・エディ、自身・・・・? エディが・・・・カオステラー・・・・?」

「・・・・厳密には、ちょっとだけ違う、かな。現にそこに、カオステラーと呼べる存在がいるのだから」

 ある程度、エクスの身体に力が戻ってきた。

 ゆっくりと、隣に立つエディと、エトワールらしき少年を交互に見やる。

「信じ、られないよね。僕だってそうだ。実際にこの目で見なかったら、信じられなかった。今この瞬間まで、彼の事は僕が見た悪夢のようなものだ、と思っていた」

 エディが涙ぐむ。

「この想区で『願いの宝珠』は、この想区の創造主であるストーリーテラーによって作り出された、至高の作品。あの『願いの宝珠』に叶えられない願いは無い。そう、ストーリーテラーが決めて生み出した。でもさすがに、物語の主人公が使う事は予想出来ていなかった、と思う。この《想区》の最重要人物であるエトワールが、エトワールをやめたい、なんて」

 皮肉めいた、後悔のある、愁いを帯びた・・・・そんな言い方の似合う悲しい顔をして、エディは『エトワール』を柔らかな眼差しで見つめた。

「だから、エトワールは、ただでさえ歪んでいる存在であるカオステラーを、同じく歪んでいる自分自身に宿らせた。そんな不安定な状態でも『僕の願い』を成就させよう、としている」

 『エトワール』がにやりと笑うと、エディと全く同じ姿をした身体をグニャリ、と歪ませて、スライムのように、あるいは粘土のようにその形を変えていく。

 そして。

 ごきり、と不穏な音を立てて変化は終わる。するとエクス達の顔を『見下ろし』ながら両手を胸の高さまで上げる。

『叶えましょう、叶えましょう。醜いものは美しく、清いものはおぞましく、退屈な秩序は、刺激的な混沌に・・・・』

「あ、あれは、カオス・フェアリーゴッドマザー?!」

 エクスが生まれて初めて対峙し、退治したカオステラーがそこにいた。

 初めは継母にいじめられ、蔑まれてきたシンデレラ。そんな彼女に魔法をかけ、誰もが憧れる運命を手にする女性へと変貌させた妖精。フェアリーゴッドマザー。

 エクスが十二分に驚くと、エトワール(?)は更にグニャリ、と、カオステラーの姿を歪ませる。

 ・・・・かわいらしい真っ赤なずきんに似つかわしくない、大きな狼の手足が服の下から飛び出している。

『ふふ、優しい優しいお兄ちゃん。あなたはいったいどんな味がするのか、すっごく楽しみだよ?』

「なっ・・・・?」

 森の奥に住むおばあさんへぶどう酒とパンを届けに行くが、狼に騙されてしまう少女、赤ずきん。彼女がカオステラーと同化し、醜悪な容姿へと変化した姿が、そこにあった。

「カオス・フェアリーゴッドマザーに、リトル・レッド・ウルフ?! 何なの、こいつ!」

「そんな。何で次々と姿を変えられるんだ?! それに今の台詞って!」

 かつて、彼等の前に姿を現したカオステラーが放った台詞を告げるエトワール。今のエクス達なら、かつてのカオステラーはあまり苦戦せずに倒せるかもしれない。しかし目の前に現れたかのカオステラー達は、かつて未熟であった頃のエクス達の感じた、とてつもないプレッシャーを放っていた。

 勝てるかどうか分からないというのはいつもどおり。しかし、これは・・・・。

 ・・・・確実に、かつて戦った時とは比べ物にならない力を、その身から放っている。

「どうして!」

『どうして? そうだな、こうすれば、分かるかな?』

 更にグニャリと身体を歪ませ、また、骨が思い切り折られた時のような軋む音が響く。するとそこには、エクスが小さい頃から見ていた顔があった。

 ・・・・エクス自身の顔が。

「――・・・・ッ?!」

『ふふっ、驚かせてしまったね、ごめんね?』

 エクスと同じように微笑んでみせるカオステラー。その見た目はそっくりで、刺すような殺気を放っていなければ、おそらく見間違えてしまうほど。

『僕は《運命》そのもの。運命の書から《運命》だけが切り離された存在だ。エディ、君が本来全うするべきだった運命だよ』

 優しい口調で、優しい笑みを浮かべながら、優しくゆっくりと、しかし深く、言葉の棘を刺してくる。

『まぁ、たとえその運命の書が《空白》で埋め尽くされようと、それすら《運命》以外の何者にもなりえない。―― 俺がその証拠さ』

 ぐちゃり、と音を立てて、また姿を歪ませるカオステラーは、タオの姿で伸びをする。

 それから再び身体を歪ませ、今度はシェインの姿へ。

『さ、思い出の再戦をしましょう。姉御達が4人集まって最初に倒したカオステラーになりますので、あの頃のように苦戦してくれますか』

 カオステラーが化けたとはいえ、無表情を貫くシェイン。

 グニャリ。またか、と一行が思うくらいの変化を遂げて、再びエディの姿になると、エトワールは小首を傾げてエクス達を見つめた。

 小さく、笑みを浮かべながら。

『もっとも、君達はあの時より確実に強くなっている。だから僕は、君達の覚えているカオステラーを《今の君達での戦い》を再現してあげる。本気で来てよ? いつもどおりに、さ』


「くそ、こうぐにゃぐにゃ姿を変えられると鬱陶しいな」

「あら。ちょっと気に食わないけど、私も同意見よ、タオ」

 ある程度ヴィランを減らし、ようやくエクスの元へと駆け寄る3人は、肩で息をしながら、エクスが無事である事に胸を撫で下ろす。

「やっぱり、戦うの? みんな」

 エディが心配そうに4人を見つめた。エクスの元へ近付く為に、そして守る為に大量のヴィランと温かったのだ。これまでに体験した事が無いほどに、レイナ達は疲弊している。

 エディが問うたのは、その疲労に対する純粋な心配だ。

 しかし。

「愚問だったかな」

 身体は疲れているだろうが、その瞳には確かな闘志が宿っている。その瞳は真っ直ぐに敵であるカオス・エトワールに向けられ、たじろがない。

「不謹慎だけど・・・・少し、懐かしいね。僕がレイナ達と会ったあの想区を思い出して、さ」

「新入りさんは引っ込んでいても大丈夫なのですが」

「・・・・大丈夫。戦えるよ。足手まといにはならない」

 エクスが剣を構える。栞の事を忘れているのか? とシェインは一瞬驚いてしまった。それに加えて足元はおぼつかないようだし、不安感をあおる要素が見るたびに増えていく。

(足手まとい確定ですね・・・・)

 と、考えるほどに。

「栞なら、あるよ。ちゃんと戦える。息は、戦いながらでも整えるから。心配しないで」

「えっ」

 戦いながら息を整える、などと、「こいつは何を言っているのか」と、本気の本気でシェインは心配してしまった。軽く言い放ったそれが、どれだけ大変な事か、シェインは知っていたのだ。

 不安をあおる要素がまた増えた、と、シェインがエクスを見ると。

「―― 大丈夫」

 ふ、と。

 エクスが微笑を浮かべ、その手の栞を光らせていた。

 温かく、柔らかく、白い光がエクスを包み込む。まるで、エクスを優しく、力強く支えるかのように。

 今にも倒れそうなエクスを助けるかのように、栞からは次から次へと光が溢れ出した。勿論、栞はただの道具だ。感情なんて、まして思考なんて持ち合わせていないだろうから、それは錯覚だろう。

 アイテム好きなシェインだからこそ、基本は押さえてある。

 そう見えたのは、エクスを心配する故のシェインが見た幻想か。

 シェインは小さく首を横に振ると、自分も栞を手にヒーローの姿へと変わっていく。

 ・・・・。

 エクスの栞より幾分か輝きが無いように思えた事も、幻想か何か。

 シェインは、エクスの言葉を信じる事にした。


 そうして、ヒーローの力を得た一行は、その場にいたヴィランを全て、倒す事に成功した。最初から数を数える事も諦めていたが、それでもウンザリするほどの量だった。

 それでもやり遂げたのだ。

 残ったのはただ1人。

 エクスが最後の一太刀を浴びせると、カオス・フェアリーゴッドマザーに化けていたカオス・エトワールは元のエトワールの姿へと戻り、膝から崩れ落ちた。何故か傷は綺麗サッパリ消えているようだが、表情は疲弊し、これ以上何かをする気配は無い。

 放心状態にも見えるエトワールからは、ブツブツと何かが聞こえてくる。

『・・・・この、想区を、消さなければ。ぼ、ぼぼ、僕の、ね、ネガ、願イを、かナエルたメ、るる、ためニ、やら、ナ、ク、・・・・。・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・』

 レイナは、壊れた機械のようなツギハギの言葉の意味をしっかりと理解していた。

「うん。そうだね。きっと、そのために君は、こんな事をしたんだよね」

 エディは、静かにエトワールを見下ろす。

 ・・・・。

 彼の名はエトワール。その身を捧げ、世界を救う者。

 その運命を切り捨てた者が、エディ。

 エトワールとは、エディが運命を否定した為に生まれた存在。それはエディが憧れた『空白の書』の持ち主となり、自由を手にする事。それはつまり、この《想区》から開放される事を意味する。

 考えてみれば、これ以上簡単な話は無い。

 エトワールは、この《想区》からエディを完全に開放する為にこの《想区》を消そうとしたのだ。音も、概念すらも飲み込む『沈黙の霧』で動けるのは『空白の書』を持つ者だけ。この《想区》が消えれば、それこそエディを縛るものは無くなる。

 おそらく、エディが記憶を失ったのもその所為だ。あくまでもエディはこの《想区》の住人。想い入れのある場所も人も、救おうとするだろう。

 実際、エクス達と会った時、既に人々の優しさに触れ、彼等を失いたくないと考えていたのだ。レイナ達『調律の巫女』一行が現れなければ、無念のまま『沈黙の霧』へ放り出されていたに違いない。

 誤算だったのは、エトワールによってカオステラーが生まれた後、すぐに《想区》が消えるわけではなかったという事。

 これも推測ではあるが、カオス・エトワールがエディを傷つけるわけが無いので、エクス達と出会った時彼が追いかけられていたのは、もう一度、記憶を消す為だったのかもしれない。

 『沈黙の霧』の中、彼が何の迷いも無く一歩を踏み出せるように。

 歪な思考を持ってしまったカオステラーは、この《想区》を消す事で、エディを『運命の書』から開放することが出来ると、本気で思いこんでいたのである。

 このカオステラーは、本気でエディを『自由』にするつもりだったのだ。大きな犠牲と共に、ただ一心不乱にエディという存在を『空白の書』の持ち主として定着させる為に。

 今のエディはとても不安定な存在だ。本来は『空白の書』の持ち主ではなかった。それどころかこの《想区》の主人公で、本当なら既に運命の全てを全うし、死んでしまっているはずだ。その運命をカオステラーもとい『願いの宝珠』で歪めているだけなのだ。

「でも・・・・」

 力尽き、倒れ伏した『カオス・エトワール』を一瞥し、エディはレイナに向き直る。その顔に微笑をたたえながら1歩だけ、近付いて。

「僕は《空白の書》を持っていた『彼』に憧れた。でも同時に、彼が僕にとんでもない影響を及ぼすのだと肌で感じた。自分がこうなって、君達に出会って、その理由が分かったよ」

 チラリ、とエクスを見やる。

 『彼』の面影を重ねているのか、愁いを帯びた瞳で見つめた。

「空白の書の持ち主は、自分の運命を自分で掴み取る自由の代わりに、他人が持つ本来の運命すら変えてしまう力を持っている。だから、僕もあの人を危険だと思ってしまった、と」

 丘の上で、エディが出会った事のある『空白の書』の持ち主は、容姿がエクスに少しだけ似ているという話を聞いた。エディは彼の事を思い出しながら、言葉を続ける。

「そして、あの人に会った時。あの人が笑いながら『願いの宝珠』を差し出してきた時。僕は、とんでもない事を願ってしまった。・・・・後は、知っての通りさ」

 あの人とは、ロキか、カーリーか。

 彼等こそがカオステラーを作り出し、その《想区》の住人にカオステラーを憑依させる者。事実をある程度伝え、ある程度の情報を隠し、彼等の切なる願いを捻じ曲げた上で見事に人形に仕立てるのだ。

 奴等の、常套手段だ。

「この世界の人は優しい。温かくて、話しているととてもふんわりした気持ちに、なる。僕は、僕を助けてくれたこの《想区》の人達を取り戻したい。僕がまたあの死の運命を受け入れれば、この世界は元に戻るよね、レイナ」

「え、ええ。少なくとも、カオステラーによって歪められた運命は元に戻るわ。本来の運命に・・・・貴方が、その宝玉に命を捧げるという運命に」

「だったらレイナ、お願い。調律して? この《想区》の調律で、僕は救われる、から」

「エディ・・・・」

 元に戻せば、彼が手にした『自由』は無くなる。先の決まっていない不安のある運命を持つエクスやレイナにとって、決まった運命のある人生ほど羨ましいものは無かった。それでも自分の運命を切り開くため、レイナも、エクスも、シェインもタオもカオステラーを調律するための旅に出た。

 それが正解かは分からない。だが、間違っているという証拠も無い。

 今の『空白の書』を持つエディが願っている。

 『願いの宝珠』が力尽きた今、おそらくもう時間が殆ど残されていない。丘の上や城の一部はまだ大丈夫だが、世界的に見れば既に大部分が霧に覆われてしまっているのだ。

 考えたい事は山ほどある。聞きたい事も山ほどある。

 だがとにかく時間が無いのだ。

 だから。

「分かったわ」

 そう、一言強く言い放ち、レイナは度からともなく取り出した、一冊の本を開いた。


『 混沌の渦に呑まれし語り部よ 我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし… 』


 本から光が溢れ出す。

 世界を調律する光が、エトワールに宿るカオステラーを包む。

 そして。


 歪められた運命の物語、その全てが、カオステラーと、エディ諸共消えて行った。

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