霧の晴れた丘
ヴィランのはびこる町を通りぬけ、連れ去られたレイナを追いかける一行は、霧の向こうで消えかけているヴィランの光を頼りに町中を走り回った後、緩やかな坂を登っていた。
そして、走っても走っても追いつけず、段々と勾配が急になっていく坂を登りきり、頂上へ・・・・。
「いい加減に、放しなさぁーい!」
レイナの叫び声と共に、何かが硬い物にぶつかる音が聞こえてきた。
「近い・・・・っ!」
エクスの声にあわせて、一行は一段足を速めた。
小高い場所だからだろうか、霧が薄くなり、視界が少しずつだが良くなってきている。今のは、レイナが抵抗してヴィランが隊列を崩し、どこか岩にでもぶつかった音だろうと推測できる。
少しは足止めが出来たかもしれない。その証拠に、これまでどれだけ走っても追いつけなかったヴィランの頭頂部にある炎のように揺らめく光が、グン、と近付いたのだ。
今がチャンスだ!
「はぁ、はぁ、だ、大丈夫か! レイナ・・・・!」
「これが大丈夫に見えるの?!」
見えない。
というのも、多少視界は良くなっているが、レイナの姿は未だ霧に阻まれて確認できないのだ。向こうからエクス達が見えているのかも定かでないが、レイナの声からすると彼女はまだ元気だ。それを確認して、少しだけ安心する。
「見えない、けど、なるべく、早く、助け・・・・げほっ」
エクスが走りながらむせてしまい、タオが後ろから背中を叩いた。
「おい坊主、走りながら叫ぶな。余計な体力の無駄遣いだ」
「げほっ・・・・ちょ、それ、言葉が、二重で、意味が、ごほっ」
「あ? 別に変な使い回しはしていないぜ。こん中では俺が一番体力あるからな。任せろ」
走りながら額に滲む汗を拭い、タオは息を思い切り吸いこむ。そして、
「お嬢、俺達が何とかするから、もうちっと我慢してくれ!」
と、叫んだ。
「えっ、えぇ?! ちょっとタオ! 私もたたか・・・・きゃあ!」
例あの抵抗があったおかげで一瞬緩んでいた拘束だったが、ヴィランは四肢を掴みなおすと、すかさずまた走り始めてしまった。
「何故かは分からないけど、レイナには危害を加えないみたいだ。慌てず落ち着いて行動すねば!」
「新入りさんも、一度落ち着いてください。語尾が変になっています」
エクス達は栞に力を宿し、レイナ無しで戦う事となる。
「何度か言ったような気もするが、お嬢担当のヒーラーが減るから気をつけろよ? 坊主」
「名指し?!」
そんなこんなで。
永遠とも思える濃霧の中での戦闘は確実に慣れてきている。しかも他より霧の薄い場所のせいで、一行は先刻の戦闘よりも早くヴィランの撃退に成功していく。
「えい」
そうして、弓の扱いが得意なシェインの一撃が、最後のヴィランに命中した。
「クルゥッ?!」
小気味良い音が響くと、レイナを抱えていた最後の一体が消える。レイナは最後の一体になる前から地面へ落とされていたようだ。頭を打ってしまったらしく後頭部をさすっていた。
「もう・・・・何なのよ、あのヴィラン。痛いじゃない!」
戦闘においては強いレイナが拉致されたのは、ひとえに油断したレイナの所為である。しかし、レイナが無事である事を大声で叫ぶ事で証明してくれたので、改めて大丈夫か聞かなくとも良さそうだ。もっとも、あのまま放っておいても、レイナがケガをする前にヴィランに一矢報いていたかもしれないのだが。
町内探索を堪能する間も無く山登りの後、戦闘。ようやく一行は一息ついて、周りを見渡す。
完全に、霧が晴れているのだ。
「わぁ、良い眺め。まだこの丘の高さまでは、霧が来ていないみたいだ。ね、レイナ」
「そ、そうみたいね。・・・・あら? あのお城も、3分の1くらいなら霧から出ているみたいよ」
丘から見下ろす形で、4人は城を眺め見た。塔のような部分が3つ、太く大きな城の本塔とも言える部分が1つ。城壁は白く、所々ツタが絡み付いている。ツタは屋根に当たる部分からはえているようだが、霧の中へ伸びている様子は無い。
本来はそれらの塔を繋げる回廊部分も見えるのだろうが、その部分は霧が覆ってしまっていた。
霧が出ている上に空はあいにくの曇りとなってしまっている。今にも雨が降ってきそうな黒い雲で、全体的に暗い印象を受けた。
そんな天気とは対照的に明るい「あっ」という声に、一行は振り向く。
エディだ。
「そうです、僕、あのお城に住んでいました。たしか召使をしていました。お掃除とか、お食事とか、よく手伝っていましたねー」
記憶がまた1つ、蘇ったようだ。
「じゃあ、お城にいたエトワールの事も何か分かる? 覚えている事とか」
「・・・・そこまでは」
残念そうにエクスへ答えるエディ。
「非常に断片的ですが、お城の中とか、自分の姿が鏡に映った所とかは思い出しました。けれど、エトワールに会ったような記憶は・・・・。でも、もしかすると会っているかも知れませんね」
エディは腕を組みながらそう言うと、曇っている空を眺めた。今にも雨が降りそうなほど雲は黒く、辺りも薄暗い。おまけに少し丘を下れば、すぐにでも霧の中へと舞い戻ることとなる。
このまま夜になれば星や月明かりは期待できず、動けないだろう。だがヴィランと同じように揺れる光を放つ炎は、ヴィランを呼び寄せてしまう危険性がある。ヴィランもこの霧の中ではまともに動けていないのだ。光がお互いを認識する手段である事は、お互い変わらない。
明かりを使わず霧の中にいたままでのヴィランとの戦闘は、考えるまでも無く危険だ。アドバンテージがあるとはいえ、ヴィラン以外の危険にさらされるだろう。
石につまずいて転ぶとか、水溜りに思い切り入って全身が濡れるとか、そういう細々としたトラブルは、なるべく避けたいのだ。
つまり、少なくとも一晩は、ある程度見通しの良い霧の晴れているこの丘で過ごした方がまだ安全なのである。
用心するに越した事は無い。用心というのはしておいて損は無い。まして、ヴィランという敵がいるこの世界では、用心という言葉は、やりすぎという言葉を知らないのである。
「今日は野宿、ですね」
「エディは野宿、大丈夫? 僕達は大丈夫だけど」
「まぁ、あの洞窟での生活も、野宿みたいなものですから。食料とかあるかな・・・・」
「それは大丈夫。少しならあるよ」
「です。それに、洞窟から色々拝借しました。ただし、今日は新人さんが料理当番です。シェインはちょっと楽しみです」
「えっ」
目をキラキラと輝かせて、シェインは既に適当な岩に座り込んでいた。タオも適当に小枝を拾ってきたようで、シェインの前の方にくべている。
そして自然な動作で木と枝をこすり合わせて火を点けると、その辺にあった落ち葉と共に、火種を焚き木につけた。間も無くして温かな光と共に焚き火が起こった。
「あれ、今日って僕が当番だっけ」
タオの一連の動作に思わず見とれたエクスは、ハッとなって聞き返す。シェインが無表情で頷くと、エクスは「あ、そうなの」と、素直に食材を確かめる。魚、香草、調味料。水は少し節約したい。
と、そんな事を考えていたのだが、これをつまらなそうな表情でエクスを見つめるシェイン。
「・・・・新入りさんは、もう少し人を疑うべきかと」
「へ? 何か言った? それより、今日もスープになるけど大丈夫?」
満面の笑みで返されて、シェインは無表情ながらに眉間へシワを寄せた。
からかいながら楽しもうとしていたシェインだったが、全く人を疑わずに信じてしまうエクスを見ていると、まるで自分が意地の悪い人間に思えてきてしまう。
思ったような展開にならなかったのだ。見ようによっては頬を膨らませているようにも見える。
「ちなみに、見張り当番も新人さんです」
「えっ、それってオーバーワークじゃあ・・・・?」
「男だろ、坊主。まぁ、料理中の見張りは任せろよ。それに、力仕事なら手伝うぜ」
ケラケラと軽い調子で宣言するタオ。嫌味な人間ならこの発言で彼をこき使うのだろうが・・・・相手は素直であるエクス。エクスはまたも、何も疑わずにタオの言葉を受け取った。
タオはそこまで考えて言ったのではないのだろう。
上手くこき使われたとしても、その手伝うと言う言葉の心遣いはありがたい。
だから、エクスもあまり深く考えず、いつもどおり素直な調子で。
「ありがとう、タオ」
とだけ言った。
そして、夜。
見張りとして起きていたエクスは、小さく欠伸をしながらも、真面目に火の番をしていた。炎が小さくなれば枝を足すという地味な作業。見つかるかもしれない危険と隣合わせだが、むしろ、ヴィランなどの敵が襲ってきたら真っ直ぐ焚き火の方を目指すだろう。
それは、エクスにとって好都合だった。
ヴィランはほとんど思考しない。簡単な感情なら持ち合わせているようだが・・・・。
寄ってくる光は大隊ヴィランだろう。もしかしたら普通の人かもしれないが、どちらにせよ、坂になっている山の頂上にいるエクス達の方が有利である事に違いは無い。
とはいえ、眠気を晴らす為に薪となる小枝を拾いに行くものの、眠気というのは寝ないから襲ってくるものであって、見張り番をしている以上、根本的な解決にはならない。
なので、眠気覚ましに枝を拾いがてら考える。みんなの寝顔でも見ようかな、と。
・・・・ところが。
「エディ?」
人影は、ビクリ、と肩を揺らして振り向く。
人影は下の方に見える、霧に埋もれかかった城を窺っているようだった。
エクスが思ったとおり、それはエディだった。静かに振り返ると、呆然とした様子でエクスを見つめる。
「・・・・エクス君」
「エディ、そんな霧の中で立っていたら風邪を引くよ。えぇと、僕の見張りって頼りなかったかな」
「そんな事無いよ! むしろ、安心感があってすぐにでも眠れるよ!」
エディは、ハッとなって慌てつつ笑みを浮かべる。その表情には一点の濁りも無く、ただエクスを心配させまいと一生懸命である事が伝わってくる。
どうやら、不安感で眠れないという事では無さそうだ。
「・・・・ふふ」
「? エディ?」
「あぁ、ごめん。ちょっと懐かしくなっちゃって」
「懐かしい、って、何が? もしかして、また記憶が戻ったの?」
「うん。僕ね、小さい頃、一度だけ『空白の書』の持ち主と、二人きりで会った事があって」
クスクスと笑うエディ。良い思い出が返ってきているようだ。その表情に不安や怒りといったくらい感情が無く、深夜だというのに周囲が昼のように明るくなったような錯覚を見せる朗らかな笑顔。
もしかすると、つい先程まで眠っていて、そこで見た夢の話なのかもしれない。ただし、本人にとっては記憶が戻ってきた感覚なのだろう。
夢か記憶か、その真偽はエクスには分からない。
「じゃあ、僕達と出会う前から『空白の書』の事を」
「知っていたみたい、だね。でね、その人が僕の事を「召使」って呼んだから、僕があのお城で召使をしていた事を思い出せたんだ」
「!」
エクス達は、これまで何度か空白の書の持ち主と会った事があった。出会いのどれもが戦いと驚きを運んできたが、どうやら今回もそうらしい。エクス達は彼の言う『空白の書』を持つ者に出会っていないが『空白の書』ある所に戦闘アリ。ということわざが生まれそうなくらい戦闘が続けて起きているのだ。
しかも今回は、霧の所為で視界が悪いというオマケつきである。
カオステラーの調律を目的とした旅だとしても、以前からある者達から妨害し続けられている分、エクス達と他の『空白の書』を持つ旅人の戦闘の数は、比べるまでも無くエクス達の圧勝だろう。
調律の巫女と呼ばれるレイナ。その反対の性質を持つ、混沌の巫女と呼ばれる少女カーリーは平和主義者といった体で物語を進めているが、その結果生まれているのがカオステラーなのである。
レイナの住んでいた《想区》も、もしかすると彼女のせいで・・・・。
・・・・ともかく、そこからレイナの旅は始まった。
カオステラーの調律を目的に。
そんな事を考えながら、エディへと目を戻す。
「驚いた事に、容姿が君そっくりだったよ。まぁ、髪と瞳の色だけだけど。性格がエクス君よりずっと能天気だったり、変に不器用で塀を登ってお城に潜入したり。そうだなぁ、何か、エクス君の身体に、タオさんが入ったみたいな?」
「ぷっ、何それ!」
妙に具体的なイメージができてしまって、エクスは噴出してしまった。自分の事だから尚更性質が悪く、思わぬツボにはまってしまったようである。
更に記憶は蘇る。
「驚いたよ。庭を掃除していたら、急に上から人が振ってきて! 正門には憲兵がいて通れなかったけど、どうしても近くでお城が見たいからって塀を登ったみたいで。満足したらすぐに帰っちゃったよ」
「へぇ。何か、面白い人だね」
「でしょ? それでその時、僕の『運命の書』を見せたら、その人も自分の『運命の書』を見せてくれた。それで、彼が『空白の書』の持ち主だって分かったのさ」
活き活きとし始めるエディの言葉に。エクスは何処と無い違和感を覚えた。
何に違和感を覚えたのだろう・・・・。
「でも、見せ合ったらすぐまた塀から帰っちゃって。あ、いや、この場合行っちゃった、かな。彼は、この《想区》が出身地というわけではなかったみたいだし。でも、あんなに早く帰る事は無かったのに。もう少し話がしたかったなぁ」
「あぁ、その理由なら分かるよ」
「えっ」
『空白の書』を持つ者は、その場にいるだけでもあらゆる運命を変える恐れがある。
実は、ヴィランが現れる原因はたったの2つ。
カオステラーによって、その《想区》の住民の運命が書き換えられるか。
もしくは、なるべく早く『空白の書』を持つ者を追い出すためか。
その『彼』も、後者の事象を知っていたのだろう。だから、なるべくトラブルを起こさないよう、観光名所的な部分を見て、さっさと退散したのだ。
実に簡単な理由だったのである。
「そっか。それじゃあ仕方ないね」
「ああ。僕達も何回かそっちのヴィランと戦った事があるよ。ま、カオステラーのいる《想区》よりはマシだけどね。気が楽というか、何というか」
カオステラーによってその運命を書き換えられて生まれるヴィラン。それはつまり、元は人間なのだ。カオステラーを調律すれば、かつて倒してしまったヴィランも元となった人間の姿に戻る。逆に言えば、カオステラーを調律できなければ元に戻らない。
簡単に言ってしまえば、大量虐殺、殺戮と言われてもおかしく無いのである。
「・・・・なるべく早くお城に行きましょう」
「そうだね。そうしないと、これまでに倒したヴィランも、元に戻る事が無いままになっちゃう」
夜が明けたら、すぐにでも出発しよう。そう、決意を新たに、エディは眠りに付く。
エクスの言葉を、心の中で繰り返しながら。
だからだろうか。エディはその日、懐かしい夢を見た。
・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
『へぇ・・・・エディ、ね。よろしく』
それは、容姿だけはエクスにそっくりな少年。
『じゃじゃーん! 俺の『運命の書』! 見てみろ、全部真っ白だろ? これは『空白の書』という代物でさ、まぁ、簡単に言うと自由の証、的な?』
明るい声に、明るい笑顔。エクスと似ている容姿のせいで、夢を見ている自分が笑ってしまう。エクスの容姿とタオの性格が混じったような、とは言ったが、思い出してみればタオとも若干違うようだ。
目立ちたがり。という感じではなく、甘えん坊というか、自慢したがりの子供というか。
『じゃあ俺、もう行くわ! 見る所は見たし。ま、縁があったらまた会えるだろ』
だから。
『彼』が『自由』という名の『空白の書』を手にしている事が、いやに心に突き刺さる。
それまで気にしていなかったはずの何かに、突然大きな価値があると知った衝撃。
『自由』というものに憧れた。
自由という言葉が、甘美で濃厚なメープルシロップのような魅力を放ち始めた。
だから。
《ねね、君、前に会った『空白の書』の子に憧れていたりするのかなぁ?》
そう言う、影にまぎれて姿も名も知らない人物の言葉も、砂糖菓子みたいな甘みを感じた。
《此処にね、面白い物があるのよ。ボクは君の『自由』に対する憧れを尊重したい!》
その甘さに魅了され、吸い寄せられていく。
《だからさ、良いと思うよ。君は『解放』されても》
そこには、キラキラと輝く自分が求めてやまない『希望』があって。
《これは『願いの宝珠』だよ。さぁ、君の願いを叶えちゃえ☆》
その甘さの正体が、
―― 人食い植物の、罠とも知らず。
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