Intruder In My House

広友孝美

第1話

守は今日帰ってこない。明日も帰ってこない。仕事だかで海外へ行っている。一緒に行く約束をしていたJealousy Angelsの公演も行けなくなったし、もう最悪な状況だ。本当にあいつは大事な時にいない。

そして、何でヤツが私の家にいる? あれは普通のヤツじゃない。これはかなりの異常事態だ……


とりあえず、まずは落ち着こう。ヤツはこの部屋のどこかに潜んでいるのは確実だけど、私の存在には気づいていないようだ。クーちゃんがいたおかげで私の方に注意は向かなかった。このまま玄関から外に出ればいいのかもしれないけど、ヤツにずっと待ち伏せされたらおしまいだ。いや、それ以上にヤバいことになる可能性もある。あ~、絶えられない!

警察呼んじゃう? いやいや、それはダメ。この前110番したけど相手にされなかった。

こうなったらやるしかない。私が殺るか、殺られるかだ。


まずは武器を、武器を手に入れなくては。手近にあるのは靴、サンダル。

ダメ、床が汚れる。潔癖性の私には絶えられない。却下!

消臭スプレー、防水スプレー。消臭スプレーならありかもしれない。これはキープ。

他に何か打撃を与えられる物は?

う~ん、靴べらじゃ弱い。花瓶は割れし、傘は絶対ダメ。この前買ったYves Saint Laurentしかない。なんでビニール傘はお店に置いておくとなくなるの!

しかも、守はよく傘を電車に置き忘れて来るし、あの役立たず!


コッ



え、今音がした?

ヤツがいる?


……


気のせい?

鼓動が早い。深呼吸をしよう。

すー、はー。


キャンキャンキャン!

ッダダダダダダダダダ!

チワワが勢い良く廊下を駈けて来た。


ちょっと、クーちゃんこっちに来ないで~!

手で払う素振りをするとしっぽを振って喜んでいる。私は遊んでるんじゃな~い!

「クーちゃん、し~」

小さい身体を抱っこをして小声で伝える。私の顔をペロペロしているが、少し大人しくなってくれた。今のでヤツに私の存在を気づかれただろうか?


……


静か。気づいていないの?

もう。クーちゃんのせいで余計ドキドキしたよ。素数を数えて落ち着こう。

2,3,5,8,11,13,17,19,23……

落ち着いた所で……


ピロロロロロ

って、今電話ぁ!

守だよ絶対、このタイミング。あの使えない男!

早く切らなきゃ!

って、あ~、間違えて出ちゃった!


「もしもし波路琉ちゃん?

沙羅魅だけど今度一緒にUFJ行か……」


急いで電源を切る。

そして、まさかの沙羅魅ちゃん!

突然切ってごめんね。あとで謝ろう。そして銀行に何しに行くの? ローンの連帯保証人とか?

まぁそんなことはどうでもいい。今ので確実に私がここにいるのがヤツにバレたことが問題だ。こうなったら覚悟を決めて行くしかないッ!



ヤツのことだ、安全な場所で私が来るのを待ち伏せしているに違いない。私がビビっているのを感じ取っているんだ。さて、どこへ行く?

始めはリビングにしようかな。ヤツがいたら消臭スプレーで目つぶしをしてその辺の物で手当り次第に攻撃。作戦は完璧!

音を立てない様に歩きリビングへ。クーちゃんの荒い呼吸だけが廊下にこだまし、自分の心臓の音のせいで他の物音は聞こえない。なるべく呼吸を乱さない様に。いつ襲われても対応できる様に落ち着こう。


ふう。何事もなくリビングに着いた。さあ、ヤツはソファーの後ろか? いったいどこにいるんだ?

考えるな。感じるんだ、波路琉。電気をつけよう。


パチ


部屋が明るくなる。ヤツの姿はない。隠れているな。テーブルの上のVOUGEを丸め武器にする。

VOUGEを武器ってなんか矛盾してて面白いと思いつつソファをおそるおそるつつく。


……


いない?

ここではない?

他の隙間にいるのか?

それとも他の部屋?



キャンキャンキャン!


しまった、キッチンの方だ。しかもクーちゃんが危ない!


タッタッタッタッタ


「クーちゃんダメ!」

私はクーちゃんを止めようとした。しかし、遅かった。

黒光りするそいつがキッチンのテーブルの下へ行くのを見たのが最後。次の瞬間、クーちゃんがヤツを口で捕まえていた……


クチャクチャクチャ



「クーちゃん!」




私は絶望に飲まれた。

クーちゃんはかわいい子だった。初めて見たテレビのCM。あのチワワに憧れて飼ったのだ。

まんまるの丸い瞳。かわいい声。公園で一生懸命ボールを追いかける姿。

あぁ、すべてが走馬灯の様に蘇る……


「クーちゃんごめんね。私がもっとちゃんと気をつけていたらよかったのにね」


クチャクチャクチャクチャ


あぁ食べてる。今は何をしてもダメだ。食事が終わってからでないとヤツは殺せない。

黒光りする触手に巻き付かれ内側から補食されるクーちゃんの身体。ヤツは血が一滴も外にこぼれないぐらい器用にむさぼり喰っている。


「本当にクーちゃんがモンスターになっちゃうなんて皮肉ね。パパが武器を肌身離さず持っておけって言ってた意味がわかったわ」

私は冷蔵庫を開け冷えた水とキンキンに冷えた銀の筒を取り出した。

水を飲みながら私は、先にキッチンへ来なかったことを後悔した。



ヤツの名は「ミトラモリリ」

幼体はこの星でもっとも嫌われている虫によく似ている。例のごとく私も幼体の時のヤツがとんでもなく苦手だ。見るのも無理。存在が無理。もうなんか無理!

だが、幼体の時のヤツははすこぶる弱い。スリッパや雑誌で叩けば潰れるし、殺虫剤で死ぬ。Gとほぼ同じで見分けるのは難しい。

ただやつらがある一つの生命体を補食するとかなりヤバいことになる。そう、ヤツは動物を食べると恐ろしく進化するのだ。仕組みは未だにわかっていないが、私たち「イルルミルカ」と同じ銀河系に住んでいたのは調査済みだ。

私たちイルルミルカの宇宙船が連れて来てしまったのか他の種族が運んで来たのかは不明だが、私たちは成体になったヤツらを特殊な波動で引き寄せ駆除しなくてはいけない。でないとこの星の生物はみんなヤツらのエサにされてしまうから。

「都市部での幼体の発見例はないし、繁殖は海が近くにないとダメなはずなのに。何やら怪しいわね。あとで上に報告しよう」


ヤツは補食変容中がもっとも硬い。ダイヤモンドカッターでも傷一つ付かない無敵タイムだ。実験の結果、核爆発で触手が1,2本取れるぐらいだと報告されている。補食から変容までだいたい25分。ネズミを食べれば5分、ゾウを食べると1時間。ちなみに人間も1時間。今回は小型犬なので8分後には成体になるだろう。

ヤツの恐ろしい所は食べた物の性質を引き継ぐということ。人間だと知性が付くので厄介だし、肉食獣なら狩る側も狩られる危険性が出てくる。しかし、小型犬ならば目をつぶっていてもやっつけられる程度だ。


そして、今日クーちゃんが真っ先に襲われなかったのはヤツの特性にある。ヤツはもっとも強い成体になりたいので、身の危険を感じ取らない限りむやみに弱い生命体を補食しないのだ。今日は完全に私のミスだ。私がビビっていたせいですべてが狂ってしまった。


すでに黒光りしていた動く物は静かになり、今では灰色の塊になっている。これからチワワに似た色と形になっていく。


「はぁ」

とため息をつき、またひと口水を飲む。


ミトラモリリの成体の駆除は簡単だ。この要冷蔵の銀色の筒の中にある短剣をヤツの身体に突き刺すだけ。成分は水銀やらチタンやらでできてるらしい。なぜ冷やすのかというと、この短剣は摂氏10度を超えると柔らかくなってポキンと折れるからだそうだ。実際冷えてなくて折れた所を見たことがないので、冷やす本当の理由はよくわからない気もするが。


ググゴゴゴ


いよいよヤツが動き始めた。成体になったやつらはさらにエネルギーを得て繁殖を試みるつもりだ。手当たり次第に補食を続け、自分の身体いっぱいにエネルギーを蓄えたら海へと向かう。そして、海に身投げするのだ。海に入ったヤツの身体は1000から10000を越える卵玉細胞に変化し、海の中を漂い成長してまた陸地へ戻って来る。

まぁ、海の中のヤツらは生命力も生存率も低く生態系を脅かす恐れがないので怖くはないが。


ババブブブブッ

ヤツが不器用に音をならし私を威嚇して来た。


「さぁ、かかってきな。このワン公。クーちゃんの仇だぁぁ!」

気合いを入れ短剣を構える。


ドン!

「おい、うるさいぞ!」



うわ、隣人に壁ドンされた!


ブルルルッ、ガブブ!



って、よそ見をしているうちに右足を噛まれた!


しかし、まったく問題はない。私たちイルルミルカの肌は簡単には傷つかないのだから。ヤツは必死に噛み痕を作ろうと何度も私の足に牙を立てている。


ガブガブガブガブッガブッ


虚しいな。小犬の身体なんかで私に歯向かおうとは。

私は冷静にクーちゃんだったヤツの首を左手で掴み動きを止め、ゆっくりとヤツの左の脇腹に短剣を刺していった。


ギュギュギュギュ


ヤツは変な声を出しながら白い蒸気を吐き出す。微かに潮の香りがする。ヤツは短剣を刺されると構成するすべての物質が気化してしまうのだ。骨も何も残らない。

私は短剣の刺さったままの物体を床に置き換気扇を回した。

そして、ジーンズのポケットから電話を出し電源を入れリダイヤルをする。


プルルルル


「あ、もしもし沙羅魅ちゃん。さっきはごめんね。電池切れちゃって」

「うん。UFJ行こうね。私口座ないけど大丈夫かな?」

「あ、そっか。遊園地の方か。うん、いいよ」

「へぇ。いいね」

「面白いね」

「OK。今度の日曜日ね。公くんにもよろしくね。うん、それじゃ」

「バーイ」


電話をテーブルに置き、床に転がっている短剣を拾い筒の中に戻す。

「クーちゃんごめんね」

感傷に浸るのは好きではないが、今は自然と涙が出てしまう。



ガチャ


玄関が開き誰かが入って来た。


「ただいま波路琉。今日はクッキー静かだな。寝てるのか?」


はぁ、タイミングも悪いし気も利かない最低な男だな。佐藤守。

でも今はこのモヤモヤする気持ちが消えるまで、しばらく彼に抱きしめてもらうとしよう。


「おかえり、守」

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