第12話 木漏れ日
「休みだって言ってもやることないんだよなぁ」
カウンターの近くの席でナオトが机に身体を投げ出してだらけている。
お昼の時間帯が終わり、がらんとした食堂にナオトの声は音叉が鳴るように広がって、消えていった。
洗い終わった食器を一つひとつタオルで拭きながら、もうそろそろ長袖を着ているのは暑いな、なんて思う。
桜が咲いていたのはついこないだのように思うのに季節はいつの間にか通り過ぎていた。
雨の日は蛙が声量を春の二倍くらいに上げて盛大に合唱をしているし、晴れた日には額に汗が浮かんで油断しているとぽたりと地面に落ちてしまうくらいの暑さになった。
この数週間で雨が降ることもぐっと多くなった。雨季に入ったのだろう。雨が一週間も降り続いた時は、いつもは穏やかに流れ、牧歌的な風景を引き立てる小川もあふれてしまいそうなくらいに水かさを増していた。
けれどそれも悪いことばかりではないようで朝食を食べに来ていたヴァルトおじさんが野菜がよく育つ季節だと喜んでいた。
とは言ってもぼくにとってはやはり嫌なことの方が多いのかもしれない。
雨が降ればお客さんは自然に減る。みんな雨の日に外に出てまで、ましてやこんな村の外れにある場所にはなかなか食べにこようとはしないのだろう。
そうは言っても足しげく通ってくれる人がいるのだから嬉しい限りではあるのだけれども。
「せっかくの休みなんだよね。何かしたいことはないの?」
初めて店に来てくれてからはや二か月くらいが経って、もはや常連ともいえるようになってきたナオトにぼくは声をかける。
ナオトはこの店をたいそう気に入ってくれたようで二、三日に一回は来てくれるようになった。
まだ新米でそれほどお金を持っているわけではないであろうナオトにとって、この店のリーズナブルな価格設定は気軽に訪れるのにちょうどいいのだろう。一人暮らしをしているらしいので料理を自分で作るのが手間だということも一つの要因なのだろうか。
さすがに毎日ではないが頻繁にここに来てくれるナオトとぼくは自然と仲良くなった。
初めて会った時から話しやすく気が合いそうだなと思っていたのは間違いではなかったようで、すっかり気の置けない友達になった。
やっぱり懐に入るのが上手いよななんて感心しながらナオトを見る。
「んー、なんかしたいことと言ってもな。この村なんもないだろ? あ、嫌味言ってるんじゃないぞ。まあ俺の故郷も似たようなもんだけどさ、自然しかないから休みでもゆっくりするくらいしかやることがないんだよな」
たしかにそうだなと思う。
この村には美しい自然があるとは言えど、逆に言えば美しい自然しかないとも言える。
時折来る観光客たちからすればその自然を感じることこそが普段の自分たちができることではなく、わざわざこんな辺境まで足を伸ばす価値があるものなのだろう。
けれどずっとこの村に住んでいるとそれも当たり前にあるのもの一つに過ぎなくなってくるのだろう。
ナオトもここに配属されてから数か月もしたので爽やかな自然の中でゆっくり時を過ごすなんてことには飽きてきたのだろう。
ぼくも昔はこの自然に飽き飽きしていたものだ。
しかしこの村にはない中等学校に通うために町に出ていた頃にこの村の良さに気が付いた。
等間隔置きに街灯が設置されていて、夜になっても火の精霊石から出た光がランプからあふれて、石畳で舗装された道を照らしている光景はぼくには馴染まなかった。
ぼくにとっての夜とは月明りが自分の影を後ろに長く伸ばし、えらく余裕を持っておかれた街灯が気まぐれに照らしてくるものだった。
用事で学校に残っていて辺りがどっぷりと闇につかった時でさえ、空の星はいつもこの村で見ている数の半分程度しかなく、虫の声も風で木々がそよぐ音さえも聞こえてこなかった。
それがなぜだかぼくにはあまりいいものでは感じられなかったのだ。
真っ暗な中でも真っ白な服を着て、街道の警備をしている衛士たちに挨拶をしてこの村に入ってきたときはいつも気が抜けたように息を吐きだしていた。そしてその後で大きく息を吸う。そうするとこの村に帰ってきたんだとう言う実感がわいた。
けれど夢を見た次の日はなんだか学校に少しでも長く居たくて、履きなれない革靴が白い石畳を打ち鳴らす音を少しでも長く聞いていたくなった。
あれはいったいなぜだったのだろうか。卒業した今ではもうわからないことだ。
「まあ、これでも食べなよ。試作品だけどよかったら食べてみて」
冷凍庫にいれて冷やしておいたアイスをへばってしまっているナオトに差し出してやる。
夏に似合う爽やかな黄色をしたそれは少しじめっとした部屋の中でやけに涼しげだった。
添えられたバジルのすっとした匂いがぼくの鼻にも届いていくらか涼しくなった気がする。
ナオトが一口すくって、食べる。
「おいしい! めっちゃおいしい! これレモンのアイス?」
「そう。普通に果汁を入れるだけじゃなくて皮の方も使ってみたんだ。より香りが出るかなと思って」
「すごい香りでてるって。口に入れた瞬間一気に鼻から香りが抜けて行ってすごいレモン!って感じする」
喜んでもらえてぼくは嬉しくなる。
ここ最近厨房の方も任されるようになってきた。それと同時に新メニューの考案も任されるようになってきたのだ。
まだまだ本格的に働きだしてからは間もないが、最近は自分が少しづつ前に進めている気がして楽しくなっている。
母さんもぼくが作った料理を美味しいと褒めてくれている。
大体週に二回くらいはぼくがメインで料理を作るようになっていた。
窓を閉めていてもここまで届いてくる雨の匂いにあの人の顔を思い出す。
「あ、そうだナオトお願いがあるんだけど」
一気にアイスを食べたせいでキーンときたのかナオトはこめかみを人差し指と親指で押さえていた。
今日はなにもすることがないと嘆いていたならせめてゆっくり食べればいいのに。
まあそんなせっかちなところもナオトらしいかとも思うのだけれど。
「なんだ?」
「森にラズベリーを取りに行くのを手伝ってほしいんだ。新しいメニューに使いたくて」
途端ナオトの顔が厳しくなる。
「どうなんだろう。この前の竜騒ぎがあったけど結局まだ正体わかってないんだよな。まだ魔物がいるって可能性もあるし……」
ナオトが言わんとすることも分かる。
竜が現れたかもと騒ぎになったあの時から二か月くらい経つが結局まだその正体は分かっていない。
ノルマンさんが睨んでいた岩蜥蜴ロック・リザードどころかその他の危険な魔物さえ現れなかった。
最近は森を巡回する衛士の数もいつも通りに減らされた。警戒はしたいがあまりそちらにばかり気をかけていられないというのが本音なのだろう。
ただでさえ人で不足なのだとノルマンさんは以前嘆いていた。
「まあ森は元から他の場所に比べれば危険だしね。だからナオトに頼んでるんだよ」
「頼りにしてくれているのはありがたいけどなあ」
悩むのも無理はないだろう。衛士として村人をみすみす危険にさらすわけにはいかないのだろう。
森は普段なら村人もあまり立ち入らない。子どもがそこに入ったと言おうものなら親にしこたま怒られる程度には危険なところだ。
けれど木こりたちはその森で毎日働いている。
つまり気を付けなくてはいけないが武に心得のある人が付いてきたり、村に近いところに分け入るくらいなら大丈夫だというのがこの村の認識になっている。
ナオトは新米だが筋がいいとノルマンさんから聞いている。凄腕のノルマンさんが言うのだから彼の腕は確かなものなのだろう。
彼がいるならばそう危険なところではないはずだ。
「じゃあノルマンさんに聞いてみてからいくことにしよう。それで許可をもらえたらついてきてくれないかな」
それでも悩んでいたようだが、まあそれならとナオトも折れてくれた。
そうと決まればと後片付けをする手を早める。
ナオトが食べていたアイスの皿も手早く洗い、水気をきっておく。
このアイスはありだなと考えたレシピを書いているノートに赤で丸をつけておく。
しっかりと戸締まりをして、ぼくらはノルマンさんがいる東の詰め所を目指し、外へ出た。
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