10:猫の心は飼い主のものです

「ねぇ、誰か待っているの?」

 あきはの大学の正門で待ち伏せしていると、三人組の女子大生に囲まれる。他からもちらちらと視線を投げられているので、もしかしなくても俺は目立っているんだろう。こんなところで人待ちをしているのが珍しいのか、それとも――。まぁ深くは考えないでおこう。

 邪険に扱ってあとで面倒なことになっても困るので、お行儀のいい猫を被る。猫だけに。にっこりと笑っておけば女子大生のおねーさま方は上機嫌になる。

 それからしばらく、目当ての人の姿を見つけて俺は声を上げた。


「あ、あきは」


 あきはの背が、ぴくりと反応して立ち止まる。きっと今ごろ聞こえなかったフリしようかどうか悩んでいるんだろうなぁ。逃がさないけどね?

「それじゃあ、おねえさんたち、またね」

 愛想よく手を振って、集団から抜けるとあきはに駆け寄った。

「あきはっ」

 人目も憚らずに後ろから抱きつくと、おねーさま方のほうから黄色い声が聞こえた。女の子ってこういうの好きだよなぁ。

「翠くん、どうしたの大学まで」

 あきはが呆れたような顔で俺を見上げてくる。もちろん用意しておいた言い訳を淀みなく告げた。

「えーと、下見もかねてあきはを待ってた?」

「ね、目立つからやめて」

 ぺちぺちと俺の腕を叩いて離してくれとあきはが要求してくる。家の中ならもう少し堪能したいところだけど、確かに外だと目立つ。

「んー……まぁいいかな、マーキングはできたみたいだし」

 ぼそりと呟くと、あきはにはよく聞こえなかったらしい。「は? なに?」と首を傾げているので、なんでもないと誤魔化した。腕の中のあきはを解放すると、その手にあった鞄を持つ。空いた手はもちろん逃げないように掴まえた。指と指を絡めるような、いわゆる恋人つなぎでもあきはは何も言わない。何か言いたそうな顔はしているけど。

「あれ? 下見って翠くんは東京の大学行くんじゃないの?」

「大学入ったら一人暮らしって考えていたけど、東京の大学かどうかはまだ迷ってる。あっちは物価高いし」

 あきはと再会しなければ、東京に行っていただろう。生まれ育った場所に愛着がないわけではないけど、都会も多少は気になる。向こうのほうが選択肢がたくさんあるってところは悩みどころでもあるけど。

 ――こっちの大学に入れば、うまく言いくるめて今の生活を続けられるんじゃないかな、なんて打算もあった。

「そ、そっか」

 そのあとあきははすっかり黙り込んで、電車に乗るために改札を通って、一度は離れたはずの手を再び繋いでも何も言わなかった。こういうときのあきはって、あまりよくないこと考えてそうなんだよなぁ。

「あきは? どうかした?」

 もう次で降りるよ、と告げるとあきははハッとして「なんでもないよ」と繋いだ手を離そうとした。いやいや離すわけないじゃん。離したら逃げそうだし。逃がすつもりないし。

 以前とは違ってこちらが攻めるとあきはは顔を赤く染める。まぁようやく、猫扱いからどうにか人間扱いになったんだろうか。でもだからといって、確証はない。そろそろ俺も、我慢の限界なんだよね。


 ――俺はいつまで、可愛い猫でいないといけないわけ?


 家に着くと、持っている合い鍵で鍵を開ける。あきはと繋いだ手はそのままなので、あきはが入りやすいように扉を押さえた。むず痒そうな顔であきはが後から続いて家に入る。

「おかえり」

 最近になって、おかえりとかただいまとか言うのが好きなんだと気づいた。……たぶん、あきは限定だ。

「はいはい、ただいま。翠くん、いいかげんに手――」

 離して、と言いかけるあきはの手を持ち上げて、手の甲に唇を寄せる。その途端にあきはは声を失ったみたいに口をぱくぱくさせて顔を真っ赤にした。

「み、み、みどりく」

「で、どこまでだったら猫としてオッケーしてくれるの?」

「は、はひ!? うひゃっ」

 手の甲にキスしたまま、ぺろりと舐める。

「な、なに言ってんの!?」

 あきはが逃げようとするけれど、狭い玄関に逃げ場なんてない。第一、あきはの手は俺が掴んだままだ。

「あきはが言ってたんだよ。俺は猫みたいなもんだって」

「いいいいいいいつ!?」

 やっぱり覚えてないんだなぁ、と内心で苦笑する。

「泥酔して俺と一緒に寝たとき。……まぁその前からくっついてみても平然としてたし、年下だから警戒されてないのかなとは思ってたけど」

 じりじりと距離を詰めると、あきはが動揺するのが手に取るように分かった。

「このままキスしちゃっても猫としてオッケー?」

 許可とらなくてもいいかな、なんて悪い心もあるけれど、あきはの反応を見たくてわざと問いかける。彼女は動揺と混乱でいっぱいいっぱいという感じだった。飼い猫に噛みつかれるなんて思ってもみなかったのかな。

「いやいや猫とちゅーはしないから!」

「する人いると思うよ?」

「そうかもしれないけど! そもそも翠くんは猫じゃないでしょ!」

 猫って言い出したのはあきはなのにね、と思いながら逃げられないようにあきはを囲い込む。

「じゃあなんで家までずっと手ぇつないじゃってんの? こんな状況になるまで油断しちゃってんの? 俺じゃなかったら泥酔したときに食べられてるからね?」

 そこらへんの男だったらおいしそうな据え膳を喜んでいただいているだろう。大事な子じゃなきゃ俺だってあんなに我慢しない。一晩中抱きつかれるとかなんの拷問だよ。

 あの時だけじゃない。今までも、あきははあまりにも無防備すぎる。それは俺だから許されているのか、それとも――分からない以上、俺だって困る。

 好きだと告げてしまって、いいのかどうか。

 同居生活はまだ一年近く期間が残っているのに。

 動けないままの状況はきつい。猫のように甘えて、それが許されるのも楽しいのは最初だけだ。それは、俺だから許しているの? って不安になる。

 逃げ場を失ったあきはは、声を震わせて「そんなの」と呟いた。


「翠くんが好きだからに決まってるでしょう!」


 答えを求めて詰め寄ったくせに、いざ答えを投げつけられると頭の中が真っ白になった。

 だって、正直、勝算は五分五分かなって思っていたんだよこっちは。ただの年下を可愛がっているだけかなって、そういう可能性も考えていたんだよ!

 それがまさかこんなド直球に認められるなんて、誰が考える? 考えてなかったんだよびっくりするくらい。

「みどりく」

 一瞬の間のあとに、あきはが俺を見て目を丸くする。やばい、やばいやばい。顔が馬鹿みたいに赤くなっているのが自分でも分かる。かっこ悪い。

「や、えっと、ちょっとタイム」

 腕で顔を隠して、顔を背ける。けれどあきははそんな俺の様子に気づくと途端にしたり顔になって俺の顔を覗き込んできた。

「翠くん、お返事いただけるとうれしいんですけど」

「あきは、ちょっとそれずるい」

 あーもー。なんでこうかっこよく決められないのかなぁ。しゃがみこんだ俺に合わせて、あきはもしゃがんでこちらを見つめてくる。

「翠くんかわいい」

「それうれしくない」

 くすくすと笑うあきはは、すっかり余裕で年上のお姉さんぶっている。

「あきは、楽しんでるでしょ」

 頬の熱も引いてきた。余裕の表情を浮かべているあきはが返事をする前に腕を掴んだ。そのまま噛みつくようにキスをした。年下だからってからかうとこうして噛みつかれるんだよ、あきはさん。

「猫にはちゅーしないけど、彼氏ならいいでしょ?」

 にやりと笑いながら、顔を真っ赤にしたあきはに宣言する。彼氏ってことでいいんでしょ? って。あきはは悔しそうに――けれどどこか負けを認めるかのように笑った。


 ねぇ知らないでしょ、あきは。

 俺の心はとっくに全部あきはのものなんだよってこと。

 ……悔しいから教えてやらないけどね、まだ。



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