9:酔っぱらいに抱きつかれたんですけど
俺が和佳子さんと話していると、酔いつぶれたあきはがんんん、と唸った。起きたのかと思うけどそうではないらしい。
「あきは、大丈夫?」
問いかけてもあきはは唸るばかりで、どう見ても大丈夫そうではない。これはもうベッドで寝かせたほうがいいんだろうな。
「俺、運びますね」
「いえいえへいきれすよぉーあたしはちゃんとあるけますよー」
ひらひらと手を振ってあきはが答えた。うん、そのふにゃふにゃとした口調から完全に酔っ払っていることが証明されたね。
「いや、絶対無理でしょ」
んふふー、と抱き上げているあきはは実に上機嫌だ。ていうか思っていた以上に軽いんだけど、あきはってばちゃんと食ってんの? いやしっかり朝と夜を食べているのは見ているし、昼も俺のと一緒に自分の弁当作っているのも知っているけど。太りにくい体質なのか、それとも女の子だから気を遣っているのか。
「翠くんかわいー」
かわいいのはどっちだよ、と内心で呟く。すりすりと人の胸に頬を寄せてきちゃって。警戒心のかけらもない。こっちは理性とさっきから戦っているんですけどね。健全な男子高校生にはかなりの苦行なんですけどね!
「かわいいはうれしくない」
「じゃあきれー?」
綺麗って。嘘でもかっこいいと言ってほしいんだけどなぁ。男として見てないって言いたいわけ? 俺だってへこむんですけど?
「綺麗もうれしくない。それ男に言うセリフじゃないよ」
階段を上りながらため息を吐き出す。こっちの身にもなれっての。
こうしてやわらかい身体を抱き上げるのだって、未だ入ったことのないあきはの部屋に入るのだって、高校生男子としてはかなり刺激強い。そこんとこわかってないよな、この酔っ払いは。
心臓破裂しそう、と思いながらあきはの部屋に入る。シンプルだけど女の子らしい内装。部屋の奥にあるベッドに思わずごくりと息を飲み込む。冷静になれ自分。冷静に。関ヶ原の戦いは? 1600年ですね。念仏のように頭の中で「落ち着け」と繰り返す。それでも効果がなかったのでひたすら円周率を唱えた。
「みどりくんは、かっこいいんです、よ」
「っ」
どうしてこのタイミングでそういうこと言うかな!
襲われたいのかこの女は!
ふぅー、と深呼吸をして、あきはをそっとベッドにおろす。が、俺のTシャツを握りしめたままあきははいっこうに離す気配がなかった。
「あきは?」
なぁに、と甘い声が俺の声に応える。
「ちょ、あきは」
駄々をこねる子どものように俺にますますしがみついてくる。ふわりと髪から花のような香りがして眩暈がした。なんだこの苦行は。俺が何をしたっていうんだ。
「放してっていうか、離れて」
「やだやだー」
やだじゃないよマジで。俺もさすがにそこまで聖人君子じゃないんですけど!?
まるで抱き枕のようにぎゅうっと抱きつかれたままベッドに引きずり込まれる。あーあーあー。次はどうする。円周率なんて吹き飛んでしまった。お経でも唱えていればいいのかこれは。お経なんて覚えてないぞ。
抵抗を止めるとあきはは安心しきったようにすやすやと眠っている。家にいるときのあきはは化粧っ気がない。その方が好きだけど、でも出かけるときにおしゃれしているのもかわいいなぁ、と思うからあきはならどっちでもいいんだろうな、俺。
「そのままおいしくいただいちゃってもいいわよー?」
扉のほうから声がして、びく、と肩が震える。どうにか顔だけ扉の方へ向けると、にやにやと笑った和佳子さんがこちらを見ていた。
「わ、和佳子さ、これはちが」
「酔っぱらって前後不覚になってヤられたってねぇ、あきはちゃんも大人なんだしあたしはしーらないっ」
しーらないっ、じゃなくて! そこは大人なんだから煽るんじゃなくて止めてほしいんですけど。これを引きはがしてほしいんですけど! アンタ母親だろ!? さっき言っていたことと違うんですけど!?
「みどりくんはーねこなんですーうちのにゃんこなんですー」
寝言だろうか、突然あきはがそんなことを言い出す。男として意識されてないかな、とは思ったけど猫って。本気で猫扱いしていたのかこの人。
「だからーねこはかわいがらにゃきゃいけないんれすー」
「あーもうあきは黙って寝てればいいんじゃないの」
何か話しているとバカっぽいよ。扉のほうからはくすくすと笑う声が聞こえるし。なんなのこの母娘。
バカバカしい寝言のおかげか、だいぶ冷静になってくる。くっついてくるあきはの髪を撫でると、猫のように気持ちよさそうにすりすりしてくる。どっちが猫だよ。
「おやすみー」
面白がっているような声音で、和佳子さんは部屋の電気を消しやがった。ちょ、ちょっと暗闇はさすがにまずいでしょうが!
ふにふにしている身体とか、視覚が使い物にならないぶん余計に意識する。ああ、もう、俺だって明日学校なんだけど。おやすみって、眠れるわけがない、こんな状況で。
……試されてるんだろうなぁ、和佳子さんに。
「はぁ、しょうがないなぁ」
とりあえず猫はおとなしく抱き枕になりますよ。
時計のカチコチという音がやけに響く。
ふ、と目を覚ましても部屋の中は暗いままだ。緊張で眠れないかと思ったけど寝ていたらしい。俺も図太いな。
すーすー、という規則正しい寝息がすぐ隣から聞こえる。ていうか息が少しかかるくらいの距離だ。
「あきは」
名前を呼んでも、あきはは目を覚まさない。
そっと頬を撫でてみる。すごくなめらかですべすべだ。やわらかい。何で出来てんだろ。
無防備な姿にちょっとイラッとくることもあって、俺はあきはを抱き寄せる。それでも起きないどころかこっちにすり寄ってくるのってどうなのホント。
あきはの前髪をかきあげて、現れた額にキスをする。
これくらいの悪戯は大目に見てもらわないと、割に合わないっつの。
朝、目覚めたあきはが混乱しているのが手に取るようにわかったので、ほんの少し意地悪しつつ。
深夜の秘め事は心の奥底に隠した。
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