7:お留守番はさみしいです

 

 ――友達の家で飲むことになりました。


 休み時間にスマホをチェックしていて、あきはから届いていた連絡に思わず「はっ!?」と声をあげる。問題はそのあとの今日は帰れないかもしれないから、という文字だ。帰れない!? 帰れないってどういうことだ!

 慌てて電話してみるけれど、あきはの声を聞けないままに留守番電話に接続された。落ち着け、と言い聞かせて時計を確認する。ああ、この時間なら講義だよなそうだよな、と騒ぎ出したい自分を納得させた。

 イライラとあきはからの着信を待つこと三十分ちょっと、携帯が鳴る。

『もしもし、翠くん?』

「あきは?」

 ついつい苛立ちから声が低くなった。あきははそんな気配を察知したのだろうか、口調をやわらげた。

『ごめんね。講義中だったから』

 知ってるよ。そういうことで苛立ってるんじゃないよ。あきはが謝るようなことじゃないってことも、頭では理解している。

「いいけど。今日、泊まってくるの?」

『んー。その可能性が高いかな。帰れても遅くなると思うし』

 帰りが遅くなるって。あきはは一応まだ二十歳でしょ! そんなに遅くまで出歩いてて親は心配しないのって、ああ和佳子さんだったら心配しないだろうね!

 ていうかそれってさ! それってさ!

「それって、女友達?」

 口にしてからいやいやまてよ、男友達や彼氏を疑うのももっともだが、合コンっていう可能性もある。なんていっても花の女子大生だ。そういう機会は少なくないだろう。

「ていうか本当に友達?」

 聞きながら俺なんでこんなに問いつめてんの、そんな資格もないくせに。ぐさりと刺さる自分の心の声に落ち込んだ。

『へ? なに? もちろん女友達だけど。いくらなんでも男友達の家での飲みには参加しないよ』

 男友達の家はさすがに危険って認識らしい。あの和佳子さんに育てられたわりにはしっかりしてんだなぁ、と思う。ふぅん、と小さく呟く。

「もし夜に帰ってくるなら連絡して。駅まで迎えにいくから」

 夜道は危ないしね。俺も気が気じゃなくなるし。

『え、いいよ。悪いし』

 こらこらあきはさん、即答ですか。あなたは若い女子であることを忘れているんですか。近頃は物騒なんですよ?

「夜遅くに女の子の一人歩きなんて危ないでしょ」

 思ったままに指摘すると、電話の向こうで「う」と声がする。そんなのを意識したこともなかったって感じですね、あきはさん。意識してよ頼むから。

『うん、じゃあ帰るときは連絡するよ』

 はいはいそうしてください。俺でも番犬くらいにはなるからね。

 思うけどさー。あきはって警戒心ないの? あるの? 夜に自分の部屋に鍵をかけとくくらいには常識的なのにくっついてみても平然としてるしさぁ。匙加減おかしいからね、マジで。

「……楽しんできて」

 精一杯のやさしさでそう言って、電話を切った。はぁ、と重いため息を吐き出しても心はすっきりしない。




 とんとんとん、と指でテーブルを叩く。

 自分で淹れたコーヒーはあまりおいしくない。あきはが淹れてくれたほうがおいしい。ごはんだって自分で炊いたところで味気ない。もちろんカレーだけはおいしいけど。二日目のカレーはまた格別だ。

 もう何度時計を見たかわからない。カチコチと鳴るその針は、午後九時をさすところだった。

 あーもー、あきは大丈夫かなぁ、嘘とかついていないだろうなぁ。嘘つく理由なんてないし、冷静な自分は心配するようなことじゃないってわかっているんだけどさ。

 とんとんとん、と何度目かわからなくなるほどテーブルを叩いたところで、携帯が鳴る。メールが届いているのを見て即座に開いた。


 ――ごめんね。抜け出せそうにないから泊まります。


「だぁああああああああ!」

 叫びながら突っ伏してテーブルに頭をぶつけた。

 なんで、どうして、抜け出せないのかきちんと説明してくださいあきはさん!!


 ――本当に女の子だけ?


 俺どんだけ疑り深いの、ドラマとかの嫉妬深い女並みじゃない?

 しかもあきはからの返信はすぐにこない。いやいや、ほら、メールに気づいてないだけだって、うん。楽しくて気づいてないだけ。気づけない状況とかそういうんじゃない、うん。


 ――心配しなくても女の子だけだよ。


 しばし待ったすえに届いたメールには短い本文と、楽しげな女の人たち。いやいや、女しか写ってないだけで男が隠れてるんじゃないの、と一瞬また疑ったけれど、その考えはすぐに捨てた。

 わずかに写り込んでいる背景はどう考えでもワンルームの部屋で、しかも写っているあきはの友人であろう人々はみんなノーメイクで髪も適当にしばっている。しかもひとりひっどい変顔してるし。なに、この顔。ウケる。

「はー……俺ちょーかっこわるい」

 なんでこんなに一喜一憂してんの。たったひとりに。

 あきはと同居を始めてから、あきはは外泊なんてしていないしそもそも友人と出かけることも稀だった。もともとインドア派なのかもしれないけれど、休みは一日ごろごろしていることが多い。考えてみたら久々の息抜きなのだ。

 俺に彼女を独占する権利はない。まだ。


 ――疑ってスミマセン。久々の女子会だろうから楽しんできて。


 反省の意味も込めて返信を送る。

 あーあー。いつの間に俺こんなにあきはに惚れちゃってるんだろうね?

 力尽きてテーブルにうつ伏せる。こつん、と額にあたるテーブルはひんやりと冷たい。

 別にすごい好みってわけでもないし、親同士が仲良いってあたりは利点でもあるけど面倒なところでもある。めんどくさいのは俺が一番嫌うことだ。好き勝手に生きたいから縛られることは避ける。それは友情でも恋愛でもおんなじで、束縛されるのは嫌いだ。


 それなのに、俺はどうしてこんなにあきはに夢中になっているんだろ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る