5:甘えてもいいよね?
かまわれたくもない女子にくっつかれて、精神的にもかなり疲れて帰宅してみれば美味しそうな夕食……魚だけど。あきはが作る料理は和食から洋食まで幅広い。魚を綺麗にさばくこともできるんだからそこらへんの若奥様よりもよっぽど料理上手だと思う。
「ごちそうさまでした」
アジフライを綺麗に食べ終えて、食器を片づける。うん、美味しかったですよ……美味しかったけどさ……。向かいに座るあきはから漂う不機嫌そうな空気が重い。女子ってなんでか知らないけど、怒るとき無言で怒るよなぁ……。キッチンでコーヒーを淹れると、俺はまたダイニングのイスに腰を下ろした。あきははまだ夕食を食べている。
「なにかな、翠くん」
じぃっと見つめていると、もくもくとごはんを食べていたあきはの箸が止まる。さすがにじっと見つめられていると居心地が悪いらしい。
「あきは、何か怒ってる?」
何かっていうか、まぁどう考えても駅前で遭遇したあの時のことだとは思うんだけど、けどあきはがこんなに不機嫌になる理由があるだろうか? 名前だけ(以下略)清香ちゃんが見知らぬあきはに対して失礼な態度であったことは俺も察しているけど、それくらいだ。だが直接喧嘩を売ったわけでもないから、あの場で俺が名前(以下略)清香ちゃんを諌めようにも無理がある。
「別に何も?」
あきはは食事を再開しながら低い声で答える。別に何もって反応じゃないよそれ。何より今日の夕飯があきはの不機嫌さを物語っている。
「嘘つけ。あきはは不機嫌なときとか怒っているときにいつも魚料理になるんだ」
それもこの一ヶ月で把握済みだ。あきはは「ちっばれていたのか」みたいな顔をしている。彼女は自分が思っている以上に感情が顔に出やすいことを知らないんだろう。
「駅前ですれ違ったとき?」
それ以外に心当たりがないので直球で問いかけても、あきははぷいっと顔を逸らした。
「べーつーにー」
いやいやあきはさん、その態度は別にってちっとも思ってないでしょ。ふくれっ面なのもちょっと可愛いなーなんて思いながらもそんな場合じゃないと口を開く。
「あそこで話しかけたって面倒だっただろ。あいつら絶対茶化すだろうし」
茶化すだけで済めばいいけど、下手すりゃノリと勢いで家にまで押しかけてくる可能性もある。あきははそういうの絶対断りきれないタイプじゃん。あいつらがこの家に侵入するとか、最悪なんですけど。家の中のあれこれでよからぬ妄想をするに違いない。腹立つ。万が一名前(以下略)清香ちゃんたちまでついて来られでもしたら、瞬く間に同居生活をしていることは広がるだろう。女の口に戸は立てられないってよく言うし。
どう考えたってめんどくさいことにしかならないじゃん。
「だから、気にしてないってば」
むすっとしたあきはが食べ終わった食器を重ねて片づける。
そのままソファに座るのをじっと見つめて、はぁ、と小さくため息を吐き出した。この人、俺のこと振り回している自覚あんのかな。……ないんだろうな。
なんでそんなに不機嫌になるの?
――あきはの態度に、都合のいい夢を見てしまいそうになる。そう、たとえば、俺の隣に女の子がいたからだ、とか。
俺から逃げるようにソファに落ち着いたあきはの背中を見つめる。これで自覚なしに俺を振り回しているんだとしたら、相当な小悪魔だと思うんですけど。
「あきは」
ソファの後ろから、あきはの肩に額を押し付ける。髪から甘い香りがして、くらくらしそうだ。
「あきは」
返事がないので、耳元でまた名前を呼ぶ。無防備に晒される白い首筋に息がかかった。この人、本当にどうしてこんなに無防備なんだろう。無防備という自覚がないまま、美味しい餌を飢えた獣の前に差し出している。
「なぁに」
はぁ、と呆れたようなため息が聞こえたあとで、甘やかすみたいなあきはの声がする。子どもや猫相手に「しょうがないなぁ」ってなるような、そんな雰囲気だ。
猫程度にしか見られていないのは分かっているし、意図的にそう仕向けた自覚もある。だって男は警戒しても、猫相手には警戒しないしね。だから猫が甘えるように、あきはの細い肩にすりすりと額をこすりつける。ちょうど、猫が甘えるときみたいに。
でもあれって、マーキングなんだよね。猫は俺のものだって主張するために自分の匂いをつけようとしているんだよ。
そんなことにも気づかないあきはは、よしよし、と俺の頭を撫でる。ふふ、と小さく笑みが零れた。
「あきは」
自分でも甘ったるいと感じる声で名前を呼ぶと、その白い首筋に唇を落とす。ちゅ、と小さく音がした。
「――ん?」
あきはも異変に気づいたのか、身体が強張った。こっちからしてみれば、跡をつけなかっただけ優しさだと思ってほしいところなんですけどね。
「み、どり、くん?」
ギギギ、と錆びついたブリキの人形みたいにあきはが振り返るので、にっこりと笑う。
「明日はあきはが作ったハンバーグがいいな」
無邪気なフリをしてそう告げると、あきははあからさまにほっと安堵して「ハンバーグね」と微笑んだ。こんなことで誤魔化されてしまうんだから、心配になる。
本気じゃないなら手を出すなよ、と釘を刺してきた兄貴の言葉を思い出す。
……俺だって、まさかたった一ヶ月で転がり落ちていくなんて思ってもみなかったよ。
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