4:気づいてないふりしただけなんです
同居生活が始まって、一ヶ月が経った。
毎朝のようにあきはの部屋の前でノックを繰り返す。警戒心からなのか、以前からの習慣なのか、あきはの部屋の鍵はいつもしっかりとかかったままだ。そのくせよくリビングでうたたねしているからあきはの警戒心も信用できない。この人、よく今まで変な男と遭遇せずに生きてこれたね? と真剣に思う。
「おはよう」
起きてくるあきはは、パジャマのままだ。ほら、警戒心を完全にどこかに置いてきているじゃん。いくら露出も色気もないパジャマだとしても、男はその姿だけで美味しく萌えられるってことを知らないのだ、彼女は。教えないけど。教えたらそんな無防備な恰好が見られなくなるし。
「おはよ」
ヨコシマな心を隠すように素っ気ない反応をして、階段を降りるあきはのあとを追う。少し寝癖のついた茶色い髪も可愛いな、と思ってしまうくらい俺ももう末期だ。
だってさ、まだ一ヶ月とはいえ女の子の美味しい手料理を毎日食べて、無防備な可愛い姿を晒されて、なんとも思うなっていうほうが無理じゃない? 無理でしょ?
あきはの作るスクランブルエッグはふわふわで美味しい。オムレツも絶品だ。昔ならあまり朝は食べないほうだったけど、同居生活が始まってからはよく食べていると思う。
あきはが今思い出したように「あ、そうだ」と振り替え授業で帰りが遅くなることを告げられる。ふぅん、大学ってそういうこともあるのか。あきははいつも比較的早めに帰ってきていたのであまり意識していなかった。
ごめんね、と少し申し訳なさそうな顔をされてこっちも気まずい。そんなに気にしなくても――ああでも帰りが遅いのはどうなんだろう。最近は暗くなるのも早くなったし、あきはは妙齢の女性なわけだし。
「別にいいよ。それなら、俺も遊んでくるし。適当に買い食いでもして夕飯まで我慢するから」
「友達とごはん食べてきてもいいよ?」
たまには遊びたいでしょう? とあきはが首を傾げている。確かにこの一ヶ月ほど、ほとんど寄り道もせずに帰っているけど、別にあきはに気を遣っているわけではない。昔ならファストフードで腹を埋めるという選択もあっただろうけど――。
「うちに帰ればうまい飯が待ってんのにわざわざ外で食って帰るとか意味わかんない。空腹凌ぎなら別だけど」
あきはのごはんは美味しい。そんな食事に舌が慣れ始めているのに、外で素っ気ない食事なんてごめんだ。特に意識もせずに口走ってから気恥ずかしくなって、食器を片づけるといつもより少し早いけれど家を出た。
……無意識って怖い。
――まったく久々に遊んで帰ろうと思ったらこれだ。
俺としては男だけで遊びたいんですけどね。ゲーセンとかゲーセンとか。女子とゲーセン行ったところであれがほしい、あれをとってだのとうるさいだけじゃん。めんどくさい。
「
グロスでてっかてかになった唇が笑みを作る。俺の隣がポジションだと言いたげにべったりとくっついてくるクラスメイト。全然清純そうじゃない、名前だけ清純そうな
化粧濃いよって男の俺から言っていいものか否か。言ったら泣かれそうでさらにめんどくさい。
「彦坂は気まぐれだからさ」
「そーそー」
「るせぇよ」
知ったかぶりで俺の髪をぐしゃぐしゃを撫でてくる友人Aの手を振り払うと、なにがおかしいのかきゃはは、と笑う女子。名前だけ清純な清香ちゃんは完全に俺をターゲットにしてんじゃねぇかよ、友人A・B頑張れよ。
お調子者でムードメーカーな友人Aはよくも悪くも空気が読めないので女子にモテない。年中彼女ほしい! と叫んでいる典型的な高校生男子だ。もう清香ちゃんはあいつの彼女になってやれよ。
はぁ、とため息を押し隠しながら歩いていると、ふわりと風に揺れる茶色のふわふわした髪を見つける。
あきは、と呼びそうになって息を呑んだ。こいつらの前であきはを紹介するとか、ありえない。清香ちゃんなど押しのけて飢えた獣である友人Aは紹介しろと騒ぐだろう。誰がおまえらなんかに紹介するか!
あきはもこちらに気づいたようだったけど、話しかけてこない。そりゃそうだ。俺らの関係をどう説明しろと? 妥当に幼なじみか? それはそれで幼なじみのおねーさまに興奮しそうなバカがいるからイヤだ。高校生男子の妄想力を舐めてはいけない。
「彦坂くん、どうかした?」
名前だけ(以下略)清香ちゃんが首を傾げて問いかけてくる。そしてそのまま俺の視線をたどりあきはに気づいた。やばい。
じとりとしたその清香ちゃんの視線は明らかに戦う女子のものだ。この子すげぇ肉食だわ。
「別に」
このままこの子があきはに戦闘しかけても面倒だ。歩く速度をあげて、通り過ぎよう。
あきはもぱっと目線をはずして、携帯を取り出していた。「あ」という顔をして、慌てて携帯を操作するのが横目で確認できる。
「もしもし、ごめん、電話気づかなくて」
遠ざかるあきはの声。
電話の相手は誰だろう。女だろうか、男だろうか。気安いその声から親しい人なのはわかる。今すぐにでも引き返して探りをいれたい。まさか、彼氏とかじゃないだろうな。
休日もだらだらとまったりしているあきはを見ている限り、男の影なんかなかったけれど、油断はできない。遠距離恋愛という言葉もあるし。それに昨日今日で付き合いはじめたなんてこともありえる。あきははそこらへんあんまり顔に出ないだろうし。
うわー今すぐ帰りたい。
あきはだって帰り道なんだろ? ていうか夜なんだから危ないよ。家に帰るまでに変態に襲われでもしたらどうするの。
携帯をさりげなく取り出して時間を確認する。午後七時半過ぎ。家に着く頃には八時過ぎてんじゃん!
「俺そろそろ帰るわ」
時間も潰したし、もう用はないし。
「ええー! いいじゃんもっと遊んで帰ろうよー!」
不満げに俺の腕に自分の腕を絡ませて、名前(以下略)清香ちゃんは言う。うっざい。マジでうっざい。
俺が不機嫌になったのがわかったのだろう、空気の読める友人Bが「まぁまぁ」と宥めつつ四人に引きずられるようにしてカラオケまで連行される。
きゃっきゃっとうれしそうに「彦坂くんはどんなの歌うのー?」と聞いてくるが無視した。歌わねぇよ。
名(以下略)清香ちゃんは某アイドルグループの歌なんかを歌って、あほな友人Aはそれに釘付けだ。あー、あきはなら何歌うんだろ。帰りたい。
ちらちらと時間を気にしている俺に、友人Bが苦笑する。
「なに? 用事でもあんの?」
この時間から用事って何があるんだよ。あほか。それこそこんな時間に行くっていったら決まってるだろ、と考えて俺はなるほど、と鞄を持ち上げる。
「帰るわ」
「えー! 彦坂くん一曲も歌ってないじゃん!」
だからなんでおまえのご機嫌とるために歌わなきゃいけないんだっつの。
「なに? なんかあんの?」
あほで空気の読めない友人A、それはいい質問だ。
「女」
端的に答えて、返答を待たずに部屋を出る。数拍おいてマイクをもっていた(以下略)清香ちゃんの「えええええええええええ」という叫びが聞こえたが、あとは知らん。
そうして急いで帰ったにも関わらず、家で俺が目にしたのは揚げたてのアジフライ。うん、おいしそうですけどね。
……あきは完全に怒ってるじゃん。
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