2:猫が魚好きって嘘ですから

 あきはが作ったというピラフは空腹というスパイスを抜きにしても文句なしに美味しかった。それだけじゃ物足りないよね? と手際よく短時間でさっと作ったコンソメスープまで出されて、ああなるほど彼女は料理が得意なんだな、と結論づける。意外だった。すぼらそうなのに。

「ごちそうさま」

 食器を重ねて、キッチンへと運ぶ。洗ったほうがいいかなと一瞬悩んだところで、あきはがこちらを見ながら口を開いた。

「あ、置いてていいよ。あとで洗うから」

 俺だって皿洗いくらいはできるんだけど――と思いつつ、彼女の城らしいキッチンで何かしらこだわりがあるかもしれない、と素直に甘えることにした。あきはは相変わらずソファーで雑誌をペラペラとめくりながらくつろいでいたが、悩んだ末にまた部屋に戻る。これから一緒に暮らすわけだし、多少なりとも交流したほうがいいのだろうが、人見知りな性格が災いしてどうしたものかわからない。

 クラスメイトの女子とも違うし、先輩とも違う。まして教師ほど年が離れているわけでもない。適当にあしらうのは違うし、優等生らしく振舞う必要もないのだ。

 ――昔、たまに遊んでいたってだけの女の子だ。

 距離感が掴めないのは、あきはよりも俺のほうかもしれない。



「翠くーん。あたし買い物に行ってくるねー?」

「は?」

 階下から聞こえてきた能天気な声に、思わず間抜けな声が出る。まさか同居開始数時間で留守番させられるなんて、誰が思うだろう。警戒心がないにもほどがある。君島あきはという生き物はとことんマイペースらしい。

 この時間に買い物といったら近くのスーパーだろうか。だとすれば夕飯の材料を買いに行ったんだろう。夕飯の材料だというのなら、それはつまり俺が食べるものでもある。

「……」

 この場合、荷物持ちくらいしたほうがいいんじゃないだろうか。いやでもそんなに買い込むわけではないかもしれない。俺が行ったところで邪魔になる可能性もある。

 しばし悶々と考えた結果、とりあえず追いかけて様子を見てみることにした。近所にスーパーはひとつしかない。さらに遠いショッピングモールまで行ったのだとしたら諦めて引き返してこよう。

 少し道に迷いかけながらスーパーに辿り着く。そう広くない店内をぐるりとまわって、買い物カゴを持つあきはを見つけた。しかもカゴの中には醤油だの重そうなものを入れている。

 はぁ、とため息を吐き、考えるまでもなくあきはに近づいてそのカゴを持った。案の定けっこう重い。

「あれ?」

 あきはが目を丸くしてこちらを見上げてくる。

「へ? 翠くん?」

 俺がここにいることが不思議でしかたないって顔をしていた。そりゃ、まさか追いかけてくるなんて思わなかったかもしれないけど。けどこんなに買い物するつもりなら、一言声をかけてもいいだろうに。世話になる以上、出来ることは手伝うつもりだ。力仕事なんてまさに男の出番だろう。

「……持つ」

 頭の中で散々文句めいた言葉は浮かんだが、結局手短に用件のみを告げる。

「あ、ありがとう」

 買い物カゴはいろいろなものが入っていて、ずっしりと重たい。あんな細い腕で、よくこんな重いもの持っていたなと感心する。

「他には何か買うものあんの?」

 カゴの中を見ても俺にはこれがどんな料理になるかは想像できない。わかるとしたらカレーの材料くらいだ。

「もう終わりだよ。翠くんほしいものある?」

「別に」

「じゃあレジへお願いします」

 レジに並んで、順番が来ると俺はそっと列から離れた。あきはは会計を終えると手早く慣れた手つきで袋に入れていく。袋はひとつ。すべて袋に入れ終えたところで、その女の子らしい花柄のエコバッグを迷いなく持ち上げると、またあきはは目を丸くしていた。気恥ずかしいのですたすたと先を歩くと、あきはが小走りで追いかけてきて笑う。

「ありがと」

「……別に」

 お礼を言われるほどのことじゃない。目も合わせずに答えて、わずかに歩くペースを落とした。

 隣を歩くあきはの肩は小さい。もっと人を頼ればいいのに、と心の中で小さく呟いた。



 家に着くと荷物をキッチンに置いて、するりと二階へ上がる。らしくないことをしたせいで気恥ずかしさは変わらないまま。あきはが真正面から素直にお礼を言ってくるから余計に恥ずかしい。

「ごはんだよー」

 階下から聞こえてきたあきはの声に、むくりと起きて部屋から出る。とんとん、と階段をゆっくり降りてリビングへ向かうと、テーブルには既に夕飯が並べられていた。

 サンマにお味噌汁、ほうれんそうのおひたし。それに筑前煮。

「……」

  ――魚。

 同居生活一日目、派手に歓迎してほしいわけでもないけど、かなり普通の、いや和食としてはたいへん見事な一汁三菜だけど、女子大生としては渋いチョイスだと思うんですけど。

「嫌いなものあった? アレルギーとか」

 いや、嫌いなものはないけど。アレルギーもないけど。

 育ち盛りの高校男子としてはがっつり肉が食べたかったんですよ……。

「あんま、魚は好きじゃない」

 控えめに主張すると、あきははにっこりと笑って「そっか」と答える。

「すぐに食べられるものはこれだけです。好き嫌いしないで食べてください」

 ……好き嫌いじゃないし。子どもじゃないんだから。

 年下扱いを通り越した小さな子どもみたいな扱いに苛立ちを覚えながら夕飯を食べる。うん、美味しいけどさ。

 あきはは綺麗にサンマを食べながらこちらを見る。

「明日は翠くんの好きなもの作るよ。なにが好き?」

「別に、なんでも」

「そういうこと言うと明日も魚になるよ。あーサバの味噌煮とか食べたいなー」

 にっこりとまたあきはが容赦ない笑顔を向けてくる。二日連続で魚って……それはちょっと勘弁してほしい。

「……肉のほうがいい」

 具体的なメニューが浮かばなかったので、とりあえず唯一の希望を告げる。これだけは重要だ。鶏肉でも牛肉でもなんでもいいから肉がいい。

「わかった、じゃあ明日はお肉ね」

 あきはがくすくすと笑いながら答えるので、短く返事をして頷いた。


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