side CAT

1:警戒心が強いんです

 それは、高校二度目の夏休みが始まろうとしている頃だった。


「あのね、みどり。お父さんの海外転勤が決まったんだけど」

 母親から聞かされた報告に「へぇ」というくらいの感想しか浮かばなかったのは親子仲が悪いわけでもなく、ごく一般の男子高生としてはよくある反応だと思う。

「お母さんはついて行くけど、あんたはどうするの?」

「どうするって……」

 どうしろっていうのか。

 突然すぎる話に俺だって咄嗟には答えられない。海外支部のある会社なのは知っていたけれど、まさか親父がそこへ転勤になるとは思ってもみなかった。

「ついてくる気はないんでしょ? あおいのところに行く? 転校することになるけど」

 蒼というのは東京で就職して一人暮らしをしている兄のことだ。だが高校二年の途中で転校というのはいろいろと不都合も多い。人間関係とか、受験とか。

「転校なんてめんどい」

 どうせ、高校生でいるのもあと一年半ほどだ。折り返し地点まできているじゃないか。

「あんた人見知りだしね。とはいえ一人暮らし……できなくはないだろうけど」

 渋い顔の母に、心外だと眉を寄せた。一人暮らしくらいできるし、大学に入ったら一人暮らしする予定だった。

「何その顔」

「曲がりなりにもまだ高校生の可愛い息子を一人暮らしかぁ、と思って。気軽に様子見に行けるわけじゃないし……」

 確かに海外じゃ様子を見に来るなんてできないだろう。下手すれば俺が卒業するまで顔を合わせないかもしれない。残念ながら近場に親戚はいないので、親戚の家に世話になるということもできない。

「心配しすぎだろ……」

 か弱い女子でもあるまいし、男が一人暮らしして何の危険があると思っているのか。

「お父さんも渋ると思うのわよ」

「……めんどくさ」

 親馬鹿代表みたいな親父の顔を思い出して顔を引き攣らせた。かといって親について海外へ、なんて選択肢は俺の中には存在しない。それこそ一番面倒な選択だ。

「まぁ、とりあえず相談してみるわ」


 ――と、母が言ってから二週間後。


「あんたは君島きみじまさん家に預けることにしたから」

 にこにこ笑って宣言してきた。名案だと言わんばかりの顔に俺は首を傾げる。

「……君島さん?」

 あっさりと俺が知っているだろって顔で言っているけど、すぐに思い浮かばない。――君島。誰だったっけ。親戚にもそんな名前の奴はいなかったはずだ。

「あきはちゃんの家よ。覚えてるでしょ? 小さい頃に何度も会っていたじゃないの」

 ――あきはちゃん。

 ああ、とそれでようやく思い出した。

 君島あきは。小学校低学年の頃までは年に数回会っていた女の子だ。わりと活発な子で兄貴と一緒になって外を駆け回っていたのを、母親に隠れて見ていた。人見知りする俺に遊ぼう、と誘ってくることもあったけれど、彼女はどちらかというと兄貴と気が合っていたようで、幼心に兄を盗られたような気持ちになったことを覚えている。

 まぁまったく知らない人間の家に世話になるよりはマシだろう、と思って深く考えもせずに承諾してしまってから、君島家はほぼ彼女が一人暮らし同然で生活していることを知って激しく後悔した。

 若い男女を一つ屋根の下二人で生活させる親がどこの世界にいるのか。残念ながらその非常識な親がここにいた。




 駅から少し歩いた場所にある、ごく普通の一軒家。小さな庭にはちらほらと花が植えられていた。記憶にあるものと、何も変わっていない。

「……どうも」

 数年ぶりに対面したあきはは、昔の面影を残したまますっかり大人になっていた。俺よりも高かったはずの背は頭ひとつ分ほど低く、ほんのりとメイクされた顔はどことなく面影があってそのことにほっとする。

「ひ、ひさしぶり」

 向こうもこちらの変貌ぶりに驚いているのか、やや緊張した顔で挨拶してくる。驚いているも緊張してるのもこっちなんだけど。

 あきはは「ええと」と困ったように笑いながら二階を指差す。

「とりあえず、翠くんの部屋はこっちね」

 こくりと頷いて階段をのぼる。二階の一番奥の部屋が俺に与えられた部屋だった。もともと客間だったらしい。二階には、他に部屋が二つ。俺の隣はあきはの部屋らしく、扉にいかにも女の子部屋らしくリースが飾ってあった。もう一つは和佳子さんの――あきはの母親の部屋だろう。

「ここを好きに使って。疲れただろうから休んでいていいよ」

「ん」

 疲れた、というほどのことはしていないけど素直に部屋で休むことにした。他人の家というのはやっぱり疲れる。自分でも意識しないうちに、変に身体に力が入っているんだろう。

「他に家の中で教えたほういいとこある? 覚えてる?」

 トイレや風呂のことを言っているんだろうか。あやふやな昔の記憶を掘り起こして、自分でもしっかりと覚えてたことに少し驚いた。

「……覚えてる」

「そっか」

 あきははほっとしたように笑って階段をおりる。途中であ、と振り返った。

「お昼は食べた?」

「まだ」

「それなら何か作るよ。できたら呼ぶね」

 ……この人、料理できるんだろうか。過去の彼女の印象からして、まともな料理が出てくることは想像しにくい。

「いらない。ほっといて」

 自分でも素っ気ないとわかるくらい冷たい声だったのに、あきははきょとんと目を丸くして「わかった」とあっさり一階へと戻っていった。普通の女子なら涙目になってもおかしくないくらいには冷たかった気がするんだけど。

 自分の顔が女子受けするらしい、ということは小学校の高学年あたりになればわかってくる。その上、少し素っ気なくするだけで冷たいと言われる外見なのも知っている。兄貴みたいに人懐っこい顔をしていればまた違ったんだろう。

 別に自分の顔なんてどうでもいいんだけど、周りの反応はわずらわしい。

 はぁ、とため息を吐き出してベッドに横になる。俺のために干しておいてくれたんだろうか。布団からは陽だまりの匂いがした。

 媚びるでもなく、過剰に心配するわけでもなく、適度なあきはの距離感は心地よい。これならどうにかやっていけそうな気がする。

 ふかふかとした布団に埋もれて、気づけばうたた寝していたらしい。ふ、と目を覚ますと時刻は三時過ぎで、昼を抜いた腹はくぅ、と悲しげに鳴いている。

「……」

 いらないと言った手前、何か食べるものはないかとリビングへ行くのも躊躇われるが、夕飯まで持ちこたえられそうにない。せめてコーヒーか何か飲み物だけでも、と階段をおりる。

 そろりと顔を出すと、リビングのソファーでくつろいでいたあきはが振り返る。

「お腹空いた? お昼に作ったピラフが残ってるけど、あたためようか?」

 図星をつかれたことに恥ずかしさを覚えながらも、その甘美な誘惑には屈せざるをえなかった。

 だって、腹が空いてはなんとやらって昔から言うじゃん。

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