9:いつの間にか一緒に寝てました

 帰ってきた翠くんが一瞬だけ硬直した。もちろんうちのお母さんを見て、だ。ごめんね予期せぬ奇襲で。あたしだって知らなかったんだからしょうがないじゃないか。

「お久しぶりです、和佳子わかこさん」

 うちの母を名前で呼ぶのは彦坂兄弟のなかでは常識だ。おばさんと呼んだから最後、おそろしいお仕置きが待っている。

「翠くん久しぶりねぇ、イケメンに成長してくれてうれしいわぁ」

 うふふ、とあたしが夕飯を作り出す前から酒盛りを始めているので、お母さんはすっかり出来上がっている。

「うふふ、ねー翠くーん、一緒にのまなーい?」

「和佳子さん、俺まだ未成年ですって」

 ぐでんぐでんになっているお母さんは翠くんに絡み始めている。さすがに未成年に飲ませるわけにはいかないから注意しているけれど、翠くんも交わすのがうまいな。

「あきはちゃーん、おつまみまだぁー?」

「あたしが作っているのは夕飯! おつまみじゃない!」

「ケチー。あきはちゃんのケチー!」

 頬を膨らませてお母さんは抗議してくる。そりゃもちろんおつまみも作ってますけどね! うるさいからね!

 今日はアスパラの肉巻きとシーザーサラダ、あとはお母さん用に枝豆なんかも用意している。

「あきはちゃんも飲も!」

「あたし昨日宅飲みしたばっかりなんだけど」

「お母さんの酒が飲めないっていうのー!」

 あーめんどくせー。

 お母さんはすぐ酔うくせにかなりの量飲むからつきあってらんないんだよ。あきはちゃんの成人のお祝い、なんてつきあわされたときに急性アルコール中毒で死ぬかと思ったのは古くない記憶だ。ていうかつい数ヶ月前の話だ。

 しかもこの状況下だと逃げられない。逃げたら最後、翠くんを襲いかねない、この母親。うら若き乙女……じゃない青少年を守るのも大人の務めだよね。

「少しね! 少しだけだからね! あたし明日も大学あるんだから」

「んふふー。明日もお母さんは休みー。二連休なんて何年ぶりかしらー」

「昔っから思ってたけど休み少なすぎじゃない? 普通にブラック企業だと思うんですけど」

「家に帰ってないだけでぇ、一応休んでるのよぅ。それにやりがいある仕事だしぃ、お給料はたっぷりいただいてるしー」

 まぁね、イケメン好きだしねお母さん。芸能関係っていうのは天職かもね。飲みにつきあうと言った途端に上機嫌になるんだから、もう。

「和佳子さんうれしそうですよ」

 くすくすと笑いながら翠くんはごはんを食べている。

「酔い潰すほどあたしもお酒に強くないからなぁ……翠くん。ごはん食べたら二階に逃げなよ?」

 お母さんは早く早くーとソファでブランデーを嗜んでいる。あー、うちにチューハイなんてものはあったかな。ブランデーも日本酒も好きじゃないんだけどなぁ。



 ほらほら飲んで、と上機嫌なお母さんにつきあいながらお酒を飲む。これならあきはちゃんも飲めるわよー、と甘いフルーツワインを勧められた。ぺろりと舐めてみると、うん、甘くておいしい。 

 これもおいしいのよ、あれもね、とお母さんに勧められるまま飲む。お母さんは甘いお酒はそんなに好きじゃないはずだから、たぶんこれはあたしのためにわざわざ買ってきたんだろうなぁ。変なところで親ばかなんだから。

 そういういらんことに気づいてしまうので、ついつい自分の限界も忘れてました。ええ。


 ――結果、酔いつぶれたあたしが出来上がりです。


「あきは、大丈夫?」

 様子を見に来てくれた翠くんが心配そうに問いかけてくるけれど、無理です。大丈夫じゃないです。今、猛烈に眠いです。むしろもう寝てます。睡魔に勝てません。

「あきはちゃんお酒弱いから」

 くすくすと笑うお母さんの声は、おかしなことにあたしと飲んでいたときよりもしっかりはっきりしている。

「俺、運びますね」

 運ぶ? いえいえ平気ですよ、それには及びませんよ、あたしはちゃんと歩いて自分の部屋にいけますよー。

「いや、絶対歩けないでしょ」

 あれー、なんで心の声が聞こえるんですか。口に出てましたか。こりゃいかん、黙ります、黙りますよー。翠くんが苦笑する気配を感じたあとに、ふわりと身体が持ち上がる。うおお、なんだ、どうした。あれか、まさかのお姫様だっこですか。

 重い瞼を持ち上げると、翠くんの綺麗な顔がすぐそこにある。

「ふふ、翠くんかわいー」

 すり、と翠くんの肩に頬を寄せると、翠くんは困ったように顔をそらした。ほらーかわいいじゃないですかー。

「かわいいはうれしくない」

「じゃあきれー?」

「綺麗もうれしくない。それ男に言うセリフじゃないよ」

 とんとん、と翠くんはあたしの重さなんて感じていないように階段を上る。ほんと、この腕の、この細い身体のどこにそんな筋力があるんだろうねぇ。すごいよねぇ。

「みどりくんは、かっこいいんです、よ」

 じわりと伝わってくる翠くんの体温が気持ちいい。猛烈な睡魔が襲いかかってきて、あたしはまた目を閉じた。とくんとくん、と少し早い鼓動はあたしのかしら、翠くんのかしら。

「あきは?」

 低い声で名前を呼ばれる。なぁに、と夢現で答えた気がする。

 ゆっくりとやわらかい何かの上におろされた。ぬくもりが遠ざかる。やだ、もっと一緒にいる。

「ちょ、あきは、放してっていうか離れて」

 やだー。やだやだ。

 あきは、と困ったような翠くんの声にふふ、と笑う。いつもあたしを驚かせてばっかりだからいけないんだよ。翠くん。

 しょうがないなぁ、という声とともにため息が聞こえて、あたしはそのままぐっすりと眠りについた。



 うわー。頭いたい。すっごい痛い。これあれだ、二日酔いだ。こんなにひどい二日酔いは久々だった。友だちと飲むときはこうならない。お母さんに酔い潰されたときだけだよこんなになるのは。基本的には理性的なあきはさんですからね。

 ゆっくりと目を開ける。二日酔いで気分最悪だけど、けど夢見は悪くなかった。というかすごくきもちよーく寝ていた気がするんだけど。

「あー、ていうかこれ今日サボろうかな」

 大学行っても講義受けてらんないよ、これじゃあ。がんがんと痛む頭で今日の講義の予定を思い出す。うん、サボってもあとからリカバリーできるやつばっかりだ。

「んー」

 ――はい?

 隣、というか本当にすぐ傍から聞こえた寝息のような声に、あたしは硬直する。あれ、ていうかあたし昨日どうやってベッドまできたんだっけ。あはは、怖くて見られないなー。

「あきは? おはよ」

 んぎゃあああああああああああああああ!

 スリーピングビューティーがお目覚めなすった! ちょっと待て、ちょっと待て! いや、うん、服は着てる! オッケー!

「み、みみみ翠くん、これはそのあのえっと」

「あきは俺のこと離してくんないんだもんさ、参った参った」

 いやちょっとそういう言い方はちょっと誤解を生むんじゃないかな!?

 おそるおそる見た翠くんも服は着てる。うん、オッケー! たぶん大丈夫!

「あらやだ、あんたたちヤッたの?」

 様子を見に来たのかドアが開いたままだったのかはさっぱりわからないけれど、お母さんがさらっと爆弾を落とす。

「ヤッてない!!」

「え、覚えてないのあきは」

「ふへぇ!?」

 何を覚えてないっていうんですか! いやでも別に汗ばんでいるわけでもないしどこもだるくないしヤってないでしょ!? 記憶がぶっ飛んでるから断言できないけど!

 目を白黒させているあたしを笑って、翠くんが「冗談だよ」と言うまで変な汗は止まらなかった。


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