8:お泊まりのあとはツンデレです
とまぁ遅くまで女子トークに盛り上がり、あたしは散々おまえはちょっと鈍いであるとか、もう少し素直になれだとか、本能のまま動いてみろだとかいうありがたい助言をいただきました。いらぬお世話だ。
他の二人は着替えも持参なのでこのまま大学に行くらしいけど、急遽参加のあたしはお泊まりセットなんて持ってきてないし、一度帰宅する。
朝六時の電車は随分と空いている。秋も深まるこの季節の朝は寒い。冷えた空気が怠惰な飲み会帰りの頭に沁みていく。
――今から帰るね。朝ごはんには間に合うかも。
そろそろ起きているであろう翠くんに一応メールする。翠くんが家を出るのは八時くらいだから、朝ごはんは用意してあげられそう。トーストだけじゃあ育ちざかりの高校男子には足りないよね。
家に向かう電車は、ベットタウンへ向かう方向だからだろう。会社へ向かうような人もあまりいないし、あたしと似たような飲み会からの朝帰りって感じの人が乗っているくらい。
すれ違うサラリーマンはこれから出社かぁ、たいへんだなぁと他人事のように思いながら改札を出る。
「あきは」
まだまばらな人のなかに、グレーのブレザーを見つけた。
「翠くん!」
なぜここに。もしかしてあれかな、早く学校に行かなきゃいけない用事でもあったかな?
慌てて翠くんに駆け寄る。しかし翠くんの手には鞄はなく、これから通学って雰囲気ではなかった。
「え? ど、どうしたの?」
「迎えにきた」
へ?
きょとんとしていると、翠くんがあたしの手を握り歩き始める。ぐいぐいとひっぱられて、あたしはされるがままだ。その細い腕のどこにこんな力があるのさ。
しかも空気がすごく重い。気のせいではないはずだ。翠くんは怒っている。話しかけにくいし翠くんからも話しかけるなというオーラを感じる。怖い怖い。怖いよ翠くん。なんでそんなに怒ってるの。美人さんが怒ると迫力あるんですよ!
強く握りしめられた手は、骨が軋むくらいに痛い。
「み、どりくん」
せめてすこーし力を緩めてくれませんか。痛いです。これ下手すると痣ができちゃうんじゃないかなってくらいには痛いよ!
「――手! 手、痛いんだけど!」
声を荒げると翠くんの肩がぴくっと揺れた。手を握る力が緩められたけれど、手を放す気はないみたいだ。歩調もわずかにゆっくりになって、あたしはほっと息を吐いた。
「ごめん」
翠くんのしょんぼりとした声に文句を返すこともできない。ずるいなぁ。
「……痛い?」
すり、とつないでいるあたしの手を翠くんの指先が撫でる。心臓がきゅっと締め付けられて、背筋がぞくぞくした。
「へい、き」
吐き出されたあたしの声は、わずかに震えていた。怖いとか、寒いとか、そういうのではない。うまく、声が出せなかった。
「よかった」
ふわ、と微笑んで翠くんは玄関を開けた。あれ、いつの間に着いたんだろ。
「すぐにごはん作るね」
靴を脱ぎながらそう告げて、すぐにキッチンに向かおうとする。けれど背後から腕が巻き付いて、動けなくなった。あれ、と思う間もなく細くてたくましい腕はあたしをしっかりと捕獲した。
「あきは」
翠くんの吐息がうなじにかかる。ひゅっ、と呼吸が止まる。
くん、と臭いを嗅いでいるようなんですけど。ちょ、ちょっとなにですか。なんのチェックですか。というか心臓が限界で呼吸困難なので離してください! このままだと人生が終わる!
「み、翠くん、離して! ごはん準備しなきゃ!」
パニックになりかけながら腕の中でもがくと、翠くんは一瞬あたしの背中にキスするように顔を近づけたあとで、ぱっと解放した。
「ん、もういいよ」
もう大丈夫、と翠くんはいつも通りの笑顔で言う。
はい? はい? なんですかそれは。頭の中がぐちゃぐちゃだけど、とりあえず翠くんから逃げる。なんか次に捕まったら死ねる。もう半分くらい死んでる気がする。
「――煙草の臭いはなかったし、女友達のとこっていうのは本当か」
ぽつりと翠くんが何かを呟いていたけれど、混乱しているあたしの頭にはまったく入ってこなかった。
家を出る翠くんを見送ったあと、あたしも大学に行くためにシャワーを浴びて着替える。朝からどっと疲れて正直このままサボりたいくらいだ。まだ時間に余裕があるから一瞬だけでも寝ようかな。睡眠は頭の中の情報を整理してくれるって聞いたことあるし、ぜひ今のこのごちゃごちゃした脳内をどうにかしてほしい。
「たっただいまー! 我が家!」
くそ、しまった。早めに大学行っておけばよかった。我が家の台風が帰ってきた。
「あらあきはちゃん、こんな時間にまだ家にいるの? 大学は? サボり?」
サボりたい気がしたけど、今はとてつもなく大学が恋しいですよ母上。この人と話していると疲れるんだよね……。
「三限目から。そろそろ出るよ」
「三限目からならまだ時間あるじゃない。お母様にお茶淹れて?」
自分で淹れなよ、と文句を言っておくけどこの人が自分で動くわけがない。知ってる。知ってたよ。めんどくさいのでティーパックで淹れたお茶を差し出す。ついでにあたしも飲むけどね。ソファに座って紅茶をすすると、お母さんはにやりと笑ってあたしを見てきた。
「それで、翠くんとはどこまでいった?」
噴いた。
とっさに横を向いたから母親の顔面に吹きかけることはなかったけど、噴いたしむせた。苦しい。
「は、な、ば、ど、何言ってんの!」
久々に帰ってきたと思ったらそれ!?
「え? だって一つ屋根の下で男女がともに暮らしていて何もないわけないじゃない? ちゅーくらいした?」
「してない!」
ていうか何もないわけないと思っているなら最初っから同居なんてさせないでよ! 一人娘がどうなってもいいわけ!?
「え、じゃあぎゅーっていうのは?」
「してな――く、ない? あれ? した? してる?」
今朝のあれはぎゅーって言えなくもない? いやそもそも今朝以外にもごはんの準備しているときに後ろから抱きついてきたりしていたな。うん。
「あら、やってんじゃないの」
「いや、それはあれでしょ。犬猫が懐いているみたいなもんだよ」
男女の恋愛的なアレではないよ。……たぶん。
「何言ってるのあきはちゃん。あんなきれいな猫なら飼いたいわよお母さん」
あああもう何言ってんのこの人は! その年と財力でそういう発言は洒落にならないからやめて。天国のお父さんが泣くから。
「だってぇー。あきはちゃん男の趣味悪いんだもの。翠くんを好きになっちゃえば?」
翠くんだったらお母さん大賛成、と笑う。いやいや人の趣味にケチつけないでよ。確かに元彼たちはあんまりいい男とは言えないけどさ。去年別れた奴も二股かけられていたし。その前はなんだっけ。ああそうだ俺と同じ大学行かないとかありえないとか意味わかんないこと言われたんだっけ。どうして人生の重大な選択をそんなことで覆さないといけないのよ馬鹿じゃないの。思い出したらむかむかしてきた。うん、確かにろくな男たちではなかった。なんで付き合っていたんだろうな、あたし。
けどそれとこれとは別の話でして、と真顔で説教しようとすると、ふわぁああ、とお母さんが欠伸をする。
「あーねむいー。徹夜だったのよね、お母さん。もう寝るわー」
あきはちゃんもちゃーんと学校行きなさいよー、と行って二階の寝室へ行く。言われなくてもそろそろ行きますよ、ちょうどいい時間だしね。
「あ、あきはちゃーん。今日はお母さんお休みなの、夜もいるの。ちゃんとお母さんの分もごはんお願いねー」
「わかってるよ! いってきます!」
たまには自分で作るって選択肢はないのか母!
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