5:すりすりは甘えてます

 本日の夕飯はアジフライでございます。

 ええ、別に他意はございません。まったくございませんとも。別に? 偶然家の外で遭遇したのに無視してきた翠くんにちょっともやっとしたからだとか、そんなことはありませんとも。

 もくもくとアジをさばいて、揚げていく。魚? 三枚におろすくらい朝飯前ですよ。

 ちょうど準備が終わった頃に、翠くんが「ただいま」と帰ってきた。

「くっそ、あいつらカラオケにまで連れていきやがって」

 ぶつぶつと文句を言いながら翠くんはリビングの扉を開けた。ああカラオケですか。密室で女の子にぴったりくっつかれていたんでしょうねぇ。二人っきりになったら最後、あの子に食べられちゃうんじゃないの翠くん。あの子あれだよ、絶対に肉食だよ。狼だよ。猫パンチじゃ勝てないかもよ。

 まぁ翠くんが狼ちゃんに美味しくいただかれたところで? あたしには関係ないですけどね!

「おかえり、翠くん。ごはんちょうどできたとこだよ。食べる?」

「ん」

 すっかり餌付けされている翠くんは、ごはんと聞くとうれしそうな顔をする。ぴーんっとたった尻尾が見えそうなくらいだよ。こんな顔には少しかわいいな、と思ってしまうからあたしもほだされているんだろう。

 しかしお皿にのったアジフライを見た瞬間に、翠くんは明らかにがっかりしたような顔をした。その顔はちょっといやかなり失礼だよ翠くん。予想通りだったから別になんとも思わないけど。

「いただきます」

 ちょっとしょんぼりしているくせに、翠くんはおかずが魚でも残したりしない。あんまり好きじゃないっていうだけで、大嫌いというわけではないらしい。

 駅前ですれ違ったことは翠くんが触れてこないので、あたしも何も言わない。わざわざ話題にするほどのことでもないし。あそこで声をかけられてもちょっと困ったと思うし。あの女の子なんて絶対冷たい目でこっちを品定めしていたよ。なに? このおばさん。出直してこいよって感じで睨まれたもんなぁ。でもお化粧駆使しているわりにはあんまり美人さんじゃなかったなー。お姉さんは辛口だよ。翠くんの傍にいるおかげで、なおさら女の子の顔面偏差値は際立ってしまうよ?

 翠くんみたいな天然美人さんの隣に立つ気なら本気でがっつり完璧なメイクをするか、逆にナチュラルメイクで自然体のほうが違和感ない。中途半端な状態だとそれこそ翠くんの引き立て役にしかならないもの。もともとの作りが違うからね。翠くんのおばさん、美人だもんな。

「ごちそうさまでした」

 律儀な翠くんがそう言って食器を片づける。いつもならそのままソファでくつろぎ始めるか、自分の部屋に戻るのだけど――

「なにかな、翠くん」

 なぜか翠くんはコーヒー片手にまたあたしの向かいに座る。綺麗な顔がじっとこちらを見つめてきて、とても居心地が悪い。もくもくとごはんを食べていた手も止まる。

「あきは、何か怒ってる?」

 何かって何さ。心当たりもないくせに探りをいれてきてんですか。ふーんだ、百年早いよ。

「別に何も?」

「嘘つけ。あきはは不機嫌なときとか怒っているときにいつも魚料理になるんだ」

 ちっ、気づかれていたか。

 ささやかな嫌がらせのつもりでやっていたんだけど。そりゃバレるか。

「駅前ですれ違ったとき?」

「べーつーにー」

 なんだって蒸し返すかなぁ。どうだっていいじゃないの。

 あたしとしては? そりゃまぁなんとなく飼い犬に手を噛まれたようなっていうか飼い猫にひっかかれたような気分とも言えなくもないですけど? 家ではそこそこあたしに懐いているくせに外ではシカトかよこんにゃろうとか、まぁ思いますよ。そりゃ思うでしょ?

「あそこで話しかけたって面倒だっただろ。あいつら絶対茶化すだろうし」

「だから、気にしてないってば」

 もう、せっかくのごはんがまずくなっちゃうよ。ゆっくりと食べていた最後の一口のおかずとごはんをいっぺんに口に放り込んでお茶で流し込むように飲み込む。

 食べ終わった食器を重ねて片づける。翠くんはじとりとこっちを見ているけど、もうこの話はおしまい! とあたしはソファに向かった。あ、しまったあたしも食後に飲み物を用意すりゃよかったな。この時間にコーヒーを飲むと眠れなくなるのでノンカフェインが望ましい。

「あきは」

 翠くんはしつこく、ソファの後ろからあたしの肩にこつん、と頭を預けてくる。どういう体勢かは見えないからわからないけど、それ空気椅子並にきついんじゃないかなぁ。

「あきは」

 低い声があたしの名前を囁く。吐息が首筋にかかって、ちょっと、その、えろいんですけど。くすぐったいし。身をよじるあたしの肩に翠くんはなお額をこすりつけてくる。ほんと、猫みたいだ。ばーちゃん家で飼っていた三毛猫のハナちゃんを思い出す。ハナちゃんはメスだけどね。

 あー。ほだされてる。しょうがないなぁ、と思ってしまっているあたりであたしもう翠くんに負けてる。

「なぁに」

 ため息を吐き出しながら応えると、翠くんはすりすりと額をあたしの肩にこすりつける。うん、あれだ、これはでっかいにゃんこが甘えてきているだけだ。よしよし、と頭を撫でてやると、翠くんはふふ、と笑みをこぼす。

「あきは」

 上機嫌で名前を呼ばれる。

 ちゅ、と首筋にやわらかな何かが触れた。あれ。あれれ?


 これは猫が甘えているだけ、ですよね?

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