2:猫は肉食です

 翠くんは遅めの昼食のピラフと、即席で作ったコンソメスープをぺろりと綺麗に平らげて、小さく「ごちそうさま」と呟くとまたいそいそと部屋に籠もっていった。うーむ、まだ慣れてくれないらしい。なかなか手強いやつだ。ごはんを食べたらもう用済みって感じが本当に猫っぽい。

 そんなこんなしているうちに、もうすぐ夕方になる。さて、と冷蔵庫の中をチェックすると、高校生男子のお腹を満たしてあげられるほどの食材がない。昨日のうちにもう少し買っておくべきだったかなぁ。翠くんがもっと友好的なら好き嫌いをリサーチしてから買い物したかったんだけど……しかたない、リサーチはまた今度ってことにして、買い出しに行くか。

「翠くーん。あたし買い物に言ってくるねー?」

 階下から声をかけるが、返答はない。――が、扉を閉めていようともこのくらいの大声ならしっかりと聞こえているはずだ。

 エコバックをしっかり持って家を出る。徒歩十分圏内にスーパーがあるのはとても便利だ。もう少し遠出すれば大型ショッピングセンターもある。

 あー。どうせならさっきの電話の時に蒼くんに翠くんの好きなものを聞いておけばよかったなぁ。本人からのリサーチが出来ないのはなんとなく察していたのに、電話のときにはすっかり忘れていた。胃袋つかむにも戦略は必要だよね。今時の男の子ならお肉のほうが好きかな。でも今日のあたしの気分的には魚なんだけど。

 ぐむむ、と悩んだ末に自分の欲に従うことにした。翠くんの好みに答えるのはまた次回に持ち越しだ! これから地道に探っていこう。

 さらに飲み物やらなにやらと追加していくと、買い物カゴがどんどん重くなる。これはこのままだとあたしの許容量をオーバーする! いや既にしてるかもしれない! 腕がぷるぷるしてきた! しかしお醤油が安いから買って帰りたいんだよ主婦としては!

 ずっしりと重いカゴにため息を吐き出しながらこんなことになるなら徒歩じゃなくて自転車にすればよかったなぁ、と後悔していると、ふっ、とカゴが軽くなった。

「あれ?」

 驚いて声をあげると、すぐ隣に美青年が立っている。――誰だ。翠くんだ。

「へ? 翠くん?」

 幻かな? と首を傾げていると、翠くんはわずかに眉を寄せたあとで口を開いた。本物だった。

「持つ」

「あ、ありがとう」

 あたしが重いと感じていたカゴも、翠くんはひょいと軽々と持っている。 おお、さすが男の子。頼もしい。

「他には何か買うものあんの?」

「もう終わりだよ。翠くんほしいものある?」

 お菓子とか食べたいものあるかな。我が家には基本的にスナック菓子の類はないんだよ。なんでってあいつらはあればあるだけ食べてしまう魔性のものだからさ。誘惑に負けると増えるんだよ、あたしのお肉が。

「別に」

「じゃあレジへお願いします」

 レジに並ぶと、翠くんはすっと列から抜ける。ちらちらとお姉さんや奥様方が翠くんへ視線を送っているのがわかった。うんうん、翠くん美人さんだもんなぁ。まつげなんかはあたしより長いと思う。男の人としては少し華奢かもしれないけれど、もやしってほど頼りない感じじゃないし。目の保養だよね。

 会計をすませて手早くエコバックに詰め込むと、翠くんは自然な仕草で重いエコバックを持ってくれる。おおう、ジェントルマン。翠くんなにげに慣れてるんじゃないかな、こういうの。彼女さんがいるんだろうなぁ。

「ありがと」

 手ぶらで楽チンなあたしは翠くんのあとを追いかけながらお礼を言う。翠くんはちらりともこちらを見ずに「別に」と答えた。ふふふ、高校男子のかっこつけですよね、その「別に」は。お姉さんにはバレバレですよ?

 ん? もし翠くんに彼女がいるなら、この同居生活って彼女さん的にはあまり喜ばしいものじゃないよね? むしろ嫌だよね。あたしなら嫌だ。これはリサーチすること増えた……かも?




 帰宅すると翠くんはキッチンに荷物をおいて、またするりと二階へ逃げていく。ううむ、一緒にお買い物したことで懐いてくれたかと思ったけど、そう簡単にはいかない。

 しかし餌付けは効果があったらしく、夕飯の準備をすませて「ごはんだよー」と呼ぶと、のそのそと翠くんは引きこもりスペースから出てきた。

 今日の夕飯はサンマにお味噌汁、ほうれんそうのおひたし、筑前煮でございます。ええ、和食にしました。あたしが食べたいものを作ってなにが悪い。栄養バランスもばっちり! 美容にも健康にもいいんだから素晴らしいじゃないですか。

「……」

 無言、無反応だ。

 いやさすがにイマドキの高校生男子にはどうかなと思ったけど、さすがに無反応はいかがなものですか。作った人に対して失礼ですよ。目の前に作った人間がいるんですからね。

「もしかして、嫌いなものあった? アレルギーとか」

「あんま、魚は好きじゃない」

 心なしか少し不機嫌そうに、翠くんが呟く。それはあれだね、つまり魚は嫌いだって言いたいんだね? しかしお姉さんは好き嫌いには優しくないよ?

「すぐに食べられるものはこれだけです。好き嫌いしないで食べてください」

 お菓子もだけど、すぐに食べられるようなものは買わないのでね! 基本的に調理しなければ空腹を満たせるものはないですよ! 残念でした!

 むすっとして翠くんは夕飯を食べる。ほらみろ、食べられないわけじゃないんでしょ。食事を再開しながら、まぁここはあたしが大人になってやろうじゃないかと笑う。大人ですしね。

「明日は翠くんの好きなもの作るよ。なにが好き?」

「別に、なんでも」

「そういうこと言うと明日も魚になるよ。あーサバの味噌煮とか食べたいなー」

 わざとらしくそう言うと、翠くんは口ごもり、視線を泳がせたあとで小さく「肉のほうがいい」と答えた。肉って。もう少し何かないのか、翠くん。

「わかった、じゃあ明日はお肉ね」

 くすくすと笑いながら答えると、翠くんは「ん」と頷く。

 嫌いだと言いながらもお皿は綺麗になっていた。なんだかんだ言いながらお魚食べるのうまいじゃないですか翠くん。


 お世辞にも賑やかとは言えないくらいの会話しかないけれど、久しぶりの一人じゃない我が家での食事はいつもよりちょっとおいしく感じた。


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