猫系男子のススメ

青柳朔

猫系男子のススメ

side AKIHA

1:家に慣れるまでそっとしましょう

 親からどかんと落ちてきた爆弾発言に、開いた口が塞がらない。

「それでね、みどりくんをウチで預かることにしたの」

 にっこりと微笑む母。預かることにしようと思うの、でも預かりたいんだけど、でもない。したの。断定だ。つまり、もはやあたしに拒否権はないということだ。

「……はい?」

 翠くん、というのは両親の友人の息子さんの名前だ。

 なんでも翠くんの御両親、つまりうちの親の友人である彦坂ひこさかさんの海外転勤が決まったらしい。仲の良いご夫婦へもちろん単身赴任などという選択は取らず、ご夫婦揃って異国へと旅立つらしい。しかしまだ高校二年生の翠くんは日本の高校を卒業したい、そして大学もできれば日本がいい、ということで残ることになったそうなのだが。

「お兄さんのあおいくんは東京で働いているじゃない? そっちの高校に転入って手もあるけど、面倒だしねぇ。一年とちょっとくらいならウチで預かるわよって」

 大学が決まれば、もともと一人暮らしをする予定だったらしい。ならその予定を繰り上げて一人暮らしでいいんじゃないの、というあたしの意見は無視だ。だってもう高校生でしょ? 一人暮らしできないってことはないでしょ?

「ちょっと! 預かるって、犬や猫じゃあるまいし、勝手に決めないでよ」

「あら、だってこの家は母さんの家だもの。あきはちゃんはもう立派に成人しているんだから、嫌なら出てもいいのよ?」

 ――ぐ、と言葉に詰まる。

 うちの家は郊外に建てられた一軒家だ。小さいけれど庭付きで、駅まで徒歩十五分という立地の我が家から出るつもりはこれっぽっちもなかった。だって、家を出るつもりがないからこそ大学だって首都圏ではなく地元の大学にしたのに。

「家は母さんのものでも、家事全般をしているのはあたしなんだけど」

「働かざるもの食うべからず。母さんが働いてこの家のローンを払いあなたを大学に通わせてあげてるのよ。忙しい母さんに代わってそれくらいしてくれてもいいでしょ」

 うぐぅ。反論できない。

「それは納得してるよ、でも母さんは忙しくてほとんど家にいないじゃない! 若い男女がふたりっきりで一つ屋根の下って常識的に考えてやばくない?」

 芸能関係の事務所に勤めている母さんは出張や寝泊まりやらでほとんど家にいない。今日だって二週間ぶりくらいに顔を合わせたくらいなのだ。ひどいときは半年ほどまともに顔を合わせなかった。

「えー? 別に避妊さえちゃあんとしてくれれば母さんかたいことは言わないわよ?」

「ばっ……!」

 避妊って! と言葉を失う。あきはちゃんもまだ学生だけどもう大人だしー? とあけすけな母の言い分に肩を落とす。そうだ、この人になにを言っても無駄だった。

「一応あきはちゃんの部屋には鍵だってついているし、気をつければ夜這いの心配なんてないわよ」

 気をつければって……そりゃ、気をつけるけど!

「翠くん、なかなかのイケメンになってたわよー?」

 からからと笑って「じゃあよろしくね」とウィンクして母は出て行く。自由すぎるだろう! いくらなんでも!




 抵抗は無駄だと判断したあたしは、平穏かつ平和に一年ちょっとのドキドキ☆高校生男子との同居生活を乗り切ることに決めた。相手も一応は知った人間というだけでもありがたい。見知らぬ他人相手はさすがに嫌だし無理だ。

 彦坂ひこさかみどりくん。

 幼い頃に年に数回程度顔を合わせたくらいの知り合いだけど、あの頃はおばさんやお兄さんの影に隠れてばかりで、二人で仲良く遊んだなんて記憶はない。とても人見知りする子だったのだ。いやしかし、相手も高校生だ。その人見知りも多少はよくなっているだろう。

「……どうも」

 ――というあたしの考えは木っ端みじんに砕け散る。

 同居開始一日目の土曜日、我が家にやってきた翠くんからは幼い頃と変わらず警戒心剥き出しの人見知りオーラが全開だった。

 真っ黒な黒髪は今時の高校生にしてはめずらしく染めた形跡がない。白い肌はまるで日に焼けていなくて、すらりと背の高い、美男子になっていた。あの母がイケメンと言っていただけのことはある。

「ひ、ひさしぶり」

 女は化粧で化けるけど、男の子の成長期を完全になめていた。160センチを越えてるあたしも女としては少し背が高めの部類だけど、翠くんは当然あたしよりも背が高い。ざっと見て175センチってところかな。高校二年生ならこれからもっと伸びるかも。

「とりあえず、翠くんの部屋はこっちね」

 翠くんは小さい頃に我が家に来たことはあるはずだけど、洗面所やお風呂の場所は教えたほうがいいだろうか。一軒家とはいえそれほど広いわけでもないし、探し回るってことはないだろうけど。

「ここを好きに使って。疲れただろうから休んでいていいよ」

「ん」

 口数も少ないなぁ。昔は慣れてくればぎゃあぎゃあと騒ぐタイプの男の子だったんだけど。昔の知り合いでも人見知りモードは簡単には解除されないらしい。まぁ、確かに小学校高学年くらいから会ってないし、そうなると他人と変わらないか。

「他に家の中で教えたほういいとこある? 覚えてる?」

「……覚えてる」

 小さな翠くんの返事に「そっか」と返す。それならあたしの仕事はもうないかな。

「あ、お昼は食べた?」

 今はちょうどお昼だ。あたしはまだ食べていないけど、翠くんはどうだろうと振り返る。早めに昼食を済ませていてもおかしくはない。

「まだ」

「それなら何か作るよ。できたら呼ぶね」

 冷蔵庫になにが残っていたかな、と思い出しながら考える。このあたりはもちろん手慣れたものだ。我が家のキッチンはあたしの城だからね!

「いらない。ほっといて」

 ぷいっと翠くんはそっぽを向いて、さっそく部屋に籠もる。ううーん、これはあれか、反抗期ってやつなのか? あたしは一人っ子だったからここらへんのことにはどうにも対応できない。

 子どもじゃないんだし、お腹が空けば勝手に部屋から出てくるだろう。コンビニだってあるしわざわざあたしが作ってあげることもないかな?

 なんとなく自分の部屋でくつろぐ気分にもなれずにリビングでだらだらとテレビを観ることにした。だってあたしの部屋翠くんの部屋の隣なんだもん。気になるでしょ、いろいろ。あたしも向こうも。

 それにしても土曜日の昼間はおもしろい番組がない。これなら平日昼間のサスペンスのほうがまだ暇をつぶせるよ、とぼんやりとしていたところでスマホが鳴った。

 蒼くん、という文字を確認して電話に出る。

「もしもし?」

『もしもし、あきはちゃん?』

 向こう側から聞こえるのは人懐っこそうな青年の声だ。あたしより三歳年上、社会人になったばかりの翠くんのお兄さん、蒼くんだ。

『翠はどう? あいつ人見知りっていうか神経質なところあるから大変でしょ』

「あはは。今は部屋に籠もってるよ。そっとしたままがいいかなぁと思って」

 このタイミングで電話してきたのは、やっぱり弟が気になったからだね。弟思いのいいお兄ちゃんだ。

『ごめんねー。懐いたら懐いたで面倒な奴なんだけどさ。たぶん新しい環境に緊張しているだけだと思うから、数日すればけろっとしてるよ』

 それはなにか、動物か何かですか。あたしは男子高生ではなくて野生動物を保護したのかな?

「気にしてないから大丈夫。蒼くんも仕事たいへんでしょ、がんばってね」

『うわー。あきはちゃんやさしいー』

 お兄さんがんばっちゃうよ、と笑いながらその後は雑談をして電話を切った。ふむ、翠くんは蒼くんの人懐っこい性格を分けてもらうべきだと思う。

 翠くんはあれだな、野生動物っていうか野良猫に近いな。人に警戒してなかなか近寄ってこない感じがまさにぴったり。

 そんなことを考えていると、とんとん、と階段を下りてくる音が聞こえた。時計を見ると午後三時過ぎだ。昼抜きで耐えるにはそろそろ限界だったかな。

 そろりとリビングに顔を出した翠くんに、にっこりと微笑みかける。

「お腹空いた? お昼に作ったピラフが残ってるけど、あたためようか?」

 翠くんは図星をつかれたように頬を少し赤らめて、こくりと頷く。


 ふふん、動物には餌付けが一番だよね!


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