第31話 借りは返す

 ――マモン。金銭に纏わる悪魔。七つの大罪の内、強欲の象徴とされ、金銀や宝石などに目がないとされる。

 金を稼ぐ上で一番簡単なのは、人間を困らせて、金をむしり取ること。PHCの自演工作は果たしてマモンの欲望を満たすためだけに執り行われた。まず魔獣を世界中に拡散させ、人々に苦難を与える。そして、その解決策を独占的に提示する。アメとムチ。それだけで、世界の経済すら簡単に支配できた。

 悪魔は人を自分の意のままコントロールできる。悪魔から見れば、人は自分の意志を持った気でいる人形なのだ。人形遊びをするだけで金がたくさん手に入るのなら、遊ばない理由がなかった。

 マモンにとって、金とはコレクションでしかない。使うものではなく貯めるもの。昔話に出るドラゴンのように、大量の金銀財宝を棲み処へと蓄えている。

 朱里にとって、忌々しいものの何物でもない。朱里の家庭が困窮した一因はこの男のせいでもある。朱里が魔獣に襲われた一端をマモンが担っている。

 ならば、必要なのは交渉でも妥協でもない。マモンの死。それだけが朱里の生きる理由。

 怪物少女が狩りをする、一番の理由だ。


「アザゼルはシェミハザを殺されて大いに怒っているよ。……彼らが天罰を喰らった時、僕は保護してあげた。僕に手を貸す約束でね。ああ、酷い。実に酷いな。ただ人を好きになって、ちょっと口を滑らしただけなのに。神は存外、器量が小さいとは思わないかい?」

「知らない。そんなことはどうでもいい!」


 今の朱里の関心はマモン――ではなく、自分を殺す気満々の黒竜に向いている。ドラゴンの形態であるアザゼルは、赤竜やワイバーンと遜色ない赤い炎を吐き出してきた。決戦場として選ばれた大広間を、朱里はアンカーショットを使って縦横無尽に動き回る。

 炎が朱里を追いかける。立体起動を行う朱里に炎は追い付けていないが、それも時間の問題だ。朱里は瞬時にモンストルからデストロイヤーに切り替えて、攻勢に出ることにした。


「ハッ!」


 息を吐いて、アンカーショットをアザゼルの上部に張り付ける。左手で自動散弾銃を握りしめ、義手でチャージアタックを繰り出した。確かな手応え。竜の鱗は徹甲弾を防ぐほど硬いが、チャージアタックによる内部打撃を完全に防げはしない。

 だが、敵もただ黙って殴られるわけではない。鱗からヘビの頭が生えてきて、朱里を噛み千切らんとしてきた。朱里は反射的にデストロイヤーの片手撃ちを敢行しようとしたが、


「今回は僕も傍観者、というわけではないよ」

「銃が……!」


 マモンの錬金術によって、デストロイヤーがコインに変えられる。ヘビが身体に巻き付く前に、朱里はアザゼルから離れなければならなくなった。背中から飛び降りた朱里は、歯噛みしながら手立てを探す。移動しながらモンストルの引き金を引いて、追撃してくる蛇頭を灰塵に帰した。


「ネフィリムたちは、暴食の巨人だと言われているが……実際にはただ食欲旺盛なだけのハーフだった。彼女たちは何でも食べられたからね。食事を管理するのが大変だったよ。神と交渉したマステマは彼らを道具として利用することにした。カワイソウだろう? 彼らはただ自分の欲望通りに生きているだけなのに。だから、僕がマステマからゲートを奪って、世界を変えてあげた。彼らが生きられる世界へと」


 マモンは朱里の聞く気もおかまいなしにべらべらと話を続けている。しかし、その間に朱里は窮地に陥っていた。大量の黒い羊に囲まれている。羊は悪魔と特に関連性の高い動物だ。悪魔の伝承にはよく生贄の羊が絡んでいる。

 右眼がデータベースを更新し、羊たちをスケープゴートだと説明してくれた。彼らがその身を犠牲にすることで、朱里の攻撃機会は減少していく。


(どうすれば……!)


 銃は火力が十分にあるが、攻撃可能回数に限りがある。とはいえ、拳による打撃では鈍重すぎる。もっと鋭い、何かが必要だ。ナイフよりもリーチが長く、義手よりも素早く攻撃を繰り出せる武器が……。


 ――ヴィネ先輩からの贈り物は、あちこちに配置してありますよ。


「ウヴァル?」


 脳裏に直接ウヴァルの声が響いた。瞬間、右眼が小城の武器であるライフルソードを捉える。朱里は苦笑しながら剣銃を執った。右眼が小城輝夜の戦術データとリンク。


(フェアな戦いってことね。悪魔に力を借りるなんて癪だけど)


 朱里は剣を振るって追い立てる羊を切り刻んだ。羊の鳴き声が広間の中をこだまする。ああ、大虐殺だねとマモンは笑うが、朱里に狙撃されて身を翻した。


「おお怖い怖い。油断したら殺されてしまう」

「油断しなくても殺す!」


 右手に剣を左手に散弾銃を持つ朱里は、もう一度アザゼルへ接近した。スキャンして弱点を探す。小城がドラゴンを撃退した時の手法が、右眼に表示される。


「肉の継ぎ目に刃を入れて穴を開ける? 小城さん、なんて無茶を――」


 最後まで言葉は続けられない。人の手が朱里を掴もうとしてくる。腕の対処には、触手人間との経験が役立った。剣の使い手足る小城のように剣を巧みに操り、手を切り落とす。眼前にあるドラゴンの脇腹に、刃を思いっきり刃を突き立てた。データのおかげで、どこに刺せばいいかわかる。刃を差し込めば、後は穴を開けるだけだ。

 しかし、そう単純に行くはずもない。マモンとスケープゴートがいる。朱里はバックパックに強引に突っ込んでいた“小城セット”の四十五口径のピストルを左手に構えた。アザゼルの腹を開いて苦しませる間、ピストルで羊たちを撃つ。ピストルの弾が切れたのと同時に捨てて、使わないだろうと考えていたショットピストルを引き抜く。開いた赤い傷口に、二連射。たっぷりの血が溢れ出す。


(一旦下がるか)


 ショットピストルを装填する暇はないので、これも投げ捨てる。左手に剣を持ち直し、義手の反動抑制で五十口径の引き金を引いて、敵に応戦。舞う羊毛、迸る血潮。どうやら羊は手品か何かで召喚されているらしい。

 辺りを見回して――朱里はタネを見つけた。床に魔法陣らしきものが描かれている。十中八九あれのせいだろう。銃を向けて陣に傷をつけようと試みるが、十二枚も無駄に存在するアザゼルの翼が、朱里の銃弾を阻害する。くそ、と毒づいて、朱里は魔法陣へ近づくことにした。


「させないよ」

「く――!」


 コインの弾が飛んできて、朱里の頬すれすれを掠める。血が頬を滴って、喉の方へと流れていく。朱里はアンカーショットを発動できず、走りながら弾丸より早いコイン弾を避けるしかない。義手で防ぐこともできるが、下手に防御すれば行動が止まる。その一瞬が、朱里にとって命取りになりかねない。相手は悪魔なのだ。

 右眼での弾道予測が朱里にとっての命綱だ。コインの発射タイミングを見切り、対応した回避動作を取る。だが、マモンにばかり集中は割けない。羊が突撃してきて、朱里はギリギリ躱すが、コイン弾に左肩を浅く撃ち抜かれた。


「ぐうッ!」


 短い悲鳴を上げながらも、事態を挽回する方法を探す。支援者たるヴィネが、朱里に手段を残してくれている。後は、朱里がそれを利用し、自分の技量で奴を打ち倒せばいい。

 それを見つけるのは容易だった。ネフィリムの武装が、先の支柱の横に転がっている。


「ヴィネは対錬金術用の術式を構築しているのか。なら、こうするとどうなるだろう」

「なにッ!」


 マモンは指を鳴らし、柱の下部を金貨へと変えた。支柱が崩れて、ヴィネの用意した装備を潰さんと倒れ掛かる。朱里は全力疾走をし、武器を回収すべく駆けた。彼女の姿が支柱と被り、埃のせいで見えなくなる。


「潰れたか? いや――」


 マモンの期待がかった呟きに、呼応するように銃弾が奔る。魔法陣が傷ついて羊の召喚が停止した。


「ネフィリムとのデータリンクを構築……」


 埃の中からスコープのついていない狙撃銃アンドロイドを構えた朱里が現われる。右眼がスコープとスポッターの代わりをしてくれるので、スコープも観測手も必要ない。暗視ゴーグルも、サーモグラフィも。

 朱里はネフィリム然とした動きで、ホルスターに突っ込んだ小型短機関銃ガーディアンを使う。マモンの周りに黄金のオーラめいたものが浮かび上がって、死の弾丸が防がれる。


「効かないよ。無駄な足掻きだ」

「無駄かどうかは私が決める!」


 朱里は左手でガーディアンを撃ちながら、アンドロイドの狙いを迫り来るアザゼルの右眼に合わせる。ライフルの片手撃ち。通常のライフルはもとより、ネフィリムのアンドロイドは対物ライフルのビースト版だ。通常なら考えられないほどの威力と反動を持ち、きちんとした射撃体勢を取らなければこちらが大ダメージを受けかねない。

 しかし、朱里ならばできる。コンバットスーツの衝撃吸収能力と義手の反動抑制機構ならば、射撃が可能だ。

 引き金が引かれ、さしもの朱里も後ろによろめく。だが、弾丸は風の影響を受けることもなく、真っ直ぐ瞳に吸い込まれた。


「何?」


 アザゼルの悲鳴。社長が漏らす、本心からの声。


「防御している間は、錬金術を発動できない――」


 朱里はアンドロイドを投げ捨てながら言う。足止めに使用していたガーディアンも残弾尽きた。同じ手は二度と効かないだろう。新しい攻撃方法を思案し始める。

 翼を斬り落とす必要があった。だが、アンカーショットでの接近は厳しい。なので、弓を構えて爆裂矢をつがえ、矢を放つ。翼が羽ばたいて、矢がアザゼルの左横の支柱に刺さった。


「……」


 朱里は弓を捨て、モンストルを構える。予想では、もうひとつ装備が置いてあるはずだった。荒垣霧花の装備品だ。何が置いてあるかは定かではないが、十中八九ライフルだろうという見立てがある。キリカも狙撃を主とする狩人だった。ネフィリムの銃を安易に捨てたのはそのためだ。


「朱里。そろそろ終いにしよう」

「焦ったの? マモン?」


 朱里は挑発を口にしながら武器を探す。と、先の支柱に隠れて見辛かったが、キリカの装備セットはドローンにくっつけられて浮遊していた。右眼でハッキングを仕掛け、ドローンの操作権を簒奪。マモンとアザゼルを迂回させるようにして、朱里の元へと誘導させる。


「君は僕を十分愉しませてくれた。僕の予想以上の怪物。予想外の強者だ。エクソシストなんか目じゃない。しかし――」


 マモンが黄金の剣を握り絞める。錬金術で作成した剣だ。素早いスピードで朱里の前へと移動し、肉薄してくる。咄嗟に、朱里は小城のライフルソードで迎撃した。義手で防ぐことも考えたが、それではまずいという予感があった。

 小城の剣では、黄金剣が防げない。アザゼルにダメージを与えたほどの主武装が、あっさり真っ二つにされる。


「くッ! この!」


 銃身部分をマモンへと向けて撃発させるが、遅かった。既に金色のオーラに守られている。せめてもの抵抗として折れた剣を放り投げるが、コインへと変えられてしまった。


「金貨は大好きだ。君もそうだろう? お金が嫌いな人間はいない。だから、僕は人を簡単に操れる」

「お金は好きでも嫌いでもない。でも、お金に悩まされるのは嫌い!」


 アンカーショットで、マモンの攻撃範囲から退避する。マモンの瞬速移動によってルート変更を余儀なくされたドローンと交差するように高速回避し、切り離された装備を獲得。着地したや否や、マモンに向けて、狙撃を一撃。もちろん、銃弾は無効化。


「富裕層と貧困層。どちらが、コントロールしやすいか知ってるかい? 実は、お金をたくさん持っているはずの富裕層の方が簡単なんだ。彼らはお金のことしか頭にない。家族や生活は二の次で、金稼ぎに命を懸けているからね。考えてもみてよ。彼らは生活に十分なほどに金を手に入れている。働く理由は存在していないんだ。でも、悲しいかな。元々人間は奴隷的存在だからね。働かないと、ダメになってしまうんだよ」


 マモンの聞きたくもない演説。その間に朱里はキリカの狙撃銃――名をレジストという――を構えて、どう出るか考えあぐねていた。アザゼルは目を撃ち抜かれた痛みから回復し、マモンの傍で大きすぎる存在感を主張している。マモンはマモンで聞きたくもない話を一方的に喋っている。


「まぁ中には怠惰で沈む連中もいるが、彼らは……つまらない。僕はお金を一生懸命稼ぐ人間が好きだ。特に、必要もないのに働いている人間が大好きだ。金の奴隷。奴隷はいい。奴隷制度はエクソシストたちが世界の王族たちに働きかけて潰したが、まだ賛成している人間も残っている。奴隷は堕落させやすいからね……僕らにとって都合のいい道具だ」

「金だ奴隷だのうるさいわね。今は命懸けの戦いの真っ最中のはずよ」

「君にとっては、ね。上位者は常に余裕なんだ」


 うざい、と思わず言いそうになった。朱里は悪魔のこういう態度が嫌いだ。しかもその余裕……慢心は、自分が不意を衝かれるという驚きのための快楽的手段でしかない。

 忘れてはならない。今は戦闘中。返すべきは拒絶の言葉ではなく、破滅の弾丸だ。


「……ッ!」


 朱里はアザゼルの左眼を潰しにかかる。――ハンターアラガキキリカとの戦術データリンク開始。

 当然の如く、弾道は逸らされる。


「終わりか?」

「いいえ、まだよ」


 先んじて放っていた矢を爆裂させて、柱をアザゼルの本体に倒れさせた。これにはマモンも驚いて、注意が柱とアザゼルへ向けられる。朱里はアンカーショットをアザゼルの顔へと張り付けて、ナイフを抜き取った。顔面へと突撃。チャージアタックを発動させて、ナイフでアザゼルの左眼抉りを実行する。奇しくも、朱里とシルフィ、キリカの、故人たちと繰り出す連携技だった。

 だが――。


「面白いが、それだけだよ」

「……ッ!」


 パチンと指が鳴って、アザゼルを動けなくしていた支柱がコインとなって消えた。アザゼルは混乱状態から脱し、朱里へと注意を集中する。大きな口が開いて、朱里を呑み込もうとする。回避しようとした朱里だが……間に合わない。右腕がアザゼルの巨大に口に喰らいつかれた。


「しまった――!」

「僕の銀の腕は、そう簡単に噛み砕けない。しかし、君の本体ならすぐに食べられるよ。……彼は一体いつ、その事実に気付くんだろうね」

「ぐ……ッ」


 がちがちがち、と間違ってスプーンを噛んでしまった時のような振動が、右腕を伝ってくる。モンストルを取り出して撃ってみたが、アザゼルは朱里の腕を離さない。それどころか、跳弾で死にかけた。

 もう抵抗しようがない。どうしようもなかった。所詮朱里は人間で、今前にいるのは悪魔であり堕天使だ。戦闘力や生命力がケタ違い。

 だから、朱里は諦めることにした。諦めの言葉を、小さく呟く。


「……ージ」

「ん?」

射出パージ!!」


 朱里の右腕が外れる。ガチャリ、と。何の躊躇も迷いもなく。

 腕を外して、マモンにもアザゼルにも目をくれず、朱里は走った。走りながら、また呟きを漏らす。


「――カウントダウン開始――五」

「まさか、君は」


 マモンが瞠目し、コイン弾で朱里の進路を阻む。避けるが、完全には回避できない。朱里のコンバットスーツのあちこちがコインに裂かれて、血が散った。


「――四」


 しかし、朱里は意に介さない。目標地点まで駆ける。


「――三――二」

「アザゼル! 吐き出せ!」


 マモンの叫び声。朱里は支柱の影に飛び込んだ。自身がヴィネと共同で手掛けた、切り札から回避するために。


「一……ッ!!」


 大爆発が、起きた。広間が爆炎に包まれて、朱里は衝撃を受け止めきれず床に投げ出される。

 これが、朱里の切り札。義手に装着された超小型高性能爆弾。ヴィネがどういう仕組みで創ったかは定かではないが、朱里は以前どんな魔獣でも破壊できる小さな爆弾を注文していた。しかし、朱里の想像していた以上の威力だ。せいぜい、子規模な爆発で魔獣に致命傷を与えるもの、ぐらいにしか考えていなかったのだ。

 なぜヴィネがこれを量産しなかったのか謎だったが、この威力ならば合点がいく。使い方を誤れば、大惨事になりかねない代物だ。これほどの威力を保持しながら、PHC日本支社が崩落しなかったことも爆弾の高性能さを示している。狙った箇所だけを精確に破壊できるのだ。


「かふっ」


 死んでいないとはいえ、朱里もかなりの衝撃を喰らった。コンバットスーツの様々な機能が損傷して、使い物にならなくなっている。パワーアシストも衝撃吸収も働かない、おんぼろの鎧だ。


「見事だった。アザゼルを倒すとは」

「マ、モン……」


 目の前に、敵がいる。倒すべき、借りを返すべき悪魔が立っている。

 なのに、朱里はまだ立つことすら難しい。右腕を喪ったことも影響している。身体のバランスがうまく取れず、マモンを見上げることしかできない。


「でもね、もう終わりだよ。そろそろ、死ぬべき時間だ。遊び飽きたオモチャは、処分しなければならないからね」

「……う」


 コインが、金貨が、朱里に向けられている。金。朱里の人生を翻弄した、お金。多くの人の人生を左右する……時には、命の価値すら定める金貨。

 金を使うはずの人間が、金に踊らされる。本末転倒の仕組み。それが社会だ。金が全てを司るわけではないのに、いつのまにか、誰かによって金本位の世界が創られた。

 別にそれは“悪いこと”ではない。限度を弁えて、それが何であるかを理解して、きちんとコントロールできれば何も問題は起きない。

 朱里の家庭が困窮していたのも、父親が病気にかかってしまったからだ。本質だけを捉えれば、高宮家の運が悪かっただけであり、社会や世界が無条件に悪いということでもない。例え、PHCに金を払うため日本政府からまともな支援を受けられなくとも、それが諸悪の根源ではない。

 だが、それでも。だとしても。

 やはり、とっても、癪なのだ。どうしようもなく、イラつくのだ。悪魔が関わっていたという事実が。


「さようなら、高宮朱里。怪物少女」

「まだだッ!!」


 勝ったと油断しているマモンに――朱里は古きエクソシストからの贈り物をお見舞いした。スイングで固定してあった水平二連を取り出し、マモンへと撃つ。マモンも回避動作を取ったが、至近距離の散弾を完全には避けられない。さらに、放たれた弾丸が特殊だった。

 マモンの血が、悪魔の血液が、床を濡らして拡散する。


「なに、くそ! あいつめ!!」

「コインの……散弾」


 朱里も驚愕を隠せず、床に散らばった金貨たちを目視した。水平二連に装填されていたのは通常の散弾ではなくコイン弾だった。数枚重ね合わせ、炸薬と共にカートリッジへと押し込まれた特殊弾。対マモン用と言うべき弾丸。

 マモンに借りがあったエクソシストは、敵の弱点を見抜いていたらしい。考えてみれば当然だ。マモンは金欲の悪魔。ゆえに――金貨でできた弾丸は防げない。


「ええい、忌々しい……怪物! くそ!」

「待て、マモン!」


 マモンが奥にある部屋へと逃げていく。朱里は喝を入れて立ち上がった。身体中から血が滲み出て、咳き込んで血を吐いた。朱里の身体はボロボロだ。いつ倒れてもおかしくない。


「そんなことは理由にならない……!」


 散弾銃を杖代わりにして、マモンが入った部屋へと歩いて行く。だが、途中で痛みに耐えかねて止まってしまった。その時間を無駄にしないべく、銃身を折って、コイン弾を装填する。

 

 ――タカミヤアカリ。連絡事項があります。

「言って……みて」


 朱里はふらつきながらも部屋へと進む。チャーチたちが逃げ道を塞いでくれている。後は朱里次第だ。朱里が失敗すれば、過去のエクソシストが取り逃がしたように、マモンは世界の闇に溶け込むだろう。


 ――当機もかなりの損傷を負ったため、一時的に自動修復モードへと移行します。その間、当機はタカミヤアカリをサポートできません。

「そう……頑張ったわね」


 機械を労うというものも奇妙な話だが、自然と朱里の口を衝いていた。

 よくぞここまで頑張ってくれた。そう想っていた。タクティカルアイに妙な親近感すら抱いている。


 ――ハンタータカミヤアカリ。ここからはあなたの力で、悪魔を討伐してください。

「もちろん。私はハンターだから」


 右眼が休眠状態となり、朱里の視界が狭まった。ここからは、朱里だけの戦場……狩場だ。誰の力も、機械の補助もない。あるのは敵を倒せる銃と、満身創痍の身体だけ。

 だが、それでいい。追い詰められれば追い詰められるほど、朱里の真価は発揮される。怪物の本性が昂り、考えられないほどの力をくれる。

 ――なぜだか、家族の顔が頭をよぎった。死んでいった人間たちの顔も。


「マモン……」


 左手でドアノブを回し、開く。金ぴかの部屋は眩しく、左眼が順応するまで時間が掛かった。


「僕を追い詰めるとは。恐ろしいな、高宮朱里」


 マモンはコイン弾で裂かれた左手を庇っている。朱里は水平二連を構えて、マモンへと狙いを付けた。


「借りを、返しに来たわ」


 話すのも困難な状況の中、互いに次の一手を待っている。朱里の攻撃回数は限られていた。片腕しかない今、戦闘中に水平二連のリロードはできない。二発外せば、朱里は負ける。

 対してマモンも、水平二連のコイン弾が脅威なのだ。直撃すれば死は免れない。錬金術を発動させようと動きを止めた瞬間に、朱里に撃ち抜かれると理解しているのだ。


「僕は厚意な金貸しだ。わざわざ返してもらう必要はない!」

「カラス……くそッ!」


 マモンが使い魔であるカラスを召喚して、朱里へと突撃させた。回避不能な朱里は銃で迎撃するしかない。カラスを撃ち、残弾はたった一発。すぐさまマモンが金の剣を使って斬りかかってきたが、


(違う)


 朱里は直観的に理解する。これはマモンの残像だ。カラスを用いた幻術の一種だ。

 敵の攻撃力に怯える奴が、わざわざ近接戦を挑む理由がない。わざと攻撃を誘発させて、安全に処理をする方が理に適っている。

 少なくとも、朱里ならそうする。そして、それはマモンも同じだった。


「――そこだ!」


 朱里は肉眼で発見する。幻影の影に隠れて、コインを弾こうとしているマモンを。

 そこに向けて、最後の弾丸を撃ち放った。朱里は目撃する。マモンが本気で驚愕した顔を。

 ぐあッ、という短い悲鳴と、たっぷりの血潮。金の執務机の傍にいたマモンが、血をまき散らして金の椅子へ倒れ込んだ。


「バカな――僕が……悪魔が、人間に負ける?」

「何だかんだ言いながら、あなたは自分が勝つと確信していた。怪物を育てようと、その怪物を制御できると。でも、それは大きな間違い」


 結局マモンは、怪物たちに敗北しないと高を括っていたのだ。人間が猛獣を檻に入れて飼うのと同じだ。制御できるつもりでいる。だが、常日頃から相手を猛獣と意識していないと、大惨事が起こる。今回のように。


「はは、無知な君が僕に説教をする、とは。――君は世界がどのような場所であり、自分が一体何者か、本当に理解しているのかい?」


 笑って出題者は問いかける。死にかけで、血を流し、マモンの象徴であるカラスの羽があちこちから噴き出している。

 朱里は水平二連を投げ捨てた。もう弾丸は尽きている。そのため、背中に背負っているモンストルを取り出した。

 銃口をマモンの頭に向ける。冷徹な表情で、自分の知りえる答えを語る。


「――世界は悪魔の遊び場で、私はあなたを狩る怪物よ」


 引き金が引かれ、銃身が跳ねる。散弾がPHC社長を切り裂く。金の椅子が倒れて、頭部だけカラスとなったマモンが絶命する。


「借りは、返した。――ッ」


 朱里の身体がふらりと揺れる。もう限界だった。まともに立ってられず、床に倒れる。

 あの時と同じだ。朱里は苦笑した。初めてPHCに来て、社長と食事した時、朱里は自分の腕と眼を喰らった魔獣のステーキを食べらせられて、嘔吐したのだ。

 だが、あの時とは明確に、違う。社長は死んで、朱里は生きている。借りを返して、ここにいる。


「ちょっと疲れた……。寝ても、いいよね」


 とても、とても疲れた。まだ高校生だというのに、大人の倍くらいは働いた気がする。

 そろそろ休んでもいい。ゆっくりと休息を取るのも悪くない。

 朱里は微睡んで、寝息を立てる。倒れた衝撃でバックパックが開き、携帯が光っている。

 そこには家族の写真が写っていた。朱里と弟と両親。高宮家が幸せだったころの写真。


「ハハ……ダメだよ、章久。シルフィの真似しちゃ。ほら、キリカが怒ってる――」


 幸福な夢を見て、朱里は眠る。幸せそうに眠っている。

 たくさんの想いとたくさんの人間の信念を引き継ぎ、自分の意志で戦った高宮朱里。

 怪物少女は狩りを終え、深い眠りへと落ちた。

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