第30話 朱里の決断

 PHC内での攻防戦は朱里の有利とは言い難い。少数のエクソシストが後方から来る敵を抑え込んでくれているものの、前方には警備員やパワードスーツ兵、そして魔獣も行く手を阻む障害となっている。

 加えて、敵が入り混じっているのが余計な手間だった。朱里は狩人であり軍人ではない。ゆえに、人は殺さぬよう非殺傷弾と対獣用魔弾の切り替えが必須だ。


「くッ」


 警備員の銃口が朱里の頭部を捉えたのを右眼が見極め、右腕で頭を覆って防御する。敵の狙いを瞬時に把握する義眼と、錬金術によって精製された堅牢な義手の組み合わせで銃弾を跳ね返す。しかし、逆に言えば、その二つの対処さえしてしまえば朱里は丸裸も同然だ。

 今は通路の脇に置いてあった硬い遮蔽物で身を隠しているが、グレネードを投げられたらどうしようもない。スタングレネードを使うべきか朱里は迷う。グレネードは社長との戦いで使うかもしれない。もちろん、使わないという可能性も十分にある。

 

 ――また、可能性に悩まされてるわね。ふふふ――。


「黙ってろ」


 リリンの声がどこからともなく聞こえて、朱里は嫌悪感を剥き出しにしながら吐き捨てた。額に流れる汗をぬぐい、バックパックのスタングレネードへ手を伸ばす。ピンを歯で引き抜いて、警備員とパワードスーツがたくさん詰まっている通路先へと放り投げた。

 悲鳴が聞こえて、警備員たちが倒れる。しかし、フェイスフルアーマーのパワードスーツには効果がない。


「チッ――」


 朱里はモンストルを投げ捨てて、拳で斬りかかる黄金鎧と格闘戦を開始した。剣を義手で受け止めて、コンバットスーツで威力が増幅された足蹴りを見舞う。しかし、新型であるパワードスーツと旧型であるコンバットスーツでは性能に天と地ほどの差があった。大したダメージが入らずに、パワードスーツが応戦し返してくる。右足を籠手で掴まれた――が。


「私に触れるな――この、変態!」


 アンカーショットの先端を天井へと貼り付ける。足でパワードスーツの胴を拘束し、そのまま頭上へと引き上げた。パワードスーツ兵は思いっきり頭部を天井にぶつける。ガン、と鈍い音がして、兵士は脳震盪を起こし気絶した。


「例えどんなに強固な装甲を持っていたとしても、衝撃ダメージは防げない……。まだ、コンバットスーツの方が使い勝手がいいわね」


 コンバットスーツは防御力自体は低いが、高所から落ちても衝撃を吸収できる。コンバットスーツの利点は高い運動性能と衝撃吸収能力だった。パワードスーツの相手をするには丁度いい。


「変態は言い過ぎたかな……」


 どうでもいい気遣いをしながら、朱里は誰も死んでいないことを確認。弾薬を装填して、通路をひたすら進んでいく。

 アドレナリンが分泌されて、疲れや痛みは感じない。闘争か逃走か、選択する余地もない。かつての朱里はPHCから逃走したが、今の朱里は闘争心が有り余るほどだ。それでいて、敵に対する配慮も忘れない。コンバットハイに陥ることなく、冷静に状況を分析できる。だから朱里は狩人で、怪物なのだ。

 だが、さしもの朱里も、急に発せられた耳を疑いたくなる警告には驚きを隠せなかった。

 ――警告。対地ミサイルが迫っています。


「ミサイル……?」


 しかし前にはグールとそれらのアンデッドを統括しているであろうリッチしかいない。リッチは杖を持ち魔術師の恰好をしたアンデッドだ。だが、どんなにおめかししても朱里には手品師にしか見えない。デストロイヤーを構えて、迫り来るグールを灰塵に帰した朱里だが、右眼が正しかったことを否が応でも知るはめとなる。

 通路の一部が吹き飛んで、グールとリッチを爆発が包み込んだ。朱里も反射的に義手で防御する。壁に穴が開いて、海風が流れ込んできた。

 外から聞こえるのはヘリのローター音。穴を慎重に覗き込んで、そこで滞空するのがAH-64Dという陸上自衛隊の戦闘ヘリコプターだということがわかった。


「自衛隊……チャーチの仕業ね」


 PHCがステルス機でもないヘリコプターの接近を見逃すはずがないので、これは全てチャーチのあしわざだとわかる。パイロットらしい無線が朱里の周波数に割り込んで、通信してきた。第一声は危険警告でも安全確認でもなく人物確認だった。


『小城輝夜一尉ですか!?』

「いいえ、私はただの……民間人。でも、小城さんの役目を引き継いでいます」


 自分の正体を朱里は言い淀む。小城の登録タグが朱里にも伝染していたらしい。もしくは、彼の最後の置き土産か。パイロットは朱里の発言に驚き声を上げた。


『少女の声だ……。民間人であれば、救助します。こちらへ!』

「小城さんの役目を引き継いだって言ったでしょう」


 朱里を救出する気満々の隊員へ言い返すが、やはり聞く耳を持たない。民間人を救うのが我々の任務です。そう言って迂闊にも接近して来ようとする。


『日本政府はあなたたちの救出を諦めていません。遅くなりましたが、やっと迎えに来れました』

「……避けて!」

『ッ、緊急回避!』


 いつの間にか外壁の宙へ浮いていたリッチが、紫色の光弾をヘリへと撃ち放つ。ヘリはパイロットの回避運動のおかげで無事だが、怒り心頭といった様子のリッチはヘリコプターを叩き落とす気満々だ。

 援護しようとレイジを引き抜いた朱里だが、五十口径とはいえピストルではどうしようもない。やはり遠距離武装が必要だった、と歯噛みした朱里だが、右手に何かあります、という右眼の言葉に横を見やる。


「弓? 何でこんなところに弓が……」


 爆発に巻き込まれず無事だった弓が壁に立てかけてあった。ヴィネオリジナルウエポンであり、ついでに言えばシルフィードが使用していた弓だ。しかし、今は深く考えている暇はない。弓を構えて、矢筒から爆裂矢を取り出した朱里だが、


「く――弓は得意では、ない」


 悔しさを顔に滲ませる。弓は苦手だった。銃ならば的確に射撃できる朱里も射的になると一気に心もとなくなる。

 ――ハンタータカミヤアカリ。当機から提案があります。


「提案? ただのサポートデバイスが……?」


 無力さを噛みしめる朱里に、右眼が話しかけた。こんな提案は今まで一度もなかったことだ。いつも戦術義眼は朱里に選択肢を提示したが、ここまで強く指定したのは初めてだ。朱里は驚いて、右眼の言葉に耳を傾ける。


 ――当機はハンターサポートシステム、タクティカルアイです。ハンタータカミヤアカリのPHC離別によって、当機には様々な問題が発生しました。その複雑な問題に対処するため、思考アルゴリズムを一新。当初の設定通り、ハンタータカミヤアカリを戦術的に支援するのは今までと変わりありません。


「……提案とは?」


 ――PHCデータベースとリンクが回復したため、戦術データの反映が可能となりました。ハンタータカミヤアカリ、弓の使い手たるハンターシルフィードとのデータリンクを推奨いたします。


「あははっ。まだあいつは私に余計なお節介をするのか……」


 朱里は小さく笑った。シルフィードは、朱里を庇って死んだ死者たちは、死んでもなお朱里を助けるつもりらしい。

 自分が他人頼りの情けない奴に見えて癪だが――助けてくれるというのなら、手をこまねいてる時間はない。


「よし。シルフィとのデータをリンクさせて」


 ――了解。戦術データリンク構築。対象ハンターシルフィード。


 朱里の中にシルフィードの戦い方が刻み込まれる。シルフィという優れた手本通りに朱里は弓に矢をつがえた。ヘリを落とそうと躍起になっているリッチを精確に狙い、朱里は玄人のように矢を穿つ。傍から見たその姿は、シルフィードと酷似している。

 リッチの杖を持つ右手に矢が刺さり、右腕が爆発四散。驚愕するリッチに朱里はもう一度矢をつがえて、発射態勢。――やーい、朱里ちゃんのへたくそ。シルフィードの声が頭の中に響くようだ。


「うるさい」


 今度は頭を捉えた。通常の朱里だったら考えられないほどの精度で、朱里はリッチの眉間を撃ち抜く。


「討伐、完了」

 ――リンクを中断。通常モードへと移行します。


 朱里がふぅと息を吐いて弓を下ろすと、自衛隊のヘリから助かったのか? と慄く通信が聞こえてきた。


「そう、命を無駄にしないでね。彼らを救えるのはあなたたちだけなんだから」


 言ってから、出過ぎたことを言ってしまったな、と朱里は顔をしかめる。しかし、パイロットたちは気にしていないようで、


『君の言う通りだ。……余計なお世話だったようだ』

「余計ではないです。嬉しかったもの。……私の他にも助けを求めるハンターたちはたくさんいます。エクソシストであるチャーチから連絡が入ったら、彼の言う通りに行動してください。彼は味方です」


 気に入るかどうかは別として、とは言わないでおく。

 事情を深く知らないパイロットだが、わかった、と朱里に了承の意を伝えて別の救助者を探すべく移動し始めた。最後に、一言、


『死ぬなよ、民間人。後で君を迎えに行く』

「ありがとう」


 パイロットたちの気遣いに感謝して朱里は先に進んでいく。弓と矢筒は邪魔だったが、これ以上にないお守りだった。


「……オーガの大軍か」


 社長室を目指し動いている朱里は今度はオーガの大軍と鉢合わせた。大剣らしきものを構える緑色の大型獣人たちは、既にPHCの狩人たちを切り殺している。


(パワードスーツは対人用兵器。やはり、装甲が厚くてもビーストの攻撃は完全に防げない)


 味気ない通路に十体ほどひしめき合っている。デストロイヤーで八つ裂きにするか、弓で一気に吹き飛ばすか悩んだ朱里だが、また右眼が装備を発見して、流石に違和感を禁じえなかった。


「リグレット。常場のアサルトライフル。……ヴィネの仕業か」

 

 ――ハンターツネバゲンゾウとデータリンク開始。右眼が、朱里の望むことを朱里が指示する前に勝手に行う。

 朱里は立てかけてあるライフルを取って、マガジンを確認。三点バーストの中距離用アサルトライフルで、オーガの群れを制圧する。気付いたオーガが、朱里へと奔る。朱里は動じず、ヘッドショットで獣人の頭を撃ち割る。


「これ以上持って行くのは厳しいわね」


 残弾少なくなったリグレットをその場に置いて、朱里は行く。通路と階段、階段と通路。同じような風景がずっと続いていて退屈だ。そのつまらなさを吹き飛ばすように魔獣と狩人が現われて、朱里に緊張感を与えてくれる。

 敵は厄介だが、それだけだった。人には殺さぬように非殺傷弾を、獣には殺意のこもった弾丸を与え、朱里はとうとう社長室へ続くエレベーターの前へと辿りついた。


「ああ、待ってください朱里」


 通路脇に隠れていたヴィネが姿をさらす。いつものような店員姿だが、その手には古い水平二連の散弾銃が握られている。


「何の用?」

「あなたが望むものを持って来ました」


 ヴィネは微笑んで散弾銃を差し出す。しかし、朱里の装備はいっぱいいっぱいだ。困る朱里を見かねたのか、ヴィネは水平二連に取り付けられたスリングを摘まんで、


「スリングがついてます。これで持ち運べますよ」

「でも、これ以上ショットガンは要らないわ。もう三つも持っているし」

「必要だ、といったでしょう? 私にはわかるんですよ。全てがね」


 ヴィネは何もかも知っている、といった風な顔をみせる。朱里は散弾銃に手を伸ばしかけて、止まる。本当にヴィネを信用するべきか悩んだ。

 すると、そこへ背後から声が掛けられる。よく見知った――忌々しい声だった。


「そいつの言うことは聞かないで、私とお話ししましょうよ、高宮朱里」

「リリン――」


 朱里はレイジをリリンに向ける。リリンは動じずに右手に持つフリントロックピストルをひらひらと振る。


「なぜ私があなたと話をしなければならないの?」

「あなたが美しい怪物だから。あなたもそう思うでしょ? ソロモン王に使える七十二柱の悪魔の一人、序列四十五位のヴィネさん?」

「あらら、告白する前に紹介されてしまいました」


 ヴィネは平然と笑っているが、朱里は全く笑う気になれなかった。あなたも、悪魔? と警戒を色濃くしてヴィネに訊ねる。


「気付いていると思ってました。まぁ、ばれてもばれてなくてもどちらでもいいのですが、騙したような目で睨まれるのはいい気分じゃありませんね」

「でもあなたは――黙っていた」

「ええ。聞かれませんでしたからね。でもヒント自体はたくさんあったし、あなたも薄々疑っていたから、私を即座に撃ち殺したりしない。そうでしょう? 素晴らしい洞察力ですよ、朱里」

「バカにしているの」

「いえいえ、褒めているんですよ。あなたは疑わしいという理由だけで私を撃とうとはしなかった。人間とは可能性に苛まれる生物、だという言葉はリリン、あなたのですか?」


 ヴィネはリリンに昔馴染みのように話を振り、リリンもまたヴィネのことを知っているように答える。


「あなたの能力なら全部お見通しでしょ? 最初から全て答えが見えてる気分はどう? すごく退屈じゃない? 私、未来予知だけはタダでくれると言っても願い下げ」

「まぁ、少々味気ないことは否定しません。だから、私は基本的に人の真名だけしか覗き見ませんよ」

「覗き魔。人間の真似事、そんなに楽しいかしら」

「あなたも紅茶を嗜んで、銃を使っているじゃないですか。お互い様ですよ」


 朱里を置いてきぼりにして、話は進んでいく。あなたたちは知り合いなの、と今の会話から推測できる事柄を訊ねる。


「まぁ知り合いですかね。トモダチとまではいきませんが」

「ええ、どちらかというと敵ね。どう? 殺し合い、する?」

「私の能力は戦闘向きではないのでご遠慮します」


 敵である、と言っているのに、リリンもヴィネからは敵意や闘争心が一切感じられない。リリンの言葉を思い出す。人は可能性で人を殺すが、悪魔は殺さない。すごく強いからそんなことをする必要がないのだ、と彼女は言っていた。これも、悪魔の余裕の表れかもしれない。

 しかし、その余裕は弱者が付け入る隙と成りうる。銃口はリリンへと向いているが、朱里はいつでもヴィネを撃てるように強く意識して引き金に指を掛ける。


「や、リリン。あなた、朱里に殺されそうですよ」

「それならそれで面白いかも。私の力を使えば、あの男を一瞬で殺せる。そのチャンスをみすみす葬るあなたを、私は見てみたい」

「どうでしょうか。朱里の怪物なら、あなたと契約しなくても十分に勝ち目はありますよ。私は朱里に出会う前から、朱里の素質を知っていましたから」

「――どういう」


 意味のわからない朱里が訊ねると、ヴィネはさわやかに笑いながら、


「今リリンが言った通りですよ。私はあなたがここに来ることを予知して知っていました」


 ヴィネは当たり前のように言ってくる。朱里は怒りを隠さずに拳銃をヴィネへと向けて、


「知ってた? 全部? 私がケルベロスに腕と眼を喰われて、終いには家族を奪われることも――シルフィードがコイツと契約して、堕落することも、知ってたって言うの?」

「もちろん。私は何でもお見通し――」

「ふざけるな!」


 朱里はヴィネの首根っこを掴んで、壁へと叩きつける。ヴィネの目の前には銃があり、いつでも彼女を撃ち抜けるというのに、ヴィネは笑ったままだった。PHCに所属するほとんどの人間と同じように。


「私を撃ちますか? 朱里。シルフィードを堕落させた当人が横にいるのに」

「案じないで。そいつも殺す。私は悪魔が赦せない……」

「赦す赦される? スケールの小さい話をしてるわね。あなたは復讐者ではなく怪物なのだから、ただ殺したい敵を狩ればいいだけのことよ」

「だったら、私が殺したいから殺す」

「リリンの口車に乗せられて、ですか?」


 ヴィネが訊いてくる。首を掴まれていても、全く意に介さない。例えこのまま首を絞め折ったとしても、ヴィネはずっと同じ表情のまま死んでいくだけだろう。人の理解できるところに悪魔はいない。人間が悪魔を理解できるなら、あの男が世界をめちゃくちゃに変えられるはずがないからだ。


「私とリリンは敵なんですよ、敵。敵の敵は味方、とは言いますが、だからってあなたのよき協力者である私を殺す必要が本当にあると?」

「……命乞いのつもり?」

「まさか。ただの助言です。忠告ですよ。悪魔に良い様に利用されるあなたがカワイソウでね。考えてみてください。私は確かに全てを知っていました。しかし、あなたに伝えたとして、あなたは本当に信じましたか? それに、そんなことをすれば私は裏切り者としてPHCから放り出されてしまいます。そうなれば、誰が武器を準備しました? あの男の錬金術? 確かにその義手と義眼は高性能ですが、あの男の装備は少しばかり下劣です。パワードスーツ兵たちは、ダメージコントロールのために薬物を投与されています。エペからクローン作製用の母体の話も聞いているでしょう。ネフィリムがシェミハザの娘のクローンで、彼が娘のために泣く泣く利用されたことにも勘付いているはずですよ」

「だから、あなたを赦せと?」

「赦す必要はないし、赦されるつもりもないというのは、チャーチの言葉でしたね。彼の言葉を引用させてもらいましょう」

「……っ」


 朱里はヴィネを解放した。目の前に悪魔が二人いて、どちらも友達の死に関わっている。自分をここまで堕とした出来事にも、関わっている。

 悪魔は人が関係する出来事のほとんどに関わっていると朱里は推測している。人はバカでマヌケで愚かだから、少しちょっかいを掛けただけで簡単に堕落する。これ以上のオモチャを彼女たちは知らないのだろう。野生動物だって種族の誇りに掛けて自分の力で戦うというのに、人はずる賢く誰かを利用し罠にはめる。人間とは生まれてからずっと卑怯者なのだ。

 だが、だからこそ人は悪魔に勝利できる。リリンが改めて訊ねてきた。


「どう結論は出た? 私と契約を結んで確実にあの男を斃すか、それとも――」

「――これを使って、人らしく、怪物少女らしく、自分の手で未来を掴み取るか、ですね」


 ヴィネが散弾銃を差し出しながら訊いてくる。悪魔と悪魔。紫と青のセールスマン。

 二人の勧誘者はそれぞれの特技を生かして、選択肢を与えてくる。お前が選べと、朱里は決断を迫られている。

 やっと、自分の意志で何かを選べとれるような気がしていた。PHCからここに至るまで朱里は誰かの思惑通りに動いてきた。

 でも、今回ばかりは、違う。自分の意志で堕落するかこのままでいるか選択できる。


「私は――」


 朱里は悩む。正直、朱里の生きる理由は社長を殺すこと一点に尽きている。社長を狩った後、どうするかは考えていない。死んでもいいとさえ思っているほどだ。家族の元にすんなりと帰れると思う甘さはとうの昔に捨てている。

 だが、そうだとしても、化け物になって社長を殺すのも負けた気がしてしまう。朱里は怪物であって怪獣ではないのだ。怪物とは、異形を指す言葉ではない。未知なる力を秘めた、恐ろしい人間を指す言葉なのだ。

 さらに一つ加えると、堕落した朱里が家族に危害を与える可能性はゼロではない。シルフィードが朱里を救った後に殺しに来たように、朱里の心の底に眠る願いや想いに感化され、暴走した朱里が家族を殺してしまうかもしれない。

 そこまで考えれば、もう十分だった。何ら躊躇なく、朱里は選択することができた。


「――リリン、あなたと契約は結ばない。私は私として、あの男を殺す」

「残念。実に残念。朱里、私はあなたのことをトモダチだと思っていたのよ」

「私はあなたをトモダチだとは思ってない」


 カチャ、と朱里が拳銃の狙いをリリンに定める。リリンも負けじとピストルを構える。

 だが、朱里の方が速い。どれだけ威力が悪魔的でも、射手である朱里の方が、素早い。


「あはッ――!」


 リリンは断末魔とはとても思えない笑声を漏らした。眉間には五十口径と遜色ない大きな穴が開いている。血を迸りながら、リリンは消えていった。表情は笑顔のまま、何もなかったように消滅した。


「お姫様は我儘で大変です。一応私も伯爵なんですけどね」


 ヴィネが呆れた風に言う。さて、本題に戻しましょうか、と水平二連を朱里に手渡し、


「一応事情を簡易的に説明しますと、ソロモン王は人間が大好きなのです。まぁ、彼は元々人の王でありましたから、当然ですね。なので、配下たる私たちも、彼の献身的な態度を見るうちに、人に手を貸すようになりました……なんて。まぁ、ぶっちゃけると、人に対する情よりもそっちの方が愉しいから、という快楽的欲求に基づきますが」

「だから、人間に手を貸すと? だったら、人が武器を人に対して使うから、世界に輸出しないというのは――」


 ヴィネが以前朱里に説明した武器輸出を拒否する理由を諳んじると、ヴィネはきょとんとした顔で、


「えっ? あんな嘘、本気にしていたんですか?」


 と心底驚いた顔で言ってくる。朱里は手が出そうになったが、それを予期していたようにヴィネは人差し指を義手に当てて、


「それは痛いので止めてください。対悪魔用義手ですからね。通常では考えられないほどの堅牢さを有していますから。シルフィードの矢だって防いだでしょ? あれ、装甲車すら軽々と貫く凄まじい破壊力を持っているんですよ」

「あの男は自分を殺せる武器を私にわざわざプレゼントしたってこと?」

「その通り。あの男は退屈していますからね。全く、ソロモンはご立腹です。人を弄ぶなって、激おこですよ。私だけじゃ戦力不足と思ってウヴァルまで派遣してきた始末です」

「ウヴァルも、悪魔」

「でもあの子は料理に目覚めたので、勝手に遊んでいましたけどね」


 もはや誰が悪魔でも、朱里は驚かないだろう。例え、自分が実は生まれついた悪魔でした、と言われても驚かない自信がある。いや、それはないか。朱里は自身の考えを否定した。朱里は生まれついての悪魔ではなく、悪魔を狩る怪物なのだ。


「前にも言ったでしょ? 私と朱里はウィンウィンの関係なのです。ちなみに、エクソシストのチャーチとも、利害が一致しています。もちろん彼らは現在の国際エクソシスト教会ではありませんよ? 古きエクソシストたちとはずっと昔から協力してきました。なにせ、私は三千歳ですからね。私の能力は、対象の真名を見破ること。その時に、敵の弱点すら見切ってしまうんです。私ほど、武器商人に最適な人間は七十二柱の中にはいませんよ。でもこれは、預かりものですけどね」


 朱里は中折れ式である水平二連を折って、薬室を確認する。そこには見たことのない弾薬が装填されていた。普段装填される散弾カートリッジではない。この銃自体、特殊な改造が施されているようだ。


「奴を取り逃がしたとあるエクソシストからの、時代を越えた贈り物です」

「何か文字が彫ってあるわね……」


 銃身の横に文字が彫ってあったが、朱里の知らない言語だったので読めない。自動で右眼が解析を掛けて、解読した言葉を朱里は口に出した。


「――借りは返す、か」

「あの男に貸しがある人間は思いのほか多いんです。あなたも、そうでしょ?」


 問われるまでもない。朱里は頷いて、水平二連をスリングで左腰に固定した。


「こんな古い銃を使う必要があるの?」

「知りませんでしたか? 悪魔とその眷属であるビーストには、年季の入った銃が効果的なんです。そのことを知るハンターは多くはありませんがね」

「これからアンティークが人気になるわね。ただでさえ高いのに」


 軽口を叩きながら朱里はエレベーターの上昇ボタンを押した。すぐにドアが開き、鋼鉄の箱へ、決戦の地へと誘ってくる。

 朱里がエレベーターへ入り、ボタンを操作する間、ヴィネが別れの挨拶をしてきた。


「では、朱里。私の優良顧客。また、逢いましょう」

「それは未来視の結果?」

「いえ、結末が気になる部分はあえて視ないんです。下手に視て、関係者に口走ったら未来が変わってしまうかもしれませんし。未来とは、不確定の塊。リリンの言葉を借りれば、あなたを苛む可能性です」

「そう……じゃあ、また会いましょう」


 朱里は社長室の階である最上階のボタンを押す。あっ、とヴィネが何かを思い出したように声を上げた。


「あの男の真名は――ああ、余計なお世話でしたね」

「ええ、もう知ってる」


 鉄の扉が閉まり、朱里を決戦の地へと導いていく。



 そこは薄暗い広間だった。前回来た時にこのような場所は記憶にないので、奴が改装したのだろう。悪魔の手にかかれば、部屋の前に巨大な部屋を創ることなど造作もないことだ。

 社長は広間の真ん中にいた。部屋には六本の支柱が立ち並び、何やら神殿のような雰囲気が漂っている。


「ようやく来たか、高宮朱里。待ち焦がれたよ」

「ええ、私も……あなたを殺す瞬間を、ずっと待ち焦がれていた」


 朱里はエレベーターの中で魔弾へと切り替えたモンストルを社長へと向けた。しかし、社長の気を引いたのは、左腰にある水平二連だった。


「古い銃だ。どうやら僕を根に持っているエクソシストからの贈り物のようだね。やれやれ、あれは二世紀も昔のことだというのに」

「誰があなたを恨んでいるかはどうでもいい。重要なのは、私があなたを殺したい、ということよ」


 殺意を引き金に乗せて、朱里が言う。そうだね、と社長が同意。


「僕は君との戦いを待ち焦がれていたよ。でも、それは彼もいっしょだった」

「彼……? ッ!」


 ずしんずしんと重たい足音を立てて、竜が暗がりから姿を現した。十二の翼と人間の手足を持つ黒い竜。この竜こそ、シェミハザと同じく堕落した天使たちグリゴリの一員だったアザゼルだ。


「僕たちは人間たちが恐怖するようにビーストをデザインする。人の恐怖心や嫌悪感は時代と共に変化するものだからね。でも彼はずっと昔から言われていた通りの姿だよ」

「――いいわ。誰であろうと私の敵ではない」


 朱里が怖じることなく言い放つと、社長は大いに喜んだ。


「そう来なくては。ここで人間らしく泣き喚いて、失禁したのでは興が冷める。君は怪物らしく狩りをするべきだ。そうだろう? 高宮朱里」

「ええ――決着をつけるわ。強欲の悪魔、マモン!!」


 怪物少女は、モンストルの引き金を引いた。最後の戦いの幕が切って落とされる。

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