第29話 PHC侵攻作戦

 星が煌めく静かな夜、満月を反射した水面が不自然に揺れた。光の加減が微妙におかしい。そこには何も見えないのに、確かに何かが存在している。

 光学迷彩を搭載した特殊小型船舶が、島へと着実に接近しつつある。オートパイロットの船に座り込む朱里は、ありったけ積み込んだ装備の山をチェックしながら、作戦を練っていた。

 整備の仕方はあらかじめヴィネに聞いてある。銃器に関する知識は複雑だが、慣れればそう難しくはない。故障を直すのは無理だが、点検ぐらいは朱里でもできる。というより、できなければならなかった。

 散弾銃モンストルにはネフィリムと交戦した時と同じくゴム弾が装填されている。いざとなればカートリッジを排出して実弾へと切り替えるように予備の弾薬は持って来ている。それに朱里のショットガンは一丁ではない。破壊者デストロイヤーなどというバカバカしくなるような名前のフルオートショットガンと、コンパクトにしたせいで携行性は上がったが射程がバカみたいに短くなったショットピストルを所持している。

 朱里の武装はそれだけではなく、五十口径のピストルである憤怒レイジも右太もものホルスターに仕舞われていた。後はバックパックに対人用の殺人鬼カットスロウ)。ナイフとグレネードが数種類。

 右手には銀色の義手が煌めいて、右眼には無知な朱里の知識を補う戦術義眼タクティカルアイが装着されている。着込むのは灰色のコンバットスーツ。頭部以外の全身を覆うパワーアシストを搭載した戦闘服だ。

 黒髪を風になびかせて、朱里は黙々と銃の点検を進めていく。話し相手はいない。死んでしまった。キリカは友人だったシルフィードと類似した死に方を選び、ネフィリムは友達である朱里を守るために身を挺した。

 何がいけなかったのか。朱里はまた以前と同じ思索を再開する。前は考えても結論が出なかったが、今の朱里ならわかる。


(私がいけなかった。間が悪かった。状況が悪かった。彼らが自分勝手なのがいけなかった)


 物事がたったひとつの要因で決まることはほとんどない。大抵複雑な事情が幾重にも絡み合い、結果として最悪なことが起きてしまう。多くの人々は本当の原因よりも目先にある都合のいい要因のせいにして、それで満足してしまうから、面倒事が発生し同じことが繰り返される。

 だが、例え原因でなくとも要因の一つであるならば、対処するべきだと朱里は思う。もちろん、それが改善すべき内容だと吟味してからだ。そして、今考える朱里の問題にも複数の要因が存在する。だから、朱里は内容を測りに載せて見比べて、自身の考えの通り、要因の対処へ向かっている。


(PHCなんて会社がなければ、少なくとも常場は自殺しなかった。常場の娘である雅は、足が不自由だったけど幸せな人生を送れた)


 確認が終わったカットスロウトをホルスターの中へと戻した。スライドを引いて薬室に装填済みなので実際の装弾数よりも一発多く撃てる。セーフティを掛けるのももちろん忘れない。本来の銃器だと暴発の危険性も残されているが、ヴィネ製品に暴発や遅発という概念は存在しない。


(小城さんは自衛隊員として部隊を率いたままだった。カッコいい人だったし、人当たりのいい性格だったから、彼女のひとりもいたかもしれない)


 ショットピストルの確認も終わり。これは中折れ式なのでたった二発しか装填できない。しかし、これは使う方が稀だ。保険のようなもの……軍人の多くが念のためハンドガンを持つことと同じだ。使われない前提の装備である。


(シルフィードは堕落せず、家族を殺すこともなく……外の世界を満喫していたはず。トモダチをたくさん作って、くだらない冗談を言って笑ってるんだ)


 レイジも手順はカットスロウトと同じだ。まずスライドを控えめに引いて薬室をチェック。それからマガジンを装填してスライドを引く。もう一度弾倉を取り出して、薬室に送り込んだ分の弾丸を補充した。


(キリカは……どうだろう。彼女の趣味はイマイチわからなかったな……。でもシルフィのせいでオタクになったって言ってたし、アニメやら漫画やらが好きなのかな)


 凶悪なデストロイヤーの状態も問題ない。これには大容量のドラムマガジンがセットされている。背中に背負うと邪魔なことこの上ないが、コンバットスーツの固定具のおかげである程度はマシになっている。派手に動くとガチャガチャうるさいが、この際仕方なかった。朱里は隠密行動をしに来たわけではない。


(ネフィリムは……PHCがなければ彼女は生まれなかったかも。その点に関しては褒めてあげてもいいかもね。赦すつもりは毛頭ないけど)


 モンストルは自分の身体の一部と同じように扱える。初めて朱里が自分の意志で選択した銃だ。朱里はショットガンが自分の戦闘スタイルに合っていると常々思っている。もしどれか一丁しか選べない状況になれば、間違いなくショットガンを選ぶだろう。

 みんなのことを思い出し、朱里は微笑を浮かべる。月明かりが彼女を美しく照らしている。


(誰も悪くなかった。ただ運が悪かった)


 この世界には悪魔がいて、迷える子羊たちを独自の思惑通りに導いている。しかし、根本的な問題は人間自身にあるのだ。いくら悪魔に誘惑されても、蹴り返せばいい。そうすれば、恐らく世界はもっと平和だった。

 しかし、人は誘惑に弱い。それが甘い誘惑ならなおさらだ。どうしようもない状況を覆せる力が欲しい。そう考える人間は多い。朱里だって、以前はそうだった。

 だが、今なら。怪物が目覚め、この身に宿る今ならば。


「悪魔だって狩ることができるはず」


 銀の義手を朱里は月へと向けて、力強く握りしめた。この義手は奴からの贈り物。なら、奴に返さねばならない。

 秘策は既に義手に組み込まれている。


「――ついた。さぁ、狩りの時間ね」


 船がPHC日本支社へと到着した。携帯で家族の写真を一瞥した後、朱里は正面から堂々と、悪魔を狩るために進入する。



 

 しかし、PHCのセキリュティ突破は容易ではない。上陸し入口へと到達した朱里だが、ドアは固く閉ざされている。


(キリカの遺したハッキングシステムで……)


 とキリカの携帯を取り出し、待ち受けのシルフィードとキリカのツーショット画像へ目を落とす。しかし、コンピュータに疎い朱里にはどれがどれだかいまいちわからない。一体どうするつもりだったのか、朱里が死に逝いたキリカに愚痴を漏らすが、


「……開いた?」


 朱里が何かをいじくる前に、オートロックされた鋼鉄製のドアが音を立てて開いていた。不審に思いながらも進まなければならない。誰の仕業だ、と疑いながらPHCへ入社を果たす。と、瞬間、ガンカメラが朱里を捉えていた。備え付きのマシンピストルが火を噴く前に、アンカーショットで引き壊す。


「罠? だとすればちゃっちいわね」


 朱里を殺す気ならこの程度では全然足りない。エントランスに無味無臭の毒ガスでも充満されていればなす術もなかったろうが。


「……」


 両眼で周囲の様子を窺いながら、先へと進んでいく。肉眼と義眼では、それぞれ見え方が違う。その違いは朱里により高度は状況判断能力を与えてくれる。普通の人なら見逃す危険の兆候を、朱里なら捉えられる。

 ガードはまだ現れない。喧しい警報も鳴らない。不思議に思いながらも、朱里は歩みを止めない。止める理由がない。虎穴に入らねば虎児を得ず。朱里はあえて危険地帯へと足を踏み込んだ。そうしなければ、成せない目的が……満たされない欲望がある。

 朱里は自分の欲望が何であるかよく理解している。ヴィネが忠告していた通り、欲望を知ることは大切だ。欲望を知らなければコントロールできない。例え忌むべき欲であっても、理解するべき事柄だった。そうすれば、ふとした瞬間に沸き起こる欲求に、悪魔の甘美な誘惑に呑み込まれなくて済む。


「対応が遅い。いや――」


 朱里は違和感に気付いた。古典的なワイヤートラップと光学迷彩の組み合わせ。地雷が通路に埋め込まれているのを目ざとく発見する。光学迷彩は微かだが確かな違和感を残す。情報機器頼りになった今では効果的だが、古い狩人の勘で動く朱里には通じない。


(たぶんそれだけじゃないわね。ハンターは罠を幾重にも仕掛ける)


 戦士なら引っ掛かる罠も、狩人ならば避けられる。朱里はワイヤーの先に仕掛けられていたレーザートラップを見破り、スモークグレネードを放り投げた。スモークがレーザーを露わにして、次いでに光学迷彩の揺らぎも発覚する。

 朱里は慎重に両トラップを跳び、潜り、躱して、通路の先へと侵攻した。


(そろそろ……ガードが)


 来ると予期した通り、警備員が現われる。機銃付きドローンのおまけつきだ。ゴム弾で警備員を気絶させ、ドローンはアンカーで引き寄せて殴り潰す。五人と二機を倒したところで、朱里は手近な部屋へと入り込んだ。初めて入る部屋。大量のモニター内蔵型デスクが並ぶオペレーションルームだ。


「ひぃ!? 高宮朱里!?」

「彩月」


 朱里は右眼で解析させていたキリカのプログラムの内、簡易なドアロックを扉に使用した。ドアが閉ざされて、彩月と朱里がオペレーションルームに閉じこめられる。他のオペレーターは出払っていたようで、広い部屋に朱里と彩月の二人きりだ。彩月は真っ青な顔で、発作を起こして死んでしまうかと思うほど呼吸が荒い。


「何で、何で何で何で!? 復讐、復讐に来たんですか!?」

「何であなたに復讐するの?」

「それは、私がシルフィードを……ッ!?」


 彩月はしまった、といった風に自分の口を塞いだ。今のタイミングで言うべきではなかった失言だ。

 朱里はリリンの策略に彩月が関わっていたことを知らない。訝しんだ朱里が、どういうこと、と彩月に詰め寄る。

 彩月はふるふると震えて、目じりに涙を溜めて、まるで化け物を見るかのように怯えきっている。事実、彩月には朱里が自分を殺しに来た怪物に見えていた。怖く恐ろしく、そして美しい、魔獣をいとも簡単に屠る怪物。


「説明して。危害は加えない――」


 と言いながらも、朱里はモンストルの先端を彩月の顔面へ突きつける。


「――態度によっては、ね」

「ひぃィッ!!」


 彩月はショットガンに装填されているのがゴム弾だとは知らない。死の恐怖が彼女を襲い、生まれたての小鹿よろしくがくがくと震えている。サディスティックな性格ならば魅力的に見えるかもしれない彼女であるが、朱里は真実を聞きたいだけであり、妙な真似をしない限り撃つつもりはない。

 無言で、肉眼と義眼で、彩月を睨む。沈黙の威圧は予想以上の効果があり、彩月は泣きじゃくりながら言い訳を述べ始めた。


「し、シルフィード、は、死神っ、てえ、噂があって、ですね! だから、私、怖くて、紫の、女の子と、契約っ、を!」

「なるほど。リリンと契約を結んだのね。……いや」


 朱里はまじまじと彩月を観察する。左手で彩月の身体に触れると、彼女の身体がびくんと跳ねた。腰を抜かして座り込んでしまった彩月。それを見回す朱里。しばし見つめて、彩月はリリンと契約を結んでいないという結論に至る。


「完全に利用された、ということね。端から力を与える気もなかった。堕落すらさせず、上手い具合に、望むままにコントロールする。……社長が世界各国に信者を紛れ込ませるのと同じ手法か」


 納得した朱里は彩月から離れてデスクのコンソールを操作し始める。監視カメラとのリンクを右眼と接続させるためだ。

 朱里の右眼……戦術義眼はPHCのデータベースから締め出されている。リンク復旧のプログラムは右眼が指示する必要もなく奔らせていたため、後はリンクを許可するだけでいい。


「これで、良し」


 リアルタイム映像が朱里の視界端に表示される。オペレーションルームの外側には警備員がひとりもいなかった。

 なぜ? と疑問を感じた朱里だが、すぐさま思考を切り替える必要性が出てきた。


「やだ、やだぁ! 死にたくない、死にたくないッ!」

「彩月!? ッ」


 ロックされていたはずの扉が勝手に開く。危ない、と反射的に朱里は叫んだ。何の理由もなく扉が開くはずはない。開かれたということは、待ち伏せがあるはずだった。

 だが、銃声はなく彩月は無事に外へと逃げ果せた。何もないの? と眉根を寄せる朱里だが、直後に響き渡った彩月の悲鳴にハッとする。


「彩月!!」

「あ、ああッ!! ビースト!! やだぁ! 誰か、助け……ああああぁぁッ!!」


 朱里がオペレーションルームから出た時にはもう手遅れだった。彩月はケルベロスの分離体に上半身を喰われていた。

 朱里は歯噛みして背中のデストロイヤーへと装備を変更する。分離体などもはや朱里の敵ではない。たった一発の弾丸で始末できたが、後味のいいものとは言えなかった。


「死なすつもりはなかったのに」


 早々に気絶させておけば良かったかもしれない。シルフィードの死に関わっていたとはいえ、ここはPHCだ。人生を狂わせる悪魔の監獄だ。だから、放免するつもりでいたのに、彩月はパニックを起こし死んでしまった。無残にも、肉塊だけとなって。


「くそっ。ごめんね、判断を誤った」


 朱里は残った彩月の下半身をケルベロスの死体とは別の位置に置き、常場のオイルライターで簡易的な火葬をしてあげた。ちゃんと葬ってあげられれば一番いいのだが、ここは戦場だ。狩場ではなく、戦いの場。戻って来れるかもわからない。なので、朱里はスプリンクラー装置を動作しないようハッキングして、彩月の遺体を燃やした。

 キリカやネフィリムの遺体を葬った時と似ている。二人は砂浜で簡略的な墓標を作ったが、彩月はそこまで丁重にしてやれない……。


「敵討ち、する間柄でもないけど……。あなたをここに連れてきた、忌々しい男を殺してあげる」


 肉の焦げた匂いを嗅ぎながら、朱里はライターを仕舞った。燃える遺体から離れて、敵を捜索する。悔恨はない。している暇がない。泣いて悔い改めるのは、社長を狩り殺した後だ。


(気に食わない)


 移動する朱里の胸に悪感情が湧き上がる。魔獣がPHCにそう容易く進入できるはずがない。とどのつまり、魔獣も社長の支配下にあり、今までの狩猟活劇は全て自作自演だった。錬金術か悪魔術かは知らないが、自分でフィールドをセッティングしそこにハンターを送り込み、ワインでも飲みながらどちらが勝つか賭けをする。

 反吐が出たし、いらつきもする。生憎、朱里はふざけた茶番を許容できるほど我慢強くはない。


(後悔させてやる)


 走っている内に突き当りに出た。右と左に道が分かれていおり、どちらにも敵の反応が確認されている。気に入らないのは片方が新型パワードスーツを装備したフルフェイスの黄金戦士であり、もう片方が人類の忌むべき敵である魔獣であることだ。

 人と獣が共闘している。これが犬や馬と人間の組み合わせならば何も思わなかっただろうが……。


「ぶっ倒す」


 朱里は右手にデストロイヤー、左手にモンストルを構えて通路に躍り出た。右手に現れた魔獣の情報を右眼が解析。――人型ビースト、グール。死肉を好む獣であり――。解説を聞きながら、朱里は二丁散弾銃で引き金を引く。

 右の獣は破裂して、左の人間は気絶した。


(屍人喰らい、か。死肉を好むから共闘できる……と考えた? どうだかね)


 右眼曰く好みが死肉であるだけで、きちんと生肉も食す。死体が出る内は問題ないだろうが、なくなれば今度は人を喰らうはずだ。そして、朱里は端から人を殺す気はない。恐らくは、悲劇の引き金となるだろう。だが、そこまで気にしている余裕は残されていない。

 体毛のない不気味なほど白いアンデッドの肉片を踏み越えて、朱里は先へと歩き続ける。魔獣が出現しているとなると、スナイパーライフルも持ってくれば良かったかな、と考え込んでしまう。通路での接近戦が予想できていたため、遠距離武装はほとんど置いて来てしまった。読み間違えたかもしれないが、それならばそれで敵から銃を奪えばいいだけだ。朱里は考えを改める。


「ドアか。開く?」

 ――システムが分断されているため、このドアのロック機構に干渉できません。


 右眼とキリカの力では前に現れた頑丈そうなドアを開けることはできないらしい。よって、朱里は右手を鍵として使うことにした。ガン、ガン、ガン、と三発ほど思いっきり殴るとドアがひしゃげて通れるようになった。

 ひん曲がったドアを潜った朱里はカチャリ、と構えられた銃口に瞠目することとなる。


「これは……」


 合わせて十人ほどのハンターに朱里は銃を突きつけられていた。いや、ハンターと形容するには奇妙な格好をしている男たちも数名混ざっている。黒衣に黒いハット。まるで牧師のような姿の男たちとコンバットスーツに身を包むハンターが混在している。

 その中心にいたのは、ネフィリムを撃ったチャーチだった。彼もまた牧師然とした衣装を着て、古めかしい銀のリボルバーを構えている。


「チャーチ……」


 朱里はバックパックからカットスロウトを取り出して、金髪男に拳銃を向けた。チャーチと朱里は無言でしばし睨み合う。

 そして、朱里の方から対人拳銃を下ろした。口を開いて教会の名を持つ男に訊ねる。


「あなたは私の敵?」

「――自分で考えればわかることを私に訊くな」


 いつぞやのように素っ気ない態度でチャーチは言った。彼もリボルバーを下げて朱里へと歩み寄る。


「あなたがエクソシスト。悪魔を祓う祓魔師」

「……」


 チャーチは応えない。無言を肯定と受け取って、朱里は情報をまとめていく。


「あなたは前々からPHCに潜入し、社長を討つ機会を窺っていた。敵を騙すにはまず味方から。社長の懐に潜り込み功績をあげれば、社長はあなたを信用するようになる。そして、社長を追いつめるためには体のいい囮が必要だった。それがシルフィードでありキリカであり……私」


 シルフィードとキリカ。二人の友達はとても優秀だ。しかし、それでも限度はある。二人の少女の策略で社長を出し抜いてレジスタンスなど構築できるはずなかった。PHC対策チームの仮設基地を使うにも、能力だけでなくコネクションが必要だった。

 第三者、すなわち協力者の支援がなければ彼女たちはあっさり躓いていたに違いない。影の協力者、それがチャーチだ。


「シルフィと戦ってた時に現れた輸送ヘリ。あれもあなたの差し金でしょ。考えてみれば疑わしい痕跡はいくつもあった。あなたが常場や小城、シルフィに引き継ぎ書類のサインをさせて私をランクアップさせた。ランクが上がれば、それなりに目立つから。それと、ネフィリムがエペを射殺した件も、あなたが彼女の調整中に細工をし、目障りな暗殺者をいつでも殺せるようにしていたため」


 チャーチは様々な工作を水面下で行っていた。朱里のランクを上がらせて、社長の注目を集めさせ、携帯メールで朱里の後方からバックアップし、シルフィードやキリカにも命令を出す。敵の動向を探りながら、適したタイミングで指示を行い、朱里をPHCから脱出させて、社長の注意が外に向いている間に、計画を最終段階へと進ませたのだ。


「奴は逃げ足が早い。我々は一度奴を追いつめたが、後一歩のところで逃げられている。奴を抑えるためには、逃げ道を塞ぐ必要があった」

「でも、そのせいでみんなが死んだ。確かにあの男は倒すべき敵だけど、ここまでする必要はあったの……?」


 朱里は納得しきれていない。死なずに済む命があったのではないか。そう思わずにはいられない。みんなで力を合わせれば、あの男を斃せたのではないか。ここまで敵を出し抜けたのなら、寝首を掻けたのではないか。余計なことを朱里は考えてしまう。

 しかし、仮定を考えても無意味だ。必要だったから行われた。チャーチがネフィリムを撃ったのもそうだ。ネフィリムが朱里たちへと同行した場合、ネフィリムに仕掛けられていた服従プログラムで朱里たちが追いつめられていたはずだ。


「重要なのは、あの男を始末することだ。そのための犠牲は許容される。悪魔は人類の敵だ」

「赦したわけじゃないからね」

「赦す必要はないし、赦されるつもりもない」


 臆面なくチャーチは言う。その通りなのだろう。チャーチは例え朱里に恨まれても、悪魔を倒すために動き続ける。

 その姿は小城、シルフィードやキリカ、ネフィリムとも通ずるものがあった。強い意志と信念を持った者の瞳だ。どんな犠牲を払っても目的を達成する。朱里が嫌いで、とても綺麗に見えてしまう美しい信条だ。


「あなたは――」


 と朱里が話を続けようとした時、朱里が通った半壊ドアに魔獣が体当たりをかましてきた。エクソシストと同志たちの顔に緊張が奔る。チャーチが皆の前に出て、朱里に指示を出した。


「お前は奴を殺せ。私は逃げ道を塞ぐ」

「……わかった。死なないでね。誰かが死ぬ姿なんて、もう見たくないから」


 さよならや頑張って、などという別れの挨拶は朱里とチャーチには似合わない。銃を携えて、朱里は先に進む。

 足止めを担ったチャーチは、ドアから僅かに顔を覗かせるグールへリボルバーを向けて、


「当たり前のことを、わざわざ言うな」


 その眉間を吹き飛ばした。



 ※※※



 黄金の部屋で社長はモニターを眺めている。近くの椅子には、リリンが紅茶を飲みながら座っている。


「古き仇敵の末裔たちが動き出したけど、大丈夫? そろそろ本当にまずいんじゃない?」

「教会は崩壊したけど、彼らは虎視眈々と挽回の機会を窺っていた。全く、友人が歴史を書き換えてもなおしぶといとは」


 社長はため息を吐く。しかし、その表情はとても楽しそうだ。涸れていた心が、新たな喜びに高鳴っているのだ。


「僕は強いし、ゲートからビーストを召喚してある。あれにはエクソシストもハンターも苦戦を強いられるはずだ」

「第二次世界大戦直後、あなたは戦後のどさくさに紛れてマステマからゲートを奪った。そのせいで世界はあなたの遊び場となり、多くの悪魔たちが憤慨しているのよ。全く、戯れが過ぎるわね」

「僕の友人たちは喜んでくれたけどね。君は違うのかい?」

「私はあなたのトモダチになった覚えはないわ。そうねぇ、ほとんど友と呼べるものは死んでしまったし、今のトモダチは――」


 クスッ、とリリンは笑みを漏らした。紫の髪が揺れる。


「――高宮朱里」

「彼女は君のことを敵と認識しているようだけど」

「それぐらいじゃないと愉しくないじゃない。あなたは是非とも朱里に狩られて欲しいものだわ。私の愉しみを奪われたら困るもの」

「困るなぁ。僕はまだ金を集めたりないんだよ」

「流石、金の亡者さん。私にはお金の価値がさっぱりわからないけど」

「その点に関しては君よりも高宮朱里の方が詳しいはずだ。彼女はずっと金に悩まされてきた。貧乏な家庭で生まれ育った、哀れな少女だからね」


 だが、高宮朱里の家庭が困窮していたのは、PHCに日本政府が金を払うためそれまでできていた援助制度のほとんどを見直したせいだ。日本政府ではそれを政治家の横領や工事の発注ミスなどの適当な理由で誤魔化している。

 真実に近づいた報道関係者などはいたが、彼らはもれなく社会の闇に消えている。真実は重要だが、何でもかんでも暴いてしまって良いわけではない。


「真相を知ったら怒るんじゃない?」

「知らなくても彼女はとうに怒っているよ。怒った怪物は恐ろしいからねぇ。何人の同胞が殺されたことか」

「だったらどうするの?」


 リリンの質問に社長は立ち上がる。弄んでいたコインを弾いて手に載せて、


「どっちだと思う?」

「……表」

「残念、裏だ。既に切り札は手配してある。彼は同志を殺されてとてもご立腹のようだ」


 嬉しそうな笑みを浮かべて、コインを再び弄ぶ。

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