第28話 怪物少女は狩りをする

 ワイバーンは島に到着するまでまだ距離があった。合流されれば勝率がぐっと下がるし、まだネフィリムが敵と決まったわけではない。

 そのため、朱里たちはまずネフィリムと逢うことにした。彼女が正気を保っている……と心では信じているが、その見込みはないと理性ではわかっていた。


「どうするの?」

「……戦術的判断を下すなら、一気に不意を衝いて片付けた方が安心……」


 砂浜で準備をするキリカに、苦りきった顔で応える朱里。キリカは島の反対側にある自動機銃などの防衛設備を起動させながら、素知らぬ顔で助言する。


「戦術的ならその通り。でも、戦闘では人の心理状態が驚くほどに作用する。嫌々殺そうたって殺せない。シルフィを殺した時否が応でも学んだでしょ」

「それは……ッ」

「なら苦虫を噛み潰してないで、彼女を無力化する方法を考えた方がいい。ただし、五体満足は保障しないけどね。こっちだって必死だし」

「キリカ」


 朱里はほっとした表情をキリカに向ける。キリカは殺すべき時は殺すが、救う時は何の躊躇いもなく救う。きっと、朱里と同じようにうんざりしているのだろう。自分の無力のせいで人を死なせることを。

 だが、朱里は散弾銃モンストルに暴徒鎮圧用のゴム弾を装填しながらも、念のためカットスロウトをバックパックに突っ込んだ。キリカの気遣いは嬉しいし、朱里の本心もネフィリムを殺したくはないが、必要に応じて殺さなければならないことを覚悟している。

 二度もネフィリムを見殺しにしなければならないという可能性は朱里の心を抉った。しかし、ここで朱里とキリカは負けるわけにはいかないのだ。最低でも、社長に敗北するという死に方でなければ、死んでいった者たちに顔向けできない。


(しかし……弾薬パックの中にゴム弾が混ざっているなんて。これもヴィネの計らい? それとも策略?)


 都合よく購入した弾薬の中にゴム弾が混入されていた事実を朱里は訝しむ。ゴム弾ならヴィネの銃でも人間相手に発射できる。だが、あまり思考を割いている暇はない。ネフィリムとの戦いは短期決戦が望ましい。シルフィと似たようなフライトユニットを装着している彼女相手に、朱里はどう戦うべきか頭を回す。


(切り札はまだ使うべき局面ではない。あれは最終決戦まで温存するべき。でも、だったらどうする? 格闘戦で気絶させるのが好ましいけど、敵は空を飛んでいる)


 徐々に海岸へと近づいてくるネフィリム。朱里は可能な限りネフィリムの装備を分析した。横では、いつものアンチビーストライフルではなく、麻酔弾を装填した狙撃銃モシン・ナガンをキリカが三発立て続けに放った。


「チッ、当たらない」

「剣で弾丸を弾いた……? 接近戦仕様なのか」


 だったら余計な装備は必要ない。いつでも装備変更及び弾薬補充が可能なように、後方には補給物資が乱雑にまとめられている。

 朱里はそこで、用意されていた刀を手に取った。分析の結果、ショットブレードなどという危険極まりないゲテモノだということを把握。銃大国アメリカでも規制されているソードオフショットガンと日本が世界に誇る刀を組み合わせた意味不明な一品だ。


「ヴィネの仕業ね」


 青髪の武器商人の名前を呟いて、朱里は振り心地を確かめる。刀は両手で握るのが普通だが、この刀は電磁力で斬撃力を引き上げられているようだ。義手を使えば、片手でも威力を十二分に発揮できる。


(思えば――この義手も錬金術で創られたのか)


 朱里の右手に光る銀色の義手を朱里はPHCの技術の賜物だとばかり思っていたが、これはどう見ても技術革新では説明できない。朱里の着るコンバットスーツも、右眼に装着されている義眼も、全て社長が錬金術で創ったものだと考えれば合点がいく。

 とすれば、ネフィリムが装備している飛行ユニットも、常識では計り知れない強度を有しているかもしれない。刀はあくまで剣を受け止めるための防御道具として割り切り、義手での昏倒を目指すこととする。


「来たわよ、朱里」

「ええ。こんにちは、ネフィリム」


 朱里が挨拶をしたが、海上で黒い翼をはためかせるネフィリムはまるで聞こえていないように応じない。朱里はネフィリムと初めて出会った時と同じ天使を今の彼女に見出した――最初、遠目で見た時だけは。今は、真逆の感想を抱いている。

 今のネフィリムは堕天使だ。小城を殺したシェミハザと同じ、悪魔の類だ。


(でも契約を結んだ痕跡は見られない……。悪魔と取引していないなら、まだ救える)


 ネフィリムはあくまでも機械的に武装しているだけだ。シルフィードのように人体に直接羽が生えたわけではない。なら、殺さなくても済む。試しにレッグホルスターに差し込んでいたレイジを向けたが、トリガーはロックされている。


「暗殺対象、高宮朱里を捕捉。標的を排除します」


 淡々とした、無感情の声で呟きながら、ネフィリムは腰に差してある剣を抜く。同じように、朱里も刀を構えた。

 島の反対側では迎撃装置がワイバーンを攻撃し、砲撃音が喧しい。ワイバーンを機銃が引きつけている時間はそう長くない。朱里はキリカと目を合わせた後、ネフィリムに話しかけた。


「生きていたの、ネフィリム」

「……」


 ネフィリムは応えない。アメリカ支社でシルフィードが見た個体と同じように、姿がいっしょの別タイプである可能性も考えられたが、朱里は今空に浮いているネフィリムを、今まで付き従っていた彼女と同じだと断定していた。

 少なくとも、朱里だったらそうする。敵を精神的に追い詰めるのは、戦いの定石だ。


「私はあなたのマスターで、トモダチだからね。何がんでも救うわ」

「……攻撃を開始します」


 ネフィリムは朱里の宣言を聞き受けたと同時に、一気に朱里へと距離を詰めた。シェミハザの時と同じように驚異的な剣圧で朱里を圧倒してくる。

 朱里は義眼を用いてシェミハザの戦闘データをトレース。――シンクロ開始。予測演算を開始します。朱里がネフィリムの剣技スピードに追い付き始める。


(どれだけ素早くても、狙いがわかれば簡単に防げる……!)


 剣は朱里に届かない。刀は徐々に剣を押し始める。

 だが、朱里は違和感を禁じえない。このままだとあまりにも楽だ。一度倒した相手の下位互換をわざわざあの男が派遣してくるとはどうしても思えない。

 しかし、だからと言ってネフィリムを放置しておけない。朱里は剣を思いっきり弾いた。ネフィリムは剣を落としそうになったが、大きく後ろにのけぞっただけで剣は落とさない。そこへ、横から弾丸が飛来して、ネフィリムの剣が撃ち落とされた。


「ッ!」

「丁度、あの時とは真逆ね」


 実弾の入ったマークスマンライフルを構えるキリカが感慨深く声を漏らす。ネフィリムが朱里を救ってくれた時と同じように、朱里が救う。運命めいたものが朱里を包んで、感傷に浸らせる。

 朱里は義手を大きく振り上げて、ネフィリムの腹部に強烈な打撃を見舞う。気絶させ、後は安全なところに隔離して、ワイバーンを狩るだけだ。

 そう思って、拳を突く。だが、ネフィリムはきょとんと虚ろ表情で拳を見つめたまま変化がない。

 ――出力低下。攻撃力が大幅にダウンします。右眼が主に情報を伝える。


「――何ッ!?」


 朱里は狼狽して、自身の義手に目を落とす。急に義手の出力が落ちた。しかし、外部からコマンドを送信された気配はない。


「これは……ぐあッ!!」


 戸惑う朱里をネフィリムが容赦なく殴り飛ばす。気絶させるチャンスは失われ、朱里は砂浜に叩きつけられた。動揺しながら右手を観察し――気付く。

 虫のような生物が、義手の繋ぎ目に挟まっていた。

 ――虫型ビースト、ダルヴ・ダオル。寄生した対象のエネルギーを吸収する小型魔獣です。ケルト神話の神“銀の腕アガートラーム”ヌァザが義手を用いていた時に、彼の義手の継ぎ目に寄生して弱体化させた寄生虫として現代では知られています。

 右眼の解説を聞き、朱里は確信する。――この虫は、対朱里用魔獣だと。

 朱里の戦闘力のほとんどは義手に秘められている。義手がなければ、戦闘力は半減すると言っても過言ではない。とはいえ、朱里は不利を有利に覆すほどの怪物を持っているから、例え義手を封じられたところで敵を倒せるし、倒す気でいる。

 しかし……。


「くそ……」


 朱里は義手にへばりつく虫をナイフで取り除こうと奮戦しながら毒づいた。片腕がなくても、ネフィリムを倒すことはできる。だが、そうなればネフィリムを確実に殺すしか方法がなくなる。

 朱里は焦りを募らせながら、キリカに目で訴える。キリカは朱里の異常をすぐに把握し、ネフィリムと応戦し始めた。銃と剣がそれぞれの音を発して、弾丸と剣身を叩きつけ合っている。

 その間に、朱里は右腕のパージを右眼に命じた。腕を外せば取り除けると思ったからだ。しかし、右眼が命令に応じたのに反して、右腕は外れない。なぜ、と瞠目する朱里に右眼が説明。

 ――エラー。ダルヴ・ダオルが障害となり義手がパージできません。


「く! 何とかして――うッ」


 ナイフで引き剥がそうと奮戦するが、意識が朦朧とし出した。右腕のエネルギーを喰らった虫が、今度は朱里の生命力を吸い取り始めたのだ。

 義手は錬金術によって半永久的に稼働するが、一時的にパワーダウンしてしまえばエネルギーの充填が必要となる。その隙を狙って、虫が朱里の命を蝕んでいる。

 視界がおかしい。ぼやけてきて、朱里は立っていられなくなる。キリカの叫ぶ声とネフィリムの剣戟が聞こえてくるが、もうまともに受け答えできない。


「ダメ……だ。まだ――死ねない」


 言いながらも、どんどん朱里は弱っていく。どれほどの怪物を持とうと、人は人だ。朱里は結局、ただの無力な女の子だった。狩人の才能は持っているが、ただそれだけ。死ぬ時はあっさりと死ぬ。

 それでも朱里は背中のショットガンを左手で取り出して、キリカを援護しようとする。うつ伏せ撃ちでネフィリムに向けて撃ったが、ゴム弾は明後日の方向に飛んで行った。呼吸は荒く、今の無理な射撃で左手を痛めた。もはや朱里には耐えることしかできない。


「喉……喉、乾いた……。お腹、減った……」


 朱里の身体が悲鳴を上げて、栄養補給せよと叫び出す。しかし、朱里は食事も水も持ち合わせていない。いや、すぐ傍に海がある。そこに入ってしまえば――いや、ダメだ。朱里は考えを改める。溺死なんてカッコ悪い死に方をしてはいけないと、少し前にトモダチにどやされたばかりだ。

 だが、もうどうしようもならない。生きているのが不思議な状態だった。朱里の生命力は無駄に高い。だから、苦しむ時はとことん苦しむはめになる。辛いことに耐えられるということは、普通の人間よりも苦しみの量が多いことを指す。

 だから、朱里は自身のスペックに見合った苦しみを享受している。悲鳴すら上げられず、自分の命がすり減る感覚を味わっていく……。


「飲む?」


 朱里の前に紅茶が差し出された。おいしそうな、湯気の立つ紅茶。午後のティータイムにはぴったりだろう。

 悪魔少女が、目の前にいた。友達と仲間の姿はおぼろげなのに、悪魔の姿だけははっきりと視認できる。


「くれるの……?」

「もちろん。あなたにはたくさん酷いことしたけど――それも全部、あなたを想ってのこと。まだ自己紹介をしてなかったわね。私はリリン。馴染みない名前かもしれないけど……リリスなら聞き覚えあるでしょ? あれは私の母親。私はリリスとサタンが交わってできた娘。言わば、人と悪魔のハーフよ。だからね、人間に同情してしまうの。半分血を分けた姉妹だから」

「リリン……」


 リリンは手品を使う点を除いて、人と全く変わらない姿をしている。容姿だけなら、朱里と同い年の少女だ。ゴスロリ趣味があるだけの変わった少女にしか見えない。

 しかし、朱里は知っている。この少女のせいでシルフィードは死んだ。人を誘惑し幻惑し堕落させる悪魔の類だ。誘いに乗ってはならない、斃すべき敵だ。

 なのに、朱里の手は吸いつくようにカップを手に取った。手が震えて、紅茶が口元へと運ばれる。最初は美味しそうに見えていた紅茶が、今や中身はどす黒く、得体の知れないものへと変貌している。


「さぁ、空腹を満たしなさい、朱里。怪物を持つ少女よ。その魂に相応しい怪物へと、成り果てなさい」

「ッ……ダメだ……飲んではいけない……ダメだダメだダメだ!!」


 朱里は必死に抵抗を試みるが、身体は紅茶を、リリンを求めている。朱里の口に、ティーカップの淵が触れた。カップが傾けられ、液体が朱里の唇へと注がれる――。


「――朱里!!」

「……ッ!?」


 キリカの叫び声が朱里を幻惑から解き放った。

 カップが落ちて割れ、現実が急速に朱里へ襲いかかる。目を見開いて前を見る。


「戻ったか……朱里」

「キリカ……」


 キリカは朱里の前に立っていた。彼女の前にはネフィリムが立つ。何をしているかはキリカの背中に隠れて見えないが、彼女はネフィリムから混乱する朱里を守ってくれているようだ。


「待って……今、どうにかして」

「ああ……どうにかして戦って。私の、代わりに」


 弱気なキリカの発言。シルフィードと出会う前の、荒れていたらしい彼女ならばともかく、目的に満ち溢れている今の彼女なら絶対口にしないと思われる言葉だ。

 だが、彼女は小さく悲鳴を上げながら吐きこぼした。血と共に。


「キリカ――」

「言ってなかったけど……レジスタンスが三人いたのは、三人で力を合わせて社長を殺すためじゃない……。誰か一人でも社長に届くための……言わば保険みたいなもの」


 ぐふッ、とキリカはまた血を吐いた。朱里は咄嗟にふらつく足で立って、その光景を目の当たりにする。

 キリカの背中から、ゆっくりとネフィリムが持っていた剣の先端が貫いてきた。朱里は瞬時に理解する――ネフィリムが朱里を刺し殺そうとしたところを、彼女が庇ったのだ。

 キリカは剣を両手で握り絞め、朱里に刃先が届かないように堪えている。なぜッ! と驚愕する朱里の問いにキリカは笑いながら応えた。


「誰かのために命を投げ出すのって、綺麗なんでしょ? 綺麗なものには女の子なら……憧れるものよ」

「私じゃなくてあなたでも良かったんでしょう! 何で……」


 朱里はカットスロウトをバックパックから左手で抜き取った。本当なら立つのも難しい状態だが、銃口はぴたりとネフィリムに狙いを付ける。無理しない方がいい、とキリカは微笑を浮かべて、


「銃さえ貸してくれれば、私が殺す。……トモダチを殺すのって辛いでしょ。悲しいでしょう? あの子を殺す手助けをした私でさえこんなに苦しんだ。あなたはもっと辛いに決まってる……」

「どいつもこいつも……! 人の気持ちを知った風に……!」


 朱里は怒っている。キリカだけではない。シルフィードにも、小城さんや常場にもだ。ネフィリムも例外ではない。

 自分を庇ってくれなんて、朱里は一言も口にしていない。なのに、勝手に身を投げ出したり、死に方を自分の身体を使ってレクチャーしてくる。理由はカワイソウだからとか、大人が子どもを救うのに、大した理由はいらないだとか。

 そんなことは知らないし、望んでいないのだ。勝手に庇って勝手に死ぬな。私は死んだって別に構わない。だから、自分の望んでいないことを目の前でするな。


「勝手に死ぬな。勝手に……!」

「勝手に死ぬんだから、気にする必要ないじゃない。これは、自己満足よ。あなたのためじゃなく、私のため」


 キリカは血を吐きながら笑う。剣はどんどんキリカの腹を貫き割いて、剣を留めるキリカの手は、彼女の赤いフードよりも真っ赤に染まっている。

 朱里はネフィリムのキリカとネフィリムの隣に立ち、拳銃をネフィリムの頭に突きつけた。いくら朱里が力を吸い取られてると言っても、銃を撃つくらい簡単だ。九mm弾を使用する銃器のほとんどは、反動が控えめにできている。獣を殺すには不十分。しかし、人を殺すには申し分ない。


「くそ……くそ……ッ」


 手は震えない。的確にネフィリムの頭を捉えている。敵を殺すのに怯えはない。しかし、いくら怪物とは言え、心理的葛藤は存在する。右眼が心理的問題を検知と騒々しい。


「殺す必要はない……ッ。どうせ、私は助からない。ここには治療設備はないし……ネフィリムの使う剣はただの剣じゃ、ない」

「仮にも基地でしょ! 何か……」

「無理、無理。あなた、いつハンターからドクターに鞍替えしたの?」


 キリカの言い分は一理ある。朱里は狩人であり、医者ではない。応急手当ぐらいはできるが、本格的な治療は不可能だ。救っても、ほんの少しばかり寿命が延びて、後は死に逝く彼女を看取るぐらいしかできない。


「私は――!」

「あなたがするべきは、涙を流したり、仲間を救おうと努力することじゃない……。敵を殺すこと。社長を始末することだ……わかる? 何が何でも絶対に社長を殺して……シルフィと私の代わりに」


 キリカは遺言めいたことを吐き出した。たっぷりの血といっしょに。実際それは遺言に近しい言葉だった。キリカとネフィリムの力の均衡は崩れて、剣がキリカを完全に貫通する。キリカはゆっくりと血の海に沈む。死にかける最中、あなたといっしょで楽しかったなどという一方的な笑顔を向けてきた。

 朱里は呆然と、キリカの死に顔を見つめる。シルフィードの時と同じく、とびきり綺麗だった。悔しくなるほどに、美しかった。


「キリカ……ネフィリム……」


 涙は流さないくせに泣きそうな顔となって、朱里は震えない手で拳銃をネフィリムに向ける。しかし、撃てない。撃つ気力が残ってない。ふらり、と揺らいで後ろに倒れた。抵抗する気はなかったが、身体は反射的に反応し、右腕で顔を覆う。


「ハンター……タカミヤ、アカリ……」


 ネフィリムは呟いて、朱里に剣を振り下ろす。ネフィリムは見事に切り裂いた。

 ――朱里の右腕に寄生していた虫だけを。

 そして、驚く朱里の頭に手を置き、撫でる。辛そうな顔で、しかし、幸福を噛み締めているような、喜びに満ち溢れる顔で。


「あなたを……人を守ることが、隊長との約束です」

「ネフィリム……?」


 ネフィリムは正気に戻っていた。キリカを殺した衝撃で――封印されていた意思が一時的に蘇った。兵器としては欠陥品。しかし、人としては正常品。紛い物の天使であるネフィリムは、機械の翼で天を舞う。

 そして、飛行を邪魔する防衛装置を破壊しつくし、朱里を殺すべくやってきたワイバーンと戦い始めた。しかし、ネフィリムはボロボロだ。キリカとの戦闘ダメージと、命令反故の崩壊プログラムが動き出している。神に逆らった瞬間から、堕ちた天使の自由は喪われていた。


「ネフィリム……待て! 戦闘行動の中止! 私は自分で何とかできる!!」


 朱里は喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。このままではネフィリムも死ぬことになる。悪魔の笑い声がどこかから聞こえた気がした。リリンと社長の笑い声だ。嗤っている。朱里の無力さを愉しんでいる。


「その命令は聞けませんよ、アカリ。あなたは私のマスターである前に――」


 ネフィリムは笑っている。ワイバーンの心臓付近に一撃喰らわしたが、鋭い爪で胸元が引っかかれた。


「――私の、トモダチですから」

「ネフィリム!!」


 人が死ぬときは呆気ない。戦士なら、狩人ならなおさらだ。

 ネフィリムは頭からワイバーンに食われた。バリボリと、肉と骨とエンジェルユニットを噛み砕く音が辺りに響き渡っている。

 朱里はもはや、悲鳴も驚愕の声も上げられず、黙ってその光景を見つめていた。ドラゴンが天使を喰らう様を。

 友達が魔獣に殺される様を。


「おおおおおッ!!」


 激しく叫んで、装備品が置かれている場所へと走り出す。とっくに限界は越えていた。体力でも気力でもなく、敵を狩りたいという欲望の力で朱里は動いている。

 装備を見回して――正規軍から反政府軍まで様々な勢力が愛用しているRPG-7を手に取る。

 両手で構えて、ネフィリムが付けた傷を狙う。サイトは使わない。鷹の眼は朱里の右眼に備わっている。

 引き金を引くと同時に、正式にはグレネードランチャーに分類されるロケット砲が発射される。

 狙いは精確にワイバーンの心臓部分に命中したが、朱里はまだ止まらない。まだだ、まだ終わっていない。確かな予感と共に空の筒を放り投げて、別の武器を探す。


「これで……!」


 朱里はヴィネ製品である機関銃マシンガンを取り出した。前以て装填は完了しているので、後は朱里の撃つ気さえあれば撃てる。腰だめで構えて、狙い撃ちではなく乱れ撃ちを行った。銃身が跳ねるのを、パワーが復活しつつある義手とコンバットスーツの補助機能を使って抑える。


「あああああああああッ!!」


 気が付くと、無意識の内に朱里は叫んでいた。叫び声を上げながら、朱里へと迫り来る魔獣へと弾丸をばら撒いていた。

 朱里は怒っている。勝手に死んでいった彼らに、それを止められなかった自分に、友達を殺しやがったくそ野郎に、怒っている。

 三百発にも及ぶ大容量マガジンの魔弾を空にしたあたりで、ワイバーンが既に絶命していたことに気が付いた。

 マシンガンを投げ捨てて、力なく座り込む。少し離れたところにはキリカの死体とドラゴンがこぼしたネフィリムの肉片。

 PHCから逃れたのに、結局朱里はひとりぼっちになった。

 孤独だった。何もかもが奪われた。手に入れたものさえ失った。


「……私、何か悪いことしたかな」


 独り言を呟きながら、この事象に善悪が関係ないことを朱里は知っている。善人だから死なないということはないし、悪人だから生きられないということもない。善と悪の境界線なんて神様にはわからないだろうし、わかっていても手は出せない。善人か悪人かなどは所詮しょせん人の尺度であり、神の目線からは違って見えるのだろう。

 世界は理不尽にできている。朱里はやっと世界の本当の姿を知った。自分が何者かも理解した。世界は悪魔の遊び場で、人は反応を楽しむための人形だ。悪魔は人の心を操作して、自分の箱庭で存分に愉しむ。

 世界とはゲームなのだ。自分以外の誰かの。

 だが……ゲームならば。誰かと誰かが公正に競い合うゲームだとするならば。


「敵を、狩れるはず」


 朱里はゆっくりと立ち上がり、背中から外れ、砂に突き刺さっていた散弾銃の元へ歩く。義手で掴み取って、大空へと構えた。その散弾銃の名はモンストル。フランス語で怪物の意味を持つ。

 そして、銃を構える少女も、怪物をその身に秘めている。高宮朱里は……自分という存在は――。


「――悪魔を狩る怪物だ」


 ショットガンを撃ち放つ。恐らく観てるであろう悪魔に向けて。敵についてはもう学んだ。朱里はもう無知ではない。世界も自分もよく理解している。だから……。


「そろそろ、行かなくちゃ。借りは返さなきゃいけないからね」


 怪物少女は、自分の命を助け、義手と義眼を与え、借金を強要し、仲間や友達を殺した社長あくまへと借りを返しに赴く。

 それは必要なことでも、やらなければならない義務でもない。

 ただ自分が狩りたいから――怪物少女タカミヤアカリは狩りをする。

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