第25話 大脱獄を経て
部屋の灯りが消えて、非常灯に切り替わる。朱里の義眼も暗視モードへとシフトする。
「電源を落としたのよ。すぐに復旧するでしょうけど」
キリカは朱里を先導し、鋼鉄製の扉を開けた。尋問室の前に立っていた警備員を昏倒させ、朱里に手招きしてくる。
朱里は頷いて追従し、廊下を走るキリカを追って行った。
「一つ、聞いていい?」
「何?」
突き当りでキリカは敵の様子を窺っている。朱里も同じように警備員たちの動向を監視しながら訊ねた。
「脱獄なの? 社長を殺すんじゃなくて?」
「準備がまだでしょ。今の状態で立ち向かっても社長は殺せない」
そんなことない、と朱里は言い返したが、キリカは嘆息して、朱里が大っ嫌いなセリフを口にした。
「あなたはここがどういうところで、敵が一体どういう奴か、本当にわかってるの?」
「チッ、はいはい」
思わず舌打ちしてしまうほどには、無知でバカにされるのが嫌いだった。
「それに、あなたもわかってるでしょ? 社長を殺すにはしっかりとした土台が必要。まずは土台作りからよ」
「わかりましたっ! っと……」
義手で警備員を殴り倒す。――警告、警備員への殺傷行為は推奨されません。右眼がうるさいが、パワーセーブしてあるので死にはしない。同じ境遇の被害者をわざわざ殺すつもりには到底なれなかった。それはキリカも同じだったようで、彼女も邪魔をしてくる警備員や職員、狩人たちを気絶させていく。
「小城さんのデータを利用したの」
朱里が驚いて悲鳴をあげようとした女性狩人の口を塞ぎ、そのまま意識を奪った。
「彼はハンターたちを脱走させる手立てを確立していた。実行する前に殺されてしまったようだけど」
キリカが襲いかかってきた警備員の股間を思いっきり蹴り飛ばし、悶絶したところを拳で殴る。
「そろそろ銃を使ってきそうね」
朱里の予想は的中し、通路の先に武装した警備員が現われて、マズルフラッシュが淡い非常灯の灯る通路を照らす。
遮蔽物に隠れたキリカが行動不能となったため、朱里は義手を盾にして警備員へ距離を詰めた。義手に銃弾が当たって喧しい音を立てる。警備員へと肉薄した朱里は警備員からサブマシンガンを奪い取り、銃床で気絶させた。他二人も同じように銃で殴る。
「私の分は?」
「はい」
と朱里は拾った拳銃を手渡した。デカいのちょうだいよ、とキリカが愚痴を漏らす。
「薄暗い中じゃ精確に狙えないでしょ。間違ってネフィリムを撃ったら大変だし」
「ネフィリム? あの子も連れていく気?」
キリカの問いに朱里は応えない。前方から微かな気配を感じたからだ。通路に設置されているロッカーの中に誰かが息を潜めている。朱里はハンドサインでキリカに待機を命じ、サブマシンガンを構えながら慎重に近づいた。
音を立てず、ロッカーのドアを一気に開ける。すると、騒々しい悲鳴がロッカーから響き渡った。
「止めて! 殺さないで! やだ、やだ、やだぁ! 死にたくない! 死にたくないよう!!」
「彩月……」
謹慎を解除されたらしい彩月がロッカーの中でぶるぶる震えていた。朱里は左手で彩月の口を塞いで、右手で人差し指を立てる。
「静かにしないと、本当に殺すかもよ」
「ふぐ……ぅ」
無論、殺すつもりはなかったのだが、脅しの効果は覿面だった。効き過ぎて、彩月はどうやら失禁してしまったようだ。
少しやり過ぎた、と反省し、静かになった彩月から距離を取る。キリカと静かに移動しながら、小声で目的地を訊ねる。
「で、一体どこに向かうの」
「格納庫。あそこにはあなたの武器が保管されている。逃走用の足もそこにあるし、一石二鳥だ」
狩人の武器はメンテナンス時を除き、格納庫に保管されている。格納庫は狩場への出撃ハッチも兼任しているため、狩人はあらかじめ装備を発注し、出撃時にて回収するというやり方だ。
ナビモードを起動させ、最短ルートを計測した朱里は眩しさのあまり肉眼を瞑る。電源が復旧し、灯りが点灯していた。
「……ッ!」
気配を感じ、朱里は左眼を瞑ったままサブマシンガンを構えた。右眼が対象をスキャニング。――ハンターネフィリムですという解説に、朱里は銃を下ろし、まだ視界がはっきりしないキリカにも射撃中断させた。
「朱里、ハンターキリカ。一体どういうことです」
「見てわからない?」
と拳銃を見せつけるキリカに背後を警戒させて、朱里は左手をネフィリムの肩に載せる。
「いっしょに逃げましょう」
「――しかし」
「PHCは日本に戦争を仕掛けるつもりでいる。しかも、理由は邪魔だから。ただ、それだけの理由で。私はそんな事態を許容できない」
正義の味方のようなセリフ。しかし、朱里が怪物専用の監獄から脱出するのは日本を救いたいからではない。社長を、自分を誘拐し狩人に仕立て上げた男を始末するためだ。しかし、日本を、そこに住む家族を救いたいという気持ちも紛れない本心であることは間違いない。
朱里が真摯に見つめると、ネフィリムは一旦視線を逸らした。
「ですが、私はPHCのハンターを守るため生きているのです。今のあなた方の行動は規約違反。あなたたちは私が守護するべきハンターたちに危害を加えました」
「ネフィリム……」
やはり説得は無理なのか、と朱里は諦めてネフィリムに別れを告げようとする。だが、彼女の言葉はまだ続いていた。
「とはいえ、あなたたちは一人も殺してはいないようです。いいでしょう。確かに、戦争回避は私の存在理由と合致します。それに――私は、アカリのトモダチですから」
「……ありがとう」
朱里はネフィリムの頭を撫でる。ネフィリムは心の底から嬉しそうな顔となった。
「いちゃついてるとこ悪いんだけど……」
キリカが焦った表情で言う。キリカの視線の先には、またサブマシンガンをがちゃがちゃ鳴らす警備員たちが駆けてくるところだった。朱里は後ろへと向き直り、先頭を走る男の足を撃ち抜く。倒れた男に後続が引っかかり、追手全員が無様に廊下とキスをした。
「行きましょう」
朱里はキリカとネフィリムと共に、格納庫へと向かっていく。右眼は警告と叫んでいるが、耳を貸す気には全くならない。
※※※
一方その頃、社長室では社長とチャーチが脱走した朱里たちの目的について論議を交わしていた。と言っても、チャーチが社長に言い、社長が同意するだけの一方的なものだ。
「脱走ハンターたちは格納庫へと向かったかと思われます」
「監視カメラもまだ未復旧なのによくわかるね」
チャーチの意見を社長は納得しかねないようだ。チャーチは端末に日本支社の見取り図を表示させ、尋問室を指で指し示し、
「尋問室はここ。ここから取れるルートを鑑みて、思い当たる候補は二つ。ヴィネショップで銃を奪うか、格納庫へ逃走するかです。そして、ヴィネショップに向かう理由は彼女たちに存在しない」
「どうしてだい?」
社長は興味深そうに訊く。チャーチは頷いて説明を続ける。
「格納庫でも武器は回収できます。ヴィネの武器は逃亡の助けにはなり得ません。ハンター相手に構えてもトリガーがロックされるからです。加えて、彼女たちに時間はない。今はせいぜいハンター適正のない少数のガードに追われているだけですが、監視ネットワークが復旧すれば数で押されます」
「飛び抜けた質が相手なら、量は雑魚として無双され、成す術もなく蹂躙される……。朱里はそう言っていたが、それはあくまで質の状態が完全であった場合でのみ。心理的、肉体的、状況的に不利ならば、質の有利は覆される。だから、逃走手段と武装を一気に回収し、早急に島から脱出する。彼女のやり方じゃないねぇ」
「ハンターキリカに触発されたのでしょう。私も追撃に出ます」
「待ってくれ、チャーチ」
チャーチは急ぎ足で社長室を出ようとする。が、部屋を出る寸前に止められた。
「なんでしょう?」
「人はこの世で一番信用できない生き物だ。犬でさえ主人に忠実に従うのに、人間は首輪を付けたところで油断ならない。
「承知しました」
チャーチは従順に主人の命令に従い、檻から逃げようとする犬の対処を開始する。
※※※
格納庫には特に大きな問題もなく到達できた。恐らく、キリカのハッキングが効いているのだろう。通常なら閉まるはずの防護シャッターや銃器搭載型の監視カメラも働かず、無事に突破できた。目下の障害は警備員だけであり、彼らの役目は主に反抗的でない飼い犬や奴隷のしつけである。一度牙を剥いた怪物に敵うはずもなかった。――警告、ハンタータカミヤアカリ。非推奨行動中。抵抗を止め、大人しく――。煩わしいのは右眼だけだ。
「どうやって逃げるの?」
「ボートを使う。あなたとネフィリムは装備を回収しなさい」
キリカは格納庫の左手にある出撃ドッグへ視線を送った。外には大海が広がり、空には星が輝いている。
「あなたのは?」
「私なら大丈夫……っと。へへっ」
キリカは倒れた警備員の服から鍵を盗み出し、ちゃりんと音を立てる。
「私の装備は回収されたまま、運ぶのを面倒くさがって放置されているはず。スキャニングで情報を抜き取ったらガラクタ同然だからね。大したデータは入ってないし」
PHCの適当さが、キリカの逃走を手助けしていた。格納庫脇に設置された倉庫には、誰も取りに来なかった遺品が放置されている。朱里がキリカを拘束し連れ立った時に回収された彼女の所持品もその中に含まれていた。データは既に取得済みであり、後は他のゴミ同様分別してゴミ箱に捨てるだけである。
「朗報よ、朱里。爆弾は仕掛けられてないわ」
朱里の携帯に一体いつからそんな機能が付与されていたのか、キリカは携帯を使って爆発物をスキャンしていた。小城のデータには、逃走者の助けとなるよう様々な支援機能が巧妙に隠されていたようだ。
(小城さん……)
灰色のコンバットスーツに袖を通し、愛銃である
「隊長は優しい方でした。私は約束したのです。隊長の代わりに人を守ると」
白銀のコンバットスーツを着込むネフィリムが、誰にでもなく呟く。小城の想いはネフィリムに継がれている。当然、朱里の中にも流れ込んでいる。死者にできる最大の手向けは、嘆くことでも懺悔することでもない。その恩に報いることだ。小城に感謝するからこそ、朱里は止まっていられない。
「準備終わった?」
「少し待って。あなたはボートの確保を」
朱里は
「カットスロウト、か」
最後に対人拳銃をバックパックに突っ込んで、弾薬パックの入った袋を持って移動する。魔弾の生成はPHCの特権だ。念のため、多く持って行きたい。
「早くしなさい。そろそろシステムが復旧する頃合いよ」
「わかってるわ。ネフィリム!」
黒色のインフレータブルボート。携行性の高いこのゴムボートは、これで直接現地に向かうというよりも、水場のある現地で使用するというのが通例だ。搭載された推進エンジンは対魔獣用に既存品とは比べ物にならない出力を発揮でき、理論上航続距離は十分確保できているが、荒れ狂う海の中をボート一つで進むのは得策とは言い難い。
「策は考えてある。それとも、朱里は泳げないの?」
「泳げるわ。……たぶん」
自信なく朱里は答える。朱里はあまり泳ぎが得意とは言えない。海でよく朱里が砂遊びをしたのは、弟の面倒を見るという名目のほかに、水泳が不得意という理由もあった。
しかし、今は自身の欠点を言い訳にしている場合ではない。コンバットスーツの補助を受ければ、水泳選手顔負けの泳ぎを披露できるはずだと自分に言い聞かせて、朱里は遅れているネフィリムを急がせる。
「早く!」
「今向かい……うっ」
ネフィリムが急停止した。朱里も、時間が止まったように感じた。
まただ。またこの感覚だ。もう何度味わったかわからない体験を、朱里はまた経験することになった。
「ネフィ、リム?」
朱里の眼前でネフィリムはよろめいて、ふらりと床に倒れ伏した。しかし、歯を食いしばって朱里へと必死に手を伸ばす。
撃たれた? 撃たれた。撃たれた! ネフィリムが何者かによって銃撃された。朱里は反射的にボートから飛び降りそうになって、
「待て! 手遅れになる!」
「でも、ネフィリムが!」
「諦めなさい! シルフィの死を無駄にするつもり!?」
「でもッ!」
朱里は諦めきれない――。ネフィリムは数歩先だ。今飛び出して、彼女を運び出せばいいだけだ。
だが、ネフィリムは朱里に助けを求めなかった。辛そうな顔で、優しい微笑を浮かべて。伸ばした手で、朱里に脱出を促して、
「行って……行ってください、朱里」
「何言ってるの? 私はあなたのマスターで!」
「私の……トモダチ、ですよね。トモダチの言うこと、聞いてください。最後の……我儘です」
その言葉を最期に、ネフィリムは事切れた。糸が切れた人形のようにぐったりと動かなくなり、赤い血が床を濡らし出す。
「ネフィリム! ま、待て、待て――ッ!」
しかし、キリカは待たなかった。ボートを強引に発進させる。直後に、大量の銃声が鳴り響き、武装警備員と古めかしい銀色のリボルバーを構えたチャーチがドッグの奥から現れる。
本能的に朱里は理解する。ネフィリムを撃ったのはチャーチだと。
「チャーチ――!」
朱里の絶叫は、波音とボートの唸る音に掻き消される。そこに、銃声が加わった。朱里は無駄と知りながらもカットスロウトを取り出して、PHCの出撃ドッグに向けて、弾が切れるまで撃ち続けた。――警告。対象はPHCの構成員です。――警告――警告――警告――。右眼はずっと警鐘を鳴らし続けていた。
※※※
「追撃部隊を出せ。そうだ。警備艇だけじゃない。戦闘ヘリも出させろ」
ネフィリムの傍でチャーチは警備員に脱走者の追撃を指示していた。しかし、徒労に終わるであろうことは他ならぬチャーチ自身が理解している。
霧花は念密に計画を練っており、今回の捕縛もわざとであることは明確だ。後手に回ってしまった以上、彼女を捉えるのは不可能だと断言してよい。
(しかし、利用できるものは利用する)
チャーチは改めてネフィリムの遺体を確認する。そして、彼女の指先の微かな痙攣に気付いた。
「運べ」
「了解」
ストレッチャーを持って来た警備員がネフィリムを運んでいく。チャーチはストレッチャーが通路の先に消え失せるのを見届けた後、端末で社長に報告した。
「逃げられました。一人は喰い止めましたが」
※※※
ボートは海上の真ん中で、何の前触れもなく唐突に停止した。キリカは自分の携帯を取り出し、何も無い空間に差し向ける。空間がぼやけて、光学迷彩で隠されていた船舶が姿を現した。
「ここからはこれに乗り継ぐ。さぁ、早く」
ボートを小型船舶の横に付け、キリカは乗船を促す。しかし、朱里はボートの上に座ったまま、スライドの開いた拳銃を握りしめていた。
「追手が来る。ヘリに捕捉されたら面倒よ」
「ネフィリムが」
朱里が悔しそうに拳銃のグリップを強く握る。ボートに揺られる間、朱里は自分の判断ミスをずっと悔いていた。ネフィリムを連れて来なければ良かったのだ。連れ出しはせず、放置しておけば、チャーチに射殺されることはなかった。
「もっとクールな性格だと思ってたけど。シルフィを殺した時は平然としていたくせに」
朱里は驚いて、キリカの顔を見上げた。
「見ていたの? ……あの狙撃は――」
「そう。私よ」
キリカは再度朱里を呼び寄せる。興味を惹かれた朱里が、小型艇へと乗り移った。キリカは船のオートパイロットシステムを起動させ、自動操縦で目的地へと進ませる。
「あなたはトモダチ殺しを手伝ったってわけ?」
「殺した当人に言われたくないわね」
キリカはあまりにもドライだった。シルフィードの死に何も感じていないようにも見える。キリカは黙々と自分の携帯を操作して、光学迷彩を起動させた。左眼は何も捉えていないが、朱里の右眼ははっきりと変化を捉えている。中からは見えているが、これでもう外部から捕捉されることはない。有視界探知はもちろん、索敵レーダーにも引っかからない。
「冷たいわね。脱獄を手伝ってくれた友人でしょ?」
「必要なことだもの。あのままじゃ、彼女は悪魔のオモチャに成り下がってた」
「だからって……!」
ずっとスマホをいじっていたキリカの手に触れた瞬間、彼女は携帯を落としてしまう。落ちた携帯の画面が目に入り、朱里は無言で拾い返した。――画面には、はにかむキリカと笑顔のシルフィードが並んだ写真が写っている。
「あなただって泣きはしないでしょ? 涙を流す暇なんてないもの」
「ごめんなさい。少し冷静さを失ってたわ」
朱里は素直に謝って、朝日が出始めた空を見上げた。太陽が海を照らして、きらきらと眩しい。本当は人を呑み込むほど危険な海を光が綺麗に彩っている。
「シルフィを殺した時、あなた何をしていたの? ずっと横に座ってたけど」
「綺麗だったから、見惚れていたのよ」
「シルフィの死体に?」
「シルフィの顔に。誰かのために自分を犠牲にする姿って、とっても綺麗なの」
朱里は座って、綺麗な景色を眺め出した。キリカもその横に座る。隣には、銃器と弾薬と荷物が混在している。奇妙だったが、PHCを出し抜けたことは痛快で、とても傷ましく、悲しかった。
「そっか。シルフィの死に様は綺麗にだったのか」
「羨ましくなるぐらいに綺麗だった。英語でシルフは美人を指す単語らしいけど、まさに彼女はその通りだった」
シルフィードの安らかな顔はすぐに思い返せる。羨ましくなるぐらいの幸福そうな顔。人を守るという信念を持った英雄の顔。それでいて、嫉妬したくなるぐらいの、綺麗な顔。
もし自分が死ぬならあんな風な顔で死にたいなと朱里は想うが、同時に自分にそんな末路は訪れないと達観している。
だが、どうせ死ぬならあの世で自慢してやろうと考えている。あなたが斃せなかった男を私が斃したわよ、と得意げに、胸を張って言ってやるのだ。
「ところでさ、いつまで船に揺られるの?」
「さぁ、もうしばらくかかるわね。まさか、船酔いするタイプ?」
朱里は苦笑して、そんなことないわと応える。ただ、じっくり考える時間が欲しかっただけだ。今までの狩人生活で共に過ごし、死んでいった人々について。
「……」
黙して、二人は海を眺めている。優しい風が吹いて、朱里の髪をなびかせた。
※※※
「で、まんまと逃げられたわけね」
「そうだね。見事にしてやられた」
社長は紫髪の少女と対面していた。少女は紅茶を嗜んでいる。一度コーヒーを勧めたが、紅茶を投げ捨てた人々が好んだ飲み物は嫌いなの、と一蹴された。
「彼らだって紅茶が嫌いだったわけじゃない。ボストン港をティーポットにしただけさ」
「ふん。アメリカンジョークは嫌いよ」
「君はイギリスが好きなのかい?」
「イギリス人の残虐性は大好き。自分が世界の主人のように振る舞う傲慢さもね」
「アメリカ人の横暴ぶりも負けてないと思うけどなぁ。元々は同じ出自だし」
社長と少女はアメリカ人やイギリス人に反感を買うような言葉を平然と述べていく。反感を買ったところでどうでもいいのだ。むしろ、怒った彼らがどういう行動をするのか見てみたいとさえ思っている。
「でも、日本人の独裁っぷりもなかなかにいい。反動で国民が政治に無関心になったのも面白いよ」
「日本人は稀有なケースよね。自分を悔い改めた平和の使者のように振る舞っているけど……これからどう変化していくのか見物だわ」
「まぁ、戦争を起こせば少しは面白くなるだろうね。平和の奴隷になってた人々がどう動くかが愉しみだ。鳴りを潜めていた戦争賛成派もこぞって元気になるだろうし。……平和になっても一つになれないのだから、本当人間ってのはからかい甲斐がある」
自分たちがオモチャになっていることに気付かず、我が物顔で争う姿ほど滑稽なものはない。この世界は最高のショーであふれかえっている。彼らは世界がどういう場所で、自分の正体が何なのか自覚しないまま、無意味な争いごとを続けていくのだ。
「で、あなたはどうするわけ? 逃げられたお気に入りは放っておく?」
「どうせ向こうからやってくるのだから、それもいいとは思うけどさ」
社長は金色のテーブルの上に、携帯端末を置き、そこに狩人のプロフィールを表示させた。エペ。剣の名を持つ少女。PHCヨーロッパの中にあるフランス支社で生まれた彼女は、内に秘めていた残虐性と、PHCに対する熱心な信仰によって、独自に危険人物を洗い出し、調査や抹殺を行っていた。
「彼女はいい子だった。たまには復讐してみるのも面白そうだ。ちょうど部品は揃ってるしね」
「わぁ、人間臭い。そんなに楽しい? 人の真似って」
「君に言われたくはないよ」
社長が端末を操作して、量産型パワードスーツとは別口の装着ユニットを写し出した。ユニット名はエンジェル。シェミハザを解析したデータを元に、狩人用にカスタマイズされている。
「君の怪物の底なしさをぜひとも僕に見せてくれ。……高宮朱里」
社長は期待を込めて、笑みを浮かべる。きっと、彼女なら自分の予想を上回ってくれるだろうと期待して。
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