第23話 死神との邂逅

 星空の下、銃撃と剣戟が隔離された狩場に響き渡っている。

 赤いフードを被る死神が拳銃を二刀流のエペに向かって撃つが、彼女は恐るべき反応速度で銃弾を切り落とした。


「そのスーツのせいか!」

「だけじゃなあい! 私の眼は少し特殊でね。銃弾の軌跡が見えるんですよ」


 金髪少女が白い歯をみせる。エペの両眼は義眼であり、身体能力を極限まで引き上げる金色の対人戦闘用パワードスーツと組み合わさって、死神の銃撃は届かない。

 しかし、あくまで使用する対人拳銃カットスロウトは連射の効かない拳銃だ。死神は携行していたグロック18Cを取り出し、フルオート射撃を行った。


「オーストリア製のマシンピストル……。ふふ、マシンピストルは凶悪な拳銃ですが、反動が大きい欠点がある。しかし――」


 死神は精確にエペを捉えている。両手でしっかりとグリップを握り、反動を物とせず的確な射撃でエペへと制圧射撃を行った。

 しかし、エペはそれを上回る速度で銃弾を一発残らず切り落とす。現状の装備では対応できないと感じ、死神はスタングレネードのピンを歯で噛んで引き抜いた。


「ヴィネ製品じゃないと、歯が欠けちゃいますよー?」


 閃光を受けてもエペは気にした様子もなく嘯く。実際、彼女の義眼によってスタングレネードの効果は半減している。だが、その一瞬の隙があれば十分だった。


「……ッ!」

「煙?」


 逃走を図る死神を追撃しようとしたエペだが、煙で視界が遮られる。死神はスタンの他にスモークグレネードも併用したのだ。エペの義眼は光量軽減モードでスタンの発光に対処しており、サーモグラフィへの切り替えが遅れた。


「なるほど。でも、逃がしませんよ!」


 まるで無邪気に遊ぶ子どものように、街を駆ける死神をエペは追いかける。

 対して、死神は苦心の表情で、あらゆる箇所に簡易地雷を投げて設置した。そして、それを――エペはわざと踏む。地雷の爆破を花火を愉しむ子供のように、嬉しそうな顔で眺めていく。


「効果がないか……!」

「愚民共はPHCに対して感謝が足りません。PHCはいつでも世界を征服できるというのに、あえて手出しをしない聖人君子ですよ? あの素晴らしきお方は人々を救う救世主なのです。さぁ、今すぐ社長を信仰しなさい。あの方が皆を導いて下さいます」

「冗談!」


 死神は右手でグロックを片手撃ちしながら、左手でグレネードを放り投げた。対処を誤ったエペが剣でグレネードを叩き切り、片手の剣だけでも吹き飛ばすのではという希望的観測ゆえの行動だ。

 しかし、エペは剣の腹を使って器用に打ち返した。野球のボールよろしく戻ってきたグレネードは死神の近距離で爆発し、死神は民家の窓ガラスを突き破って、埃の溜まるリビングを転がった。


「あらら、カワイソウカワイソウ。上手いこと逃げたんだから、余計なちょっかいをせず地下でぶるぶると震えていれば良かったのに」

「くそったれめ」


 死神はよろよろとソファーに手を置いて立ち上がり、どうやってこの暗殺者を撃退するか頭を回す。しかし、今ある装備では厳しいというのが先程出した結論だ。背中に背負われる狙撃銃はヴィネオリジナルウエポンで、目の前の女には使うことができない。ロックが掛かってしまうからだ。

 だが、自分が狙われることを想定していなかった死神は、対人兵器のほとんどを置いて来てしまった。最低でもM4辺り担いで来れば良かったか、と自分の思慮浅はかさを後悔する。


「あなたが何を目的としているかは知らないけど、私は興味ないの。私が興味あるのは、偉大な人間である社長だけ。だから、さっさと殺して、私はお家で社長に祈りを捧げます」

「邪教徒め」

「私に言わせれば、あなたの方が邪悪ですけどね」


 エペは死神に近づいて、トドメを刺そうと剣を構える。そして、もはや銃を撃つことすら難しい死神へと、剣を振り上げて、


「何――?」


 狙撃によって、振り上げた剣が弾き飛ばされた事実を訝しむ。


「ナイス、ネフィリム」


 割れたガラスの破片を踏みながら、朱里が姿を現した。右手にはカットスロウトが握られて、エペの頭部へと狙いが付けられている。


「何のつもりですか、ハンタータカミヤアカリ」

「それはこっちのセリフ。ただのオペレーターであるあなたが、なぜここにいるの」


 朱里の質問に、エペは呆れたように苦笑して、


「ただのオペレーターじゃないからこの場にいることくらい、自分で思い付かないんですか?」

「それくらいわかるわ。どういう役割かと訊いている」

「こういう役割ですよ」

「く――」


 左手に持った剣をエペは死神の喉元に突きつける。悔しそうに歯を噛み締める死神だが、朱里は平然とした様子で止めた方がいいわよ、と忠告した。


「なぜ?」

「背後からの攻撃は防げない。違う?」


 ぴくり、とエペの背中が震えた。


「どうやらあなたも私と同じか、それ以上の性能を持つタクティカルアイを搭載しているようだけど、あなたの人間離れした防御は前面からでしか行われていない。理由は、義眼が後方をカバーできないからという単純なもの。義眼のないその子じゃ見抜けなかったようだけど、私は義眼を持っている。……自分の弱点くらい簡単に考え付くわ」

「何を根拠に――」

「今あなたがその子を斬らないのが証拠。ほら、斬ってごらんなさい。剣と銃なら、銃の方が早い。あなたがその子にトドメを刺す前に、私があなたの頭を吹っ飛ばす」

「あなたに人を殺せますか?」

「既にトモダチは殺している。なぜ、赤の他人であるあなたを私が殺せないと思ったの?」


 朱里が質問を投げると、そうですね、とエペは朱里の方へ振り向いた。左手の剣を右手に持ち直し、アカリへと切っ先を突きつける。


「だったらまずあなたを始末しましょうか。命令違反したハンターに生きる価値はないでしょう。例え、あなたが社長のお気に入りでも、私があなたを殺せば、社長の関心は私に移る。私は、社長の寵愛を思う存分受けられる!」

「あの男の寵愛なんていらないわよ」


 朱里は拳銃を仕舞って拳を構える。剣は素早いが、朱里も剣の軌跡が視える。二刀流ならいざ知らず、剣一本だけならば、朱里にも十分勝機があった。


「無礼な女め。四肢解体して、クローン用母体にしてやる」

「クローン作製には母体が必要。なるほど、PHCはエゲツないことしてるわね」


 エペの剣を右手で防ぐ。エペのパワードスーツはコンバットスーツに比べてパワーが数段上がっている。それでも、朱里は剣を腕で弾き返した。技量があれば、どんな力技も軽くいなせる。


「やりますね、タカミヤアカリ。流石、ドラゴンを狩った少女だ。ああ、違いましたねぇ……ドラゴンを倒したのはあなたのトモダチで――」

「……ッ」


 エペの剣技の速度が上がった。急激なスピードアップに朱里の防御が追い付かない。


「――あなたは自分を救ってくれたトモダチを――撃ち殺したんでしたっけねぇ!」

「ッ!!」


 あまりに癪に障るセリフに、朱里は力を込めて、義手で剣を殴り飛ばそうとした。だが、攻撃は外れ、朱里は前のめりの体勢となりバランスを崩してしまう。


「しまった!」

「この程度のあおりを真に受けてたら、命がいくつあっても足りませんよ」


 にやっと勝ち誇ったエペ。剣が鋭く、朱里の首を落とそうと振り下ろされる。朱里の後方にはネフィリムが短機関銃を構えて待機しているが、朱里の身体が障害となって援護ができない。

 だが、朱里は全て予期してたように、即座にバランスを保って右手で剣を掴み止めた。何ッ!? とエペの驚愕する声。


「この程度の芝居も見抜けないんなら、命がいくつあっても足りないわ」

「生意気ですねぇ。しかし、パワードスーツのパワーなら……!」


 エペは力を右手に籠めて朱里の義手を押し返そうとする。が、片手のパワーでは足りずに、両手で片手剣を掴むはめとなった。それでもなお、朱里の義手は押し返せず、朱里がエペの剣を掴み止めて彼女を圧倒する。


「なぜだ……パワーが負けている?」

「どっかの店主がサービスしてくれたからね」


 朱里の義手はヴィネによるカスタマイズで出力が向上されている。つまり、最初からパワーでは朱里の方が勝っていた。対人戦では、如何に相手を騙すかが勝利の鍵になると朱里は考えている。相手が朱里を自分より弱いと侮った時点で、朱里の勝利は確固たるものとなった。

 もし、エペが朱里を油断せず、二刀流で正々堂々の勝負を仕掛けてくれば、朱里も分が悪かったかもしれない。しかし、そんな仮定の話をしたところで無駄である。


「忌々しい怪物……!」

「最近、自分が怪物で良かったと思うようになったわ」


 朱里はエペから剣を奪い取り、蹴りを彼女の腹部へお見舞いする。うっ、と前のめりとなったエペはバランスを崩し床に倒れこんだ。ナイフを抜いて反撃しようとしたが、朱里にナイフを蹴り飛ばされる。


「何となく、あなたの行動は読める」

「……ふふ、つまりあなたも人殺しのエキスパートということですよ」

「かもしれないわね」


 エペの言葉を受け流し、朱里はネフィリムにエペの拘束を命じる。無論、前以てエペの武装はスキャンし、解除済みだ。ネフィリムはエペを拘束して、家の外に出て行った。

 爆風の衝撃ダメージから回復した死神へ、朱里は近づいた。左手を差出し、死神が同じく左手で手を取る。


「面白いわね、あなた」

「どういうこと?」

「一度あなたを殺そうとした相手を救うなんて」


 死神が皮肉を言うと、朱里は微笑を浮かべて、


「シルフィならこうした」

「……」


 死神は考え込むように押し黙る。朱里は言葉を続けて、


「それに、ボランティアってわけじゃない。あなたを探すことが彼女との約束だった。情報を貰う前に死なれては困るわ」

「情報か……。最低限のことしかあの子は話さなかったみたいね」


 死神の意味ありげな呟きを、朱里は訝しむ。どういうこと? と朱里が問い質した瞬間に、


「――何!」


 外から銃声と、ネフィリムの悲鳴が聞こえた。

 朱里と死神は目配せし、拳銃を握って外へと駆ける。


「ネフィリム!」


 朱里は天使を案じたが、そこにいたのは短機関銃ガーディアンを握りしめ、呆然と立ち尽くすネフィリムだった。


「ネフィリム……?」


 彼女の前には、頭を撃ち抜かれたエペの死体が転がっている。

 何が起きたかは一目瞭然だ。ネフィリムがエペを射殺したのだ。

 だが、後から現れて一瞬で状況を理解した朱里たちとは対照的に、ネフィリムは何が起きたか理解できてない様子で、


「え、え? なぜ、私、人を」

「まずいか……」


 死神が対人拳銃をネフィリムに向ける。朱里はその銃を左手で降ろさせて、


「落ち着きなさい、ネフィリム。……あなたのせいじゃない。銃が故障したのよ」


 ネフィリムの狙撃銃アンドロイドはヴィネオリジナルウエポンだが、短機関銃ガーディアンはヴィネの創った銃ではないと、以前朱里は聞いたことがあった。私の創った武器の方が性能いいんですけどねーというヴィネのぼやきを覚えている。

 そのことを頭に入れながら、朱里はあえて嘘を吐く。ネフィリムを落ち着かせるために。


「こ、しょう? 銃、故障?」

「そう――故障。危ないから、銃を渡して」


 朱里が右手でコンパクトマシンガンを受け取ろうとするが、ネフィリムは苦悶の表情で、半ば狂乱的に叫び出す。


「ダメ、ダメです! アカリ、来ては! 隊長……! あぁッ!!」

「ネフィリム!!」


 ネフィリムは発狂し、自分の頭を撃ち抜こうとした。朱里は咄嗟に義手でネフィリムを昏倒させ、自害を阻止する。

 くそ、と自分の不甲斐なさに毒づくと、死神がぼそりと独り言を呟いた。


「暴食のさだめね」

「暴食?」

「いや、何でもないわ。――ところで、高宮朱里」


 何? と朱里が死神へ振り返ると、死神は銃を朱里に向けていた。


「何のつもり」

「見てわかるでしょ? 私はハンターキラー。狩人殺しがハンターを殺して、何の問題があるというの?」


 と前置きを述べた後、声を発さず口だけで、


「私を殴って気絶させろ」


 との命令を朱里は義眼で分析する。


「死ね、高宮朱里!」

「……このッ!」


 訳がわからないまま、朱里は死神のみぞおちへ打撃。死神はうっと声を漏らして気絶した。

 朱里の周囲には三人の人間が倒れている。一人は死体、二人は気を喪っている。


「何なの、一体」


 意味が不明の状態で、朱里は誰かの策略通りに動いていく。とても癪だと朱里は思う。だが、癪でもやらなければならないことがあると、朱里は小城の死から学んでいる。



 ※※※



 エペの死体は運び出され、死神は尋問室へと連行された。

 ネフィリムは最初メディカルチェックかと思われたが、ただの気絶と判断されて、メンタルケアもなしに朱里へと引き渡された。曰く、お前が主人なのだから、お前が面倒を見ろ、ということらしい。

 不満を抱かないわけではなかったが、PHCに預けるよりは自分で処置した方が安心できる。朱里はネフィリムを彼女の部屋へとお姫様抱っこの要領で、運び込んだ。


「……安らかな寝顔」


 ネフィリムは朱里の腕の中で、すぅすぅと寝息を立てている。

 遊び途中で眠ってしまった弟を、部屋へと運んだ記憶がよみがえる。遅いから寝なさいと注意したが、章久はお姉ちゃんと遊ぶと言って聞かなかった。結局リビングで眠り果ててしまい、朱里が抱っこして部屋のベッドで寝かしつけたのだ。

 懐かしい、美しい記憶。自分の正体を知らなかった頃の、優しい記憶。

 しかし、朱里はそんな甘い記憶の数々を脳裏の隅に押しやる。まだ考えなければならないことが山ほどあった。今朱里に必要なのは、懐かしい記憶を思い出し、感傷に浸ることではない。


「戯れは後でね」


 朱里は左手でネフィリムの部屋のドアを開ける。

 ネフィリムの部屋の内観が飛び込んできて、朱里は驚いた。彼女の部屋には何もない。ネフィリムの見た目と同様、真っ新な部屋だった。

 必要であろうベッドと、着替え。テーブルには紅茶セットが置いてあるだけで、テレビや本といった娯楽品の類は一切見受けられない。

 ネフィリムをベッドに寝かしつけると、紅茶セットの影に隠れていたサプリメントの容器らしい物を見つけた。


「まさか、これが食事……」


 理論上はまともに食事を摂らなくても栄養素を賄える。加えて、PHCの開発薬品ならば、健康状態を保つことが可能だろう。

 だが、食欲は人の本能の一つだ。ないがしろにしてはならない欲望であり、一見無駄な行為に見える普遍な食事も、心の安定に必要不可欠な日常行動だ。


(狩人救済プログラム……ネフィリムシステム……)


 ベッドで眠るこの少女は、PHCの規定上、人間とは見なされない。狩人の精神安定を図り、必要に応じて狩人の願いを聞き入れて、時には命すら差し出すプログラム。生体アンドロイドであり、クローン人間。それがネフィリムの正体だ。

 もし今、朱里が自殺しろと命じれば、ネフィリムは疑いもせず自殺する。ただの哀れな人形、狩人を支援するための補助機械。


「それでもこの子は……。この子にも、自分の意志が、自我がある」


 と朱里がひとりごちた瞬間に、部屋のドアが思いっきり開かれた。


「おめでとーございまーす!」


 コックの恰好をしたウヴァルが、何やら食事らしきものをサービスワゴンに載せて運んできたようだ。理解ができず訝しんでいる朱里におや、お気づきでない? とウヴァルが首を傾げている。


「朱里さん、あなたのハンターランクがSになったんですよ! これであなたも一人前のハンターです!」

「どういうことよ。この前Aになったばかりよ?」


 朱里が訊き返すと、やだなぁ朱里さん、とウヴァルはにやけ顔で、


「ハンターキラーを捕まえたでしょう? あれは数人のハンターを殺してまして、PHCの頭痛の種だったんです。彼女を放置するというのがPHCの方針でしたが、朱里さんは見事殺し屋を捕まえてみせた。余計な仕事というのは基本的に疎まれますが、ここでは違います。あなたの余計なお世話が、あなたのランクを上昇させたんですよ」

「……そう」


 関心なさげに朱里は頷いた。実際、ランクの上昇などどうでもいい。

 つれませんねーとウヴァルは苦笑して、でも! と意気揚々とふたを開けて香ばしい匂いが漂う七面鳥をテーブルへ並べた。

 不覚にも、腹の音が鳴ってしまう。おやおや、というウヴァルの意地の悪い笑み。


「お腹空いてるじゃないですか、朱里さん」

「バタバタして食事もまだだったしね」

「でしたら、切り分けて差し上げましょう」


 ウヴァルがナイフで七面鳥を切り分け皿に載せ、朱里へと差し出した。朱里は皿を受け取って、左手で骨を掴んで頬張る。七面鳥の丸焼きを食べるのは初めてだったが、ここまで美味しいのかと驚いてウヴァルを見返した。

 目に写るウヴァルのしたり顔。何か負けたような気がして、朱里は黙々とチキンを食べ進める。


「食事は大切ですよー。きちんと食べておかないと、いざという時力が発揮できませんから」

「下手に食べ過ぎて、吐くの最悪だけどね」


 嘔吐は汚いだけではなく、器官に詰まって息が吸えなくなったり、行動不能に陥ったりというデメリットがある。だから朱里は出撃前、たくさんは食べない。それに、空腹時の方が、頭の回転が速くなる。


「シャーロック・ホームズの真似事も大概にしないと、お腹が鳴って恥ずかしい思いをしますよ」

「言うのが遅いわよ」


 忘れそうになるが、朱里も年頃の少女だ。他人に腹の音を聞かれるというのは恥ずかしい。

 誤魔化すようにチキンを食べて、おかわりを所望する。と、突然ネフィリムが起き上がり、彼女が目覚めたことを知った。


「ネフィリム? 起きて大丈夫なの?」


 ネフィリムは朱里の質問には答えず、虚ろな瞳でじっと七面鳥を見つめている。食べます? とウヴァルが切られたチキンを差し出すと、ネフィリムは無我夢中で食べ始めた。

 ばりぼりと、骨まで咀嚼する。驚異の顎力だった。加えて、皿まで食べようとしたので、朱里が慌てて右手を伸ばす。


「ちょっと、寝ぼけてるの」

「……!」


 ネフィリムは怒ったように朱里を見て、腹いせとばかりに義手へ噛み付いた。やっと朱里はネフィリムの異常を気付き、彼女の暴挙を止めようとする。


「ストップ! ネフィリム!」


 だが、ネフィリムは止まらない。飢えた痩せ犬のように、食べ物を求めて必死に齧る。

 朱里は自分よりもネフィリムを心配し、義手で手刀を首の後ろへ繰り出そうとするが、


「エサはこちらですよー」


 とウヴァルが分けたチキンを放り投げると、ネフィリムはボールを投げられた犬のように追いかけ、チキンを噛み砕き始めた。

 不意に、死神の言葉が蘇る。――暴食のさだめね。朱里は頭を振って、不吉な考えを隅へと追いやる。


「やはりどこか調子が……」

「大丈夫です。深く考えなくとも、彼女は寝ぼけてるだけですよ。だから、起きて、意識が覚醒するまで、遊んでやればいいだけです。私が彼女の相手をしますから、あなたは自分のやるべきことをした方がいいですよ」


 ほーい、とウヴァルは愉しそうにネフィリムと“ボール遊び”に興じる。食べ物は粗末にしてはいけないと指摘しそうになるが、ネフィリムはそれこそ骨の髄まで七面鳥を食らっている。無意味な指摘だろう。

 朱里はウヴァルの言葉を聞き受けた。ネフィリムの世話も大切だが、同じくらい大事な事柄が朱里にはある。


「シルフィとの約束……」

「あ、そうそう、朱里さん。せっかくランクSになったんですから、社長に頼みごとした方がいいですよ」

「頼みごと?」


 朱里がドアノブに手を掛けて、振り返る。ええそうです、とウヴァルはネフィリムにチキンを投げながら、


「ランクがSになったハンターの望みを、社長が一つだけ叶えてくれるんです。もちろん、常識の範囲内でね。もしかすると別人として日本に帰してくれるかもしれないし――誰かとのお話を、円滑に手引きしてくれるかもしれない。使い道は、あなた次第ですよ」

「忠告、どうも」


 朱里は目的地を社長室へと変えて、部屋を出て行く。お願い権なんてものがあるのなら、さっそく使うべきだった。

 部屋に飢えたネフィリムと共に残されたウヴァルが、七面鳥を放り投げながら呟く。


「そーれ! 欲望はきちんと満たさないといけませんよー? 我慢していると、最悪なタイミングでタガが外れて、取り返しのつかないことをしちゃいますからねー。ほーら、ネフィリム。よく噛んで食べなさい。じゃないと――まかり間違って、ご主人様を食べてしまうかもしれませんよ?」


 鳥が宙を舞い、天使がキャッチして捕食する。その様子は、さながら猛獣にエサをやる飼育員のようだった。



 ※※※



 白い部屋から金の部屋へ。短期間で二度も足を運ぶことになろうとは朱里も予期しておらず、それは部屋主の方も同じだったようだ。


「珍しいね。まぁ、用件は何となくわかるけど。お願いをしに来たんだろう?」


 社長はコインを弄びながら訊いてくる。朱里は頷いて、言葉少なめに問いかけた。


「何でも訊いてくれるって本当?」

「本当でもあるし、嘘でもあるな。僕ができる範囲なら、という前文を付け足せば真実となる。だけど、僕のできない範囲も含めると、嘘っぱちになるよ」

「御託はいい。つまり、あなたに日本との戦争を止めろとお願いしても」

「無理だね。向こうがちょっかい出してくるんだから仕方ない。付け加えるなら、君を日本に帰すという願いも無理だ。これも向こうの都合でね、僕は帰すよと再三通告しても、彼らはノーと突っぱねる。今更隠したところで意味がないとは考えつかないようだ」


 元より自身の帰還は不可能だと諦めていた朱里にとって、この問答は時間の無駄だ。範囲がわかればいいのよ、と合いの手を打ち、本題へと斬り込んでいく。


「だったら、簡易な願いにしましょう。今すぐにでも叶えられる、簡単なお願い」

「流れ星を待つ必要もなさそうかな」

「ええ。私に死神……ハンターキラーとの面会をさせて」

「どうしてだい?」


 コインをいじる指が止まる。顔に疑念を張り付けて、社長は訊いてくる。


「彼女は二回も私を殺そうとした。どうしてそんなことをしたのか気になるのよ」

「ふぅん……。まぁ、それが君の願いだって言うのなら、聞かない理由は見当たらないね」


 社長は備え付けの端末を操作して、死神との面会をセッティングした。ありがとうございます、と微塵も感謝の意を感じさせない礼を述べて、朱里は部屋を後にする。

 だが、ドアから外に出た瞬間に、社長に声を掛けられた。足を止めて、耳を傾ける。


「エペの事故の件だけど」

「……どうかしたの」

「いやぁ、まさか銃の暴発で死んでしまうなんて、残念だ。彼女は僕に尽くしてくれていてね。僕の頼んでいないことも勝手にやってくれるいい子だったんだよ」

「便利屋を喪ったのは、大変遺憾ね。祈らせていただくわ」


 朱里はまともに取り合わず、ドアを閉める。閉まる直前に、社長の言葉が耳に入った。


「こうも不幸が続くとなると……。そろそろ僕の方も、手を打つことになる。僕が好きなのは、敵に一方的に出し抜かれるゲームじゃない。相手と命懸けで戦う、エキサイティングなゲームだからね」


 朱里は右眼のナビモードを起動させ、尋問室へと足早に赴いていく。




「来たわね、高宮朱里」

「来たわよ、ハンターキラーさん」


 壁と拘束椅子しかない無骨な尋問室へ入った朱里は死神と挨拶を交わした。

 死神は不敵な笑みを湛え、さて、どうする? と尋ねてくる。


「拷問でもする? 年頃の娘である私を屈服させる方法はごまんとあるし」

「冗談のつもり? ふざけてるの?」


 死神はふ、と息を漏らして、懐かしむように、


「文句はシルフィに言ってちょうだい」

「シルフィ……やはり、か」


 朱里は死神の拘束具を外した。拘束された彼女と一方的に会話するのが好みではなかったからだ。お礼に性交渉でもしましょうか、とおどける死神を静かにさせる。


「つれないわね、高宮朱里」

「そういう性格。……疑問点はいくつかあるし、ゆっくりお話をしましょうか。――ハンターキラー改め、逃亡ハンターキリカさん?」


 朱里が死神の本名を声に出す。死神キリカは、全てを知っているように笑みを作った。

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