第22話 戦火の前触れ

 ホテルの一室に広がる赤い絨毯の上に、二人の男が立っている。

 訂正しよう。絨毯の色は赤ではなく、血で紅く染まっているだけだった。


「君のおかげでスーツが汚れずにすんだよ。ありがとう」

「いえ」


 周りには日本政府の寄越した工作員や諜報員、特殊部隊の死体が転がっている。彼らは日本が対PHC用に新しく創設した特殊チームだ。諜報に長けた米軍の指示の元、暗殺や誘拐などの非合法手段の実行を許可されている。

 それほどまでに切迫した状況だった。平和な時代なら忌むべき組織も、平和が脅かされるのなら許容される。


「恐ろしいな。日本は平和の国じゃなかったか? なのに、これほどのエージェントを用意するとは……」

「あ、あぁ……っ」


 うめき声が聞こえて、おや? と社長が疑問の声を漏らす。社長に交渉していた代理人がまだ生きているようだった。

 社長は絨毯に赤いシミを作っているその男の傍に跪き、不思議そうに訊いた。


「彼らは警察から選んだのかい? それとも自衛隊? 部署はどこにあるんだ? 防衛省かな」

「志願者だ……お前を殺すために皆、それぞれの意志で立候補した……」

「なるほど。では、君は正義感溢れる勇敢な同志たちを無駄死にさせたというわけだ。あぁ、酷いなぁ。CIAやFBIの真似をするからこうなる。まぁでも、日本には忍者がいたしねぇ。彼らは面白いよ。なぜ君たちが忍を解散させたのか疑問なぐらいだ」

「いつの……話をしている」

「さて、いつだったかな」


 おどけた調子で社長は言う。代理人は血を吐いて、社長の靴を汚しかけた。危ない危ない、と社長は吐血を避ける。


「血は頑固な汚れだ。落とすのが大変なんだよ。それに、血に汚れた衣服を好む人間はそうはいない。物に罪はないのに、厄介物扱いだ。酷いねぇ、実に」

「お前……殺す……殺してやるッ」

「僕に殺意を滾らせるのはいいけど、どうやるんだい? 銃で頭を吹っ飛ばす? いいけど、そうして君たちはどうするのかな? まんまとビーストに殺される? それとも、PHCの技術を強奪して運用する? そう上手くいくかなぁ。僕が創った商品の数々を、君たちは本当に上手く使いこなせるのかい?」


 社長はテーブルに置いてあったお茶を取って、代理人の腹部にできた銃創にお茶を流し始めた。苦悶の声を代理人が上げ、身体が不規則に震え出す。


「銃器さえ手に入ればどうにかなりそうだけど、ヴィネは君たちに武器は売ってやらないそうだよ? 信用ならないから、だそうだ。まぁ、本当のところはどうか知らないけど。僕が思うに、彼女は自分のコレクションを変な奴に触らせたくないだけじゃないかなぁ」


 お茶を捨て終えると、社長は茶器を放り投げて、代理人から距離を取る。


「チャーチ、頼むよ」

「了解しました」


 チャーチは銀色のリボルバーを取り出して、ローディングゲートから薬莢を排出。シリンダーに弾丸を手動で込めて、代理人の頭に突きつけた。


「ああ、そうそう。聞き忘れてた。クローン、欲しい? 今ならサービスするけど」

「この……悪魔めッ!」


 チャーチが引き金を引き、絨毯の赤いシミが増えた。



 ※※※



「――何のご用でしょうか」


 訝しみながら朱里が社長室のドアを開く。

 部屋は眼が眩むほどの金一色で、あらゆる物が金でできている。全てが純金というわけではないだろうが、それでも部屋主の趣味の悪さは極まっている。


「豊臣秀吉……」

「ん?」

「いえ、何でもありません」


 ふと思い浮かんだのは、豊臣秀吉が作らせたという黄金の茶室だ。茶器から壁まであらゆる箇所を金で作った悪趣味の極み。秀吉のセンスは元より、金が好きな奴というのはどうしてこう下品な装飾ができるのかと、朱里はこの部屋を見るたび疑問に思う。

 しかし、秀吉にそんな問いを吐けば間違いなく切腹させられただろうが、社長は自分の趣味がバカにされたところで気にしない。おや、君は理解できないのかい? それは残念だ。笑いながらそう応じる社長の姿が目に浮かぶ。


「彼の茶室は僕の趣味に通ずるところがあるな。だが、彼は思いきりが足らなかった」

「……で、如何用でしょうか」


 朱里には社長と会話する気は全くない。無礼な態度だが、社長に礼をくれてやる義理は朱里にはなかった。社長も特段朱里の無礼を気にした様子はみせず、君にアドバイスを貰おうと思ってね、と微笑してくる。


「アドバイス? 一介のハンターでしかない私に? 明日は矢が降るわね」


 嫌悪感を隠す様子もなく朱里が口走ると、社長は大いに喜んで、


「ふふ、シルフィードの影響を受けてるのかい? 前の君だったら、間違いなくそんな言葉は言わなかっただろう。実に面白い」


 本題に入ろう、と社長は言葉を続けていく。


「君、日本を攻め落とすとしたらどうする?」

「何を言ってるの」

「言葉通りの意味だよ。最近戦略ゲームにハマってね。……日本は規模が小さい島国で、戦力として保持されているのは自衛隊と、警察。まぁ、警察は考慮しなくていい。僕たちの兵力はハンターと戦術支援のビークルだけだ。我々の戦力を多めに見繕っても一対九だね。数では圧倒的に不利。ただし、祖国に帰れるとあらばハンターたちは積極的に行動する。日本を恨んでいる者もいるからね。彼らの保護を打ち切ったし」

「数は正直、問題にはならない。銃器の発達によって質より量が優先される時代になったけど、それは量が質と遜色ない攻撃力を発揮するようになったから。飛び抜けた質が相手なら、量は雑魚として無双され、成す術もなく蹂躙される。……本当に、日本を攻撃するつもり?」


 朱里は右手を握り、いつでも社長を攻撃できるような態勢で問い質す。しかし、社長は朱里の殺意を受けながらも笑い、


「考えてはいる。少し、邪魔が過ぎるからね。スーツが危うく汚れそうだったし……。それにね、一度、作戦指揮というものを執ってみたかったんだ。ただ、イージーモードなのが難点だ。僕は歯ごたえのあるゲームがしたいのに、日本の自衛隊じゃ戦力不足は否めない。あえて、敵に情報を流すかな」


 平然ととんでもないことを口にする社長に、朱里は乞われた通りアドバイスを呟いた。


「油断すると足をすくわれるわよ」

「望むところだ。むしろ、ずっと待ち焦がれているよ。誰かが僕の足をすくうのを」

「……家族に手を出したら、殺すわ」

「恐ろしい。しかし、その恐ろしさこそ愛おしい。ぜひとも僕を殺してみてくれ、さぁ」


 社長は両手を広げて、朱里に殴殺される時を待っている。しかし、朱里は殴らない。殴りたくてたまらないが、殴れない。社長がいなくなれば、誰が魔獣を狩れるのか。不確定要素がある以上、朱里は社長に手出しはできない。社長を殺したければ、まず社長を殺せる土台を構築しなければならなかった。


(殺人計画は念密に、か……)


 心の中で呟くと、見透かしたように社長が口を開いた。


「不穏なことを考えてそうだ。ただの女子高生が、よくもまぁ立派に育ったものだ」


 これが立派だと言うのなら、世界はどうしようもなく歪んでいる。だが、今は歪んだままでいい。時が来るその時まで、歪んだ状態でいて欲しいと朱里は切に願う。――歪みを戻すのは、事が成された後でいい。


「失礼します」

「うん。アドバイスをありがとう。無論、仮に戦争になった場合、君の家族の安全を優先させるよ。ただし……日本がどうするかは、わからないけどね」


 社長の言葉を聞きながら、朱里は社長室のドアを閉める。そして、く、と苦り切った顔で悔しそうに声を漏らした。




「あなたはPHCが日本を攻撃すると思う?」


 部屋へと戻った朱里は、ネフィリムに尋ねてみた。そうですね、とポットから紅茶を注ぎながら彼女は考えて、


「有り得なくはないでしょう。日本はPHCに攻撃した前科がありますし、報復は可能性の一つとして考えられます」

「一企業が一国家に戦争を吹っ掛ける、か。前代未聞ね」

「しかし、PHCの技術レベルは世界の数十年先を行っています。何が起こるかわからないのが世界というものです。あなたは世界がどのような場所か知っていますか?」


 思わずため息を吐きたくなる質問だった。朱里は半ばやけになった態度で、


「はいはい、私はとんでもなく無知で、世界の本当の姿を知らない」

「悪気があったわけでは……気を悪くされたのなら、謝ります」

「別に悪くなんてなってない。トモダチの真似をしているだけだから」


 生真面目なネフィリムの申し訳なさそうな謝罪を止めさせる。有り得ないは、有り得ないか……と呟いて、


「日本政府が拉致されたハンターたちの救出を打ち切ったことで、ハンターたちの怒りは政府に向いている。加えて、敵を倒せば日本に帰れるなんて甘い囁きを聞けば、ハンターたちは躊躇なく銃を執る――」


 希望を知る者だけが、絶望する権利を持っている。そして、絶望した者は、都合のいい隠された希望に縋る。

 PHCが狩人に絶望を与えた後で、今までの絶望を吹き飛ばすくらいの希望を提示すれば、飛びつかない狩人は存在しない。希望と絶望を飴と鞭のように使い分けることで、PHCは狩人たちを都合よくコントロールできる。


(まるで悪魔のやり口、ね)


 悪魔は人々の愚行を歓迎する。殺人、暴力、いじめ、誘拐、虐待、レイプ……。人間は悪魔にとっていいカモだ。被害者は復讐や生存のために悪魔と契約を交わし、堕落する。そして、加害者へと襲いかかり、今度は加害者が絶望する。そこに悪魔が手を差し伸べて……。忌々しい、堕落の連鎖だ。誰かが連鎖を断ち切るまで、人々の異形化は止まらない。

 もしくは、人々が愚行を止めるかだ。人々が愚かでなければ、悪魔は人を堕落させられない。


「平和な社会を作るのが、本当の敵と戦うための唯一の手段、か」

「マスター?」

「本当の敵が誰なのかを見極めなきゃダメだ、と思ってね」

「ハンターの敵はビーストです。人間ではありません。人は救うべき対象であり……」

「わかっているわよ」


 と言いながらも、朱里の装備品リストにはいつも対人拳銃カットスロウトが載せられている。いつ使うことになるかわからないから、朱里は人殺しの銃を戦地で携帯している。


(あの死神が何を持っているのか知らないけど、早急に捕まえるべきね)


 朱里は狩場を指定して、検索を開始する。検索狩場はB-3地点。朱里が右手と右眼を喪い、死神に殺されそうになった場所。

 彼女が絶対現れるという保証はない。しかし、関連性のある場所からしらみつぶしに行動するしか手立てはなかった。それに、もしかすると彼女も独自に自分と接触を図ろうとするかもしれない。とすれば、やはり候補として挙がるのは初めて邂逅した場所だろう。

 朱里は魔獣出現情報がないか検索したが、残念なことに今、B-3地点に魔獣は出現していないらしい。


「となれば……。ネフィリム、もしB-3地点でビーストが発生したら、優先的に任務を取っておいて」

「わかりました。どこへ行かれるのですか、マスターアカリ」


 朱里は部屋のドアを開きながら応えた。


「信頼できる武器商人のところへ」


 もう慣れたもので、ヴィネウエポンショップ、もしくはヴィネ武器店へは目を瞑っても辿りつけるほどだ。

 慣れた手つきでドアノブを捻り、一目散にカウンターまで向かう。やぁ、朱里、とヴィネは笑顔で挨拶して、


「何の用でしょう?」

「わかっているでしょ」

「えー何のことですかねー、なんて、冗談です。私には千里眼がありますから。タクティカルアイほどではありませんが」


 朱里が右腕を取り外して差し出すと、彼女はおもむろに義手を開けて、がちゃがちゃと作業を開始した。他人に自分の一部をいじられるのは不安だが、ヴィネ以上に改造や点検で右に出る者は存在しない。

 義手がないと朱里はどうも落ち着かない。片腕のまま武器を見回し、いつぞやにヴィネが勧めてきた水平二連の散弾銃が目に入った。


「どうしてこんなアンティークを置いてるの」

「さあて、どうしてでしょう。まぁ、個人的に気に入った一品ですからね。私は武器が好きなんです。いいですよね、武器。剣も銃もどちらもいい。古式銃も現代銃も、どちらも素晴らしい。なのに、人は最高を求めます。惜しいですね。実に惜しい。武器は一長一短あって然るべきなのに、オールマイティを追及するのはナンセンスです」

「でも、命懸けの戦いで、使い勝手の悪い武器は使ってられないでしょう」


 朱里が正論を述べると、ヴィネはにや、と意地の悪い笑みを浮かべて、


「初めて使う弓で出撃した人のセリフじゃありませんねー」


 と言い返してくる。朱里はふん、と鼻を鳴らし、


「あれはシルフィのイタズラよ。私の意志じゃない」

「ふふふ。あれをイタズラで済ましてしまうんだからあなたの怪物は恐ろしい。普通の人間だったら、シルフィードに憎しみを抱き、支配欲求や復讐衝動に頭をやられて、気が狂ってしまうでしょう。強者ゆえの余裕ですね」

「強くなんてないわ。弱くないと敵に勝てない」


 人は弱いから勝ってきた。弱さとはアドバンテージだ。戦力差があればあるほど強者は油断し慢心し、弱者に寝首を掻かれるものだ。

 そうでした、とヴィネは相槌を打って、ご機嫌に義手をカスタマイズしていく。朱里はその作業を見つめながら、この改造が無駄になればいいのに、と本気で思う。

 ふと目を外して、武器棚を閲覧していくと、ここには悪魔少女が使っていたフリントロックピストルや、それよりも古いホイールロックピストル、日本人にはなじみ深い火縄銃まで揃えられていることに気付いた。

 朱里はその意味を考える。何を考えて、ヴィネは古式銃を揃えているのか。しかし、彼女がコレクターだからという理由以外思いつかず、どうでもいい思索を放棄した。

 ヴィネが分解した義手を組み立てて、できました! と自信満々に胸を張る。通常ならテストか何かを行うはずだが、ヴィネが朱里の前で動作試験を行ったことは一度もない。

 本当にコイツは人間なのか、という疑念が脳裏を巡るが、朱里はすぐにどうでもいいとして考えを改める。

 敵であれば容赦はしない。しかし、敵でなければどうでもいい。ここはそういうところだ。


「どうです?」

「大丈夫。先程と変わらない。……本当にカスタムしたんでしょうね?」

「酷いなぁ、朱里。私のカスタマイズは世界一です。余分な部分を削除して、あなたのご希望通り機能追加とついでに出力を向上させました」

「出力の増加は頼んでないわ」

「サービスですよ、お得意様への」


 ヴィネは嬉しいでしょ? と上機嫌に笑う。

 サービスだというならお財布にも優しい。朱里はそうね、と微笑し返して、


『ハンタータカミヤアカリ、ハンターネフィリム。指定された地点でのビースト発生を確認しました。至急、出撃ハッチへと向かってください』

「出た……!」


 オペレーターエペの放送で、新調した義手と共に踵を返す。お代は勝手に引き出しときますね、とヴィネは朱里の背中に声を掛け、


「勇ましいですね、朱里。しかし、勇者というのは基本的に愚者ですよ」


 笑いながら、背姿を見送る。



 ※※※



 緑色の巨体が封鎖された商店街の一角に陣取っている。魔獣の名前はトロール。再生能力を持つ半裸の巨人だ。

 昨今のファンタジーでは、トロールは頭の悪い巨人として描かれることが多い。しかし、PHCの観測したデータによれば、トロールは再生能力を持った強敵だ。武器として棍棒を所持し、多少の手傷ではすぐさまなかったことにする手品を使う。

 弱点には、太陽光があり、日の光を浴びれば石化すると言われてるが、生憎今は夜中だった。弱点が日光であるとわかっているトロールが、わざわざ日中に姿を晒すはずもないので当然と言える。


「どうしますか、アカリ」


 店の影から、朱里と同じように様子を窺っているネフィリムが訊ねてくる。


「狩る」


 朱里は当たり前の言葉を口にし、ネフィリムに後方支援を指示する。



 ※※※



「やっとここに来た。高宮朱里」


 スコープで朱里を俯瞰しながら、死神は呟く。彼女は少し離れた三階建のビルの上で、スナイパーライフルを構えていた。


「まぁ、当然と言えば当然か。あなたと私が初めて出会ったのはここだったんだから」


 呟きながらライフルを動かし――死神はトロールの近くに蠢く魔獣を捕捉する。


「これは……。ふ、実力を測るいい機会ね。これぐらい切り抜けられないと、私に会う資格はないわよ」


 死神は警告も銃撃もせずに傍観する。今一度、高宮朱里の実力を確かめるために。



 ※※※



(トロールはサイクロプスと同じで……腕力は凄まじいが、動きは鈍重。サイクロプスは体表が硬い代わりに単眼というわかりやすい弱点があったけど、トロールは防御力が低い代わりに再生能力が備わっている。厄介ね)


 朱里は思考をまとめながら、トロールへと駆け出す。手にはコンバットショットガン、デストロイヤー。背中には、ポンプアクション式ショットガン、モンストルが背負われている。怪物にはスラッグ弾が装填され、破壊者にはいつも通りの散弾だ。


「デカブツ!」


 朱里は座ってゴミを食らっているトロールに声を掛け、トロールに存在を知覚させる。驚いたトロールは咆哮を上げ、棍棒で朱里を殴り潰そうとしてきた。

 しかし、朱里は軽々と棍棒を躱し、散弾銃をトロールへと突きつける。


「無限に近い再生能力。これだけ見れば厄介だけど、こんなチート能力を入手したのが仇となったわね」


 朱里はほくそ笑んで、オートショットガンを連射していく。トロールの身体がどんどん八つ裂きになって、大量の血肉をまき散らす。

 だが、大きくえぐられた左腕と脇腹は、ゆっくりと修復されていく。朱里は笑みを絶やさずその修復状況を観察しながら、


「ネフィリム」


 と天使の名前を呼ぶ。

 銃声が鳴り響き、修復中だった部位がさらに弾け飛んだ。トロールが喉を震わせ悲鳴を叫ぶ。


「傷が再生するのなら、それを上回る破壊力を持って壊せばいい」


 朱里は攻略法を呟きながら、トロールを破壊していく。血と肉で商店街はぐちゃぐちゃに染まっていった。トロールは痛みに耐えかねて、もはや乱雑に攻撃することしかできていない。

 完全に朱里たちのペースだった。後はこのままトロールを破壊しつくして、残った肉片を焼いて燃やしてしまえばいい。

 ふふ、と猟犬の笑みをみせた朱里だが、急に右眼が警告を発し、商店を突き破って放たれた鋭い針らしき物を回避する。


(何……ッ! これは――)


 朱里は瞠目し、飛んできた針を見直して、これが針ではなく鋼鉄の糸であることに気付いた。

 右眼で商店のガレキ先を注視する。――ビーストの出現を確認。捕捉したのはアラクネ。クモ型のビーストです。


「アラクネ……!」


 ガレキから現れたのは、クモの顔に当たる部分に女性の上半身が生えた、半人半虫の魔獣だった。クモは黒く、女性部分は麗しい。獲物である朱里を喰らおうと、アラクネはクモの口から糸を吐き出す。


「チッ……!」


 クモは糸を放出する器官を腹部に持つ場合が多い。そのため、前方に糸を飛ばすには丸みを帯びた腹部を前方に向ける必要があり、そんなモーションを挟めば、見てから余裕で回避できる。しかし、アラクネは違う。半開きになった巨大な口から、何の前触れもなく糸が吐き出される。

 これには、流石の朱里も反応が難しい。まともに網状になった糸を食らってしまった。


「ッ、この!」


 朱里は義手とナイフを用いて糸から脱出しようと奮闘。義手で網を引っ張り、ナイフで切断しようと試みたが、糸はとても固くナイフでは歯が立たない。

 アラクネが笑みを浮かべながら接近。すぐ側には、時間を掛けて傷を修復するトロールが。絶対絶命の状況の中、耳元のイヤーモニターから通信が入る。


『ハンターアカリ。敵の増援が確認されました。油断なきように。出現したのはアラクネです』

「遅いッ!」


 エペの遅すぎる戦況報告に、朱里は怒鳴る。エペはあらら、と他人事のように声を漏らし、


『すみませんね。並行して業務を行っていたので報告が遅れてしまいました。ですが、あなたなら大丈夫でしょう、アカリ。あなたはランクAのハンターですからねぇ』

「――ッ!」


 アラクネが前足を使い、朱里を八つ裂きにしようとしたため、朱里はアンカーショットを発動して緊急回避を行った。強引に引き剥がれた糸といっしょに高速移動。移動している間に糸は外れた。


『アカリ、援護します!』


 ネフィリムの狙撃が始まったが、アラクネは通路を覆い隠すようにネットを展開する。驚くべきことに、ネットは銃弾を絡め止めた。朱里は歯噛みして、散弾銃の切り替えを行う。あれに散弾は通用しないと予測しての判断だ。


(銃撃の効果が薄いなら、わざわざネットで防御する必要はない。防いだということは効果がある。だけど、どうやって接近する……)


 朱里の前には、ネフィリムの狙撃を防御するため構築されたネットが広がっている。とりあえずグレネードを取り出して、ネットを支えている右方の商店を破壊した。店の壁が崩れたことでネットは支えを失い、風に流されて左方の店へと吸着する。

 だが、アラクネはトロールと合流し、再生能力を持った巨人がアラクネを守るように前に出る。厄介な組み合わせだと朱里は歯噛みする。トロールにかまけていれば、アラクネが糸を吐く。アラクネに集中すれば、トロールに撲殺される。


「でも、私にできるのは、接近戦のみ」


 ネフィリムに聞こえるように呟いて、朱里はアンカーショットをトロールとアラクネの間に射出。高速移動でトロールの股を潜り抜け、股間へ抜き取ったショットピストルを撃ち放つ。下半身が弾け飛び、生殖器らしき肉片が舞う。この攻撃は予想以上の効果があった。トロールは股間を押さえ、情けない恰好で蹲る。


「卑怯とは言わないでしょ?」


 挑発めいたことを口にすると、アラクネが怒り狂ったように何かを叫びながら糸を放ってきた。直線的な鋭い刺突。しかし、朱里はギリギリで躱し、アラクネに向けてショットガンを片手撃ち。彼女の頬をスラッグ弾が掠める。

 アラクネの上半身は人だ。だから、朱里は彼女に人間的思考を期待した。言葉を交わすという平和的な意味ではなく、朱里の挑発により、激昂するという意味合いで。


「どうしたの? クモ女さん。狙いが外れているわよ? クモさんこちら、手の鳴る方へ」


 目隠し鬼へなぞらえて朱里が煽ると、アラクネは網状の糸を勢いよく放出した。一度目は避けられなかったが、学習さえできれば何とか躱せる。朱里はアンカーショットで右側へと退避し、拘束糸を避けた。

 そして、朱里の狙い通り、トロールの野太い叫びが響き渡る。朱里の後方にいたトロールが、アラクネの糸に巻き取られたのだ。これで安心してアラクネに対処できる。

 だが、一筋縄ではいかないようだ。アラクネは奇声を発し、八本足をかさかさとゴキブリのように動かして、朱里を捕食しようと立体的に動き出す。

 再びアンカーを射出しようとした朱里だが、アラクネは先んじて朱里に粘着性の高い糸を吐き出した。朱里はコンバットスーツの上から糸をまともに浴びて、店の壁に磔にされてしまう。


「く、くそ――」


 アラクネが高笑いしながら近づいてきた。朱里の一番嫌いな笑い声だ。勝ち誇った声。自分が有利だと確信し、相手を見下しバカにする笑い声――。

 悔しそうな表情をしていた朱里だが、急にふっ、と冷めたような笑みを作り、訝しむアラクネへとアドバイスを口にした。


「そうやって油断するから、足をすくわれる」

「申し訳ありません、アカリ。気取られぬよう裏を取るのに時間がかかってしまいました」


 アラクネがやっと気付いた。自分の後ろに、狙撃銃を構えた天使が立っていたのを。

 アンドロイドと呼ばれる大口径の狙撃銃は、振り返ったアラクネの頭へぴたりと狙いが定められている。

 ほんの一瞬だった。断末魔を上げる猶予すらなかった。ポカンと口を開けて、驚いたような顔つきで、アラクネは死んでいた。


「ありがとう、ネフィリム」


 朱里は彼女に手伝ってもらい糸から脱すると、糸が絡まりまともに動けないトロールへと近づいた。しかし、銃撃では糸を貫通できない。上手く行くかしら、と呟きながら、朱里は常場の遺品であるライターを取り出した。


「トロールに炎は有効。……再生能力を持ったのが運の尽きよ」


 朱里は蓋を開けて、着火装置であるホイールを右手で回す。ちなみに、この機構はヴィネ武器店で見たホイールロックピストルと同じ原理を使っている。歴史を指で感じながら、朱里はクモの糸を燃やした。

 火が糸を辿って、トロールを業火が包み込む。まるで、燃やされた人間が苦しみ喘ぐかのように、トロールはもがき苦しんでいた。再生能力のせいで、焼けた部位が次々と再生されて、なかなか死ねないのだ。

 しばらく、朱里はその光景を眺めていた。もし戦争が始まれば、こんな光景が日本中に溢れ出す。それだけは避けなければ――。そんなことを、思いながら。



 ※※※



「――合格よ、高宮朱里」


 死神は操作していた携帯を待ち受けへと戻し、茶髪の少女とツーショットで並んでいる自分の姿に目を落とした。控えめな笑みを浮かべる自分と、快活そうに笑う鬱陶しいぐらいに元気な友達。

 感慨深く画面を見つめた後、朱里の元へ移動しようとする。だが、急に声を掛けられて、後ろを振り返った。


「お待ちなさい、ハンターキラーさん」

「……お前!」


 死神は対人拳銃を取り出し、突然現れた金髪の少女に突きつける。外国人らしきその少女は両手に剣を携える二刀流だ。

 うふふ、と笑みをみせる少女に死神は狼狽する――。なぜだ。なぜ敵に捕捉された。


「索敵範囲外にいたはずなのに、どうしてわかったの――? そんな気持ち? うふふ、最初から泳がされていたと思わないなんて、あなた、かなりおマヌケさんですね」

「何だと?」

「全く、あなたを暗殺するために、本来の業務ではないオペレーターまで兼任したんですよ? ちょー面倒くさかった。あなた、どうやって落とし前をつけてくれるんです?」


 ふざけたことを抜かす暗殺者に、死神は間髪入れず引き金を引いた。しかし、少女は人間離れした動きで銃弾を切り落とす。


「対人用装備ですから、銃弾なんて遅い遅い。私を殺したきゃあ、光学兵器を持って来なくちゃ」

「あなた、一体何者?」


 銃を油断なく構えたまま、死神が問う。私ですか? とPHCの刺客は微笑んで、


「私はエペ」

エペ?」

「そう、剣。ご存じの通り私は、会社の悩みの種だったあなたを殺すために派遣されたアサシンですよ。もっとも、ハンターたちにはただのオペレーターだと思われてますがね。ふふッ」

「……ッ!」


 好戦的な表情で、死神へと襲いかかる。

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