第20話 最高のトモダチ
風がビルとビルの間をすり抜ける。唸る音が鮮明に聞こえ、BGMとなって朱里とシルフィードの対決を彩っている。
朱里はシルフィードだけを見て、シルフィードは朱里だけを見ていた。
手には銃と弓。現代装備と古式装備。どちらも獣を狩ることに長けた狩猟装備だ。
だが、シルフィードの持つ漆黒の弓は、悪魔の力を借りて威力が極端に上がっている。対して、朱里の持つ銃はヴィネが創った通常より威力が高い魔弾を装填する散弾銃だ。
武器の性能はシルフィードが上。しかし、戦いの勝敗は武器の強弱で決まらない。
「死んだ方がマシ……死んだ方がマシなのよ……」
虚ろな瞳で、シルフィードは同じ言葉を繰り返している。朱里はその表情を苦りきった顔で見つめて、散弾銃を構えた。
シルフィも弓を構えている。射程はシルフィードの方が長い。ビルとビルは数メートルほど離れており、朱里の散弾銃では届きはするが、効果的な距離とは言い難い。
でも、それで朱里はいいと考えている。まずは放たれるであろう黒き矢を迎撃する算段だったからだ。
それに、仮に効果範囲まで接近したとして、シルフィードを撃てるのかという疑問が残る。哀れで愚かな自分は、本当にシルフィードを殺すことができるのか。まだほんの少しでもあるかもしれない希望をないがしろにできるのか。
「ふふ、勝った時のことを考えてるけど、そんな調子じゃ死ぬわよ」
傍観者である悪魔が他人事のように呟く。
「ッ!」
「さぁ、死のう。死のうよ、朱里ちゃん」
シルフィードの黒き矢が放たれて、朱里へと一直線に飛来する。朱里は散弾銃の引き金を引いたが瞬時に撃ち落とせないと判断し、身体を後ろに逸らした。自分の頭があった部分に矢が鋭く迸る。
「私の貸した力を甘くみないで。悪魔は甘くはないわよ? うふふ」
「く!」
遠距離戦は不利だとわかり、朱里はアンカーショットで隣のビルへと移動しようとする。が、急に右眼が警告を発して、後ろを振り向いた。
(矢が返って――!)
右腕で頭を庇う。特殊合金で構成された銀の義手は流石の黒き矢と言えども貫けなかったが、矢が命中された衝撃は朱里を反対側のビルまで弾き飛ばした。シルフィードの立つビルの窓ガラスをぶち破り、フロアの中を転がった。
朱里がゆっくりと起き上がって態勢を整えると、本物の羽を手にしたシルフィードがビルの外を飛んでいる。割れた窓ガラスからシルフィらしくない虚無の表情で、弓に矢をつがえ、朱里に穿つ。
「――おおッ!」
朱里は防御ではなく攻撃に出た。飛んでくる矢に対し、全力で拳をぶつける。金属同士のぶつかる音がして、矢は天井を突き破って明後日の方向へと飛び去った。
しかし、朱里は衝撃ダメージを吸収できず、一時的にダウンしてしまう。その場で蹲る朱里の前へシルフィは接近。ナイフを抜き取り、朱里へと突き立てようとする。
「おしまい、おしまい」
「まだよ!」
朱里は左手で抜き取ったナイフを、シルフィードの首元へ振り上げる。完全に不意を衝いた。普段の彼女だったら躱せた斬撃を、堕落した妖精は避けられない。
「あぁ、残念無念。あなたにはまだ覚悟が足りない。トモダチを殺す覚悟が」
「……ッ」
悪魔の言葉通りだった。朱里はシルフィードの首を掻き切る寸前でナイフを止めてしまっている。
「惜しい。朱里ちゃん」
「ぐぁッ!」
シルフィードは朱里を人間とは思えない怪力で殴り飛ばした。フロアを直線的に飛んでいき、先にあった壁をぶち破って外に放り出される。
落ちる前に、朱里はアンカーショットを発動。ビルの屋上へとかろうじて移動した。
「ふふふ。苦しんでるわね、朱里。あなた、本当にその子を救えると思っているの?」
「黙れ!」
シルフィードも屋上へと舞い戻り、新しく矢をつがえる。どうやら黒き矢は無限生成のようだ。矢切れを待つなどという悠長な戦略は取れない。
「苦しいでしょ、朱里ちゃん。生きるのが、辛いでしょ?」
「苦しくなんて……辛くなんてない!」
「嘘だよ。朱里ちゃん、家族の話する時、いつも辛そうだもの」
シルフィードはよく朱里を観察していた。朱里の心理を見透かしていた。
シルフィードの言葉は事実だった。口では何とでも言えるが、家族を奪われた衝撃は、どうしようもない理不尽は、まだ朱里の心を抉って余りある。
だから、シルフィードは――。
「トモダチの辛い顔、見たくないの。私も、辛くなるから。だからね、朱里ちゃん。だから――」
シルフィは弓を朱里に向ける。朱里はもう一度矢を相殺させようと身構える。
「私はあなたを、解放したいの」
矢が放たれる。変則的な動きをする悪魔の矢が。朱里は右拳を振り上げて、矢を受け流そうとした。だが、右手が下から現れた矢に弾かれる。先程朱里が弾いた矢が、風の手品を使って戻ってきたのだ。
「あ――」
「さようなら」
朱里は死ぬ。シルフィードに殺される。
また時間がゆっくりと流れ出す。肉眼と義眼が、自分に死を与える矢をはっきりと捉える。
これで、シルフィの犠牲は完全に無駄となる。いや、彼女だけではない。小城や常場の死も無意味なものとなる。
それでいいのかと、朱里は自問する。朱里の答えは――わざわざ聞くまでもないことだ。
「――ぐううッ!」
朱里は左手で矢の胴を掴んで強引に着地点をずらした。矢羽が左手を裂き、ずらした矢が左肩を貫通する。
ダメージを負ったが、致命傷は避けられた。左手と肩から血を流しながらも、朱里は再び戦闘態勢を取る。
「痛そうね。でも、闘志を喪わないんだから、大したものだわ」
「……」
朱里は診断を始める。左手は深くえぐられて、指こそ千切れていないがせいぜい添える程度にしか使えない。加えて左肩もぽっかりと穴が開いている。骨の一部が砕かれて、動かすことはできるが大した力が入らない。
それでも、朱里の心までは砕けていない。むしろ、ダメージを負ったことで生存本能が働き、先程よりも身体の調子が上がっている。
「朱里ちゃん、頑張らなくていいんだよ? 何で、頑張るの」
「誰かに殺されるのが癪だからよ」
痛みに顔をしかめながらも、朱里はそう答える。
正直、生きている理由なんてほとんど存在しない。家族はいないし、シルフィまでこうなってしまったのだ。別に、今死んだところで悲しむ人間がいるとは思えない。
しかし、誰かの思惑によって謀殺されるのは腹立たしい。邪魔だから、面白そうだから。そんな理由で殺されるなら、朱里は全力で生き残ることを選ぶ。
「私を殺したいなら、自殺させればいいのよ。こんな方法なんて取らずにね」
「私はあなたを殺したいわけじゃない。敵は殺せばいい。それが人間の考えよね。でも、そんなことしたらとてもつまらなくなるわ。敵との戦いを生業にしていた戦士たちの心は涸れて、新しい敵を探し出す。そんなパターンはいくつも存在するわ。ほら、シルフィードの祖国……アメリカ独立戦争の後、共に戦った仲間同士で南北に別れて戦争したようにね」
「どうせ、あなたたちが関わっていたんでしょう? 南北戦争にも。二度起きた世界大戦にも」
悪魔の少女は否定しない。ただ人間を面白がって眺めている。
「政治、宗教、金銭、領土、プライド、差別……。どれかを刺激されると、大体の人間は同じ選択肢を取る。ちょっと、飽きたわ。数千年も同じことが続いているんですもの。そろそろ、新しい反応を見たいところ。でも、あなたもできるのは結局、先人たちと同じことだけどね」
少女が一方的に話し終えると、堕落者が動き出す。矢を放とうとしたシルフィードだが、より早く動いた朱里に接近を赦した。
朱里は散弾銃を構えると、片手でシルフィードの左足目掛けて撃った。しかし、シルフィは本来回避が難しい散弾を驚くべき素早さで避け、朱里の背後へと回り朱里を空中へと蹴り飛ばす。宙に投げ出された朱里は、右手だけでポンプアクションのリロードを敢行。ヴィネの映画的演出の追求と、朱里の義手の驚異的腕力がタクティカルリロードを可能にした。
シルフィードへ向けて、再び銃撃。シルフィードは回避することが叶わないため、風を吹かして散弾をあらぬ方向へと吹き飛ばした。
「くっ」
堕天使シェミハザと同じ、風の防御。高密度で放たれる風の手品は、ヴィネの高威力かつ重量のある特製魔弾を持ってしても、突破することは難しい。
「無理だよ。勝てっこないよ。私は強いもの」
「何言ってるの。少し前のあなたならいざ知らず、今のあなたはとても弱いわ」
「……?」
シルフィードは理解不能というように首を傾げる。シルフィは悪魔の力を借りて、戦闘能力が飛躍的に上昇している。単騎で一国の軍隊とも相手取れる戦闘力だ。単純なスペックで言えば、間違いなく朱里よりも強い。
しかし、朱里は断言できる。今のシルフィは弱い。人ならぬ力を手に入れた今だからこそ、どうしようもなく弱い。
「弱点がない敵ってのは、恐ろしく弱いのよ。考えて見なさい。弱点がない敵。そんなものは存在しない。一見無敵のように見えて、必ずどこかに弱点は存在する。自分でも気付けない弱さがね。その点、人間ってのはとても弱い。弱さの塊だから、その弱さをカバーするため頭を回す。他の生物に気付けないことを気付けるようになる。弱いってのはね、どうしようもなく強いのよ」
「弱いは強い……?」
「悪魔と契約を結ぶ前のあなたは、好敵手だったわ。口では色々言ったけど、正直どちらが上かなんてわからなかった。もしかしたら、あなたの方が強かったかもね。ドキドキした。夢中になった。あなたとの勝負は。でも、今のあなたとのバトルは楽しくない。ゲームでチートやバグを使って、一方的に相手を虐殺する雑魚といっしょ」
「ゲーム……趣味じゃないんじゃ」
「誰かさんのせいで、話を合わせようと調べたの。ま、無意味だったみたいだけどね」
朱里は少し残念そうに言う。本当は、シルフィードをからかうために用意した知識だったのだ。なのに、まさかシルフィードが本当にチーター……いや、それ以上に酷いものになってしまうとは思っても見なかった。
よくわからない相手の勧誘に乗ってはならない――ヴィネの言う通りだ。悪魔に依存すると、思考のできない怪物へと身を落とす羽目になる。ただで素敵な力を貰えるというおいしい話であって欲しかったが、残念なことに現実にはそうそう都合のいいプレゼンターは現れない。
「……」
シルフィードは自分の手を見下ろして、きょとんとしている。何がダメで、何が悪いのかもわかっていない。シルフィードのカタチをした怪物。まともな論理は通じず、ただ己の欲望を成すことしか考えない化け物。
だが、彼女がああなった一因は朱里にもある。朱里を大切に想うから、朱里を死なせたくなかったから、シルフィードは堕落したのだ。
であれば、朱里が責任を取らなければならない。いや、責任など関係なく――。
「バディを救うのが、トモダチの使命でしょ」
朱里は散弾銃をシルフィードではなく、彼女の右後ろへと向けた。
「?」
シルフィは訳がわからず朱里の行動を呆然と見ている。以前のシルフィードなら絶対警戒できたであろう朱里の奇態を傍観している。
「あなたは強いから、私に負けるのよ!」
朱里が散弾を撃発。放たれた無数の細かい弾丸たちが、ヘリポートの上に置きっぱなしのシルフィードの矢筒へと降り注ぐ。矢筒の中には数種類の矢が仕舞われていた。基本的な矢である通常矢、麻痺毒が付与された麻痺矢、爆発する爆裂矢――。
大爆発を起こした矢筒によって、ヘリポートを覆う勢いの煙が発生した。しかし、すぐに邪魔な煙は風によって掃われる。
「私には、効かない」
「や、それは目くらましね」
悪魔少女が呟いた瞬間、シルフィードは違和感を感じて胸元を見つめた。何かが打ちこまれて、身体が極端に動きづらくなっている。それは朱里が立体機動に用いるアンカーショットの拘束フックだった。
急速にアンカーが動き出し、掃われる煙の中から朱里が現われる。右拳を突き出し一直線の突撃。
シルフィードは対応もままならず、迫ってくる朱里を見つめている。朱里が肉薄。シルフィがやっと防御しようと手を動かす。だが、遅い。朱里の強烈な打撃が胸元へと命中する。
「うわッ」
薄い悲鳴を上げて、シルフィがヘリポートを転がる。コンバットスーツが致命的なダメージを受けて機能停止に追い込まれていた。しかし、緑色の鎧が半損した程度では、堕落者は止まらない。
「諦めなよ」
「諦めるか」
左腕が機能不全に陥っても朱里は屈しない。例え義手を喪ったとしても、最期まで抵抗し続けるだろう。そう感じてしまうほどの気迫が彼女から放たれており、シルフィードは説得を諦めた。
朱里が次の一手を考えあぐねていると、突然イヤーモニターに通信が入る。通信相手は彩月ではなく、増援として接近中のネフィリムからだった。
『アカリ、これより援護に参ります』
「ッ、来るな! ネフィリムは安全圏で待機!」
しかし、珍しくネフィリムは朱里の命令に反発した。というより、彼女は朱里の生命に危険が及ぶ場合に限り、なぜか
「リムちゃんもカワイソウだよね。人に奉仕するという目的で創られた生体アンドロイド。彼女は人間扱いされず、もし命令に従わなかった場合、欠陥品として処分される。アメリカ支部でもいたよ。彼女と全く同じ姿のクローンが」
「シルフィ……ぐッ!」
シルフィードに動きが見られ、朱里が食い止めようとするが、先程の強引な殴打の反動ダメージが響いている。一瞬動きが止まった朱里の隙をついて、シルフィードが飛行上昇。弓を構えて、恐らく増援の輸送機に向けて狙いを付ける。
「よせッ!」
散弾銃を投げ捨てて、朱里はピストルをシルフィに向けて撃った。だが、不自然に弾丸の軌道がずらされる。風だ。変幻自在の気流によって、朱里の銃撃は届かない。
「トモダチは、大切にしなきゃ」
『ハンターシルフィード? ……ッ!』
「ネフィリム、脱出して!」
だが、朱里が叫ぶよりも早く、黒き矢は放たれた。凄まじい速度で穿たれた矢は、ネフィリムの搭乗していた輸送機を寸分違うことなく撃ち落とした。
「シルフィ……!」
朱里が睨むが、シルフィードは虚ろな表情で良かった、と安堵の声を漏らすだけ。
朱里ちゃんも、すぐ楽にしてあげるね、と嬉しそうな声音で呟いて、
「もし、朱里ちゃんが望むなら、朱里ちゃんの家族も葬ってあげるよ」
「……何?」
着地したシルフィードは悪魔少女と同じように指を鳴らした。突然場面が切り替わり、朱里は自分の家族が住むマンションの一室へと飛ばされる。
心象現象のようだが、とてもリアルに家族の存在を知覚できた。早く帰ってきたらしい母親が洗濯物を畳んでいる。弟は、自分の偽者といっしょに、不思議がってテレビから流れるニュースを眺めていた。
弟は偽者に訊ねる。怪獣が出たって本当? 偽者は知らん顔でさぁ、嘘っぱちじゃない? と白々しい嘘を吐く。
「……あれ、今の」
「どうかした?」
弟が何かに気付いたように、ニュースを熱心に見つめている。
「う、うん。何でもないよ、お姉ちゃん」
弟ははにかんで、朱里の偽者をお姉ちゃんと呼ぶ。
瞬間、場面が切り替わる。シルフィはカワイソウでしょ、と笑顔で言って、
「自分の偽者を姉と思って過ごすなんてカワイソウ。PHCに契約金を支払うため、日本からまともな支援が受けられず、日夜働くなんてカワイソウ。治るかどうかもわからない病気と闘って、自分の無力さに打ちひしがれるなんてカワイソウ。朱里ちゃん家ってみんなカワイソウだ」
「あなたほどではないわよ」
ネフィリムの安否が気になりながらも、朱里は真実を告げていく。どちらが上かは知らないが、シルフィの方が不幸回数は多い。それでも彼女は最後まで信念を貫いて、堕落した。強い少女の前例を知っているのだ。なぜ朱里が堕ちようか。
しかし、シルフィは私は大丈夫、と強がって、
「パパとママは私が殺した。あの時は後悔したけど、今はそれでいいって思ってる。だって、生きていたら辛いもの。死んだ方がマシだもの」
「死んだことないから、どっちがマシかわからないわ」
会話を続けながら、朱里は放り投げた散弾銃に脇目を振る。すぐ傍に、怪物の名を持つ銃が落ちている。
朱里の主武装。シルフィードと戦う要。何とかして拾いたいが、チャンスはあるのか。
否、ないなら作るのだ。
「だったら、死んでみよう? 朱里ちゃんは優しいからきっと天国に逝けるよ?」
「どうかしら。堕天使を殺しちゃったし、いらないって拒否されるかも。まぁ、存外地獄の方が愉しいかもしれないわね。戦うべき相手がたくさんいて」
「そうかなぁ。あなたはどう思う?」
「さあて、悪魔が真実を教えるわけないでしょう? ただ、天国は退屈よ」
悪魔が紅茶を飲みながら、シルフィードの問いに答える。残念だね、朱里ちゃん。シルフィードは矢を再びつがえようとして、
「ッ!」
「あ」
朱里の投げたスタングレネードをまともに受けた。
朱里は左眼だけを閉じて、義眼の光量軽減モードによってスタンの影響を受けない。前以て対策はしてあった。
だが、シルフィードは光と音響の複合衝撃に直撃し、視覚と聴覚が一時的に奪われた。その隙に朱里はショットガンを回収し、義手による正拳突きでダウンさせようとする。
しかし、
(当たらない――!?)
拳をどれだけ振るおうと、シルフィードは当たるギリギリのところで躱した。目を閉じて、耳もまともに聞こえなくなっているというのに、朱里の攻撃に合わせて反射している。
「……出力増加! 百二十パーセント!」
朱里は義手の反応速度を若干向上させる。数値上では二十パーセント増えただけだが、さっきまで朱里は自身が出せる最高速度で腕を振るっていたのだ。通常なら義手に振り回されて手を上げることすら困難になる出力増加を、朱里は歯を食いしばって耐える。反動が左肩にじくじく響いた。
「うふふ、無駄よ」
(なぜッ!)
悪魔少女の独り言通り、朱里は一撃も喰らわせることができなかった。理由は不明。今や考えている暇もなく、朱里は昏倒させるのを諦めて、銃撃へとシフトする。
「……ッ」
朱里は狙いのつけやすい左足へと再び銃口を定め、引き金を引いた。だが、散弾は風に巻かれ、一部が朱里へと飛んできて義手で防御するはめになる。
瞠目する朱里に、悪魔少女が悠々と解説。
「シルフィードは風の妖精。風を読むことができる。ふふ、もうわかるわよね」
つまり、視覚や聴覚を奪ったとしても朱里の動作は筒抜けだった、ということだ。
ここには風や風の元になる空気が多すぎる。いや、例え屋内だったとしても、人の行動には常に微風が伴う。シルフィードの風読みの精度がどれほどかは不明だが、目くらましの効果は薄い。
(いや……だとすれば、何でさっきは当たった?)
朱里は考える。煙幕を用いたアンカーアタックはシルフィに確実なダメージを与えた。半壊したコンバットスーツの胸元からは、彼女のアンダーウェアが微かに露出している。
(……強者ゆえの油断から……いや)
反応速度は明らかに低下しているものの、シルフィードはちゃんと反射していた。朱里の行動を妨害してこそ来ないが、防御回避自体は行っている。
ならば、なぜ拳が当たった? 先程と現状の違いは、煙の有無だ。
(煙が邪魔をした……。煙でも気流は生まれる。でも、反応がワンテンポ遅れる)
となれば、スモークグレネードを用いるべき局面なのだが、朱里の所持品には含まれていない。滅多に使い道がないからと、持ってきていなかったのだ。使う必要に応じて戦術支援をすればいいとシステムに甘えていた。
通信が切断されている今、朱里に打つ手なしと思われたが、ヘリのローター音らしき音がどこかから聞こえてきて、朱里は耳を疑った。
視覚と聴覚が回復したシルフィードも、不思議そうに音の発生地点を探している。と、低空飛行していたヘリコプターがヘリポートへと上昇してきた。
「ステルス機能付きの特注品。あらら、これは予想外ね」
傍観者がステージへ干渉する。悪魔少女はフリントロックピストルを虚空から取り出し、ヘリに向けて撃発した。
球状の弾丸がヘリに着弾。六十七口径という現代のピストルより大きな口径を持ちながら、球状弾の性質上、空気抵抗を大きく受けて威力が多少減退してしまうはずのそれが、最先端の技術が詰まった対地攻撃ヘリをたった一撃で破壊する。
悪魔の手品、魔術の類だった。悪魔術によって援護らしきヘリは破壊されてしまったが、撃破される直前、ヘリが何かパッケージらしきものを投下していたことに朱里は気付いた。
「あれは――」
右眼でヘリポートに投げ出されたパッケージをスキャン。中身はスモークグレネードであることを把握して、今のヘリがPHCの支援ヘリだったことを悟る。だが、いつもと配達の仕方が違う。奇妙に思いながらも、支援を受けるほかなかった。
「ふふ、隠すつもりがなくなったのか。ばれたところでどうでもいいのか。シルフィード」
「……」
悪魔少女の命令を受けて、パッケージへと走る朱里にシルフィードは矢を放とうとする。が、
気にはなったが、構っている時間はない。朱里はパッケージへと飛び掛かり、殴って落下衝撃防護パックをこじ開ける。中からスモークグレネードを取り出して、シルフィードに向かって放り投げた。
煙幕が発生し、右眼が熱源探知モードへと切り替わる。朱里はアンカーショットを発動させ、シルフィードの身体に貼り付けた。
「同じ手は通じないと思うけど?」
「二度目はないよ」
シルフィードは先んじて、アンカーが引っ掛かった部分で防御態勢。アンカーが収束し、義手の拳が着弾点に飛来する。
シルフィードは余裕で受け止めた。そして、あまりにも軽すぎたことに気付く。
「右腕……だけ?」
「あああああッ!!」
気合の叫び声を上げながら、片腕だけとなった少女が奔る。二度も同じ手は効かないと予測した朱里が、義手をパージして囮に使ったのだ。
駆けながら、朱里は悩む。シルフィードを生かすか、殺すか。この手も二度はない。次に、シルフィードを上手く倒せるかはわからない。
弱者は強者に勝てる可能性を秘めている。ただし、その方法は敵を殺すことだけに限られる。だから、朱里はシルフィを殺すことでしか勝機がない。
シルフィを殺さないと、自分が死んでしまうかもしれない。しかし、上手く連れ帰れば彼女が元に戻る可能性があるかもしれない。
また、可能性のお話。可能性に朱里は苛まれる。朱里は苦悩する。悩んで、悩んで、悩み抜く。
そして、結局――シルフィードを殺すことを選んだ。
血がにじむ左手で、シルフィの左胸を突く。速度を乗せて強引に突いたため、力の入らない左手でも、刺し貫くことができた。
「かはっ」
シルフィードが血を吐いて、ただでさえ血に汚れている左手をまた汚した。
「あ――朱里ちゃん――」
死にかけて、シルフィは正気に戻ったらしい。とても痛そうに、顔を歪めて、
「生きてる? 良かったぁ」
と朱里の無事を案じて、安堵する。幸福そうな、顔を浮かべる。
「なぜ笑うの?」
気になって、朱里は質問する。常場や小城もそうだった。常場は苦笑で、小城は誇らしげ。種類こそ違うが、みんな笑顔を浮かべて死んだ。
んー、とシルフィは少し考えて、
「嬉しいから? 朱里ちゃんが無事でさ」
「でも、私は――嬉しくない」
煙が周囲を燻ってる中、朱里はシルフィと会話する。この機会を逃したら、もう二度と話せなくなってしまうから。
「かもね。死んだ方がたぶん、楽だからね。でもさ、自分勝手な期待だけど、朱里ちゃんならきっと、乗り越えられると思ってるんだ」
「壁を? 壁なら壊すスタイルだって、言ったでしょ」
朱里の言葉にシルフィードは苦笑して、
「ああ、そうだったけ? ごめん、忘れてた」
「ったく、あなたはいつも適当なんだから」
「シルフィちゃんはジョーク大好きなジョーカーだからねぇ。朱里ちゃんはジョークが通じて助かったよ。というか、皮肉屋? ませたことばかり言ってるとモテないぞ」
「うるさい。余計なお世話よ」
「そっか――ぐッ」
シルフィードはまた血をたくさん吐いた。朱里はたっぷりトモダチの血を浴びて、また真っ赤に染まっている。
「……前いた日本人のトモダチは、冗談通じない性質でさ、苦労させられたよ……」
「でも、あなたのことだから、どうにかしてトモダチになったんでしょう?」
「そう……シルフィちゃんはリア充だから、ね。耳、貸して」
言われた通り、朱里はシルフィートに耳を貸した。小声で囁かれる言葉を、朱里はしかと記憶に刻む。
「……どういうこと?」
「言われた通りに、して。時が来ればわかるから――ごほッ」
堕落者となり、高い生命力を得たシルフィードも、そろそろ限界らしい。楽にして、とせがまれて、朱里は右腕を装着し、憤怒の名を持つ五十口径のピストルを彼女の頭に突きつけた。
膝をついたシルフィードを見下ろしながら、朱里は願う。もし、このピストルがロックされていたら、朱里は今すぐにでも救命措置を行い何とかしてPHCへと連れ帰るつもりだった。もしくは、命令違反し隔離地域の外に出て、病院へと搬送し治療を施してもらう。
――該当データなし。未知のビーストです。ハンターは今までの経験を踏まえ、既存の戦略に囚われず、柔軟な対応で討伐してください。
変わらず、ヴィネの銃に発砲許可は下りている。
く、と苦心する朱里に、シルフィードは微笑みながら、
「ねぇ、朱里ちゃん」
「なに……」
「私のこと、好き?」
輸送機内で、答えられなかった問いかけ。
銃を突きつけながらも、自然と答えは口を衝いて出た。
「好きじゃないわ。でも」
「でも?」
「嫌いでもない。トモダチになら、なってもいいと思えた」
「そっか――」
シルフィードは朱里の回答に満足したようだ。朱里の目を見つめ、自分を撃つように促してくる。
右手が震えることはない。寸分違わず、シルフィードの眉間に狙いを付けている。
「朱里ちゃん?」
「何よ」
「ありがとう」
「……こちらこそ」
朱里は礼を言いながら、拳銃の引き金を引く。引き金に連動して、撃針が薬室を叩き、銃口から対獣用魔弾が放出される。
シルフィードは、ふわり、とゆっくり後ろに斃れた。頭から血を流して、笑顔だけは晴れやかで、安らかな眠りに落ちた。
不格好だったため、朱里はシルフィードの死体を整える。両腕を胸元で組ませて、足をぴったりとくっつけて、付着した血を布で吹いた。
とっくに煙は晴れて、太陽が二人を照らしている。眩しい。綺麗なシルフィードの顔を、美しく着飾っている。
朱里は涙を流さなかった。涙はとうに涸れているから、泣くことはない。悲しくは思うが、目から涙は零れない。
だが、怒りは沸く。殺意は充填されている。
(自分を殺そうとした赤い死神を探せ)
握り拳を作りながら、シルフィードの伝言を心の中で復唱する。
周囲を見回したが、悪魔は既に消えていた。
朱里は毒づくことも、愚痴を漏らすことも、理不尽を嘆くこともせず、迎えが来るまでの間、シルフィードの遺体の傍に座って、彼女の安らかな顔を見つめていた。
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