第19話 ドラゴン殺し

 ニュースでは、街に怪獣が現れたという特撮ドラマか映画でしか見られない嘘みたいな報道が流れていた。情報を耳にした視聴者たちは、驚き、疑問視し、嘘か真か判断しかねているようだ。テレビ局には質問と抗議の電話が殺到し、クレーム対応係は対処不能となっていた。


「面白いな。うん、実に良い」


 社長はデスクに備え付けられたモニターに目を落としながら呟く。今映っているのは最高のエンターテイメントだ。社長は知っている。人々が逃げ惑う姿を見て喜ぶ人間が少なからずいることに。


「しかし、少し強すぎるかもね。これはやり過ぎだ。日本は今頃悲鳴を上げてるよ。俺たちはなんて無能なんだってね」


 まぁ、仕方ないことなんだけど、と嘆息する。


『社長』

「チャーチ」


 不意にかかってきたチャーチからの通信に社長は応じた。チャーチは焦った様子もなく、見ていますか? と訊ねてくる。


「見ているよ。これは録画しなきゃね。見てよ、アナウンサーの顔。こいつは傑作だ。何が起きたか理解できないまま、命じられた通りに原稿を読み上げている」


 ちょくちょく未確認の情報ですが、などという言い訳を織り交ぜて、女性アナウンサーがドラゴンの来襲を告げている。情報は錯綜し、自衛隊が蹴散らされたという真実に近い憶測や、どこかの国の生物兵器だなどという荒唐無稽なものまで数多くの流言がネットで飛び交っている。


『対処しますか?』

「いや……このままでいい」

『了解しました』


 通信を終えた社長は、また画面へ目を移す。

 今、確かにいたよね、と独り言をつぶやいて、ご機嫌に眺めていく。

 ああ、間違いなくいた。美しい怪物が。右眼と右腕が機械化された高宮朱里が。彼女が出撃しているのなら、余計な茶々を入れてはいけない。むしろ、自衛隊や米軍が余計なことをしないように手回ししなければ。



 ※※※



「朱里ちゃーん。もう走れないよー」

「息も切らさずによく言うわ」

「へへーばれたか」


 にやっと笑うシルフィードを後目に、朱里は何とか狩場へと辿りついた。

 眼前には廃墟されたビル街が広がっている。高層ビルが立ち並ぶこのフィールドはドラゴン退治にはうってつけだった。もし、高所がなければ朱里たちは対抗する術もなく焼き尽くされていたことだろう。

 いや、ここまで都合よく行くものか? 朱里はこれを偶然ではなく必然と考える。面白い勝負は一方的な虐殺ではなく手に汗握る攻防戦だ。

 癪ね、と愚痴った後、朱里はドラゴンがちゃんと狩場に入ってきたことを知る。赤い竜の咆哮が、廃墟街の中に響き渡った。


「おー、朱里ちゃんと決着つかなかった因縁の場所じゃん」

「私の勝ちでしょ?」

「いーや、後少し輸送機来るのが遅れてたら私が勝ってたね」


 快活に笑うシルフィ。じゃあ、と朱里はドラゴンを見上げて、


「あのドラゴンを狩ったら、続きをしましょう」

「いいわよ。朱里ちゃんを私の性奴隷にするー」


 にやりと笑みをこぼし、ビル街へと突入する。



 具体的な対応策はまだわからない。即席で組み上げた指針はドラゴンへと接近し、弱点をスキャンし、そこへありったけの火力をぶつけるというシンプルなものだ。元より、朱里は作戦を立てるタイプではない。戦いの最中に攻略法を探し当て、敵を撃破していくスタイルだ。幸いなことにシルフィも似たような戦法を取るので、朱里とシルフィードの相性は抜群だ。


「で、ひいこらビルを昇ってるわけだけど。このビル大丈夫かなー? 前回派手にダメージ与えちゃったからなぁ」

「もしビルが倒壊して死んだらあの世で殺してやる」

「やだなぁ朱里ちゃん、幽霊になったら死ねないよ」


 軽口を叩きながらビルの階段を駆け上がる。踊り場にある窓からはちらちらドラゴンの影が見えるが、まだ敵は朱里たちを見つけられていないようだ。

 このまま順調にいけば屋上に辿りつける――と昇っていくと、階段が壊れていた。前回の狩猟時、シルフィードが朱里を妨害するため吹き飛ばしたのだ。


「……」


 半開きの眼でシルフィを睨んでいると、シルフィはあははー、と冷や汗を掻きながら、


「誰だって失敗はあるよね? うん、シルフィちゃんドンマイ!」

「死ね。……バレーボール、したことある?」

「したことはないけど、見たことはある」

「だったら、トスするわよ」

「は? え、ちょ……は?」


 理解できずに訊き返すシルフィード。しかし、朱里は気にも留めず崩落部分へと背を向けて、両手を組んで中腰になった。

 そして、来いと言わんばかりに目配せする。え……と呆けていたシルフィだが、ドラゴンの咆哮を聞き諦めて、朱里の両腕をジャンプ台にして反対側へと着地した。

 彼女が無事に向こう側へ渡ったことを確認すると、朱里はアンカーショットを発動させて、悠々と向こう側へ飛び乗る。ちょっと! と声を荒げてシルフィが文句を言った。


「トスの意味ないじゃん!」

「あったわよ。間抜けなあなたが見れたもの」

「サディスティックだねぇ朱里ちゃんは」


 してやられた、という風な表情をシルフィードは浮かべ、朱里より先を扇動していく。

 幸運なことに魔獣はドラゴンしかいないようだ。いや、あのドラゴンに奇襲を受けた時点で不幸だったが、今は嘆いていても仕方ない。朱里は走りながらドラゴンの弱点を解析しているが、ドラゴンはまだPHCでも討伐されたことのない種族らしい。

 唯一撃退できたのは小城だけらしかった。どうやって小城がドラゴンを退けたのか、朱里は思案する。


(ライフル弾で目を撃った? いや、あの体組織じゃ目の硬さも尋常じゃないはず。もっと明確な弱点がどこかにあるの……?)


 小城の遺したデータさえあれば申し分ないのだが、生憎携帯は部屋に置きっぱなしだ。加えて、戦術データベースとのリンクが確立されていない。今はネットワークの時代で、オフラインでやれることは限られている。

 現状、朱里の中の怪物だけが頼りの綱だ。しかし、朱里はまだ打開策を見出していない。


「シルフィ、何かいい案ある?」

「あるよ」

「本当?」


 シルフィは自身で訊ねながらも疑いの眼を向ける朱里に苦笑しながら、


「私と朱里ちゃんが狩場からすたこら作戦」

「却下。ここで逃げるわけにはいかないわ」

「何でアメリカ人である私が日本人を守らなくちゃいけないのよー」


 と愚痴をこぼす彼女に向け、


「同盟国でしょ」


 と朱里は突っ込んでみせる。

 シルフィードは朱里ちゃんとデートの約束もあるしねぇ、とドアノブに手を掛けて、


「プランBで行きましょ」

「どんな計画?」

「出てって撃って、敵が死ぬことを祈る計画」


 屋上の扉を開いた。



 ドラゴンが大空を舞っている。まるで神話やファンタジーの世界に入り込んだような光景だが、狩場は廃墟となった高層ビル街であり、手には伝説の剣などではなく散弾銃を握っている。


「ドラゴン殺しが欲しいや」

「そんなものは必要ない」


 シルフィの言葉を否定して、朱里はドラゴンを睨み付ける。

 肉眼の義眼が赤い竜をしっかりと捉えた。巨大な翼と尻尾。巨竜を支えるに足る大足と、人間を掴めそうな両腕。大きな口に、睨み殺されそうだと錯覚してしまうほどの黄色い瞳。

 だが、朱里はドラゴンを恐れていなかった。朱里には神から与えられし力もなければ、強力な武器があるわけでもない。


「私には、怪物があるから」


 魔獣を狩るには強力な武器ではなく、敵を恐れない怪物が必要だ。


「まぁ、朱里ちゃんはチートいらずな類だよね」


 シルフィードも弓を構えて、狙いを定めている。シルフィードの腕なら当てられるが、当てても効果的な個所がわからないのだ。


「鷹の眼はまだ解析できないの?」

「全体をスキャニングできてないから無理。特に胴部分を注視したいんだけど……」


 と会話する朱里たちをとうとうドラゴンが捕捉した。口を開けて二人を丸呑みしようと滑空してくる。


「やばいかもね!」


 シルフィードは焦りながら矢を放つ。爆裂矢が爆散し、ドラゴンの視界が遮られた。ビルへの激突を避けたドラゴンは急上昇し、再び上空へと舞い戻る。


「朱里ちゃん……大丈……朱里ちゃん?」


 シルフィードがきょろきょろと屋上を見渡す。ヘリポートにいるのかと彼女は階段を昇ってヘリポートまで上がったが朱里は発見できない。


「ここよ」


 朱里は無線を飛ばして、自分の位置を教えた。

 驚くシルフィードの顔を眼下に捉える。朱里はドラゴンがビルの上を飛んだ瞬間、アンカーショットで胴体へとしがみ付いていた。


『うわー朱里ちゃんアクロバットすぎるよ。ってか、そこ安全なの?』

「コイツ感度悪いみたいだから、私がしがみ付いてることに気付いてない」


 あまりに小さすぎて意識が回らないのか、ドラゴンは朱里の存在に気付いていなかった。人が小さい虫に身体をよじ登られても気付きにくいように。この好機を逃すはずもなく、朱里はドラゴンをスキャンしていく。

 と、胸元に何かを補足。


「胸に何か――」

『実はメスだった?』

「違う。傷口があるわ」


 恐らくは小城が撃退した時に付けた傷。もしくは、撃退した時に利用した傷。

 ドラゴンの胸元には大きな裂傷が付いていた。傷口を強引に開けば、こじ開けられそうな傷つき方をしている。

 瞬間、朱里の中でドラゴンの倒し方が構築された。そう難しいことではない。至極単純な攻略方法だった。


「作戦、できた」

『へーなになに?』

「私がコイツの胸まで移動して、義手で傷口をこじ開ける。あなたは開いた傷口に爆裂矢を放って吹っ飛ばして」

『んー、ま、そんなことだろうと思ったけどね』


 シルフィードはわかってたように言ってくる。敵を殺すのに複雑な作戦は必要ない。少なくとも、朱里とシルフィードは小賢しい策を弄するタイプではない。シルフィは朱里の提案に同意して、ドラゴンの注意を引くために弓を引く。


『当たらないように注意するけど、風で流されちゃうかも』

「構わないわ。どうせ当たらないし」

『それはバカにされてるのかな?』

「信頼してるってこと」


 通信を行いながら、朱里はドラゴンの身体をクライミングする。ほぼ義手頼りの不安定な竜登りだった。

 とはいえ、仮に落ちても地面への衝撃はコンバットスーツが抑え込んでくれる。気にするべきは転落ではなく、ドラゴンの火炎弾と対表面による圧殺だ。潰されれば朱里はサンドイッチにすらなれず、判別不能な挽肉だけが遺される。

 どうせ死ぬなら、五体満足で死にたかった。既に右眼と右腕を喪っているので叶わない望みだが、それでも朱里は死なないことを選択する。借りは返さなければいけないからだ。


「ッ!」


 振動が朱里を襲う。戦闘機など目じゃない速度で奔る巨体から放たれる揺れは、朱里の芯を揺さぶってくる。ドラゴンは意図していないだろうが、朱里にかなりのダメージを与えていた。コンバットスーツを身にまとっていなければ確実に失神していた。

 そのことを幸運に思いながらも、スーツの発案者は社長なので、朱里は素直に喜べない。余計な考えを頭の隅へと追いやって、朱里は胴を這っていく。


『朱里ちゃん!』

「ばれたか」


 シルフィの通信と呼応して、朱里はドラゴンの視線に勘付いた。ドラゴンは腹にこびりつく害虫を睨み、どう料理しようか考えあぐねている。流石に火炎放射を自分の身体にぶち当てることはしないが、代わりに今度は意識的に体を振るい始めた。いくらコンバットスーツの衝撃吸収能力が高くても、永遠に耐え続けることは不可能だ。

 ピンチに陥った朱里だが、怪物の危機を救う妖精がビルの屋上に立っている。


『援護の一撃!』


 ふざけた名称を付けられた矢はドラゴンの口の中へと迸り、口内で爆発してみせた。大怪我こそ負ってないものの、無視できないレベルのダメージだったようだ。ドラゴンの狙いはシルフィードへと切り替わる。

 ドラゴンの知能が低くて助かった、と安堵する朱里だが、次は妖精が窮地に立たされた。朱里から援護はできない。できるのはクライミングだけなので、朱里は必死によじ登っていく。


『急いでくれない!?』

「これが全力よ!!」


 文句を飛ばしながら、朱里は歯を食いしばる。後少しと言ったところだが、ドラゴンが手と足を赤ん坊めいて暴れさせて妨害してきた。金属音がして、ドラゴンの爪が義手を引っ掻く。落ちそうになった朱里は、一か八かアンカーショットを発動させた。狙いは傷口。一瞬空中に浮かんで、時が停止したように感じる。

 だが、あの時とは違い、すぐ時間は動き始めた。傷口へと引っ掛かったアンカーショットが引き寄せられる。

 無事ドラゴンに着地した朱里は、傷口を開く作業へと取り掛かった。義手を傷口にねじ込んで、無理矢理こじ開ける。開腹手術の如く。義手のパワーなら、不可能を可能にできた。血が段々とあふれ出し、朱里の身体を濡らしていく。ドラゴンの血は赤かった。飛行機雲のように、紅いしぶきがドラゴンの後を霧散していく。


「もっとすごいのをプレゼントしてあげる」


 朱里は左手でショットピストルを取り出し、開いた傷口へと突きつけた。二連発の中折れ式ピストルで、傷の中をズタズタにする。先程とは比べ物にならないほどの血が噴き出して、朱里の身体はびしょびしょとなった。

 視界が半分真っ赤に染まり、ちっ、と朱里は舌打ちする。鉄の味がして、朱里は痰を吐き出したい衝動に駆られた。


『ドラゴンの血っておいしい?』

「激マズ。これなら泥水でも啜ってた方がマシだわ」


 左眼は血で見えなくなり、右眼の視界だけが良好だ。ドラゴンは苦しみ喘ぎ、朱里を振り落とそうとデタラメな飛行を始めた。


「うわッ!」

『朱里ちゃん!?』


 義手のパワーを持ってしても、これ以上のしがみ付きは困難だった。振り落とされて、宙を舞う。シルフィードの隣のビルへ朱里は叩き落された。

 屋上をにめり込む勢いで落下して、朱里は息を漏らす。ぐ、と苦悶の声をあげながら右眼でドラゴンを捕捉して、警告音を聞いた。

 

 ――警告、ビーストが攻撃動作に入りました。ハンターは回避行動を行ってください。


 脳裏に響く優しい声の警告通り、ドラゴンは焼け焦げた口を大きく開けて、朱里に炎を吐こうとしていた。放射型か炎球型か? 攻撃の種類はどうでもいい。どちらにしても朱里が取れる回避行動はアンカーショットによる高速移動だけであり、どちらを放たれても無事に回避できるかはわからない。

 またもや可能性だった。朱里が生き延びる可能性と、朱里がバーベキューになる可能性。


「……ッ!」


 しかし、朱里にできるのは自身がおいしく調理されないよう祈りながら、アンカーを飛ばすことだけ。

 だから、朱里はアンカーを飛ばそうとして――アンカーが射出されないことを訝しんだ。

 否、それだけではない。訝しむ時間があったこと自体に驚いた。ほんの一瞬、刹那の出来事だったはず。

 なのに、朱里は生きていて、炎も飛んでこない。……いや、炎を吐き出そうとする動作のまま、巨竜はピタリと停止している。


「ごきげんよう。美しい怪物さん?」

「悪魔か」


 朱里の横に、いつの間にか悪魔少女が立っていた。日本ではロイヤルカラーとされる紫の長髪に、夜空のような漆黒のドレス。

 名前のわからぬ少女は朱里を見下ろして、口元に笑みを湛えている。


「私は契約を交わさないわよ。そんなものいらないから」

「酷いなぁ、朱里。私はかなり優しいセールスマンよ。日本のセールスマンって、指をさして地獄に落とすんでしょ?」


 よくわからないことを言いながら、少女は笑っている。


「さっさと時間を動かしなさい。時間の無駄よ」

「時間を止めているんだから、無駄になんてならないわ。あなた、面白いこと言うのね」


 うふふ、と令嬢のような笑い声を漏らし、少女はドラゴンを見上げた。うわぁ、熱そう。他人事のように言葉を漏らして、


「死んじゃうかもしれないわね。流石の怪物とはいえ。あなたは結局人間で、空に浮かぶのはビーストだから」

「どうかしら。逃げられる可能性も十分あると思うけど?」

「あぁー……そう。そういうことを言えるからこそ、あなたは他人と違って輝いて見える。あなたは可能性を、自分を高める方向へ考えることができるから。希望と絶望、二つのルートを、迷いなく選び取ることができるから。可能性で人を殺しちゃう醜い人間とは違って、あなたはとっても美しい。でもね、あなたは一つ失念している。人はね――」


 不穏な笑みを浮かべた少女を、朱里は怪訝な顔で見る。と、少女が僅かに退いて、その後ろ、隣接するビルで驚愕の表情を浮かべるシルフィードが目を入った。

 瞬間、朱里は全てを理解する。まさかあなた、と目を見開いて、問い質す。


「そのまさかよ、朱里。人は可能性に苛まれる生物。さて、ここで問題です。トモダチが死ぬかもしれない危機的状況の時――トモダチを大切に想う風の妖精は、どんな決断を下すでしょうか?」

「――止せッ!」

「あら、トモダチを信用しないの? 酷い子ね、朱里。うふふふ」


 少女は瞬間移動して、弓を力なく構えるシルフィードの横へと降り立つ。やぁ、シルフィード。少女はご機嫌にシルフィードを勧誘し始める。


「くそッ!」


 朱里は身体を動かそうとしたが、身体は固まったように動かない。これも少女の手品なのか定かではないが、今はどうでもいい。朱里の頭はシルフィードのことでいっぱいだった。

 シルフィードを朱里は信頼している。信頼しているから、彼女をよく知っているからこそ――危険だとわかっている。

 トモダチに安息を与えるためなら、自分の心がどうなっても構わない。そんな思考をする優し過ぎる少女だ。

 自分よりもずっと懐が広く、心も広い。聖人君子の類なのだ。自分のように血塗れていない、心が綺麗な少女なのだ。

 朱里は声を張り上げる。私のことを信じて! 喉が張り裂ける勢いで、相棒に呼び掛ける。


「シルフィ! そいつの言うことを聞かないで! 私のことを信じて! 私なら大丈夫! 絶対生還してみせる!」

「――と、あの子は言ってるけど、どうする? 私と契約する? あなたは私の正体を把握しているわよね。私と契約を結べばどうなるかも知っている。立場は公平。さぁ、シルフィード。トモダチ想いの怪物よ、あなたの選択は如何に?」

「……私は」


 シルフィードが朱里を見る。朱里もシルフィードを見ている。

 朱里は手を伸ばすが、届かない。右手には義手が装着されているのに、あまりにも遠すぎた。

 なぜだ、なぜ届かない。朱里は歯噛みする。なぜ私の手は――声は――。


「私は、あなたと契約を交わす」


 ――どうあっても絶対に、大切な人に届かないのだろう。


「うふふ、そう。例えトモダチを裏切ることになってもトモダチを守る。あなたの怪物は美しい。きっとその心にふさわしい怪物へと変わるでしょう」


 シルフィードがうっ、と呻きながらよろめいて、苦痛の表情になる。


「シルフィード!」

「心配しなくても大丈夫よ、朱里。彼女はちゃんと怪物になるわ」

「ああ、ああアああアアッ!」


 グリーンカラーのコンバットスーツの背面から、突然何かが盛り上がる。それは羽のような形となって、スーツの背部を突き破った。抜け殻から脱したセミのように、新たに生えたシルフィードの身体の一部が明らかとなる。

 それは、羽だった。四枚羽の、妖精のような、羽だった。


「シル……フィ……」


 朱里の前で、シルフィードは堕落。朱里を確実に救うために、朱里の気持ちを裏切った。


「ごめんね、朱里ちゃん……。私、トモダチ失格だ」


 シルフィードが悲しそうに言う。そんな言葉を聞きたくなかった朱里は咄嗟に耳を塞ごうとするが、腕が言う事を聞かない。あの時と同じだった。腕と瞳を、身体の大切な一部を失った時と。自分の言いたいことは言えず、聞きたくない言葉を聞かされる。


「でも、安心して。あなたのことは私が守るから」


 シルフィードは魔獣や悪魔と同じように物理法則を無視した手品を使い、両手に弓矢を呼び出した。漆黒の弓に黒き矢をつがえて、弓を引く。

 時間が動き出し、黒矢がドラゴンへと一閃。火炎攻撃を行おうとしていたドラゴンは、たった一撃の矢に心臓を穿たれて、瞬く間に絶命。

 亡骸となった巨竜は朱里の倒れるビルを通り越し、轟音と共に轟沈した。


「おっと、高宮朱里。よく見たらあなたすごく汚いわね。戦装束にはふさわしくないわ」


 血だらけの朱里を見て、悪魔少女が感想を漏らす。朱里はドラゴンがまき散らす血をたくさん浴びて、真っ赤に染まり切っていた。

 少女は指をぱちんと鳴らし、手品師のように物理を歪める音を響かせる。音が聞こえた瞬間、朱里に付着した血が全てなかったことになった。


「お前!」


 朱里は怒りを隠そうともせずショットガンを少女へと撃った。ヴィネの銃器はとても賢い。黒い少女をきちんと“撃っていいもの”として認識している。

 だが、少女はまたテレポーテーションをし、シルフィードのいるビルへと転移した。


「残念だけど、私は傍観者ギャラリー。これから始まる、愉しい見世物を見物するただの客。手出しは厳禁」

「ふざけるな! よくもシルフィを――」

「そのトモダチが何か言いたそうだけど」

「朱里ちゃん……」


 シルフィードから声を掛けられて、朱里は彼女へと目線を向ける。

 そして、朱里は彼女が欲望に支配されていることを知った。シルフィードは友達を大切にしたがっている。

 友達を殺害するという救済をしたくて、うずうずしている。


「今楽にしてあげるよ。天国に逝かせてあげる」

「シルフィ! 矛盾しているわ! 気付かないの!!」

「あら、気付いているわよ? 気付いた上で間違うの。人間っていつもそうでしょ? 何が原因かわかっているのに、その問題の根本を解決しようとしない。気付いたまま放置する。だから、今のシルフィードに何を言っても無駄。それともあなたは、正義の味方のつもりかしら。さっき、男の子にヒーローと間違われて随分喜んでたみたいだけど――あなたは結局、怪物でしかないんでしょ?」


 少女の言う通り、朱里は正義の味方ではなく、魔獣を狩る狩人でしかない。敵を殺すしか能のない怪物だ。

 今朱里がするべきことは、何の躊躇いもなく、同情心を捨て去って、早急にシルフィードを殺すことだ。なのに、頭は余計なことばかり考える。心は不必要なことばかり騒ぐ。

 シルフィを救え! シルフィを殺せ! 救え殺せ殺せ救え――!


「く、くそ……」


 朱里は表情こそ苦心の様子だが、手元の散弾銃はしっかりとシルフィードへ狙いをつけている。心と身体は別物。他ならぬ自分に、最低最悪な事実を突きつけられる。

 ヴィネの銃は頭が良い。きちんと敵を敵と認識している。朱里を救うために悪魔へと身を堕とした存在を、殺すべき対象としてロックは解除されていた。

 全てが自分に都合悪く運んでいる。誰が悪い? 何がいけなかった? 朱里はずっと原因を探ってきたが、未だに何が悪かったのかわからない。


「強いて言うなら――あなたが怪物だったことが元凶ね」


 悪魔は笑みを浮かべて言う。シルフィードも、自分の欲望を満たせる期待で笑顔となっている。ここでは誰もかれもが笑う。朱里も笑うことを覚えたが、今の状況では笑う気になれない。

 それでも、狂気は朱里を包む。当人の意志に関係なく巻き込んでいく。


「――じゃあ、第三回戦、始めましょう?」


 シルフィードがそわそわしながら、以前つけられなかった決着の再開を促してくる。

 朱里は嫌がりながらも、銃を構えて友達を迎え撃つ。

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