第14話 風の妖精

「どこ……ここ」


 呆然と呟く。暗い闇の中で。

 だが、誰も答えない。ここには自分しかいなかった。右眼と右腕を喪失し、家族すらも奪われた、哀れで無力な朱里しか。


「とうとう死んだ?」


 疑問系で声を放つが、当然誰も答えない……と思われたが、くすくすと響き渡る笑い声で、朱里はハッとさせられた。


「誰? 何者?」


 闇の空に向けて訊ねる。ひとしきり笑った後、声の主は応えた。


「私はいつでもあなたを見ているわ。あなたがとても綺麗だから。とても、犯しがいがあるから」

「脅迫? それとも警告? 一体何の用なの」

「さっきまで死んだか不安に怯えていた少女のセリフではないわね。負けん気が強く、屈服しているようで全然抑えられていない。あの男はあなたを支配しているつもりでいるけど、あなたは支配される気が微塵もない。恐ろしい怪物。美しい花ほどトゲを持つというけれど、あなたは花弁に毒を仕込んでいる」


 雄弁に少女の声は語り、朱里は誰かに見られる気配を感じている。不思議と悪寒はない。むしろ心地いい視線だからこそ、朱里は嫌悪感を拭えない。

 気持ちのいいことは、大抵忌むべき事柄だ。特に怪物と形容される自分にとっては。


「あなたは悪魔?」

「だとしたらどうするの? 銃で撃ち殺してみせる? シェミハザを倒したあなたなら、余裕でできるかもしれないわね。だから私たちはあなたに執着するの。あなたの精神がとても強いから。仲間が死んでも、家族が奪われても、あなたの心は修復される。無限の再生力を持った、怪物だから」

「悪魔なんて非実在がこの世に存在する?」


 暗闇の中で朱里は質問ばかりを繰り返す。相手はにこにこと笑って、朱里の問いかけに回答する。


「するかもしれないし、しないかもしれない。可能性というのはえらく厄介な代物よ。かもしれないは、人の行動を抑制する。だから、人は可能性を消すことに命を懸ける。とても、弱い、脆弱な生き物だから。何かあるかもしれないと考えるだけで、それがさも有り得るとして行動する。だから生き残ってきたけど、同時に弱点ともなった。人は可能性があるだけで、他人を殺せる化け物だから」

「悪魔だったらそうではないと?」

「もちろん。だって悪魔は強いもの。人間なんて比べ物にならないくらいには。悪魔が本気を出せば、人間は一日足らずに全滅する。はーい、先生、質問でーす。だったら、何で全滅させないんですかぁ?」


 おどけながら少女は語る。朱里は眉を顰めながらも、話に耳を傾けた。


「そんなことしたら、楽しみがなくなっちゃうでしょう? 人を堕落させるのが面白いのに、全滅させたら興ざめもいいところ。脅威とは、悪魔にとって娯楽なの。可能性とは、悪魔にとって愉悦なのよ。自分が負けるかもしれないという可能性をあえて作って愉しむの。強いってのも存外辛いものなのよ? だって、何をしても勝っちゃうんだもの。あなただって、今のところ大して苦戦せずに退屈してるんじゃないの?」

「私は――確かに、退屈ではあるわね」


 どうせ全て見破られてると思って、朱里は正直に白状した。

 シェミハザと戦って復讐した時は愉しかったが、サイクロプスとの戦いはあまり楽しいとはいえなかった。巨人にトドメを刺した時は胸が躍ったが、もうちょっと歯ごたえのある敵でいて欲しかったというのが本音だ。


「あなたは強敵を望んでいる。自分が殺されちゃうくらいの丁度よい相手を。死の恐怖に直面し、心臓がばくばくと高鳴って、可能性に恐れを抱く。そして、高揚するがまま敵の息の根を止めて、脳内から溢れ出る快楽物質に溺れるの。愉しいことって、イイコトよね。気持ちがいいって、スバラシイコトよね」

「ええ、わかるわ。強敵に打ち勝った時が一番愉しい」

「だったら私と契約を――」

「交わすわけないでしょう? そんなのは一番つまらない」

「ふふふ。だからこそあなたは美しい。相手の心が屈強であるほど、私の心は高鳴るわ。高宮朱里。あなたはずっと綺麗なままでいて。私に犯されないで。ずっと、私を愉しませて」

「……」


 黙した朱里はホルスターに拳銃が入っていることに気が付いた。天井に向けて銃を構えて、悪魔の言葉に応える。


「それはとても癪よ」


 銃声がこだまし、少女の笑い声が拡散する。

 暗闇が割れて、光が世界を包み込む。



 ※※※



 まず聞こえてきたのはがさごそと何かを漁る音だ。

 次に、袋を開けた音。思い当たるのは部屋に買い置きしておいたスナック菓子だ。

 右眼が何かを検知したので、朱里はうっすらと目を開く。ベッドの上から室内を見渡して、勝手に人の部屋のおやつを食べている少女が目に入った。


「――あなた、何者?」


 この程度は日常茶飯事なので、朱里は平然とした口調で問う。


「あなたのオトモダチ」


 初対面である茶色い髪の、外国人らしき少女が当然の如く言う。朱里に面識はないが、少女は朱里のことを知っているようだ。


「あなたなんて知らないけど」

「しかし私はあなたを知っている」

「質問の答えになっていない」

「答えに意味があることなど、この世に存在するのだろうか」


 取りつく島もない回答をして、少女はにっと笑う。朱里が普段着るのと同じミリタリーウェアを着込む彼女は、おもむろに立ち上がり、ベッドに腰を下ろした。


「私はシルフィード。本日付でPHC日本支社に配属となったハンターよ」

「そんなお方が私に何のご用でしょうか」

「つれないね。まるでチャーチみたい。あなたは私のバディとなるのよ」

「バディ」

「そうバディ」


 シルフィードは微笑む。疑いたくなるほどのミステリアスな笑みをみせて。

 ここでは誰もが笑っている。恐怖に打ち勝つために、笑っている。朱里は信用できないその笑みを受け流し、彼女の言葉の意味を考えた。バディ。相棒という意味の語。


「チームを組めというの」

「そういう命令だからね。だから、あなたはオトモダチ」

「仲間ではなくて?」

「そう――仲間ではない」


 発言が引っかかる。

 だがそれでも朱里は頷いて、わかったわと了承した。ここで考えあぐねても仕方ない。命令には抗えない――少なくとも当面は。


「リムちゃんの代わり」

「リムちゃん?」


 聞き覚えのない名前に朱里が問い返すと、シルフィードはネフィリムのことよ、と応えた。


「トモダチならあだ名をつけなくちゃ。私のことはシルフィでいいわよ。アカちゃん?」

「……その呼び名は止めて。癇に障る」

「じゃあ、リンちゃん?」

「それも癪」

「だったらアカリンとか――」

「普通に読んで。朱里。ちゃん付けでも君付けでもさん付けでも様付けでも構わないから、名前で呼んで」

「じゃあ、朱里ちゃん」


 シルフィードは満足してスナックを頬張り始める。寝間着の半そで姿だった朱里は洗面所へ赴き、着替えを始めた。

 気にしなくていいのに、とシルフィードは言うが、そうはいかない事情がある。小城が死んだ今、全面的に信頼できる仲間は、朱里の周囲にいなかった。誰かしら裏の顔を持っている。


「携帯、鳴ってるよ」

「なに……」


 着替えを済ました朱里の耳に、シルフィの呼びかけが聞こえてきた。

 謎のメール相手の間の悪さを恨みながら、朱里は洗面所を出て携帯を取る。待ち受けの家族写真からメール本文へと移動して、その内容を一瞬で読み取った。


『トモダチは大切にしろ』

「果せのままに」


 皮肉をこぼして、待ち受けへと戻る。が、シルフィードは画面を盗み見ていたらしい。

 ふーんとベッドの上にスナックをぼろぼろこぼす彼女は鼻を鳴らし、


「家族が好きなのね」

「……ええ」


 事実なので、頷く。シルフィードは興味深く家族の画像を見つめ、


「これがパパでこれがママ。朱里ちゃんはファザコン、マザコン?」

「どっちでもないわ」

「じゃあ、ブラコン?」


 弟を指して訊いてきたシルフィに朱里は一度言葉に詰まる。

 クラスメイトに二、三回、そうからかわれたことがあった。朱里は本当に弟君が大好きよね、と。両親にまでそんなことを言われていたのだから、もしかするとブラザーコンプレックスの気があるのかもしれない。

 だが、そのような個人情報をシルフィードに渡す気がなかった朱里は、そんなことないわ、と淡泊に否定した。


「ふーん。まぁファミコンであることは確かよね」

「ファミコン?」

「知らないの? 大昔に流行ったじゃない」


 ファミリーコンプレックスなどという単語があるかと疑った朱里は、右眼の語った説明に呆れる。


「ファミリーコンピューター?」

「そうそう。現物、見たことないけど」

「家族の話はどうしたの」

「もっと訊いて欲しかった? なら訊いてあげよっか」


 いいえ、結構よ、と朱里は断った。

 シルフィードとの会話は疲れる。お喋り好きなクラスメイトと会話している時を思い出す。話が脱線しても止まらないタイプ。自分の好きなことを飽きるまで語るので、よほどの聞き上手じゃなければ退屈してしまう類だ。


「家庭用ゲーム機ってやったことある?」

「弟と少しだけ。最新ゲーム機は触ったことがないけど」

「次世代機って奴? いや、もう今世代機か」

「言われてもわからないわ。ゲームは趣味じゃないから」

「弟と遊ぶことが朱里ちゃんの趣味だもんね?」

「……ご想像にお任せするわ」


 日常めいた何かに触れて、朱里はどっと気疲れした。時計を見ると時刻は八時を過ぎたところだ。そろそろ朝食を摂ろう、と朱里は配達注文をしようとする。

 だが、その手は遮られた。邪魔をしたシルフィは満面の笑みを浮かべて、私が奢ろうか? などと提案してくる。


「腕のいいシェフがいるって聞いてるわ。日本食に興味があるの」

「自分の部屋で勝手に食べればいい」

「酷いわ、朱里ちゃん。私のメンタルは傷付いた」


 ウソ泣きのしぐさをして、シルフィは朱里をからかってきた。怒るのも疲れるし、部屋に居座られても困る。観念した朱里はじゃあ、食堂に行きましょう、と思惑に乗ってやることにした。


「本当? 朱里ちゃん、ウソつかない?」

「これ以上もたついたら殺すわよ」

「うわーい、朱里ちゃんの奢りだぁ」


 いつの間にか朱里が奢ることになっていたが、朱里は面倒くさがって反論しなかった。ふと、しょうもない想いが巡る。――以前の自分なら、どう受け答えしたんだろう。



 シルフィードは前々から食べたいと思っていたらしい寿司を注文し、朱里はラーメンを頼んだ。

 おや、今日も来たんですかなどとウヴァルは上機嫌で応対し、テーブル席へ料理を運んでくる。


「朱里さんはぼっちではなくなりました」

「へえ、朱里ちゃんはぼっちだったんだ?」


 にやにや笑いながら、頬杖をついて朱里を見つめてくるシルフィ。朱里はその好奇心旺盛な視線を無視し、ラーメンを勢いよく啜り始めた。シルフィも寿司を食べ出すが、食事の仕方は箸を寿司に突き刺して食べるという蛮族極まりないものだったため、朱里は麺を啜るのを止めて、無知な外国人である彼女にレクチャーを始めた。


「そうじゃない。挟んで、掴むの」

「……ジャパニーズハシは面倒だね」


 面倒そうにシルフィは言う。朱里は席を立って、彼女の横へと立ち、箸の持ち方を教えてあげる。シルフィは四苦八苦していたが、悪戦苦闘の末何とか物を掴むことはできるようになった。


「うむ、うまい。ここのシェフは料理上手だね」

「お褒めに与り光栄です。どの食材をどのように組み合わせればいいか視えるのでね。作り方さえわかれば、簡単です」

「今流行りの共感覚性って奴かな」


 ちゃんとわさびが抜いてあるまぐろをシルフィは口の中へ放り込む。


「それ流行っているの?」

「さあ、知らない。適当に言ったから」


 シルフィは赤身ばかりを食べている。ウヴァル曰く、彼女が赤身が好きだというの前々からわかっていた、らしい。

 思えば、ウヴァルの料理をまずいと思ったことは一度もない。彼女は的確な予測で朱里の好物を的中させ、栄養バランスを考慮した料理を配達していた。

 不思議だ。PHCの謎の一つ。よもや好物のデータすら抜き取られているのではないか、などと朱里は勘ぐってしまう。


「神妙な顔をしていますね」

「あなたの料理がまずいということじゃないわよ」


 思考を中断した朱里がスープを含んで応える。当然です、とウヴァルは慎ましい胸を張り、


「私の料理をまずいなんて言った暁には、明日の具材としておいしく調理しちゃいますからね。それが嫌なら例えまずくてもおいしいと言うんです。まぁ、私の料理は常人には到底辿りつけないレベルですけどね」


 なははは、と軽快に笑うウヴァルは、仕事がありますので、と言って厨房へと戻っていった。


「今のは朱里ちゃんのトモダチ?」

「いえ、顔見知り」

「どうしてトモダチにならないの?」


 朱里はラーメンを食べ終えて、箸をおく。


「信用できない人間とはトモダチにならないようにしているの」

「じゃあ、私もまだトモダチと認められていないわけだ」

「その通り」


 じゃあ、と皿を空にしたシルフィは立ち上がり、


「ちゃんとしたトモダチになるために、ゲームをしましょうか」


 怪しげな笑みを湛えて、朱里を誘ってくる。



 シルフィが発注した狩猟の内容は、ケルベロスの集合体を討伐せよという旨のものだった。

 狩場は地盤沈下の恐れがあるビル街。日本支部の有する狩場の中で、最も都会的なフィールドだ。

 彩月は室内戦が予想されます、と警告していた。初めて戦うちゃんとしたケルベロスは、高層ビルの中に潜んでいるらしい。


『地雷設置上限数は一人当たり三個まで。設置位置も、こちらが許可する場所へ限定されます。理由はバカじゃないからわかりますよね』

「ビルを倒壊させないためでしょ。地雷なんて使わないわよ」


 罠を設置する狩猟は効率的だが、愉しくないという問題がある。それを問題視するかは、狩人次第といったところだが。


「あら、私は地雷バンバン使うけどね」


 シルフィが口を挟む。朱里は反射的に、


「チキンね」


 と悪口を言い、失敬な、とシルフィが怒ってみせた。


「私は妖精さんよ。羽が生えて、自由気ままに飛び回る、カワイイカワイイ妖精さん」

「魔物の類ね」

「酷いね朱里ちゃんは」


 シルフィは弓の弦の張り具合を確かめて、矢筒の矢を分類分けしていく。シルフィードの使う矢は全部で三種類ある。基本的な矢である通常矢と、爆発する爆弾矢、麻痺毒が付与された麻痺矢だ。他にも猛毒矢や誘導矢など存在するが、今回の狩りは競争なので、不相応な矢は持ってきていない。

 朱里はいつもの怪物の名を持つ散弾銃と、憤怒と呼ばれる五十口径ピストルだ。ショットピストルと、念のためカットスロウトも突っ込んである。小城の剣は装備しない。ナイフで事足りるからだ。


「ねえねえサッちゃんは彼氏とかいるの?」

『サッちゃんなんて馴れ馴れしく呼ばないでください。私はオペレーター。ハンターとの私語は厳禁です』

「いないからって怒らなくていいのに」


 シルフィは彩月とトモダチになろうと会話している。その行為が奇妙に見えて、朱里はまじまじとシルフィの顔を見てしまう。視線に気づいたシルフィはひらひらと手を振ったが、ますます朱里の疑問を深めるばかりだ。PHCほど仲間や友達という言葉が無縁な場所はない。そのようなところで友達作りなどバカバカしい愚行だ。

 なのに、シルフィードは友達になろうと手を伸ばしてくる。彼女の目的は一体何だ? 朱里の疑念は尽きない。

 しかし、朱里の疑問を解消する間もなく、狩りは始まる。


「お先に」


 という言葉と笑みを残して、シルフィは降下した。朱里もその後に続いて飛び降りる。もう慣れっこなものだ。

 降下先では、シルフィが何やら端末で戦術支援を要請していた。パッケージが空輸され、空から降ってくる。朱里が巨大なビルを右眼とドローンを使ってスキャンしている横で、彼女は投下されたパッケージを開き、中に入っていた背部ユニットを装着し始めた。


「何をしているの」

「変身中よ。ジャパニーズアニメでは、変身中の攻撃はご法度なんでしょ?」


 男児女児問わず、子供向けアニメは弟の影響もあって見たことがある。朱里が索敵している間にシルフィは変身完了し、機械音声でフライトユニットがどうこう聞こえてきた。


「フライトユニット?」

「そう。言ったでしょ? 私は風の妖精シルフィードだって」


 くすりと笑って、四枚羽の翼を手に入れたシルフィが飛翔する。高く跳び上がった彼女は、空の上から競争しましょう! と元気よく投げかけてきた。


「競争だって!?」


 朱里も大声で言い返す。シルフィはそうよ! と答え、どっちが早く獲物を狩れるか勝負! と不敵な笑みをみせてくる。

 ふざけるなという想いが巡ると同時に、面白そうという相反する気持ちが湧き起こる。朱里は申し出を受けて、怪物と妖精の戦いが幕を開ける。


「じゃあ、お先!」

「ちょっと卑怯よ」


 文句を漏らしながらも、朱里は笑みを浮かべている。

 シルフィはビルの周辺を飛び回り、目視でケルベロスを探していた。支援子機の類は未使用だ。フライトユニットの値段が高いせいだ、と朱里は推測した。


『朱里ちゃん、勝ったら私のトモダチになってよ』

「……きちんとどっちが勝った時の話なのか明言して」

『わーつれない。騙されて本気になって、全力で私のトモダチに成りに行く朱里ちゃんが見たかったのに』

「心配無用よ。私が勝つから。私が勝ったらあなたを奴隷にしてやる」

『きゃー怖いよう』


 けらけらという笑い声が無線越しに響く。我ながらなんてバカな会話だろうと朱里は思う。

 しかし、久方ぶりに人とまともに会話した気がしていた。ここまでバカげた話をできる人間はそうそういない。状況が状況でなければ、無条件に朱里はシルフィと友達になっただろう。

 だが、狩猟に予断は許されない。彼女が朱里を罠にはめようとしている可能性は十分ある。悪魔らしき少女の言葉が脳裏をよぎる。――人間は可能性で他人を殺せる化け物――。


『朱里ちゃん。雑魚がわんさかいるみたいよ』


 ビルの階段を駆け上がっていた朱里は、シルフィの予告通りケルベロスの分離体と鉢合わせた。銃を抜くことなく拳で黙らせる。気分がいい。朱里は殴殺した分離体の脇を駆け抜ける。


『朱里ちゃんってさ、脳筋だよね』

「突然なに」

『知らない? 戦術を組み立てず、力技で敵をのしちゃう人を指す言葉』

「敵の倒し方は頭の中で組み上がっているわ」


 そう話す今も、朱里は分離体の首を義手で握り折った。一体ではなく二体いたので、流石に銃を使わざるを得ない。朱里は縛りプレイなどしておらず、シルフィードとの競争の真っ最中なのだ。


『わぁ、自然にそういうこと言えるんだ。朱里ちゃんってナルシシスト?』

「自分のことを客観的に評価できるだけ」


 人によっては嫌味にも取れる朱里の発言を、しかしシルフィードは面白がる。


『世間ならいざ知らず、PHCでは生き残れる者のセリフなわけだ』

「極限状態に近づくほど、当人の持つ資質が試される。嫌というほど学んでいるから」


 再び敵と鉢合わせ、朱里はショットガンで分離体をズタズタにする。既に十五階だが、コンバットスーツの身体能力サポートで全く疲れは感じない。階段を登ろうとした朱里だが、外部からの爆発によって塞がれた。


『ちょっとしたサプライズ。知っての通り私は気まぐれで、イタズラ好きなの』

「くそ妖精」


 シルフィードが爆裂矢で階段を吹き飛ばしたのだ。爆風の晴れた先に現れた彼女は、イタズラっこの笑みを向けて手を振っている。

 朱里は舌打ちして、通路へと躍り出た。ここにも分離体はうじゃうじゃいる。ショットガンで殲滅しながら先へと進み、エレベーターへと辿りついた。


『どうするの?』


 窓の外から様子を窺っているシルフィが問い、


「こうするの」


 と朱里が扉を義手でこじ開ける。ふっと息を漏らしながらエレベーターシャフトに侵入し、クライミングを開始した。わーすごい朱里ちゃん! と拍手混じりの歓声がイヤーモニターから聞こえてくるが、


「戯れは終いにしないと、私に獲物を奪われるわよ?」


 という朱里の余裕な言葉を聞いて、いよいよシルフィを本気になる。


『さぁさぁ炙り出しー。五月雨撃ちー!』


 シルフィードの無線と共に、ビルが轟音を立てて振動し始めた。彩月が慌てて無線を飛ばす。


『止めて! ビルが崩壊する危険があります! 倒れたらお仕置きされちゃう!!』

『じゃあ、私とトモダチになってくれる?』

『なります! 何でもしますから止めてぇ!!』


 彩月が喚いているが、朱里は無視してシャフトを昇る。

 が、急に頭上から異音が鳴り響いて天井へ目を向けると、上階に停止していたエレベーターの固定具が千切れ、朱里へと落下してきた。朱里はドアを右手で殴り開け、シャフトから退避する。体勢を整えて、シルフィへの文句を無線に乗せた。


「死にかけたんだけど」

『あはは。スリル満点だったでしょ』

「死ね」


 などと最悪な気分だった朱里だが、狩猟対象を通路の先に見つけて笑みを作る。ショットガンを構えて三つの頭を持つ魔獣を追いかけだして、


「獲物発見。どうやら私の勝ちのようね」

「それはどうかな!」


 ガラスを突き破ってシルフィードが内部へ侵入してきた。朱里の横を抜き去って、矢をケルベロスに向けて放つ。外れる。だが、ケルベロスはシルフィへと狙いを付けた。

 シルフィードが狙われるということは、同じ廊下に立つ朱里も狙われるということになる。


「うわわッ!」


 と焦るシルフィだが、彼女の腕は精確に弓の狙いを定めている。迫ってくるケルベロスへと、朱里もショットガンを構えた。

 迸る矢と穿たれる散弾。疾走するケルベロスの両脇の顔は刺し抉れ、真ん中の顔が悲痛な叫びを上げる。

 だが、ケルベロスは止まらない。猪突猛進の勢いで突進してくる。朱里より前を飛んでいたシルフィが回避のため脇の通路への移動を余儀なくされ、朱里は逃げ場がなく立ち尽くしているのみ。


『朱里ちゃん?』


 シルフィが疑問系で問いかけるが、


「言ったでしょう――? 倒し方は組み上がっていると」


 自信満々な笑みで、朱里は散弾銃を右腕ごとケルベロスの口の中へ突っ込んだ。

 引き金を引く。散弾が発射される。巨大な犬の臓器がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。体表のあちこちから散弾が飛び出し、グロテスクなカタチへと変貌する。怪物モンストルの名を持つ散弾銃は、魔獣を狩って有り余る。しかし、死体となったケルベロスの勢いは止まらない。


「……ッ」


 後方を確認し、朱里は焦った表情となった。このままではビルから叩き落される。コンバットスーツの衝撃吸収力ならばこれぐらいの高さではびくともしないが、魔獣の死体に潰されて無事で済むとは思えなかった。


「く――」


 朱里はなす術もなく、窓からケルベロスと共に落下していく。どうやって脱出しようか頭を回す。しかし、狩りの方法は思いついても、転落から逃れる術を思いつかない。

 いや、潰される前に着地地点から飛びのけばいいのだが、上手くいくかはわからない。できなくはないが、できないかもしれないという可能性があった。


「くそッ」


 また可能性に苛まれている。悪魔の手の上で踊っている気がした。しかし、朱里の力ではどうにもならない。

 だが、風の妖精ならどうにかできる。


「あははッ!」


 シルフィはケルベロスの口から右腕を抜き取った朱里を捕まえて、重力に引かれるケルベロスから離れた。ぐしゃり、と肉が潰れる音がして、死体はますますグロテスクな姿となった。シルフィードは笑みを絶やさずビルの屋上まで飛び上がり、ヘリポートへと着地する。


「これは一つ貸しね」

「でも勝負には私が勝った」

「負けず嫌い?」

「ええそうよ。負けるのは大っ嫌い」


 命の恩人であるシルフィに負けじと朱里は言い返す。助けられなくても生存確率はゼロではなかったのだから、シルフィードに恩義を感じる必要はない。

 ちぇーと漏らすシルフィに、朱里は頑固として譲らない。本質的に朱里は負けず嫌いなのだ。朱里が負ける時は、弟が不満げな顔をした時だけだ。


「まぁ、お菓子食べたし、ごはんも奢ってもらったし、この件はチャラにしてあげる。でもさ、私も負けず嫌いなんだよね。一番じゃないとやだやだーっていう我儘ちゃん」

「自覚あるなら治せば?」

「それはお互い様でしょ」


 全く以てその通り。だから朱里はシルフィードから目を離し、何でこんなことに、と悲観に暮れている彩月に回収を要請した。

 だが、気配を感じて飛びのいた。朱里がいた場所へ着弾。

 銃撃の主は考えるまでもない。


「どういうつもり?」

「戦うつもり。一回戦は私の負け。だから――」


 シルフィードは心底愉しそうに笑って、こう言った。


「――第二回戦を始めましょう」

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