第4話 ウエポンセレクト
幼い頃、朱里はよく弟と遊んでいた。学校の友達よりも弟と遊んだ回数の方が多かったと思うほど、弟を溺愛していた。ヒーローごっこにだって興じたし、虫捕りだってへっちゃらだった。泥だらけで仲良く帰ってくることもままあった。
ただ、そんな彼女が珍しく弟に怒ったことがある。弟が行っていたある遊びが原因だ。
「章久!!」
公園の隅に座り込む章久へ朱里が怒鳴ると、きょとんとした顔でこちらを見上げてきた。なぜ怒られているのかわからない顔だ。幼い弟は無邪気なのだ。だから平気で残酷なことを行える。
弟は、アリ同士を掴んで戦わせていた。鋭い歯を持つ大きな黒アリは指でつまんでもう一方のアリに近づけると、無我夢中で噛み合うのだ。
戦いが終わり、敗北した瀕死状態のアリは投げ捨てられて、勝者は新しい敵と戦わせられる。虫遊びの好きな子どもがたまたま思いついた、純粋な殺し合い。
朱里は姉として、そのような遊びは許容できなかった。もっと別の遊び方をさせようと、弟にアリ遊びを止めさせる。
「ダメよ、こんなことしちゃ」
「どうして? ともだちが教えてくれたのに」
弟は不満げだ。せっかく面白い遊びを行っていたのに、いきなり妨害されたからだ。
どうして? と問われた朱里は、自分が思いつくままにダメな理由を教えてあげた。
「ダメだからよ。命は大切なものだから、無闇に殺してはいけないの」
「……うん」
弟は納得していなかったが、それでも姉の言うことには従った。
姉が弟を好いているように、弟も姉が大好きなのだ。朱里と章久は仲の良い姉弟だった。
ありがと、と弟の頭を撫でて、朱里はブランコの方へ弟と共に向かい出す。その途中で、何となく後ろを振り返った。
どうしてダメなのか。朱里はもう一度、幼心で考える。
命を弄ぶことはなぜダメなのか。ダメとは言える。だが、具体的な説明はできない。
(いつか、わかるよね)
背中を押してとせがむ弟に危険だからダメ、と朱里は断った。
いつか、わかるはず。そう思って、いつの間にか考えることを止めていた。
ただダメだから。みんなダメと言っているから。それが常識だから。
そこで思考放棄していた。自分には無縁な考えだと思っていたから。
――しかし今、朱里は中途半端で放置した思考に苛まれている。
「狩れましたよ、私」
帰還して開口一番、心配していた小城に朱里は告げた。
そうか、と彼は考え込むようにして朱里を見下ろしている。瞳に輝くのは同情的な視線。しかし、今の朱里には不要なものだった。
「殺しちゃえばいいんです」
朱里は格納庫を歩きながら言う。自分が編み出した、正確には受け入れた実行方法を。
「襲ってくる敵は殺してしまえばいい。そうすれば、私はお金を稼げて、早くお家に帰れます。逃れようと思ったのは間違いだったんです。無駄な足掻きをせずにさっさと順応してしまえばいい」
「朱里……」
「あなたの気遣いには感謝します。大丈夫です。……シャワーを浴びないと」
「部屋へ案内を」
という小城の提案を朱里は拒否した。
右眼を瞑ってとんとんと指先で叩く。ナビゲートは右眼が勝手に行ってくれる。
誰の助けも必要ない。必要な物は誰も与えてくれない。自分で勝ち取らねばならない。
「汚れを落とさないと。ハハ……汚い汚い」
朱里はコンバットスーツを身に纏ったまま格納庫を後にした。
小城はその背中を心配そうに見つめていた。彼女が獲物を殺せたのは僥倖だ。このくそったれな会社で生き延びるためには、どうあっても敵を殺さねばならない。弱肉強食の世界だ。
しかし、しかしだ。彼女はただの民間人だ。強がっているように見えても内面はただの少女でしかない。
可憐な少女ひとり、自分は救えやしない。無力感が心を包む。小城が茫然と佇んでいると、その背中にネフィリムがぴたりと胸を当て、抱き着いてきた。
「……必要ならば、適切な処置をとりますが」
「いいや、必要ない。朱里を元気づけてやってくれ」
反論を述べることなくネフィリムは歩き出し、朱里の足跡を追い始める。それが彼女の特性だ。どれもこれもどこか狂った調子にできている。
「……くそっ」
吐き捨てなければやっていけなかった。ここにいる狩人は誰もかれもがそうだろう。
※※※
部屋に入った朱里は、スーツを適当に脱げ捨てて、シャワールームへと一目散に向かった。
付着した血が汚いのだ。身体中が紅く染まっているように感じる。命の洗濯が必要だった。
裸になって、シャワーを浴びる。シャンプーを使って頭を洗い、石鹸を使って身体を綺麗にする。
特に念入りに洗ったのは右腕だった。機械の義手。魔獣を殺した右腕。しかし、いくら洗っても汚れは落ちない。
くそ、と毒づきながらも手洗いをする。憑りつかれたようにゴシゴシと。洗って洗って、洗い続ける。
右眼が話す。――特に汚れは見られません。そんなことはないと朱里は手を止めなかった。
「……っ!」
どうやっても落ちない汚れに打ち勝てず、シャワールームに座り込む。
息が荒い。疲れも溜まっている。何より、精神的疲労がひどかった。
鏡に映る自分を見つめる。上から降り注ぐシャワーが顔を濡らしている。
「何で、どうしてッ!!」
左手を鏡に向かって伸ばす。鏡に映る自分は涙を流していた……左眼から。
右眼は涙を流さない。機械には心がないからだ。だから容赦なく生きる物だって殺せる。
いや……違う。戦い方を選択したのは朱里自身だ。殺し方を思いついたのだって朱里だ。
人の皮を被った怪物。それが自分の正体だ。高宮朱里という人間の本性だ。
「あ、あ、ああああああッ!!」
朱里は泣き叫んだ。そうしていないと心が砕け散ってしまいそうだった。
誰もいないシャワールームで、独りきりの個室で、朱里は咽び泣いた。涙が涸れるまで、思うがままに泣き続けた。
思いっきり泣くと、今後の予定を整理できた。まずヴィネから新しい銃を買わねばならない――。そんなことを思いながら、用意された緑色のミリタリーウェアに袖を通した。
何か飲み物でも飲もうとリビングへ入る。ようという呼びかけ。誰も招いていないはずのリビングに来客がいた。
「また会ったな」
「あなたっ!」
朱里に対人用拳銃を買わせた張本人だ。
朱里は反射的にソファーに座る男を殴り飛ばそうとする。が、またもや無断で部屋に入ってきた何者かに抑えられた。
ネフィリムだった。やめてください、アカリ。彼女は朱里の義手を両手で掴んで邪魔をしてくる。
「コイツ――コイツのせいで!」
「ダメです、アカリ! ハンター同士の交戦は規約違反です!」
「そういうこった。ここでは止めとくんだな」
男はにんまりと笑う。ここではどいつもこいつも笑っている。だが、朱里にはどの笑顔もまともには思えない。唯一安心できるのは小城の笑顔だけだが、だからといって彼に依存してても状況は進展しなかった。
「自己紹介がまだだったな。俺は
常場は朱里に握手を求める。朱里が応じるはずもなく、彼女は鼻を鳴らしながらテーブル脇の椅子に座った。
つれないな、と常場。当たり前だろうと目で物を言う朱里。
「無事生きて帰って来れたか」
常場が素知らぬ顔で言う。声を荒げそうになったが、ネフィリムが止めた。
紅茶を朱里の前に差し出す。お気を静めて。そう諫めながら。
「死にかけたけどね」
口調だけは穏やかに、朱里は毒を吐く。しかし、常場は軽く受け流し、
「でも楽しかったろう?」
「何を!」
「ログを閲覧した。ああ、安心しろ。閲覧料はちゃんと振り込んである」
ネフィリムは常場にもコーヒーを手渡し、彼はコーヒーを一口含んだ。うまいと感想を述べながら、無知な朱里に説明を語っていく。
「ハンターの秘儀……狩り方は基本的に非公開だ。だが、金さえ払えばバトルログを閲覧できるようになっている。まぁ、安くはないが」
「……金さえ払えば何でもできる」
「その通りだ。少なくとも、ここでは」
常場はもう一口コーヒーを啜った。朱里も紅茶を飲んでみる。ネフィリムが淹れたお茶はびっくりするほどおいしかった。状況が状況でなければもっとうまかっただろう。
「……すごいな」
「何が」
「お前の中にいる怪物」
常場が言及したのは朱里に潜む正体不明の何か――資質や真価とも言うべき才能だった。
マネーポイントの支給を通告してきたマニュアル人間の彩月は、調子の悪そうな声で一言、すごいと朱里を褒めていた。ネフィリムだって驚いていたから、たぶん通常では有り得ない狩猟結果なのだと朱里も思う。
だが、同時に苦々しい評価でもある。自分が獣殺しを愉しむ狂人だとは思いもよらなかった。
「褒めてるつもり?」
「ああ、褒めてる。お前は強いな。しぶとくもある。ルーキーだからと甘く見てた。対人兵器で獣を殺すとは。しかも初陣で、あんな狩り方で」
「嫌味にしか聞こえないけど」
「ふん、それはお前が自分を嫌っているからだろうよ。俺を嫌っているのも理由の一つだが、一番の理由は、自分をサイコパスか何かだと誤解していることだな」
意外な常場のセリフに、朱里はそれとなく興味を惹かれた。紅茶を啜りながら目で告げる――先を話してくれないか、と。
常場も言う気満々だったようで、饒舌に解説してくれる。とてもわかりやすく、自分と同じ年頃の子どもに説明馴れしているように朱里は感じた。
「まずな、狩りを楽しむ人間は世界で一定人数いる。日本人だとなじみがないが、日本でだって狩りを楽しむ奴はいる。狩りは食料を確保する手段であり、貴族の嗜むスポーツでもあるからな」
「それが、なに。だから私の行為は正常だと?」
「無闇な殺傷を避けること。それ自体は崇高だ。例え動物だって無為に傷付けちゃならない。倫理、道徳的に問題ある行為だからだ。それくらいは学校で習うよな。だが、お前がビーストを殺したことは、無闇な殺傷に含まれない。なぜか? それはビーストが人間を殺すつもりで動いているからだ」
「…………」
考えれば当然だったことで、朱里は反論が思いつかない。魔獣は人に害を与える倒すべき敵なのだ。だから狩ることは当然で、それを忌み嫌う人間こそ愚かしい。少なくとも日本では、動物に対して無意味な攻撃を与えることは好まれない。文字通り、意味のない行為だからだ。暴力を伴うストレス発散は推奨されていない。
元々、狩り自体はスポーツに分類される行いだ。日本ではあまり好ましい行為だとは言えないものの、狩りを楽しむ……楽しめる人間は一定数いるし、生活のために狩りを行う部族も現存する。
それに、人類は昔から――狩りを行ってきた生物だ。野生動物たちと同じように、集団で協力し、強敵を狩ってきた。生きるために。命掛けだったろうし、上機嫌で愉しみながら行ってきた日常だ。ならば、朱里にだってそういう古い素質や才覚が、遺伝子に組み込まれていてもおかしくない。多くの人間が忘れ去ろうとしている狩りの愉悦が、朱里の心奥に仕舞われていた。
常場が言いたいことは、朱里は異常者ではなく正常者である、ということ。つまりは慰めだ。意外すぎる言動に、朱里はまた善からぬ企みをしているのではと勘ぐった。
しかし、常場は朱里の鋭い視線を流す。丁度良かったろ、と目を細めて。
「強力な銃器は高い。ヴィネはケチだからな。さっきの狩りで得た収入と、俺のログ閲覧代金を合わせれば、性能のいい武器が買える。お前の生存確率が上がるってことだ。俺に感謝して欲しいぐらいだが……止めておこう」
コーヒーを飲み終えた常場はソファーから立ち上がり、ネフィリムに礼を述べた。次に朱里に目を移し、
「カットスロウト、売っ払うなよ? アイツにはまだ使い道がある。大事にとっておけ」
彼は言いたいことだけを言い残し部屋を出て行こうとした。ドアから廊下に出ようとする常場を、朱里が待ってと呼び止める。
どうしても訊きたいことが一つだけあった。それは、朱里を騙した時と関係のある内容だった。
「――あなたの娘は本当にいるの?」
「いや、いない」
常場はそう答えて、部屋を出て行った。
ドアが閉まる。朱里は出歩く準備を始めた。ネフィリムが食器を片づける。
「今はな……」
常場は廊下を歩き出し、自分の部屋へと移動していく。
ヴィネの武器店へは朱里が単独で向かった。
ネフィリムもついて来たがったが、朱里は自分でじっくりと吟味したかったし、彼女はどうやら朱里の言うことには従順らしい。いや、人の命令には抗えない、と言うべきか。ネフィリムには人らしからぬ奇異さがある。
朱里がひとりで行きたいと頼むとネフィリムはしぶしぶ従ってくれた。だから、朱里は今ヴィネと一対一で商談に応じるために、武器店へのドアノブへ手を掛けている。
「――は保管しておけ。必要な時が必ず来る」
「果せのままに。私はアレが大好きですからね」
先客がいた。ヴィネと親しげに話す金髪の外国人。
碧眼の目をした男は朱里の存在に気付くと、こちらへと歩き始めた。一瞬自分に用でもあるのかと勘ぐった朱里だが、どうやら違ったらしい。朱里の横を素通りして、部屋を出て行く。
だが、すれ違った一瞬に呟かれた男の言葉を朱里は聞き逃さなかった。
「候補のひとり、か」
「……?」
音を立てることなく静かにドアは閉ざされる。
「やぁ、アカリ。ヴィネ武器店へようこそ」
ヴィネは笑顔で朱里を迎え入れた。だが、笑顔を向けられても朱里は笑い返す気になれない。ここでの笑顔は危険過ぎる。
「武器を見たいんだけど」
と用件だけを伝え、朱里はガンショップよろしく壁に掛けられた銃器たちを眺めていく。色々な種類があった。朱里が初めて買ったハンドガンカテゴリの拳銃、映画などでよく目にするアサルトライフル、室内作戦御用達のサブマシンガン。熱狂的な人気を誇るスナイパーライフルに、破壊力抜群のランチャー。狩猟民族伝統の弓に、様々な種類のトラップガジェットや、その他区分の扱い辛そうな複合兵器の数々。そして、最後に目についたのは如何にも狩人らしい武器であるショットガンだった。
「散弾銃」
「初心者にオススメの武器ですね。散弾は拡散するから当てやすい。まぁ、威力を高めるカスタマイズと通常よりも重い魔弾のせいで、有効射程は短くなってるんですが」
ヴィネは初心者の朱里に商品の説明を始める。
「普通はだいたい中距離ぐらいまでならカバーできるんですがね。でも、ウチにおいてあるヴィネオリジナル製品は、近距離専門の近接武器となっています。近づかないと、効果的なダメージが与えられないんですよ。わかるでしょ? 普通の銃器が有効なら、我々のような会社は存在し得ません」
「だったらどうして各国に輸出しないの」
「それもあなたならわかると思うな。人間ってのは愚かです。私がいくら獣専用の武器と言ったって、人間相手に使うに決まっている。そして、私はそれが嫌だ」
「銃には変わりないでしょ」
「そういう人間ばかりだから、私はここで商売をしてるんです。……冷やかしに来たわけではないのでしょ? 狩猟報酬とちょっとしたボーナスで、最高の武器をお買い求めにいらっしゃった。だとすれば、店長として私はオススメ品を紹介しましょう」
と息巻いてヴィネは取り出したのは、如何にも古風な水平二連の中折れ式散弾銃だった。右眼が勝手にスキャンする――該当データなし。しかし年代は割り出せた。十九世紀に製造されたものらしい。
「これはかなりの一品ですよ。古式銃ではありますが、威力はヴィネウエポンショップの折り紙付きです。この銃なら――」
「アンティークに興味はないの」
朱里はヴィネの解説を一蹴し、新しい銃を要求した。
「最新式で一番威力の高い散弾銃を頂戴」
ヴィネは了承し、棚に飾ってあるポンプアクション式ショットガンを取り出した。
朱里が狩りを行う上で出した結論――狩人としての最適解は、『やられる前にやる』というものだった。
躊躇をしている暇はない。敵は決して無能ではない世界中の軍隊を手玉に取るような化け物だ。守っていても勝ち目はないし、時間を掛ければ家族の元へ帰るという目標に遠ざかってしまう。
ならば、最大火力を持ってして、一瞬で片を付ける。一撃必殺。これが一番望ましい。
「VOS16モンストル」
「
「そうですよ。
ヴィネが面白そうに笑みを作る。朱里はちっとも笑う気分にはなれなかった。
散弾銃を受け取って、構えてみる。確認すべき事柄は全部右眼が教えてくれた。素人の朱里は玄人の軍人さながらの動作で、ショットガンの感覚を確かめていく。
取り回しに関しては申し分ない。後は実際に射撃してみなければわからないが、射撃場に赴く前に、朱里はサブウエポンを購入した。
とにかく、強力な銃が良かった。サブであれどメインに通用するほどの攻撃力を持った。
ヴィネが提示したのは銀の装飾が施された五十口径の大型拳銃だった。言うなれば、
「
「やる気があればなんだってできるわ」
そう、例え魔獣を狩ることだって些細なことだ。
必要なのは覚悟と武器だ。それさえあればなんだってできる。朱里に足りなかったものは、意図してか否か常場のおかげで手に入った。そういう意味では感謝するべき存在なのだろう。だから、もし、今度、また自分を殺そうとしてくれれば全力全快で“お礼”するつもりでいた。
「ふふ、恐ろしい。ですが、気をつけてくださいね? 社長の言葉を思い返して」
「……どういうこと?」
「人は誰しも怪物を飼っている。つまり、誰だってここまでは到達できる。あなたの場合は戦い方が特殊でしたがね。間違いなく狩りの才能を持った人間だ。しかし、その程度なら数えるほどいるし、いた。――あなたはまだ、スタート地点に立ったばかりです。チュートリアルを終えてね。ここからが本番だということをお忘れなく」
「心に留めておくわ」
朱里は購入した銃を右手で軽々と持ち上げて、射撃場へと向かい出す。ああ――心に留めておくとも。いつか奴に借りを返すその時までに。
その時のことを考えると、朱里は楽しくなってしょうがない。ふと、自分は本当に怪物となってしまったのだろうという想いが巡る。
だが、今はいい。今は怪物でも構わない。怪物でなくなる時は、家族のもとに帰る時と同義のはずだ。
※※※
PHCの日本支部では、狩人支援用に様々な施設が設けられている。スーツを着込んだ金髪の男が廊下を通る場所、狩人寮もその一つだ。中身は最先端の居住スペースで、宿舎のようなものであり、男性寮と女性寮に別れている。
男が歩く場所は男性寮だ。どちらとも異性が歩いて問題はない。無論、同性なら言わずもがな。
男は廊下を進み、とある部屋の前で立ち止まった。ノックをして部屋主が応対する。
「何だ?」
「要件を伝えに来た」
男と男がドア越しに会話する。聞かれても問題ない内容のようで、特に隠す様子は見られなかった。
「コンサルタントのあんたが直々にねぇ」
「たまたま近くを通りかかったんでな」
男は手に持っていた封筒を男へと手渡す。A4サイズの封筒の中には、ひとりの少女の記録が入っていた。
写真に目を移して、男が怪訝な顔となる。
「……どうしろと?」
「お前がしたいことをすればいい」
そう告げるな否や、スーツの男は踵を返していった。
男は部屋の中へと戻り、ソファーに座る。淹れてあったコーヒーを飲みながら資料に目を落とす。
「高宮朱里か」
少女の顔に目をやって、カップをテーブルに置く。何気なく、棚に飾ってあった写真へ視線を移した。
そこにも少女の顔が写っていた。隣には男。その子は男の……常場の娘だった。
「どうあっても逃れられないらしい」
いや、果たして逃れる気があったかどうか――。
常場は端末を取り出し、オペレーターを呼び出した。はい、という応答が聞こえ、任務を発注する。
「次の狩猟、同行者を頼みたい。名前は高宮朱里。……そう、そうだ。ネフィリムも頼む」
端末を切り、仕舞う。ライターを取り出し、タバコを吸おうとして、止めた。
娘の前では、吸う気分になれない。責められるような気がするからだ。
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