第2話 チュートリアル開始

「ただいま!」


 朱里は元気よく言い放つ。バイトを終えて、心地よい疲労感に包まれながらの帰宅。少し疲れてはいるが、これから洗濯物を畳んだり、夕飯の支度をしなければならない。

 靴を脱ぎ、リビングへと進む。どたどたという足音。弟が出迎えのためドアを開けた。


「おかえり! おねえ……ちゃん?」

「ただいま、章久。今から晩御飯作るね!」


 姉の姿を見つめた弟は、驚いたように目を丸くしている。

 弟の反応が気になったが、朱里はリビングへと入る。鞄を置いて、エプロンを右手で取ろうとした。


「あ、あれ?」


 いつもの調子で手を伸ばすが、掴めない。それどころか触れなかった。

 なぜだろうと右腕に目を落として、気付く。

 右腕がない。


「え、え? な、ぁ」


 視界に違和感。右眼も見えてないことに気付いた。


「あ、れ? 何で?」


 バランスが取れずに倒れ込む。弟が心配するように駆けてくる。

 左手には紙が握られていた。領収書だ。義手と義眼の代金、五億円を支払えという旨の内容が記載されている。

 愕然としながら顔を上げると弟が口を開いた。不気味な笑みを浮かべながら。


「――人は誰しも怪物を飼っている。君の怪物が、君の価値が、僕の想像以上であることを祈るよ」



 ※※※



「ああ――あああああああああああッ!!」


 病室内に響く少女の絶叫。叫びながら、朱里は飛び起きた。


 ――心理スキャン完了。タカミヤ・アカリ。あなたの精神状態は芳しくありません。至急、メンタルケアの実行を推奨いたします。

 ハンターの精神管理には、ポイントを使用したカウンセリングが有効です。


「やめろしゃべるなぁ!!」


 狂乱しながら自分の目に告げる。頭に響く声を止ませ、息を荒げながら顔を上げた朱里は、


「目を覚ましましたか、アカリ」


 と優しい声で呟いた少女に釘付けとなった。


「あな、たは」


 真っ白な少女。自分を救ってくれた天使。命の恩人が、目の前にいる。


「私ですか? 私の名前はネフィリム。PHC登録ハンターのひとりで――」

「て、天使! 天使様! 私を助けてください!」


 錯乱し、朱里はネフィリムに縋った。この少女なら何とかしてくれる。この少女ならきっと助けてくれる。何の根拠もない信頼をぶつけ、朱里は頼み込んだ。

 だが、ネフィリムは困ったような笑みを浮かべて、自身の両肩を必死に掴む朱里に告げる。


「私の一存では不可能です。アカリは既にハンターとして登録済みですから」

「知らないっ! 知りません! 私は登録なんてしてない!!」


 しかし、朱里がどれだけ否定しようとも揺るぎない事実だった。

 もはや意味がわからない。自分の感知しないところで起きた暴挙だった。

 朱里は謎の化け物に右手と右目を食い千切られた被害者なのだ。なのに彼女の許可なしに義手と義眼が施術され、五億などというバカげた金額を払えと言う。

 あの男は無駄だと言っていたが、知ったことか。朱里は何とかして日本に連絡を取りたかった。

 家族に無事を伝えたかった。

 だが、ネフィリムは朱里の願いを却下する。無謀だと窘める。


「PHC……プライベートハンティングカンパニーは、れっきとした一企業です。国際的に認められた会社なんです。あなたの申告は契約違反なんですよ」

「嘘っ! いくらなんでもおかしい! おかしいよ!!」


 ネフィリムに文句を言ったところで何の問題も解決しない。でも、朱里はとにかく不満を、恐怖を、吐き出さずにはいられなかった。

 そしてネフィリムもまた、眉一つ動かさず、同情の瞳を彼女に向けて朱里の訴えを聞いている。理不尽に責め立てられていると言うのに、聞くのが義務と言わんばかりに、朱里の糾弾へ耳を貸す。


「嫌だ! 帰して! お家に帰して!」

「それは無理です、アカリ。ですが、あなたが納得するまで、私は文句を聞き続けましょう」


 しかし朱里が求めるのは傾聴ではなく肯定だ。

 朱里はネフィリムに手伝いましょうと言って欲しかった。あなたをここから連れ出して、家に帰してあげましょう。それが朱里の望む言葉だった。

 ネフィリムは朱里の望みを叶えてくれない。今ここで一番頼りになると思われた人に拒否されて、朱里は頭が真っ白となった。


「ああ、ヤダ、ヤダ! どうすれば……」


 涙ぐみ、混乱する頭で必死に考えを纏める。だが、どうやってここから逃げればいい。

 そもそもここは一体どこなのか。日本なのか外国なのか、それすらもわからない。

 また恐怖が精神を苛み始めた。怖い、逃げたい、帰りたい。

 ただお家に帰らせてくれればそれでいい。義眼も義手も自分には必要ない。

 気が動転した朱里は、左手で義手を外そうと試みた。だが、しっかりと固定されて、義手は身体の一部と化している。

 右手を外すことを諦めた朱里は――今度は、右眼を取り出そうと手を伸ばした。


「く、くっあああああ!!」

「落ち着いて下さい、アカリ。そんな方法で義眼の摘出は不可能です」


 暴れる朱里をネフィリムが抑える。朱里は泣きながら叫び出す。


「やめて! 離して! いらないっ! こんなものいらない!!」

「アカリ!」

「おい、何してる!?」


 急に男の声が外から響いて、朱里はひっ! と悲鳴を上げた。

 気絶する前に会った男だと思ったからだ。しかし、現れた男は別人だった。

 日本人だ。黒髪黒目。迷彩服のようなものを着込んでいた。


「何があった?」

「アカリはまだ不安定なようです、隊長」

「しょうがない。むしろ混乱しない方が驚くさ」


 男はネフィリムの答えを聞き、安堵したように微笑んだ。

 人に不安を与えない、優しい瞳の持ち主だった。男はハンカチを取り出して、朱里に手渡した。


「これで涙を拭いておけ。やっぱり自分で説得した方が早いな」


 そう言うや否や、ネフィリムは立ち上がり男に席を譲る。席に座った男は朱里が泣き止んだのを見て、手を差し出した。


「俺は小城おぎ輝夜かぐや。君と同じハンターさ」

「わ、私はハンターなんかじゃ」

「だろうな。君の気持ちはわかる。だが、今は黙って従うしかないんだよ」


 小城は同情的な視線を朱里に注ぐ。朱里はネフィリムを横目で見て、ネフィリムが笑顔となったことを確認し、小城の手を取った。

 握手を交わすと、小城が訊いた。君の名前は?


「高宮朱里です……」

「うん、名前をちゃんと言えるようだ。なら大丈夫だろ」


 小城は安心したように呟くと、タブレットを取り出した。しばらく君の教育をネフィリムと担当する。話がどんどん進んで行く。


「きょ、教育って……」

「まぁ、戦い方を教えるってことさ。……君も我が社の素晴らしき社長様に会ったんだろう。あいつは冗談を言わない男だ。冗談みたいなことを口走るが、悲しいかな、あいつの言ってることは本当だ。そこら辺の映画のような……映画よりも酷いことが現実で起きている。……日本の首相はもう二十回もあの男に土下座してるんだ」

「そんなまさか」

「残念ながらそのまさかだ。俺は女性には嘘をつかない主義でね」


 小城はタブレットをタップした後、朱里に画面をみせた。

 そこにはニュースで見たことのある日本の現首相が、PHCの社長にケースに入った金を渡す瞬間が写っていた。

 これを見せればだいたいの日本人は信じてくれる。小城はそう前置きして、


「義眼と肉眼のオッドアイじゃ、画面は見辛いだろう。右眼を瞑ったらどうだ?」


 朱里は不審に思いながらも右眼を瞑る。すると、小城がタブレットをタップして、ディスプレイに文字が浮かび上がる。


『素性は明かせないが、俺は君の味方だ。君を助けたい。今は黙って俺の言うことを聞いてくれ』

「っ!?」


 驚愕の表情となった朱里に、小城はウインクしながら人差し指を口に当てた。

 朱里は声を出さず、首肯して承諾の意を伝える。男も頷き返して、画面を戻し、右眼をとんとんと指で叩いた。

 朱里が右眼を開けると、小城はネフィリムを呼んで説明を再開した。


「ネフィリムは信頼できる。凄腕のスナイパーで、君の背中を守ってくれる。彼女に君の身辺の世話をさせよう。彼女にアドバイスを求めれば、業務範囲内でならベストを尽くしてくれる」


 つまりネフィリムに外へ出してとお願いしても無駄だということだ。

 朱里が不思議な雰囲気のネフィリムへと目を移すと、彼女はにこりと微笑んで会釈した。

 正直なところ、小城よりもネフィリムの方が信用できた。彼女は自分を死神から助けてくれたという実績がある。だが、先程のやり取りからも、ネフィリムは正規の行動しか補佐してくれないことは明白だった。

 朱里は素直に小城の言うことを聞くことにした。自分本位の思考に嫌気がさす。他人を利用しているみたいで気持ち悪かったが、今は家へ帰ることが先決だった。


「よろしく、ネフィリム」

「こちらこそよろしく、アカリ」


 朱里が左手を差し出すと、彼女も左手で返してくれた。

 混乱していた頭が、錯綜していた心が、幾ばくか安らぎを取り戻し、朱里は安堵の表情を浮かべる。

 この人たちなら大丈夫だ。あの男とは違う。自分の味方となってくれる。

 安心した朱里に小城は説明を続けていく。そう難しいことじゃないと、ところどころ朱里を気遣いながら。


「俺たちは狩人ハンターで、獲物は魔獣ビーストだ。武器は基本的に銃器だな。その方が安全に対処できる」

「隊長は剣を使っています」

「複合武器だがな。俺のことはいい。まずは朱里がどういう戦い方を選ぶかだが……こればかりは実際にやってみないとわからんな」


 小城は立ち上がり、後は訓練しながら説明するよと言って部屋を出ようとした。が、不意に天井のスピーカーから声が聞こえて立ち止まる。


『ハンター小城輝夜。社長が呼んでいます。至急、社長室に向かってください』

「素晴らしいタイミングだな」


 小城は愚痴った後、朱里に念押しした。ネフィリムに従うんだ。そう一言告げた後、ネフィリムに目配せし部屋を出て行った。

 その背中を見送った朱里に、ネフィリムは行きましょうかと先導し始める。どこへ? と朱里が問うと、ネフィリムは笑って、


「武器商人のところへ」

「……武器商人?」


 この場所がどこでどういう施設なのかを知らない朱里は、ただ疑念を振りまきながらネフィリムに従うほかなかった。

 廊下はネフィリムと同じ制服を着た男たちでいっぱいだった。

 身体つきは屈強そのもの。テレビでやっていたアクション映画などに出てきたいかにも戦士という感じの男たちがたくさんいたが、横を通り過ぎる誰からも小城のような力強さは感じられなかった。皆、憔悴しきっている。肉体的には健常だが、精神的な問題を背負ってるように朱里は感じた。

 こちらです、アカリ。とネフィリムはすれ違う人ひとりひとりに丁寧なあいさつを交わしながら、どんどん先に進んで行ってしまう。

 きょろきょろしながらネフィリムの後を追い、やっと朱里は彼女まで追いついた。ネフィリムが入った部屋に入ろうとドアノブに手を伸ばして、


「おい待てよ」


 という声と共に、横から伸びてきた腕に左腕が掴まれた。

 きゃっ、と小さい悲鳴を上げる。髭面の男は脅えなさんなと笑いながら言い、


「ルーキーに俺がアドバイスしてやろう」

「え? 結構で」

「まぁそう言いなさんな。これから武器を選ぶんだろう? なら、拳銃にしとけ。あの武器商人はとてもがめつい女だから、無知なお前にほらを吹こうとしてくる。絶対にな。だから、一番安価なハンドガンカテゴリーから、子どもでも扱える九mmピストルを選ぶんだ」

「きゅ、九mm」

「そう、九mm。初心者にも扱いやすい易しいピストルだよ」


 男はにんまりと笑い、朱里の義手へと目を落とした。そして、同情的な視線を朱里に向ける。


「俺も娘がいてな。お前の苦労はよくわかる。おじさんで良ければ話し相手になってやろう。今はとりあえず、武器を買ってこい。機会があればまた会おう」

「は、はい!」


 味方はどうやら他にもいたようだ。自分と似た境遇の人が多いのかもしれないと、朱里は励まされた。

 男に礼を言い、また会いましょうと別れる。ドアを開き、どうしたのですか? と問うネフィリムに何でもないと応える。

 すぐに部屋へと入ってしまった朱里は、男の表情の変化に気付けなかった。男はふん、と鼻を鳴らした後、独り言を呟いた。


「ああ、機会があれば、また会おう。生きてさえいれば」




「私がここで武器を取り扱っているヴィネです。以後お見知りおきを」


 青い髪で、店員服姿の少女は、自己紹介の後会釈した。

 ヴィネの部屋……武器保管庫は、外の物々しい雰囲気とは一変、ガンショップのような作りになっていた。

 朱里が室内を不思議そうに見回してると、ヴィネは改装したんですよと笑う。


「ウエポンマニアにとって憩いの場所にしたくてね。私は顧客を第一に考える人間ですので」

「本当ですか?」


 朱里は疑いの眼をヴィネに向ける。酷いなぁ、とヴィネは苦笑しながら、


「私は物を売るのが愉しくて、こんな辺鄙なところに店を構えてるんですよ? 武器商人って言うと、だいたい大企業か、テロリストや犯罪集団に銃器を横流しするくそったれの二択ですが、ここで銃を売れば、少なくとも射撃対象は人ではなく獣なわけだ。良心の呵責に苛まれることなく武器売りができる。辺鄙ではありますが、私のような商売欲に囚われた人間にとっては最適な場所であると言うわけです」

「商売欲?」

「そう、商売欲。売却欲とも言いますね。私は私が入手し製造した最高傑作を人に売りたくてしょうがない。でも、買い手が私の武器で人を殺すのは気に食わない。だから、ハンターに武器を売れば、買い手は最高品質の武器でビーストを殺せて、私は安心して武器を売り払える。ウィンウィンの関係と言うわけですね」

「ウィンウィン……」


 たまたま流し見てたニュースでやっていたイラつくビジネス用語ランキングにランクインしていた言葉だ。両者とも勝利の関係……らしいのだが、ビジネスに疎い朱里にはいまいちなじみがない。


「欲望は大切ですよ。欲がなければ人は生きられません。人は欲望と、欲をコントロールする理性でできた生き物ですからね」


 ヴィネは聞いてもないことを勝手にのたまいながら、おすすめ品をカウンターに並べていく。


「あなたも、欲望をしっかりと自覚して生きることをオススメしますよ。欲望に目を背ける人間は、幸せな人生を歩めませんからね」

「欲望を自覚?」

「そう。欲望の自覚。しっかりと目を見開いて、自分の根底にある願いを見つめてください。そうすれば、あなたは自分がどういう人間なのかを理解できる。あなたは、自身の欲望がどんなものであるか自覚できていますか?」

「私の、欲望」


 朱里はおすすめ品が置かれていくカウンターを見つめながら、自分の欲望が何かを考えた。

 そして、すぐに頭を振る。自分の願いは家族の元へ帰ること。ただそれだけ。


「そんなもの、ないです。家族さえいればいい」

「ふふ……そうですか」


 ヴィネは意味深に笑みを作って、手元のライフルを取り出した。

 猟銃と言えばこれ! と得意げにボルトアクション式ライフルの説明を始めたヴィネに、朱里は口を挟んだ。


「ハンドガン。九mmピストル」


 男に言われた通りに諳んじる。


「九mm……?」


 ヴィネが訝しんだ。ネフィリムへと視線を送る。しかし、ネフィリムは微笑んでるだけで異論を言わない。

 ヴィネはしぶしぶ、九mm弾を使用する基本的な拳銃を用意した。だが、表情には怪訝が張り付いている。

 もう一度ヴィネはネフィリムを見直す。対し、ネフィリムはアカリが望むものを提供してあげてくださいの一点張りだった。


「なるほど。欲望に忠実と言うのもまた困りものですね」

「どうしたんです?」


 ヴィネが漏らした独言に、朱里が反応したが、ヴィネは何でもないですと応じつつ九mmピストルを手渡した。

 名前はカットスロウトです。ヴィネが解説をしようとするが、突然鳴った放送に遮られた。


『ハンタータカミヤ・アカリ。ハンターネフィリム。両名に出撃命令が下ってます。出撃を命じられたハンターはただちに輸送機に乗り込み、隔離地域に発生したビーストを殲滅してください』

「え、え?」


 少女らしき声に名を呼ばれ、朱里が困惑する。確かに今、自分の名前が呼ばれた。

 予想外、想定外。しかし、困り惑うのは朱里だけで、ネフィリムもヴィネも動揺も瞠目もしていなかった。

 ただ、ヴィネは不憫なモノを見るような目を朱里に向けている。一幕おいて、朱里に声を掛けた。


「本当にソレだけでいいので? 今ならサービスしておきますよ?」

「……え、え?」


 だが、朱里は状況に思考が追い付かない。

 ネフィリムは混乱する朱里の意見を独断で代弁し、朱里が望んでいるならそうしましょうと述べて、朱里を連れて移動し始めた。

 ヴィネは二人を見送った後、カウンターに乗せられたライフルを見下ろして嘆息する。


「いくら素晴らしい怪物が眠っていても、目覚める前に死んでしまえば元も子もないでしょうに」


 だが、ため息を吐いても、朱里は戻って来ない。欲望とは度し難い、と他人事のように呟いた。




 出撃ハッチと称されてネフィリムに連れて来られたのは、巨大な飛行機がある格納庫だった。

 パイロットが搭乗済みのその機体は輸送機だ。日本各地に点在する隔離地域へハンターを派遣するためのキャリアーであると右眼が説明してくれた。

 口を挟む隙もないまま、朱里は灰色の機械的スーツを渡されて、後部ハッチから機内へと押し込められる。渡されたソレをネフィリムは戦闘服だと言った。


「これを着れば身体能力が大幅に向上します。防御力はあまり期待できませんが」

「え、それって……」

「手早く着替えましょう。D-3ポイント、割と近場です」


 ネフィリムは勝手のわからない朱里を置いてきぼりにしながらどんどん説明を続ける。朱里は不安に駆られながらも、灰色の軍服めいたコンバットスーツに袖を通した。

 ハンター用のキャリアーにはテーブルが設置されていた。そこにネフィリムが出撃前に手渡されたケースを置いて、中身を取り出す。

 狙撃銃が仕舞われていた。これはアンドロイドです、と銃の名前を彼女が語る。


「アンドロイド……」

「ヴィネさんが私用に創ってくれた銃ですね。あなたも自分の武器を確認してください。使い方はわかりますか?」


 朱里はネフィリムに言われるがまま小さなケースをテーブルに広げる。中にはカットスロウトという名の拳銃が入っていた。手に持ったはいいものの、朱里は銃など初めて触れる。戸惑う彼女に助言したのはネフィリムではなく右眼だった。

 

 ――タカミヤ・アカリ。薬室を確認した後、弾倉を装填してください。安全装置を忘れずに。

 

 右眼は朱里の心理状態をスキャンし、ネフィリムよりも的確に自分の疑問点を解消してくれる。奇妙だったが、この際仕方ない。この場で頼れるのは右眼とネフィリムだけだ。

 朱里はスライドを引いて薬室を確認した後、弾倉を装填し、安全装置を掛けた。銃器の扱いに長けた人間の動作だ。素人の朱里では到底できるはずのない動作だった。


「で、どうするの? このまま戦うの?」


 朱里が不安混じりの瞳を向けると、微笑しながらネフィリムは頷いた。


「ええ、その通りです。アカリは私と共にビーストを殲滅します」

「だ、大丈夫なの? 普通、こういうのってきちんと訓練をしてから……」


 と言いかけた朱里にネフィリムは問い返す。


「それはどこの“ふつう”ですか?」

「ど、どこって――」

「アカリ、あなたの困惑はわかります。あなたの動揺は理解できます。ですが、あなたが今まで蓄積してきた常識はすぐに破棄してください。ここではコレがふつうです。普段から流れる日常です」


 空を飛行する輸送機が気流によって大きく揺れる。

 朱里はバランスを崩して、機内の横壁に倒れ掛かった。バランスを取り直した朱里は、たまたま目に入った外を見下ろす。

 自分たちが出撃した場所を見て、息を呑んだ。

 キャリアーは島から飛び立っていた。現在の朱里の居場所だ。そして、これから朱里はかつての居場所である日本へと戻る。

 こんな時でも、最低な状況でも、星が輝く夜空は綺麗だった。



 ※※※



「おい、CH-22についての情報をくれ」


 用件を済ませてオペレーション室に向かった小城は、入室早々オペレーターに質問した。

 コンピューターの前に座る少女は不満げだ。彼女はマニュアル人間であり、マニュアル外の対応を好まない。

 そのことを重々承知している小城は、彼女に携帯端末をみせた。お願い料として彼女の口座にマネーポイントを送金すると、オペレーターはしぶしぶ情報をディスプレイに表示した。


「CH-22はD-3地点に急行中。確認されたビーストはケルベロス。出撃したハンターは高宮朱里とネフィリムの二名」

「朱里の装備は」

「はい……これです」


 高宮朱里の装備品一覧が映し出される。

 タクティカルアイとHS-27、基本装備であるコンバットスーツはさておき、小城が注目したのは主武装メインウエポンだ。

 だが、何かしらの武器が示されているはずのそこは空欄である。

 代わりに、副武装サブウエポンの項目が埋まっていた。使用銃器はハンドガン――カットスロウト。

 対人用の拳銃だった。


「なんてこった……。ビースト退治に対人兵器のみで向かったのか?」


 小城が糾弾するようにオペレーターを睨んだ。彼女は出撃前に朱里の装備品をチェックできたはずだった。

 だが彼女の手元にあるマニュアルには、狩人に装備指南しろとは記されていない。

 書かれているのは、何の疑問も持たずに狩人をナビゲートしろという旨の内容だけだった。


「くそっ。ネフィリムに任せた俺の判断ミスだ」


 愚痴りながらオペレーション室を後にする。

 だが、小城が愚痴を漏らそうと、自分の判断を悔やもうと、朱里は出撃してしまった。

 ならば、後は彼女が無事に帰ってくることを祈るだけだ。死体ではなく生体として。

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