side1 孤高の愁い、美しき泉の悟り

 私は帝の皇子として産まれました。

 美しく優しい母は帝の寵妃。誰もが母を褒め称えます。

 父からも母からもそして周りからも愛されて育ちました。


 大勢いた兄の中でひときわ優しく接してくれる兄がいました。

 父帝の意向で臣下にくだりましたが、私はこの兄が大好きでした。

 皆が美しいと褒めそやす容姿に、皆を虜にする魅力に私も憧れていました。


 少年だった私の知らないところで政局は動き、私は春宮になりました。

 その後、父帝が崩御し、母は仏門に入りました。大好きな兄は遠くに蟄居しました。

 罪を犯して隠棲していると聞きましたが、その罪が何であるか詳細を知ろうとはしませんでした。


 その頃からだったと思います。母が寝食を忘れてまで神仏に祈りを捧げるようになったのは。仏門に入っているのですから勤行に励むことは不思議なことではありませんが、その姿は鬼気迫るものがあったようです。女房たちも身体に障りが出てはと心配していました。


 数年後、兄は罪を許され都へと戻ってきました。役職も復帰し、その姿は以前よりも光り輝くようでした。

 その頃、私のそばに童殿上していたのが兄の子供でした。年下の彼はとても私に似ていました。叔父と甥の関係であるはずなのに、兄弟みたいだと周りからもよく言われたことを覚えています。

 すでに父を亡くしていた私には父のいる彼が、しかもあの光り輝く兄が父である彼を羨ましく思ったものです。


 兄は常に私のよき理解者でした。私と母を常に支えていてくれました。いつしか母の勤行は穏やかなものになっていたようです。

 兄と兄の婚家の義父を後ろ盾に私は帝位につきました。周囲の思惑で何人かの姫が入内してきました。その中には兄の養女もいました。


 私には自分から恋する自由がありません。気軽に立ち動ける皇子もいましたが、東宮である私には恋どころか自由に出かけることすらできませんでした。帝位についてからは言うまでもありません。

 そんな宮中生活でしたが、女御ふたりにそれぞれの後見者がついて絵合わせが行われたことはとても素晴らしい催しでした。絵の優劣を競いながら、どちらの女御を、ひいてはどちらの後見者を私が選ぶのかを注視しているのは誰の目にも明らかでしたが、美しい芸術に触れられたことは単純に嬉しいことでした。

 どの絵も素晴らしいものでした。できれば優劣などつけたくなかったのが本音です。撰者が判定しかねるものについて母が助言することもありました。母は兄側を評価していました。特に最後に出された絵はすべての者たちに感銘をもたらしました。母は泣いていました。その絵は兄が蟄居していた須磨を描いた風景画でした。兄は絵合わせのあとにその絵を母に贈ったそうです。


 母は体調を崩すことが多くなりました。帝位についている私は気軽に母の見舞いに行くことができません。見舞いに行く段取りがついたということは、つまりそれが「最後の対面」を意味していました。母はとにかく兄に感謝するように兄を頼るようにと言いました。私が母の御前を辞したあと、兄が母の御前へと行きました。

 どんな言葉を交わしたのか、どんな対面だったのか、私には知る由がありません。母はそのまま天上へと旅立ちました。兄は満開の桜の下で啼いていました。嗚咽すらも漏らさぬように、涙すらも見せないように、それでも全身を打ち震わせて啼き苦しんでいました。


 それからすぐのことでした。私が出生の秘密を知ったのは。


 いつでも見守ってくれていた兄

 兄が蟄居した本当の罪

 母が体調を崩してまで祈り続けた理由

 兄への感謝を忘れてはならないと諭した母


 兄は兄ではなかった。

 兄は母と想い合っていた。

 母と兄が愛し合って生まれたのが私だった。


 似ているとは思っていた。

 鏡で見る自分の顔は兄によく似ていると思っていた。

 血を分けていたのだ。

 面差しも継いでいたのだ。

 

 あの光り輝く容姿

 そこにいるだけで周りを華やかにさせる雰囲気

 誰をも魅了する光源氏は私の父だった。


 私は罪の子だ。

 しかも臣下の子である私が帝位についている。


 それなのにその間違いを正すことはできない。

 それは母や兄の過ちを暴露することになる。


 誰にも打ち明けられない。

 この衝撃をひとりで受け止めなければならない。

 この動揺はひとりで収めなければならない。

 震えが止まらない。


 当の兄にも告げられない。

 知ってしまったと。

 聞いてしまったと話すことができない。


 兄は「影の父」に徹していたのだ。

 ただひたすらに私と母を護りつづけてきた。

 母もまた兄と私を護り祈りつづけた。

 愛の言葉を交わすことも

 まして手をとりあうことも叶わずに

 それでも私を護ることがふたりの愛の表現だった。

 罪を分かち合い、護り合うことがふたりの愛の形だった。


 それならば私がすべきことはただひとつ。

 ふたりを護る。

 ふたりの罪が暴かれないように。

 ふたりの愛を護りきる。


 私の存在そのものがふたりの愛の証。

 私の身体の中に巡る血はふたりが流した罪の涙。

 私の心に宿る想いはふたりが交わすことのできなかったまこと

 あなたがたの想いを胸に秘めてこれから私は生きてゆく。

 


 生涯父と親子の名乗りはしないだろう。

 けれども私は影ながら「父」として想う。

 「父」を慕い、「父」を恋ふるだろう。



 あなたが「父」でいてくれたことに私は感謝している。


 父上

 そう呼ぶことは叶わなくとも


 



 ◇サイドストーリーⅠ 冷泉帝(冷泉院)side

 孤高の愁い、美しき泉の悟り

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