三万円を獲るのは僕だ(KAC10)

 二千字以内

 カクヨム三周年記念

 お題は『カタリアンドバーグ』



 硝子の小瓶がコロコロ転がる足音をたてて、やがて机から身投げをすると、フローリングにガキンと喧嘩を売り、痛み分けという決着で動きを止めた。

 どうやら瓶は割れなかったようで、それに幾ばくかの安堵を覚えた僕は肺に溜まったけむを吐くと、彼らは一時揺蕩たゆたい、東風に攫われて自由を得た様に散開する。二十代後半の男が暮らすには相応しくない、築50年の木造アパートのバルコニーからは、底の知れる神田川が見下ろせる。川沿いには煽情的なピンクを着飾った、満開にはやや早い桜の木々が点々と植えられている。こうして立つだけでギシギシと悲鳴をあげる露台から、彼女らの晴れ姿を眺めるのはもう十度目になる。

 芥川龍之介、志賀直哉、川端康成、そして太宰治。ひいては夏目漱石、谷崎潤一郎。あまりに豪華すぎる大文豪たち。その登竜門たる東京大学文学部に就学したまではよかった。しかし僕の名は、未だ出口の見えないトンネルの中を彷徨って、相変わらず日の目を浴びれないでいた。

 太宰に憧れて、今時、手書きの原稿に拘った僕の部屋は、五大文芸誌に挑む度、部屋を紙くずに占領された。しかし僕の望みは斟酌しんしゃくされず、こうしてまた落選の便りを届けられるに至るのだ。

 所謂いわゆる、文才がなかったのだと思う。恐らくは、僕は在学中には薄々と腹落ちしていたのかもしれなかった。それでも夢を放擲ほうてきするには及ばず、三十を前にして僕の肩書は、コンビニエンスストアの一アルバイトに収まり続けている。

 同期は華々しいデビューを果たし、書店に名前を連ねたり愛する家族を持つ一方で、こうして僕は彼らを見上げては、いたずらに日々を消費する事しか出来ない。もう、うんざりだった。

 再びポケットからショートピースを取り出し咥えては、十分ほどの息吹を芽吹かせようとした時に、脳内に呼び掛けてくるような声が聞こえた。それは薬による情緒不安か。はたまた寝不足による幻聴か。あまりにやかましかったものだから、僕は埃を被っていた、買ってから大して使っていないノートパソコンに光を灯してやった。久々の起動にも関わらず、カリカリと元気よく鼓動音を立てて、ディスプレイには懐かしいWindowsのロゴが表示される。

 その傍らにチラチラと、こちらを覗く見慣れない少女が映った。青緑色の服飾に虹と見間違うカラフルなスカート。頭にはちょこんとベレー帽が添えられている。僕はなんとなく、先の声がこの子から届いたような心地がして、冗談ながらに話しかけてしまった。

「君が……、僕を呼んだのかい?」

 彼女は恥ずかしそうに頷いた。ニコニコと笑いながら画面内を小躍りする。どうやら、名は『リンドバーグ』と言うらしい。ネットではバーチャルアイドルなるものが流行しているらしいが、最近のIT技術の革新には驚かされるばかりである。

 僕は残ったを彼女と過ごすことに決めた。軽度の離人症を伴う僕ではあるが、やはり独りぼっちは寂しかったのかもしれない。

 彼女はあるインターネットサイトを紹介してくれた。そこでは誰しもが自由に自作の小説を投稿することが出来、互いに評価をすることまでできる。カクヨムと言うサイトだった。試しにいくつかの小説を開いては、流し読みしてみた。一言で言い表すなら、稚拙に思う。文法も、語彙もなっちゃいない。これならば、朝刊の方がまだ、読みごたえがあるというものだ。

「駄目だな。しょせん素人だよ。こんなもの、文学とは言えないね」

 リンドバーグは悲しそうにしおれてしまった。その姿を見て、AI相手に何をムキになっているのかと少しばかり冷静さを取り戻して、僕は彼女を慰める、と言ったら語弊があるが、気を使って、他の作品も読んでみることにした。

――相変わらず、ひどい。

 ひどい。これも、これも。

 だが、いつしかその粗が彼らの個性なんだと、僕は気付かされた。

 昔大学の講義で、教授が完璧な作品程つまらない小説はないと仰っていたのを思い出す。新人賞でも欠点なき作品は選出されにくいとも聞いたことがある。利口な評論家より、愚かな創造者を目指す。それが小説家の神髄であったはずだ。

 いつからだろう。偉ぶって人の作品を見下すようになったのは。審査員に見る目がないなどと、どの立場から溢す気になったのだろうか。僕の批評には毛ほどの価値も無いと言うのに。

 僕はカクヨムの新規小説投稿ページを開いた。残された時間で一本書ききれるかはわからない。それでも今なら、生涯最高の一作が書けるような気がしていた。

 リンドバーグは、「作者様! 良く書けてますね! 下手なりに!」なんて僕の書いた文面を馬鹿にするけれど、それが心地よくて仕方がなかった。

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