平成の上にも三年(KAC8)

 千三百文字以内

 カクヨム三周年記念

 お題は『三周年』



  2019年4月30日。

 テレビではもう一つの大晦日と銘打って、6時間にも及ぶ生放送が行われたあの日。また、各地で大物アーティストが、こぞってカウントダウンライブを開催したあの日。そしてネットでは、誹謗や中傷までもが入り混じり、それでも、とてつもない伸びを見せたあの日。

 あの、国民が未来への不安と期待とを膨らませた記念すべき平成最後の日から、早くも三年が経とうとしていた。


 歌の達人でもあった光格天皇以来の、実に200年ぶりになる生前退位。

 その爪痕は未だに残り続けている。

 元号が、未だ制定されていないのだ。


 国民はあの日まで、平成に代わる新元号を待ちわびていた。

 手帳、スケジュール表、カレンダー。彼ら業者は勿論のこと、印刷、出版業界もまた然り。しかし結局、それは間に合わなかった。


 運悪く、東京で開催されたオリンピックと時期が重なったせいもあるだろう。政府はこれを深く受け止め、陳謝した。

 三年前のあの日には、多くの国民が声を挙げて責任者に言及をしていたが、今となってその声は、まるで嘘のように掻き消えている。なにか、巨大な圧力が事態の鎮火に当たっている様にも見えた。


 新聞紙の上部を見れば、『平成が終わってから3年5月1日』と、なんとも間抜けな、気の抜けた一文が目に入る。

 まさか誰もが、『平成』に続く元号が、『平成が終わってから』なんて、ふざけたものになろうとは、予想もしなかったに違いない。


 最近では、元号制を廃止し、いっその事西暦で統一してしまえばいいのではと言った、そんな声も挙がるようになってきた。

 確かに、この無様な失態を晒し続けるよりかは、その方が、幾分かは世界に示しがつくと言うものであろう。そんな声が挙がるのもまた、無理からぬ話なのかもしれなかった。

 新元号を制定しても都度、時間と手間と金をかけるよりかは、効率的だとも言える。


 最も長く続いた元号は昭和の64年であるが、平均してみれば、元号は10年間も続かないことが多い。平成の31年間も昭和や明治と比べれば見劣りするものの、決して短い数字ではない。


 ところで、実は、元号が定められなかったのは、何分今回が初めてではないことをご存じだろうか。

 元号の歴史を紐解けば、約1400年前、飛鳥時代にまで遡る。

 皇極天皇が納めた大化が始祖とされ、制定以降6年程続き、以後5年に渡って白雉の時代が流れる。

 その次、孝徳天皇が崩御、つまり亡くなってから、原因はどうあれ、32年間も元号が制定されなかったのである。


 それだけではない。

 後に天武天皇が納めた1年の朱鳥の後も、大宝までの間に15年の空白期間が存在している。


 おわかりだろうか。

 六年、五年、空白32年、一年、空白15年と、後から見れば元号とは、なんともまあ、ボロボロのスタートを切っているのである。


 多くの国民は元号を、天皇の崩御、あるいは退位による譲位により変号すると勘違いしているかもしれない。しかし実は、長い歴史を見れば、例えば政化敷行の為であったり、天変災異が原因だったりもする。

 元号黎明期ならともかく、今から100年、200年後の子孫がこの空白期間を見て、政府の統制がとれておらず、混乱の期にあったと解釈されていないか、不安が募る今日この頃である。

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