たぬきうどん

六千字以内

【カクヨム異聞選集 ~本当にあった怖い話・不思議な体験コンテスト~】参加作品

近所のそば屋でたぬきうどん食いながら考えた話

https://www.youtube.com/watch?v=j0U7Yk7UYA4&index=25&list=PLEcOCM3isWx__aziWMIMFc-DaFaWCOE0F



 冷気を含んだ朝日が差し込む夏の早朝。

 当時大学の夏季休講中であった僕は、実家の軽自動車を走らせ、群馬県桐生市の山間を訪れていた。目的は趣味の釣りである。

 釣りにも色々と種類がある。練り餌を使ったヘラブナ釣りから始まり、ルアーを使ったバスフィッシング。サビキやイソメを使った海釣りや、アユを使ってアユを釣る友釣り等、目的の魚と釣りをする場所により、当然ながら仕掛けや餌が変わってくる。

 僕が専攻していたのは、山奥で行われる渓流釣りだ。

 渓流釣りは、その字の如く、渓流で楽しめる釣りである。それでは、渓流とはなんなのかと言えば、河川の始まり付近と捉えて貰って良い。

 主に山間で、岩や斜面から染み出す湧き水が流れる所を渓流と呼ぶ。こんこんと湧き出た水はやがて山を下り、支川となって本川と合流。下るごとに水量と川幅が増され、やがては海に辿り着くといった仕組みだ。

 わざわざ山奥になど行かなくても、近場の川で満足すればいいのに、と思われるかもしれないが、魚にも生息区域というものがある。透き通るような、いや、透き通った水が流れる渓流でしか生きられぬ魚がいて、僕はそれをターゲットに釣りをしているのである。

 峠道を走らせ、目的のポイントへと到着する。

 車を邪魔にならないよう脇に寄せ、早速仕掛けの準備に取り掛かる。使う餌は、近所の釣具屋で買っておいた、ブドウ虫と呼ばれる虫である。ブドウ虫と言うかわいらしいネーミングとは裏腹に、おぞましい姿形をしたガの幼虫だ。気になっても、虫が嫌いな人は検索しない事をお勧めする。

 渓流釣りは、現地で調達できるカワゲラやカゲロウの幼虫、またはスプーンやフライと呼ばれる疑似餌のルアー、いくらや刺身など、様々な餌が使われるが、僕は決まってこのブドウ虫を愛用している。

 竿に糸を括り付け、その糸に目印とおもりを取り付ける。あとは先端の針にブドウ虫を付けたら完成だ。

 ケースからブドウ虫を一匹取り出し、針を近づける。ブドウ虫は身をよじり抵抗を見せるが、プチュ、っという小さな音と共に針はブドウ虫を貫いた。

 真夏とは思えぬほど涼しい風。くっきりと細部まで聞こえる川のせせらぎ。視界には緑々しい自然の芸術が溢れている。

 竿を携え、僕はザバザバと川の中へと入っていった。



 正午近くになった時分。

 僕は釣りを切り上げ車へと戻っていた。

 渓流釣りは午前中が勝負(中には一日中やる人もいるが)。今日の釣りはここで終わりである。

 車から七輪と炭を取り出す。僕はそれを手際よく準備すると、炭に火を起こした。

 バケツを覗くと、今日の釣果が口をパクつかせている。イワナが二匹、かなり型が良い。普段の僕からしてみれば大漁だ。

 僕はイワナの一匹、大きい方を手に取ると、スマホで写真を撮った。山奥なので今は圏外だが、下山後にSNSにアップロードする為だ。

 写真を撮ると、刃渡り五センチほどのサバイバルナイフを丁寧にイワナのおしりに突き刺す。そこから真っ直ぐエラのすぐ下まで刃を通し、お腹を開くとワタを取り出す。ナイフを使ってエラを取り出した後、綺麗に血合いをこそげば下処理の完成だ。

 口から竹串を通し、泳ぐようにそれをイワナの体に縫わせる。塩を振って充分に火が昇った七輪に乗せ、じわり、じわりと焼いていく。

 パチ、パチと皮が鳴けば合図。僕はハフハフとかじりついた。

 川魚には独特の臭みがあり、嫌厭する人もいるだろうが、大自然の中で味わう天然物の味は、僕を魅了してやまない。むしろ、これを楽しみに釣りをしている分もある。

 大漁、と言ってもたった二匹だ。食べ終わるまでさほど時間は要さない。

 僕は起こした火を消すと、後片付けに取り掛かった。ゴミをちゃんと持ち帰るのは釣り人の最低限のマナーである。持参したビニール袋に、使い終わった竹串と、ポケットに入れていたゴミ、使い切れなかったブドウ虫を入れる。

 竿も車に積み込み、僕は次なる目的地へと車を走らせた。



 大漁、と言ってもたった二匹だ。食べ盛りの僕の体にはいささか物足りない。次の目的地は行きつけのうどん屋である。

 群馬県ではお切込みと呼ばれる幅広のうどんが名物となっている。僕はいつもそれを食べて帰る事を習慣としていた。だが、店の前に車を付けた所で思いがけない文字が目に入る。


『本日、臨時休業』


 風邪でも引いたのか、あるいは夏休みで孫子供でも来ているのか。理由は定かではないが、残念なことにその店は休みだったのだ。

 がっくりと肩を落とした僕であったが、うどんを食べずに帰れない。僕の口はすでにうどんの口になっていた。すぐさま二軒目を探し、車を走らせたところ、別のうどん屋の看板が目に入った。

 峠道では良くうどん屋やそば屋を目にする。地元の綺麗な水を使っているからだとか、長年に渡って製法を変えていないからだとか、はたまた、新鮮な空気を麺と一緒に吸い込むからだとか、色々と所以はあるが、共通して言えるのはハズレが無いと言う事だ。どこもうまいという事だ。

 吸い込まれるように、僕はすぐさま、車を目に入ったうどん屋に停めた。


「いらっしゃい」


 店の戸を開くと、どこか愁いを帯びた声で出迎えられる。

 僕は入口からほど近い席に腰を下ろすと、奇妙な物を目にした。


「注文が決まったら呼んでください」


 足を引きづる様に水とおしぼり、それとメニューを持ってきた老年男性。

 店主と思われるその老人に、僕は思わず声をかけた。


「おじいさん。あの狸、飼ってるの?」


 僕が目にしたもの、それは巨大な檻だった。

 こじんまりとした店内に、あまりに似つかないものものしい檻。その中には、二匹の狸がぐったりと伏せていた。

 飲食店に動物を連れ込むなんて、衛生的に問題はないのだろうか。都心では、間違いなくそう凶弾されるだろうが、きっと、田舎では許されるのだろう。


「注文が決まったら呼んでください」


 僕の問いに答える素振りも見せず、店主はそう言い残し厨房へと戻ってしまった。余りの接客態度の悪さに不快感を覚えるが、田舎の店では良くある事である。一見さんお断りだったり、よそ者をないがしろにするタイプの店だ。別にこれといって言及はしないが、恐らく僕はもう二度とこの店に来ることはないだろう。

 さっさと食事を済まし、家に帰ろう。僕はそう思いメニューをのぞく。残念ながら、お切込みうどんは取り扱っていないようだ。

 目当ての品が無い事に落胆するも、今更店を出る気にもなれない。

 僕は目に入った『たぬきうどん』を注文する事にした。


「すいません。たぬきうどん一つ下さい」


 僕が老人に向かってそう頼むと、厨房から出てきた店主は何も言わずに僕からメニューを取り上げた。するとそのまま檻へと向かい、蓋を開けると、中のタヌキに手を出した。

 タヌキは檻の中を暴れまわるが、やがて店主に首根っこを掴まれ、そのまま厨房へと連れていかれる。

 店主の一連の動きを凝視していた僕は、「確かにたぬきうどんを頼んだけど、たぬきうどんってタヌキの肉なんか入ってないよな?」なんて間抜けた事を考えながら、注文した品が出てくるのを待った。

 十分、十五分。

 スマホで撮ったイワナの写真を僕が見ていると、店主がお盆に載ったドンブリを運んでくる。店主は何も言わずにそれを机に置くと、やはり何も言わずに厨房へと引き返していった。

 ドンブリを覗くとタヌキの肉は見受けられない。毛が浮いているといった事も無い。匂いを嗅いでみても、別段獣臭いわけでも無かった。

 僕はパキン、と割り箸を割ると麺をすくう。

 うん、なんてことは無い。どう見てもただのたぬきうどんだ。天かすにネギ、それとかまぼこが一枚入っただけのシンプルなたぬきうどん。

 恐る恐る麺を口に運び、一気にすする。


 味もとりわけて――


 いや、違う!

 僕は急いで二口目をすすった。


――うまい! うますぎるぞ!


 僕が口にしたたぬきうどんは、この世の物とは思えぬほど、格別に美味だった。気付けば、あっという間に汁まで完食してしまっていたのである。



 あくる日、僕は再び釣りをしに群馬の山間を訪れていた。

 釣りも早々に切り上げ車を走らせる。目当ては勿論あのうどん屋だ。

 あれ以来、たぬきうどんとはこれほどうまいものだったのか、と、僕は近所のうどん屋をしらみつぶしに周ったが、期待の味には辿り着けないでいた。あの時味わったたぬきうどん、僕はその味に恋し、焦がれていたのである。

 車を走らせ、目当てのうどん屋に着く。

 どうやらちゃんと営業している様だ。危惧していた問題が現実とはなり得なかったことに、僕はほっと胸を撫でおろした。

 店の戸を開け中に入る。相変わらず店の景観に合わぬ檻が目に入る。

 以前の来店からまだ一週間も経っていない。別段変わったところもなさそうだったが、その日、檻に入れられていたのはタヌキではなかった。


「いらっしゃい」


 無愛想な店主が足を引きずる様に水とおしぼりと、そしてメニューを持ってくる。僕はメニューを受け取りもしないまま注文した。


「たぬきうどん一人前! 大盛でください!!」


 店主は何も言わず、メニューを持ったまま厨房へと戻る。

 僕が今か今かと注文した、たぬきうどんを待っていると、店の戸が開き、二人の老夫婦が店内へと入ってきた。老夫婦は店の奥の机に移動すると、檻の中を見てこんな会話を始めた。


「あなた、今日はきつねうどんよ」

「うん。店主。きつねうどんを二人前」


 常連なのだろうか? 老夫婦はメニューどころか、未だ水を注いでいる店主にそう注文した。

 店主はその二人に水とおしぼりを手渡すと、檻の前に立ち蓋を開けた。

 今日、檻に入っていたのはタヌキではない。そこにいたのは、二匹のキツネだった。

 店主は二匹のキツネの首根っこを掴むと厨房へと戻って行った。そんな事より、僕のたぬきうどんを急いでくれと心の中では思ったが、へそを曲げられても困る。決して口にはしない。

 十分。十五分。

 遂に待ちわびたたぬきうどんが僕の眼前に用意される。

 店主が机にお盆を置いたと同時に、僕は割り箸を突っ込み麺をすくった。そして、一気に口の中に放り込む。忘れもしない! この味! この――!?


「ブハアッ!!」


 僕は思わず口に含んだそれをドンブリに噴き出した。


――なんだ!? このくそ不味いうどんは!?


 僕が口にしたうどんは以前食べた物とは比べるまでもないほど不味いうどんだった。汁は獣臭く、味は血なまぐさい。よく見ると動物の毛と思わしきものが浮いており、口の中をシャリシャリ言わせていた。見るだけで吐き気がしてくる。

 なんだ? どうして?

 期待を込めていただけに落胆する気持ちを抑えられない。

 僕が目を起こすと、店主が老夫婦の机に二杯のどんぶりを置くところだった。

 こんな不味いもの、食えるわけがない。そう思いながら老夫婦が麺を口に運ぶ様子を見ていたが、老夫婦は僕の想像とは違った表情を見せていた。


「やっぱり、ここのうどんは別格ね」

「ああ、本当はたぬきを食べたかったがな。きつねもなかなかいける」


 もしかして、今日のたぬきうどんはハズレだったのか? キツネが檻に入っていたからきつねを注文すべきだったのか?


 僕は店主を呼ぶ。


「すいません。きつねうどん一つお願いします」


 厨房から出てきた店主は、ほとんど手を付けていない僕のドンブリに目をやると、ため息をついて何も入っていない檻に目線を移し、再び厨房へと戻って行ってしまった。

 もしかして、さっき老夫婦が頼んだ分で、きつねうどんは売り切れって事か?

 腹は空いていたが、目の前のたぬきうどんを見ると、他のメニューを注文する勇気も出ない。結局、僕は諦めて何も食べないで店を出たのである。



 また、あくる日。

 僕は車を走らせる。目的は例のうどん屋だ。

 今日は檻の中にタヌキがいようが、キツネがいようが、シカがいようが、イノシシがいようが、クマがいようが、山菜がいようが、または天ぷらがいようが絶対にそれを注文すると心に決めていた。

 あの時出会った至福の味。せめてもう一度だけ。僕はそう願い、釣りにも目もくれずあのうどん屋に向かっていたのである。

 それくらい必死になるほどあの味は得難いものであったし、それくらい必死になるほどあの味は忘れられぬものであった。

 A5ランクのビフテキ、老舗の寿司、通いなれたラーメン。それら全てが霞むほど、それら全てが下らぬ味に思えてしまう程、あの時食べたうどんの味は唯一無二であった。いや、料理の中の国士無双と言った方が伝わりやすいか。ただのうどんにそれだけの評価を為すとは、まさに異聞奇譚いぶんきたんである。


「いらっしゃい」


 店の戸を開けると、いつも通りの調子で店主が僕を出迎える。

 今日は檻の中に何が入っているのか。目をやると、想像だにしなかったものがそこに入っていた。

 店主が水とおしぼりと、それとメニューを運んでくる。僕がそのメニューに目を通すと、以前は無かった品が油性のマジックペンで書き加えられていた。

 早速店主を呼ぶ。


「これ、ください」


 僕はマジックで書かれたそれを指さし注文を終える。

 店主は何も言わず檻の前に立ち蓋を開けた。


「いや……、助けて……」


 檻に入れられていた全裸の女が必死に命乞いをする。

 タヌキだろうが、キツネだろうが、イワナだろうが、ブドウ虫だろうが、何でもよかった。そう。うどんでも、そばでも、ラーメンでも、何でもよかった。何でもよかったのである。

 大事なのは調味料。それこそが究極の味を作り上げていたのだ。絶対的な立場から見下ろす圧倒的弱者の哀れな姿。敗北者の惨めな姿。被食者の無残な姿。そこから生まれるは、優越感と言う魅惑の調味料。抗えない、麻薬的な中毒性を持った蠱惑の調味料。僕が欲していたものは、それだった。


「……お願いします! 助けてください!!」


 檻の中には女。鼻水と涙でぐしゃぐしゃの顔には、知性という言葉がまるで感じられない。


「お願いします! なんでもします! ……子供がいるんです……、許してください……」


 さすがにタヌキやキツネと違い、老人には骨が折れるだろう。


「……おじいさん。一人じゃ大変でしょう? 手伝いますよ」


 僕は舌鼓と共にピリオドを打つ。

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