9-2 ちょっとイタズラしてみたの

 赤のビキニ。たわわな胸。しっかりと纏められた長い黒髪。メリハリの利いた肢体。大きな瞳。ミニマムな身長。間違いなく雫であった。そんな彼女が、悪戯っぽく微笑みながら。マットの上で要を待っている。


「どこに行ってたの?」

「いや、うん。ナンパに捕まってたから……」

 無邪気な問い掛けに戸惑いながらも、要は正直に答えた。最早誤魔化す方が厄介事を増やしかねない。

「捕まって、どこかに行っちゃったから追いかけた?」

「そうだな」

「で、居なかったから一旦戻ろうとしたら、私がここに居た」

「ああ」

 畳み掛けてくる雫の問いに、要は受けに終始してしまう。この状況で形勢を逆転するのは、あまりにも至難の業であった。

「……やったー!」

 が、反応は意外であった。飛び上がるように両腕を空に突き上げ、天を仰ぐ雫の姿。それは要の想定には全く無いものであった。

「ん? うん? どういうことだ?」

 想定外の事象に首を捻る要。だが雫は姿勢を戻し、要を上目遣いで覗き込んで来る。そして。

「こっちをチラチラ見てたのは分かってたから、ちょっとイタズラしてみたの。ごめんね?」

 決定的な一言を叩き付けた。



 結局、話はこういうことであった。

 ナンパして来た男共は見た目とは裏腹に「ワンチャンあれば」程度の弱気が言葉の端々から見えていて。

 それを読み取った雫はあらかじめ連れが居ることを告げた上で、「自販機まで同行する程度なら」と交渉。

 要がこちらを見ていることは薄々気付いていたので自販機前で適当に時間を潰し、後は上手くもと来た入口とは別の出入り口からプールに戻り、男共と別れる。そして要の居たシートの上で、要が右往左往する様を眺めていた。


「……視野が狭いもんだな、俺も」

 雫の隣に座り、そっぽを向きながら要は呟いた。ちょっと思考を集中し、視野を広くしてモノを考えれば済む話だった。

「嫉妬……していたのかもしれない」

 更に呟いた。そこには怒りも何もない。ただ、自分の力量不足に心を痛めていた。

「んー。そこまで言ってもらえば光栄、かな?」

 しかし雫は意に介さなかった。明るく言葉を放ち、立ち上がる。軽く腕を伸ばすようにストレッチをして、それから。

「まあ要兄。私はもうちょっとウォータースライダーで遊んで来るから」

 再び水面に体を降ろし、ザブザブとプールの中央にそびえ立つウォータースライダーへと向かって行った。要はしばしその様を見ていた。しかし。

「……ごちゃごちゃ考えるよりかは運動するか!」

 決意して立ち上がると、雫とは違うプールへと向かい、一心不乱に泳ぎ始めたのであった。



 始まりが突然であったように、終わりもまた、突然であった。プールサイドに佇み、戯れる人々をボーッと眺めていた要。その背後から。

「要兄、お腹すいた!」

 声がした。続いて柔らかい感触。首にするりと絡みつく腕。肩に乗せられる頭。振り向けばそこには、笑顔があった。

「えへへ……」

 頬を朱に染めた雫の笑顔が、要の心に不意の衝撃を与えた。一瞬理性が爆ぜ、胸の感触に呼応した反応が首をもたげた。しかし知覚した所で無理矢理押さえ込み、言葉に切り替えて要は口を開いた。

「何を食べたい? もういい時間だ。そこそこ手持ちもある。今日はご希望に沿うよ?」

「んー? 要兄と一緒ならなんでもいいよ? むしろ要兄を……」

「お食事であってご休憩ではないからな? じゃ、ファミレスでも行くかね。いつものだが、今日は何食っても許す!」

「やった! 要兄大好き!」

 周囲の耳目を集めながら片付けに勤しむ二人。しかし今の二人には嫉妬も羨望も。なにもかも気にならなかった。

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