9-3 仕返しだ

「要兄、あーんして。あーん」

「……ん」

「えいっ!」

「……。んぐ。割と美味いな、これ」

「でしょ? おすそ分け!」

 食べさせる人物は周りを気にせずウキウキと。食べさせられる人物は周囲を見ないようにしながら淡々と。昼のピークも過ぎたレストランで、その食事風景は周りの客の注目を集めていた。ごく一部の男性陣に至っては血涙止まずと言った有様だし、紳士淑女は眉をひそめている。年端も行かない少年少女が二人を指差そうとして、保護者に窘められた。


(なあ、めっちゃくちゃ見られてるんだけど。やめない?)

(やだ。別に見られたって減らないじゃない)

(俺の寿命がすり減りそうなんだけど)

(気のせい気のせい。ここ暫く機会もなかったし、良いじゃない)

 目で会話を交わしながら、要はこの針の筵のような時間をただ受け入れていた。要自身別にこういう行為に憧れがなかった訳ではないし、実際嬉しい。ただ、いざ当事者となると周囲の目がやたらと刺さって来る。そんな二律背反を抱えつつも、要はひたすらに差し出されたフォークを食んでいく。舌で丸め、歯ですり潰す。昔は味を感じる余裕はなかったが、今ではゆっくりと堪能する事が出来るようになっていた。

(慣れたんだな……。悔しいけど)

 そんな感慨にふけりながら、要は自身の皿に置かれたハンバーグに手を付ける。当初は煙を吐き、ジュウジュウと音を立てていたはずのそれは、すっかり温くなっていた。その眼前では雫が、幸せそうにスパゲッティーのサラダセットを食していた。



「……ああ。食った、食った」

 十数分後。要は冷めつつあったハンバーグをようやく平らげ、背もたれに腰を落ち着けた。一方雫は、サラダに残しておいた大好物のチキンを、顔を輝かせて食している。たっぷり時間をかけて、ゆっくりと。そしてあくまでマイペースを維持したまま、一欠片すら残さずに全てを平らげた。

「美味しかった!」

 皿を置き、顔を上げた雫。その笑顔はとても眩かった。しかし要は、その一点に陰りを見つけた。すかさず近くにあったペーパーを取る。

「雫、顔にソースが付いてるぞ?」

「ほんと? じゃあ要兄、取って?」

 小悪魔の如き微笑みを浮かべる雫に、要は心を穿たれた。ソースの一つや二つ、この美少女には関係ないというのか。

「はやくー?」

 口元を差し出し、椅子から立ち上がって奉仕を要求する雫。それに気圧された要は――。いとも容易くショートした――。


「オーケー。やってやるさ。目をつぶれ」

 素直に目を閉じる雫に満足すると、要は顔を近付け、舌でソースを舐め取ってやった。そのまま手を後頭部へ回して角度を調整。そして。唇をそっと合わせ、素早く離す。

「取れたぞ」

「……よー、にい?」

 感触で察したのだろう、雫は小刻みに震えていた。それを見た要は、ニヤリと笑う。

「取ったことには変わりはない。理由? あるとしたら仕返しだ」

「っ……!」

 顔を真っ赤に染め、尻餅をつくように椅子へとへたり込んだ雫。それを見てようやく要は。

「……。あ」

 我に返り、周囲を見る。無論そこには、強烈な視線があった。

「…………」

 爆発音が立ちそうな程の勢いで顔を朱に染めて、要は下を向いた。

(もう暫く立てる気がしない……。というか今後ここ来たくない……。なにやってるのさ、俺……)


 最早両者ともに立ち上がる気力はなかった。その後、空気を読まない気丈な店員が食器を下げに来る。その瞬間まで二人は、微動だにせずノックアウトされていたのであった。

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