5-3 俺に未練はありません

 神楽坂遙華と意志を交わし合ってから数日後。大島要の姿はとあるビルの一室、そのドアの前にあった。

 要の本日の装いは、普段よりも遥かに格式張っていた。ビジネススーツにネクタイ、おまけに背広。会社勤めと思われても間違いないといえる背格好であった。その腕に締めた時計を見ながら、要は気もそぞろに適当な時間を待ちわびていた。革靴のつま先で床を叩き、じれったさを紛らわす。少し早くに到着してしまったのであった。


 やがて、腕時計の長針が五十五分を指した。要は顔を上げ、決意とともに、インターホンを押す。

「どちら様ですか?」

「春野彼方さんに面会を申し込んだ大島と言います」

「どうぞ」

 中からロックを外す音を耳にして、彼はそっとドアを開けた。その中には。

「あちらで彼方さんがお待ちしております、どうぞ」

 流れるような金のロングヘアー、白磁のように透き通った肌。深い青の虹彩に流暢な日本語というアンバランスな人物であった。


「は、はい」

 そんな人物に一礼をされたものだから、普段から女性への人見知りが強い要は、ついついまごついてしまう。しかし彼女は、そんな要を笑うことなく室内へと導いていく。


「面会の方を連れて来ました」

「大島要!」

 目的の人物の動きは全くこれまでと変わらなかった。要よりも高い背を器用に屈め、ハグをする。まとめ髪にレディーススーツというスタイルでありながら、その言動には一分のブレもない。それが、かつて要が淡い想いを抱いた女であった。


「で、用件はなにかな?」

 応接間として用意されているのだろう。小さい机を挟んで二人は座り、相対した。例の金髪女性は空気を読んだのか、緑茶だけを置いて席を外していた。

「……」

 要はうつむいていた。茶にも、茶請けにも手を付けることなく考え込んでいた。しかしそれは僅かな間であった。次の瞬間には顔を上げ、眦を決して彼方に言葉を放つ。

「俺は貴女が、好き……でした」

「うむ。それが現在形でも肯定する意志は私にはない。以上」

 にべもなかった。即断即決であった。既定路線上のそれとして、要の言葉は跳ね除けられた。しかし要は。

「はい。これで俺に未練はありません」

 満面の笑みで拒絶を受け入れた。


 面会の時間は僅かに十分程であった。居住まいを正し、去って行く要。それを彼方は、ただ無言で見送った。

「あの……。あれで良かったのですか?」

 要を部屋へと導いた例の女性が、不安げに問い掛けて来た。心なしか眉が下を向いていた。

「良いんです。さっぱりしました。むしろあの人らしくて、ホッとしていますよ」

「はあ……。まあ確かにあの方らしいのですけど。いえ、それなら良いんです。お疲れ様でした」

 要はキッパリと言葉を返した。その言葉にホッとしたのか、女性は笑顔で要を見送ったのであった。



 アパートの階段をゆっくりと上り、自室の扉を大きく開く。

「雫、ただいま!」

「要兄おかえり!」

 すっかり慣れてしまった歓迎の声に、要は目を細めた。タタタと駆け寄ってくる少女が彼に飛び付く前に、上手く両手を脇に差し入れ、抱き上げてやる。そして気分のままに回ってみせた。下ろしていた雫のロングヘアーが、バサリと宙に広がっていく。

「よーにー! めーがーまーわーるー!」

「ははは! 先輩に言って来たぞ、雫ー! 断られたけど満足だー!」

「良かったねー! でも解放してー!」

「断る!」

 そのまま二人は回り続けた。その間両者は、まったくもって笑顔であった。

 しかしその夜、あたかも錠前を解いたかのように。記憶の扉は、その姿をあらわにした。

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