5-4 思い……出した!


「死ねやああああああああああああああ! おおじまがなめえええええ!!!!!」

 大学の構内、多くの人が取り囲んで様子を窺う中。聞くに耐えぬ罵詈雑言と共に振り下ろされる包丁を、大島要は必死にかわす。馬乗りにされ、両手を足で押さえつけられてなお、彼は生命にしがみついていた。

「よけるなああああ! 死ね、死ねよぉ!」

 既に正気を失った目をしている、の凶刃を回避しながら、要は絶望を感じていく。目の前がやがて暗くなり、警備員の駆け付ける音が、己の命を狙った男が自身の正当性を訴える声が遠く、遠く聴こえて……。



「ーーーーーーーーーっ!?」

 布団を剥いで身を起こすまでの時間は秒にすら満たなかった。まだ暗い部屋の中で、要は激しい頭痛に頭を抑えた。脳が脈動している。ここ数日の行動で刺激されたのか。切れていた記憶のシナプスが、繋がりを取り戻そうとしている。頬を伝う汗が止まらない。唐突に寒気が身体を襲う。そして彼は、再び意識を失った。



「要兄……」

 どこで手に入れたのかコスプレ用のナース服に身を包んだ雫が、冷やしたタオルをそっと要の額に乗せる。

 彼女が要の異常に気づいたのは不覚にも朝起きてからであった。布団をかぶらず、大量の汗をかき、なにやらうわ言をブツブツ言い続けれる彼の身体。触れた時の熱さは尋常ではなかった。慌てて服を着替え、要の体を拭き、しっかりと布団に寝かせる。今日は家庭教師の日であったことから神楽坂家に詫びの連絡を入れ、付きっ切りで看護に取り組んでいた。しかし。


「たの……俺は……して……なぜ……」

 断片的で繋がりの見えにくいうわ言も、要の身体を蝕む高熱も、昼を過ぎてなお治まらぬのであった。雫が用意したおじやにも手を付けられない有様である。

「要兄……。大丈夫?」

 既に十から先は何度目かすら数えていないタオルの交換を行って、雫は不安そうに要の顔を覗き込んだ。未だに呼吸は荒く、頬は赤く染まっている。

「どうしよう……。こんな容態じゃ病院にも連れて行きにくいし……」

 いかに家事勉学を修めたとはいえ、雫の細腕では要を病院に連れて行くことすらままならぬ。さすがの彼女も頭を抱えたその時。


 ピーンポーン。

 間の抜けた呼び鈴の音が部屋に響いた。はたと時計を見れば既に十六時を回っていた。

(誰だろう)

 ぼんやりとした思いを胸に、雫は玄関へ向かう。そのドアスコープの向こうには。

 ブスリとした顔の雇い主と、笑顔で手を振る教え子の姿があった。


「先生が大変かな、と思ってねー」

 教え子――神楽坂大介は慣れた手つきで、手に持った袋を居間の机に開けていく。そこにはおにぎりや小さなサラダ、サンドイッチ等、軽く食べやすいものが揃っていた。

「ご飯食べてないでしょ?」

 そう言いながら彼は台所へ向かい、ヤカンを見つけて湯を沸かし始めた。本来なら雫が止めるべきなのだが、呆気にとられてままならなかった。

「あっちは姉さんが見てるし、少し落ち着いてよ。ナース服も汗びっしょりだし」

 そう言って少年は雫の対面に座った。彼の澄んだ瞳が、今の雫には眩しくて。

「そうやって見られても困るな。先生、ほんの一つ年上なだけでしょ?」

 涼しい顔の大介が、異様に頼もしく見えた。それ故に雫は言葉を発することが出来ずにいた。やがてヤカンが沸騰を知らせる音を鳴らす。と、同時に。


「お、おい! 袖ヶ浦! 大介! 要が意識を取り戻した!」

 寝室から顔だけを出して遙華が叫んだ。


 遙華と入れ替わりに寝室に入り、要に声をかける雫。

「要兄、要兄!」

 まだ身を起こしてはいないが、確かに彼の目は開いている。懸命にすがりつく彼女に向けて、要は言葉を絞り出した。

「しずく……。俺は……思い……出した!」

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