5-2 俺は、雫が好きだ
目当ての人物は、約束の時間きっかりに現れた。指定された喫茶店の、高貴な空気に押されていた要。彼にとってそれは救いに他ならなかった。
「待ったか?」
「いや」
お決まりのような会話を交わしつつ、神楽坂遙華は要の対面に座った。ただしその装いはいつもの令嬢風スタイルとは大きく異なっていた。
男物のワイシャツにネクタイを引っ掛け、革のベルトにヴィンテージのジーンズ。それは、要のよく知る。
「また懐かしい格好で来たな」
「折角のお誘いだからな! 隠してたヤツを引っ張り出した」
ニカッと笑って彼女は言った。その気遣いが、要の顔に翳りを生んで。
「で、今日はなんの用だ?」
ついつい遙華に先手を譲ってしまうのだった。
「……。なあ。あの一週間って、どうしてああなったんだ?」
散々話題の切り出しに迷った末に、結局要は月並みな発言で本題を開始した。それまでに要した時間で、せっかく注文したアイスコーヒーの氷はすっかり溶け切っていた。彼はそれを一気に飲み干し、喉を潤した。背中に酷く汗が流れている。
「そうだな……」
それ受けて、遙華も考えこんだ。その表情は重く、眉をひそめていた。
(やはり一年も前のことを言語化するのは……)
コーヒーのコップを片手に要がそう思った時。絞り出すような、しかしそれでいて毅然とした声が耳を打った。
「強いて言えば練習、お試し。そういうものだったのかもしれない」
「思えば私達は気心が知れ過ぎていた」
要が無言で居ると、更に遙華は言葉を継いだ。そのままアイスカフェオレをグイ、と飲み干し、もう一つ言葉を放つ。
「結果的にそれが災いとなった。それは多分要もわかると思う」
「そうだな」
要はコップを置き、天井を仰いだ。シーリングファンがくるくると回っていた。その微妙なのんきさに、彼は少し心をざわめかせて。
「ふざけるな」
一言だけ、しかし収まることなき怒りを込めた言葉を言い放った。
「そうだな。私はふざけた」
僅かな沈黙の後、遙華が口を開いた。その声は、淡々としていた。
「だが謝らない。あの時の私は、お前をそのレベルまで想っていた」
真摯にして真実。要は彼女の言動をそう感じた。そこにきっと、間違いはない。だから、真実をもって返事をした。
「今の俺は。雫が好きだ。神楽坂遙華。お前とはただの友人だ。ビジネスライクに付き合って行きたい」
「そうか……」
遙華は水を啜った。再びの間。しばしの後、要は再度口を開いた。
「ビジネスライクである以上、お前から言質を取らねばならん。雇い主の権限を振りかざされてはいけない」
「そんなもの大介に半分以上抑えられた。クビにしようにもアイツの同意がなくては出来ない」
条件を切り出す要に対し、遙華は肩をすぼめて両手を広げた。それを見て、要は満足げに頷いた。
「良い義弟に恵まれたじゃないか」
「知るか。結果的にはクビにしなくて良かったけどな。話せば分かったし大介も少しずつ成長している」
「そうか。それなら良かった。じゃあ、今度こそ。行くぜ」
要はコーヒー代を置き、立ち上がる。その際、思い出したように呟いた。かつてのように、微笑みも添えて。
「そうそう。連れ子同士の姉弟って結婚可能らしいぞ? 俺よりあっちの方が未来は上々じゃないか?」
「知るかー!?」
顔を真っ赤にした遙華の叫び声を背に、要は悠々と店を去って行った。
「ふーん? じゃ、無事に終わったんだ」
「ああ。雫の稼ぎも保証されている」
「良かった」
要の部屋。膝に乗る雫がそっと向き直り、要の頬に手を添えた。
「じゃ、まだまだ安泰ね」
にっこり微笑む彼女を目の当たりにして、要も顔を綻ばせるのだった。
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