エピソード5 大島要の決着

5-1 気持ちは一つだ

「ここかなー?」

「っ……。く、あああっ!」

 手が動く度に声が上がる。それは喘ぎ声にも似ていて。

「それともこっちー?」

「うぐぅっ! や、もう、やめ……」

 限界を迎えた受け手が制止をかけようとする。しかし責める手の動きはとどまることなく蠢き。

「こっちね!」

「うううううううううううううう!」

 哀れ受け手は絶叫をもって抵抗するのみとなった。


「はあ、満喫した~」

「ぐすんぐすん」

 なんのことはない。マッサージの光景である。泣いているのが男の方であるという事実は置いておくが。

「要兄も自分の体が気になってたなら言ってよね。おデブでも良いけど、やっぱり気になるし?」

「あー、すまん……。せっかくうまい飯作ってもらってたから、つい」

「まったく」

 大島要と袖ヶ浦雫が一つ屋根の下で暮らすようになってから、一ヶ月が過ぎた。あの温泉旅行以来、両者の距離はどことなく近くなり、その分雫の攻勢も激しくなった。にも関わらず、未だ決定的な一歩はどちらも踏み出せてはいなかった。


「そういえば、その……少し胸のボリュームが」

「あー。うん。ま、ほら」

 要が雫を見てふと問えば、雫は二つの膨らみにそっと自分の携帯を載せる。すると薄い直方体の物質は、見事に落ちることなく胸の上に鎮座したのだ。

「このくらいは出来るし?」

 悪戯っぽい微笑みを浮かべて、彼女は要を見た。

「そういう問題じゃない、と思います」

 窮した要の返答は、常識的なそれにとどまったのであった。


「で、今日は確か」

「ああ、遙華さんに会ってくる」

 朝イチの諸々を終えての朝食の席、二人の話題に上ったのは要の幼馴染の女性であった。神楽坂遙華。要との心の距離は非常に近く、かつては男女の付き合いもあった間柄である。それ故に。


「決着、つけるんだよね?」

 雫が問うて来るのは分かっていた。それが人の性だから。パンを食べる手が止まり、目を潤ませていた。

「決まってるだろ。それが旅行の時の約束だ」

 要は意に介さず、目玉焼きを頬張った。咀嚼しながら、雫を見据える。

「今更もう一度付き合うとか、そんな選択肢は俺にはないさ。今日は現状の確認とか、そういう話だ。だから安心して待つように。ご馳走様。今日も美味しかった」

 言い終えるやいなや要は立ち上がり、自分の分の皿を流しへと運んでいく。雫の来訪時には暗澹たる有様だったその場所は、今では日々の努力により常に清潔が保たれていた。自分の皿を洗い始めた要の背後から、雫がいつもよりゆっくりとしたテンポで、食事に手を付ける音が聞こえて来た。



「じゃ、俺は行くな?」

 午前十時。要はついに居間の床を蹴った。白のスラックスに紺のソックス、そして青のポロシャツ。それは数日前に雫とともに見繕った品であった。

「うん……」

 要の後ろを付いていく雫。その声には不安が篭っていた。要は敢えてそれを無視した。どうにもならないのだ。だが。

「雫」

 玄関先で、要は天を仰いだ。そして一声を上げた。振り向いて雫を引き寄せ、そして。唇を奪った。

「俺の気持ちは一つだ。じゃ、行って来る」

 なんでもなかったかのように右手を上げ、部屋を去る要。それを見送る声はなかったが、その心は充実していた。

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