4-2 覚えていないんだ

「わーっ、綺麗! ほら、要兄も見て!」

「おお、これは!」

「山間なので直接向かうのは難しいんですけどもね。当旅館自慢の部屋でございます」

 ようやくたどり着いた旅館の中、二人を部屋に通した女将は、まだ部屋に残っている。にもかかわらず、雫と要は窓から見える景色に気を取られていた。

 青々とした山、汚さの欠片も見えぬ湖。それらが絶好のバランスで配置され、人工物が見えないように設計されている。

「高いんだろうなあ……」

 思わず、要の口から言葉が漏れた。チケットはなんと宿泊費と食事代が無料の代物だったが、流石にこんなに上等な部屋は想定外だったのだ。

「いえ、神楽坂様には当館を贔屓にして頂いておりまして……」

 それを聞きとがめた女将は冷静に返事を返した。そして、更に予想外の言葉を紡ぐ。

「今回は遙華様からのたってのお願いということで、及ばずながらおもてなしの限りを尽くさせて頂く所存でございます。」

 その言葉と共に行われた座礼は、要の気を引き締めるのに絶好の効果があった。


 その後は時の流れに合わせて進んでいった。雫の淹れた緑茶を先程の店と比べたり、二人で食べ切れるかすら分からないほどの、豪華な茶受けに舌鼓を打ったり。ゆったりしながらも平和な時間が流れていった。


 とはいえ、話すべきことはあるにはあった。それは、夕刻に始まった。

「ねえ、要兄。昔神楽坂さんと付き合ったとか、春野さんに告白したことがあるとか聞いたことがあるんだけどさ」

「うむ、それは事実だ」

「実際のところどうだったの? 断片的にしかわからないんだけど」

 卓を挟み、窓際で語り合う二人だったが、ここで雫は身を乗り出した。下着こそ見えないが、重力でセーターに強調されたままの胸がぶら下がり、男の目に悪い光景となる。要は敢えて目をつぶり、そして。

「雫。あの頃は楽しかったよな」

 脳裏に、かつて共に遊んだ光景を蘇らせた。

「なんにも考えずに遊んで、なんにも考えずに触れ合って」

「うん。本当に楽しかった。その頃から要兄は私のお兄ちゃんで」

「一度『大好き』って言われたけど、俺は単に家族的なものだと思って」

「本当にその頃から好きだったのに」

 要は遠くを仰ぎ、雫は口を尖らせる。山はもうすぐ、闇に包まれる。意を決して、語る。

「だから俺は、なんの気もなく幼馴染に『思い出作りで付き合え』と言われてそのまま付き合い、『やっぱり私達はこうじゃない』って高校の卒業式で振られた。一週間だぞ、一週間」

「うん……」

 帰ってきたのは不満げな雫の声だった。しかし要は、言葉を続けた。


「春野先輩は、俺が新歓コンパ……要は大学の飲み会だな。それで潰された時に出会った。気のいい先輩で、男女関係なく俺以外の人にも慕われていたよ」

「いい人だとは、思ったけど……」

「手癖は悪かったけどな……」

 要はそっと付け加えた。既に部屋は暗かった。だが、電気はつけたくなかった。表情を、見たくなかった。

「まあ、可愛がられたさ。今思えば平等のつもりだったんだろうけど、当時は特別だと思っていてな……。で、去年のイブに告白したんだ」

「あの人から聞いた……。振られたんでしょ?」

 要はそこで言葉に詰まった。だが、ここまで言ってしまった以上、真実は隠せなかった。深呼吸の後、答えた。

「すまん、俺は覚えていないんだ」

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